066 願う幸せは誰のため
「何を言っているんだ、アンリエッタ」
「そうよ! 出て行くのはあなたでしょう」
「なぜです?」
私は、私の言ったことを全く理解できていない人たちにただ尋ねた。
どこまでも冷静で、顔色一つ変えない私に、二人の表情が焦り出す。
キョロキョロと落ち着きなく辺りを見渡し、私が何を言わんとしているのか読み解こうとしているようだった。
どこまでも優しい私は、そのヒントを彼らに提示する。
「結婚なさる時の契約書、よくお読みになりましたか?」
「……それは、どういう……」
余裕たっぷりな私に、何か気づいたようなダミアンは思うところがあったのか自室に駆け出す。
そして契約書を取ってくると、息を切らしながらここへ戻ってきた。
「どういうことなの! ダミアン、説明しなさい」
「契約書というのは基本、どこまでも回りくどく分かりづらく書かれています。契約する人が、わざと理解出来ないように……読むのを途中でやめてしまうように」
甲とか乙とか。
たくさんの文字の羅列に加えて、事細かな文言が何枚にも渡って書いてある。
しかも初めは当たり障りなく簡単に理解できる内容から、だんだん最後に進むにつれて頭を使わなければいけないように。
しかも父が作成した書類は、さらに質が悪い。
一度読んだくらいでは理解できないように、わざと回りくどく作られているから。
全ては父が得をするように。
でもよく読んだとしても同じ。
初めに渡した契約書には書かれてなかったことも、サインする際にすり替えて書かれているなんてこともザラだ。
あの人と契約したら最後。
いいように搾取され、使い捨てられる。詐欺もしくは、悪魔との契約のようなものだ。
だけど私はその内容を理解し、尚且つ自分のために使わせてもらったのよね。
「別にどこにもおかしなとこなど……」
「半分を過ぎたあたりに書いていませんか? もしこの婚姻が無効となる場合、慰謝料として屋敷及びその家門は乙……つまり妻だった者のモノとし全て譲渡すると」
初めから父の狙いなど分かっていた。
どうしても父が欲しがったモノは貴族としての身分だから。
私を通して手に入れたかったけれど、同時にまだ私を手放すのはもったいないと思っていたのだから。
あの人がこんなことだけで、簡単に便利なコマを手放すはずがないのよね。
ああ、本当に我が父ながらずる賢くて嫌な人だと思うわ。
あの人に関わった時点で、あなたたちの負けなんて決まってたのよ。
残念ながらね。
「な、そんなこと……」
「そんなの許されるわけないじゃないのよ!」
「許されないもなにも、契約書にサインをしたのは他でもないダミアンですよ? ちゃんと読まなかったこの人がいけないのですね」
「ふざけるな! ふざけるな!」
どれだけ叫んだところで、この状況はもう覆せない。
契約書を破り捨てたとしても、もう一通は父がしっかりと保管しているのだから。
「状況がご理解出来ました?」
「こんなこと……こんなこと……」
ダミアンは書類を手にしたまま、膝から崩れ落ちた。
やっと今自分の置かれた状況が分かったのね。
でも、もう遅いのよ。
全部終わってしまった後なんですもの。
「だが、結納金は……」
「結納金はダミアン様個人にではなく、この男爵家に入るようになっていたのを知らなかったんですか? 元々その方が支払いにいいとかこじつけられていたはずですけど」
「ああ……」
ダミアンは思い出したように、頭を抱える。
そう、結納金すらこの屋敷の物。
そして私がこの男爵家を継いだ以上は、彼らには何も残りはしない。
まぁ、財産分与はしないとしたから、結婚する前から持っていたものはそれぞれのモノだけどね。
もっともそれも、あればの話だ。
結納金をあてにしてお金を使いまくった挙句、遊び歩いていたんだもの。
初めにあった少ない手持ちのお金も、もうとっくになくなっているわよね。
「ではダミアン様、どうぞ愛人様とお幸せに。まぁ、お義母様までは無理でしょうけど」
「全部お前のせいよ!」
半狂乱になった義母が、その髪を振り乱しながら叫んだ。
そして今にも私に掴みかかりそうな勢いで、睨みつけている。
「そうですか? サインをなさったのは、あなたのご自慢の息子様ですよ。でもほら、お義母様もまだご実家があって良かったですね」
「実家……あそこは妹が継いだのよ。そんなとこに今更戻るだなんて……」
義母と妹の仲が悪いことなど、調査済みよ。
こんな性格だもの。
仲良いわけなんて初めから思ってなかったけどね。
「頑張って下さいね」
私がそう言いながら微笑めば、力なくストンと椅子にへたり込んだ。
義母はすっかり小さく弱くなったように思える。
そして自分の爪を噛みながら、ブツブツと恨み言を呟いていた。
「私は一旦実家に戻りますので、私が戻る前に荷物をまとめて出て行って下さい。でなければ、雇ってある護衛たちに強制退去させますから」
二人とももう少し暴れると想定して、ブレイズに頼んで騎士を派遣してもらったけど、それも不要だったようね。
でもあと一つ、今回のメインが残っているから、そっちはどうかしらね。
「アンリエッタ、離婚だなんて言ったのは……その、冗談だったんだ。考え直さないか! ほら、今までだって上手くいってたじゃないか」
「は?」
急に何を言い出すかと思ったら、冗談ですって?
今まで散々な仕打ちを私にしておいて、上手くいっていただなんて、どの口が言うのかしら。
「どうしてですか、ダミアン様。あなたには本当に愛している人がいるんではないですか?」
「それは……その、だが……」
「元々、その方と幸せになりたかったのでしょう? だったら、ちょうどいいじゃないですか。元に戻ったと思えば、なんでもないですよね」
「いや、だからそれは……」
「愛さえあれば何もいらないんですよね。少なくとも私ではなくその方に、甘い言葉を囁いてきたのですから。……口に出した言葉は戻らないのですよ」
言い切ったあと、自分でも驚くほどイライラしているのが分かった。
ああ、ホントに嫌な人。大嫌いだわ。
あれだけマリアンヌを愛してると言いながら、自分にマリアンヌを縛り付けながら、それでもお金が大事なのね。
どれだけ彼女の気持ちを踏みにじれば、気が済むのだろう。
今すぐその胸倉を掴みたいほど、許せない。
今回のことでマリアンヌには、ある程度のお金を渡してある。
彼女がこの先、苦労することなど目に見えていたから。
そして困った時に宝石などの換金方法とか、マリアンヌにはいろいろ指南してきたつもりだ。
彼女が望む幸せは、決して簡単なものではないから。
でもその望んだ先で彼と本当の意味で二人になって、でも愛想を尽かしたのなら、ここに戻って来てと言ってある。
本心は行って欲しくないけど、マリアンヌが望むなら私はそれを応援するしかないから。
だけど、本当にクズすぎるのよね。
二人で平民になったところで、この人が変わるとは到底思えない……。
「私はこの先、お二人がどうなろうと知りません。では、どうぞお元気で」
お幸せになんて言葉は贈ってあげない。
だってそんなことを願えるほど、私は寛容ではないから。
うなだれる二人を横目に、私はただ綺麗に挨拶だけすると食堂を出た。
もう一人……そう、父の元へ向かった――




