一章 8
「俺は……ロコモコ丼で」
「じゃあ私は海老天のせだしうどんと熟成本鮪丼とたっぷり牛すき焼き丼で!」
「かしこまりました~」
私と神楽・エヴァンズはとある丼ものチェーン店を訪れていた。
向かい合うようにしてテーブル席に座った私たちはちょうど注文を終えた所だった。
「いっぱい、食べるんだな……」
「たまにですけどね。いつもは平均値くらいですよ。でも疲れた時はたくさん食べたくなるんです」
私が前世の記憶を思い出してから二週間弱、疲労はピークに達していた。
慣れない職場だということも相まって、精神的にも肉体的にも限界が近い。
私は食べることがストレス発散になるタイプだったので、疲れた時こそお腹いっぱいに食べ物を詰め込みたくなる。
……まあそんなことばかりしていると肥満体型まっしぐらなので流石にセーブしてたけどね。
だって今日は奢りなんだから。いっぱい食べなきゃ損だ。
「それで、私に話ってなんですか?」
ここに来るまでの道中、神楽・エヴァンズは私にどうしても話したいことがあるのだと言った。
別に職場で話しかければ良かったじゃんと思わなくもないけど、まあ色んな事情があるんだろう。
「……最近変わったことはなかったか」
「変わったこと?異動関連で色々ありましたけど、そういうことじゃないですよね?」
そりゃ異動なんて変化なくして語れないから、多分彼が言っているのはそういうことじゃないだろう。
「そうだな。……何か身の危険を感じたこととか、なかったか?」
「身の危険……一番感じたのはついさっきですけど」
「……すまなかった」
「いや冗談です、すみません。うーん……正直、特にないですね」
「……そうか、それなら良かった」
なんでそんなことを神楽・エヴァンズが訊くんだろう。
何故彼が私の身の異変を気にかけるのか。
「質問はそれだけですか?」
「いや……そういえば来週高階さんが特務課に来るのは知っているか?」
「え、はい。間島先輩に聞きましたけど……」
質問の性質が急に変わりすぎじゃない?
「常盤さんは高階さんのことを知っているのか?」
「私が一方的に、ですけどね。面識はありません」
私がそう言うと神楽・エヴァンズは大層訝しんだような顔をした。
私が高階由良を知っているというのは、他の人から見たらそんなに意外なことなのだろうか。水瀬燈真もなんで知ってるの?って感じの反応だったし……。
「そう……なのか。あの人は……ちょっと怖いけど、良い人だ」
「ちょっと怖いんですね」
「本当に少しだけだ。……でも、俺が怖いと言ったのは高階さんには言わないでくれ」
私は思わず肩を揺らして笑ってしまった。
どうやら、神楽・エヴァンズは高階由良に頭が上がらないらしい。ゲームだとそんなイメージは全くなかったんだけど、二人の間に何があったんだろう。ちょっと気になる。まあ、そんなことに私が踏み込める訳がないけど。
「お待たせいたしました~。熟成本鮪井とたっぷり牛すき焼き丼でございます!」
ちょうどお腹空いたな〜と私が言おうとしたタイミングで店員さんがやってきた。
おお、流石だ。推しも押されぬ外食チェーン業界トップの真髄ここに極まれりである。
私がサッと手を挙げて丼の所有権を主張すると熟成本鮪丼の方が私の目の前に置かれて、牛すき焼き丼の方は神楽・エヴァンズの前に置かれた。
……まあ、そうですよね。そう思いますよね。まさか私がどっちも食べるなんて思いませんよね。
店員さんが立ち去っていった後に神楽・エヴァンズが丼を私の方に寄せてくれた。なんか恥ずかしい。
「あれ、これなんか付いてますね」
そう言って私は丼の載せられたプレートの上にある、銀包に包まれた薄っぺらい何かを摘み上げる。
なにこれ?そう思って私はそれをまじまじと見つめる。
「……コラボメニューだそうだ」
「コラボメニュー?」
神楽・エヴァンズはメニュー一覧を手に取りながら私に説明をしてくれた。
曰く、コラボメニューとは飲食店が他のコンテンツのブランドや企業、キャラクターと提携して特別なメニューやプロモーションを展開すると言ったものだそう。今回の場合は特定のメニューを注文すると、とある漫画のキャラクターが描かれたカードが付いてくる。
そういった商業展開はもちろん知っていたけど、私に収集癖はないので実際に注文したのは初めてだ。と言っても、今回だってそれと意識して頼んだ訳じゃないんだけど。
「ちゃんとメニュー読んでませんでした。何とのコラボなんですか?」
「……グランド・スケープ」
グランド・スケープとはこちらの世界で流行っている漫画のこと。この漫画はゲームの世界固有の作品であろう。
私がわざわざゲームの世界固有の、と言ったのには理由がある。
この世界はどうも、現代日本と八割方同じ歴史を辿ってきているようだ。
八割同じ、ということは残りの二割は違う、ということに他ならない。その二割はもちろん『血の特異性』に関連したものが多数を占めるが、そうでないものもある。例えばこの『グランド・スケープ』のように。
でも、逆に言えばそれ以外は全く同じ。私が前世で見知った芸能人やスポーツ選手なんかもこの世界には存在している。
でも、この世界と前世の私が生きた日本は確実に別の世界だ。『血の特異性』なんてものがそうそう簡単に遍在していては堪らない。
しかしそうすると今度は有名人たちが私でいうところの前世と今世に二重で存在していることになるのだけど、それはどういう処理がなされているのだろう?
