060 兆し
幸せなお茶会はあっという間に終わってしまった。
だけどその収穫は大きく、父を商会から追い出したあかつきには、マリアンヌたちが証人となってダミアンと離婚出来る。
なんだかここまであっという間だったわね。
父を追いやって離婚出来たら、やっと私がやり直したかったその先が始まる。
その先で何をしたいかは決まってないけど、ブレイズが言っていたようにもっと幸せになりたいな。
屋敷の自室に戻ってきた私は、窓の外を見た。
薄っすらと日が落ち、辺りは暗くなり始めている。
父をあそこから社会的にも物理的にも引きずり下ろす作戦は、水面下でずっと行ってきたものもあるからそんなに時間はかからないはずだけど……。
「本当にあと少しなのね。いろいろ考えなきゃ」
気を緩めてはいけないと分かっていても、ふっと笑いが零れる。
そんな私の部屋に、ノックの音が響いた。
ああ、ミーアに頼んでおいた案件かしら。
「どうぞ?」
予想通り、部屋に入ってきたのはミーアだった。
しかしいつもの元気さはなく、やや疲れたような顔をしている。
ここ数日、私が屋敷の掃除などに入れなかったから、負担が大きかったかしら。
なんだか、顔色も蒼白で悪そうだし。
「遅い時間にすみません、アンリエッタ様。頼まれていた件のご報告がありまして参りました」
「いや、それはいいんだけどミーア、顔色がずいぶん悪そうだけど大丈夫? もしかして無理させちゃったかしら」
「無理……はしていないつもりなのですが」
そう言ったミーアの顔がやや曇る。
いつもみたいなハッキリとした物言いでないことも、なんだか引っかかる。
「何かあったの?」
「ああいえ、大したことはないんですよ」
「でも本当に顔色が悪いわ。熱でもあるんじゃない?」
私はミーアに近づくと、彼女のおでこに手を当てた。
すごく高熱って感じではないけど、なんとなく熱い気がする。
「そんなに熱っぽい感じは自分でもしないんですが……」
「無理はダメよ。ミーアに何かあったら、本当に困るんだから。本当に何もないの?」
「あー。ただちょっと、どこかにぶつけたのか、あざが出来ちゃって。それが少し痛むから、睡眠不足なだけですよ」
ミーアはただ困ったように、それでも私を安心させようと笑っていた。
このセリフに、この流れ。
忘れたくても、忘れられない。そう、あの時と同じだ。
前回はこの言葉を、この屋敷ではなく実家の商会に戻った時にミーアから聞いた。
ミーアはいつもの軽い怪我のようなものだって。
特に問題はないって。私も彼女の言葉を疑うこともなかった。
だってあそこでは怪我なんて日常茶飯事だから。
だけどその数週間度、私の元に入ったのはミーアが亡くなったという連絡だった。
あの時はまだ、誰一人知らなかったのだ。
そんな症状の感染症があることなど。
「ミーア、あざは腕?」
「え、ああ。そうですけど……」
「見せてくれる?」
「え、ですが」
「いいからお願い。すごく大事なことなの!」
ミーアにしてみれば、私の行動はすごく不審なものだろう。
だけど確認しないわけにはいかなかった。
「見ても、綺麗なものじゃないですよ?」
ミーアは少し考えたあと、お仕着せの長いブラウスの袖をゆっくりと捲った。
その腕には、まだ小さくもしっかりと赤いバラによく似たあざが浮かび上がっている。
全身から血の気が引いていくようだった。
グラグラとする足元。
だた必死に息を飲み、私は痛いほど鳴り響く胸を押さえた。
大丈夫、まだ大丈夫。
全身にまで広がっていないし、末期症状じゃない。
だけど前回よりもずっと早い。
バラ病が始まるのは、少なくともあと一年くらい先のはず。
だからあのバラの苗を手に入れれば、身近な人たちだけは助けられると思っていたのに。
過去と今が変わってしまった影響が、こんなとこにも出てきてしまったんだわ。
今ある花からバラの実が出来るまでにはまだ時間がかかる。
それなら先に隣国から手に入れないと、前回と同じことになってしまうわ。
国内で手に入れるより、向こうから取り寄せた方が早いし、幸いまだ誰もこの病を知らない。
前回みたいに買占めや転売によって高額になってしまう前に、手に入れなきゃ。
私はゆっくりと言葉を選びながら、ミーアに現状を伝えることにした。




