072 行違った思いの先
しかし衝撃は一つではなかった。
体当たりしてきた人の体が私に覆いかぶさるとほぼ同時に、さらにその上から突き出されるような衝撃が加わる。
「なんなの⁉」
茶色いマントを被り、覆いかぶさった人の顔は見えない。
しかし崩れたその人の先にいる人物の顔は、はっきりと見えた。
もう一つの衝撃。
それは、ナイフを持ったダミアンがもたらしたものだった。
「ダミアン……様」
震える彼の手にあるナイフには、べったりと血のりが見える。
滴り落ちるその血を、ダミアンは青ざめた顔で見ていた。
「血?」
待って、これはどういう状況?
あれは誰の血なの?
ナイフを持ったダミアン。
それは確実に人を刺したあとのものだと分かる。
でも私は無傷だ。
だったら……。
手に、温かな感触が伝わってくる。
見ればそれはあふれ出る血だった。
私は自分に覆いかぶさるマントを被った人間に目をやる。
震え出す手。
息を吸うことさえ忘れるほどの時間。
ゆっくりとマントをはがし、その顔を見た。
「マリアンヌ様!」
意味が分からなかった。
いや、状況からその意味は理解できたのだけど。
でも頭がそれを理解することを拒んだ。
「なんで、なんで、なんで、なんで!」
怒りなのか悲しみなのか。
私はあふれ出る血を押さえようと、きつく手を当てる。
しかしその傷口は深いのか、出血は止まらない。
「何やってるのよ!」
睨みながら叫べば、ダミアンは手に持ったナイフを地面に落とした。
そして青ざめた顔で、その場にへたり込む。
「ちがう、違うんだ……こんなはずじゃなかったんだ……ぼくは悪くない、ぼくは悪くない。悪いのはおまえたちじゃないか」
この期に及んで、この人は何を言っているのだろう。
平民になることを納得しないとは思っていた。
だからといって、やっていいことと悪いことがある。
一番初めにマリアンヌを騙したのは自分じゃない。
なのにその嘘をつき通すこともなく、彼女の幸せをこんな風に壊すなんて。
こんなことになるのなら、何が何でもあの時止めればよかった。
大事だったのに。
マリアンヌはこの世界で出来た唯一の友だちだったのに。
「ふざけないでよ! あんたがいけないんでしょう。マリアンヌは、ただあなたと幸せになりたかっただけなのに!」
「うるさい! ぼくはそんなもの望んでいなかった」
「だったら初めから、彼女を解放しなさいよ! マリアンヌはただあなたのことを心から愛していただけなのに」
ぼろぼろと涙がこぼれる。
許せなかった。この男も自分も。
「貴様!」
騒動に気付いたブレイズが、へたり込むダミアンを殴り飛ばした。
辺りには人だかりができ始める。
「誰かお医者様を!」
私の言葉に何人かが駆け出して行った。
「マリアンヌ死なないで……」
血の気のない彼女の顔に触れる。
すると意識を取り戻したのか、マリアンヌがうっすらと目を開けた。
「マリアンヌ!」
「アンリエッタ……」
「どうしてこんな危険なことをしたのよ。今お医者様を呼んでもらっているから」
「無事?」
肩で息をしながらも、マリアンヌは私にそう尋ねる。
自分がこんな状況だというのに。
「私は無事よ。あなたのおかげでね」
「……よかった……。今度は……ちゃんと助けられた」
「今度って」
ダミアンに殴られた日。
マリアンヌは誰よりずっと泣いていた。
食事も喉を通らぬほどにやつれ、私が怪我を負ったことを悲しんでくれた。
あの日から、私たちの仲はグッと近づいた気がする。
だけど今でも、マリアンヌがあの日のことを悔やんでいるとは思わなかった。
マリアンヌのせいではないと、何度も言い聞かせたのに。
涙の止まらない私とは対照的に、マリアンヌはただ微笑んでいた。
そしてゆっくりとまたその目を閉じる。
雲一つない高い空に、私の叫び声だけが響き渡って行った。