……そこら辺を深く考え始めると神だの仏だのといった超常的な領域に足を突っ込みそうなのでやめておこう。
私は別にこの世界の仕組みを解き明かしたい訳じゃない。ただ一日一日を平穏に生きて、そして最後に常盤めぐりが笑えていればそれで良いのだから。
私は手に持った銀包をぴりっと破いて中身を取り出す。飛び出してきたのは、怜悧な印象を与える涼しげで切れ長い目元が特徴的な黒髪の男性キャラクターだった。
「星宇だ……」
「しんゆー?」
誰それ。……いや、よくよく思い出したらめぐりちゃんは『グランド・スケープ』を読んだことがあったな。それに彼は確か……。
「しかもこれ、描き下ろしか。良いな……描き込みがきめ細かい。これはピアソラ戦後の星字だな、髪が短いし。やっぱり俺はこっちの方が好きだ。髪が長かった頃も捨てがたいが……」
あー……神楽・エヴァンズが語りタイムに突入してしまった。この黎星宇というキャラクターは確か神楽・エヴアンズの『グランド・スケープ』におけるお気に入りだったはずだから仕方ない。
因みにゲームでも似たようなくだりが展開されていたことがあった。しっかりとゲーム準拠の性格を保ってくれていてありがたい限りだ。
別に他人の趣味の話を聞くのは嫌いじゃないけど、今はとってもお腹が空いているのでご飯も食べたい。
でも折角のお話中にそそくさと食事を始めるのもどうなの?と思われたので、私はもう一つの銀包を開けることにした。
どうやら私が頼んだものは二つともコラボメニューだったらしい。
「あ、被った」
銀包から出てきたのはさっきとそっくりそのまま同じ絵柄のカードだった。
こういうのって被るんだ。完全ランダムってことなんだろうか。
……なんだか、神楽・エヴァンズから見つめられている。物凄くじっと見つめられている。
「……あの、良かったらこのカード差し上げましょうか?」
「良いのか!」
凄い食い気味で返された。いつもはたっぷり間を持った喋り方をする人なのに。
「いやしかし、俺はコラボメニューを頼んでいないから受け取る権利は……」
「今回の食事は神楽さんの奢りなんですから、このカードも神楽さんのもので良いのでは?」
「しかしだな……実際食べるのは常盤さんなんだし……」
いや面倒くさいな。そこはわざわざ拘るところじゃなかろう。
「じゃあこのカードを一旦私の所有物としましょう。神楽さんが星宇くんを好きだと知った私は善意をもってこれをプレゼントすることにした。それなら問題ないですよね?」
「……そ、れは……」
「もう、はいこれあげますからね。返品不可です」
そう言って私はカードを神楽・エヴァンズに押し付けた。
変な御託を並べずに最初から実力行使に出ていれば良かった。
「……ありがとう」
「いえいえ、星宇くんも神楽さんが貰ってくれて嬉しいと思ってますよ。きっと」
私はそう言って後、鮪と米を共にロへと運んだ。美味しい……あ、醤油かけよう醤油。鮪はやっぱり醤油だよね。なんで鮪と醤油ってこんなに合うんだろう?
私が鮪を頬張っていると正面から鋭いまでの視線を感じた。……見つめられている。神楽・エヴァンズに見つめられている。
「……名前」
「はい?」
「名前、呼び捨てで良い」
んん??なんで??
「いやいや、先輩に対して呼び捨てなんてできませんよ」
「多分俺たちは同い年だ」
「え、そうなんですか!?」
そうだっけ?そんな設定だったけな。
ゲームだと確か二十二とか……そこら辺だったような……あんまりちゃんと覚えていない。
「失礼ですけど、おいくつですか?」
「今年で二十三だ」
「確かに同い年ですね」
常盤めぐりも今年が大学新卒の年なので状況は同じだ。彼女は院へは進んでいないので普通に大学を四年で修了している。
いやでもね、だからといってもよ。
「じゃあ神楽さんはローレル何年目ですか?」
「……二年目」
「私は一年目ですからやっぱり呼び捨ては遠慮しておきます」
「……わかった、呼び捨ては諦めよう。その代わり敬語はなしで……」
「それは呼び捨てとそう変わらないでしょう……」
なんで呼び捨てとかタメ語とか、そんな要求をしてくるのだろう。謎だ……私は神楽・エヴァンズがわからない……。
「なんでですか?」
私は気になることはすぐに聞く性質、という訳でもないのだけどやはり言葉を尽くして話し合った方が良いこともある。
今回の場合はそんな深い思慮によるものではなくて単に好奇心というのが勿論大きいのだけど。
「それは……友達になりたいから。俺は君と仲良くなりたい」
と、友達……?仲良く?なんでそんなことを……。
そりゃあ、私だって職場の人と良好な人間関係を築きたいとは思うけど……。
「私も神楽さんとは仲良くなりたいですよ。でも年功序列は大事ですから。特に公務員は」
私の意見は公平に見てものすごい正論だったと思う。日本で、しかも公務員でなんて言ったらちょっと過剰なくらい上下関係を気にするものだ。
そのことが分かっているからか神楽・エヴァンズは一気にしゅんとした顔をしてしまった。
……本当に純粋に仲良くなりたかっただけなんだろうな、彼は。
「じゃあ私から折衷案を提案します。仕事以外の時間は敬語も敬称もなしっていうのはどうでしょう?仕事中までタメロだと私が高坂さんに怒られそうなので」
いや本当、高坂流亥が怒ると怖いんだよね。私だって好き好んで叱責を受けたいわけでもあるまいし、ここら辺が妥当な落とし所だろう。
私の言葉を聞いた神楽・エヴァンズは目を輝かせてこくこくと頷いた。
彼は結構表情に出るタイプだよなあと思った。言葉数は少ないけど。
「じゃあ今からだな」
「えっ、まあ、そうですね。じゃない、そうだね?」
「そうだな」
神楽・エヴァンズはにっこにこだった。そんなに嬉しいのかな……。
「……俺はなんて呼べば良い?」
「私のことをです……私のことを?別に常盤でもめぐりでも、なんならあだ名でも良いけど……」
「じゃあ……めぐり」
あ、名前なんだ。まあよく考えたら『神楽』も名前だもんね。『エヴァンズ』が苗字……というかファミリーネームだから。
「めぐりも俺のこと呼んでみてくれ」
わくわくという音が聞こえてきそうなほどに日を輝かせて、彼はそう言った。
なんだか歳下を相手にしているみたいだなぁと思わず考えてしまった。
「じゃあ……神楽くん」
「……呼び捨てじゃないのか……」
「別に呼び捨てだけが親愛の証じゃないでしょ?私、あんまり呼び捨てって得意じゃないの」
私だけなのかな。どれだけ仲良くなっても呼び捨てには抵抗あるのって。もちろん例外はあるけど。
神楽・エヴァンズは少し不服そうな顔をしたけど渋々頷いて見せた。
私はくす、と笑って牛すき焼き丼を口に運ぶ。
変な感じだなあと思った。かつて遊んでいたゲームの中のキャラクターと喋っているなんて。
今更だけど、今更だからこそ思う。
ここまでずっとこの世界はなんなのかとか今はどういう状況なのかとか、そんなことを理解するために必死だったけど一旦落ち着いてみるとなんて奇怪な環境だろうと思う。
画面の中でテキスト通りに喋り、プレイヤーの恣意的な選択で行動を変え、大いなる意志によって主人公との恋愛が運命づけられたキャラクター。
そんなキャラクターたちが今この場所では自由に、何にも縛られず、己で運命を切り拓いているのだ。違和感、なんてものでは済まない。
そもそも、私は少し疑っている。キャラクターたちは本当に自らの意思で動いているのかということを。
だってみんな余りにもゲームのままだった。私の知った、ゲームのままだった。
水瀬燈真は優しくて頼れる上司だったし、間島レイヤはチャラチャラしていたし、高坂流亥はつっけんどんだったし、三保瑛人は血液マニアだったし、神楽・エヴァンズはオタクだった。
全員何も、変わらなかったではないか。
それならやっぱり、彼らは未だ一個のキャラクターでしかないのだろうか。物語を動かすために作者という名の神に創られた無機質な存在にすぎないのだろうか。あの第八特務課は、『紅が繋ぐ運命』を再現するためだけの人形劇の舞台でしかないのだろうか。
わからない、と思った。
私が彼らと交わした言葉は本物で消えることのない真実だと、そう信じても良いのだろうか。
信じたいとは思っている。信じて、彼らと共にちゃんと生きたい。
「お待たせいたしました~。ロコモコ丼と海老天のせだしうどんです!」
神楽・エヴァンズの前にはロコモコ丼、私の前にはうどんが置かれる。立ち上る湯気が私と神楽・エヴァンズの間を薄いヴェールで覆うように隔てた。
「……ロコモコ丼とすき焼き、少し交換しないか」
そう言って神楽・エヴァンズは湯気の向こう側からレンゲを差し出す。
私はそれを受け取り、良いよと柔らかく微笑んだ。