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二章 18



「___ってわけだ」


三保さんが大きく溜息を吐いて背もたれに身体を預けた。

三保さんが長々と語ってくれた間島先輩の過去の話は、私の想像を遥かに上回って途方もなかった。

そして私の想像より遥かに複雑で、やり切れなくて、悲しい話だった。

私なんかが聞いてはいけない話だった。


私は箸を握りしめる。

がちゃ、とプラスチックの擦れる音が鳴った。

今日も昨日と同じくラボで昼食をとっていた。メンバーも変わらず、私と水瀬さんと三保さんだ。


今日、先輩は仕事を休んでいた。

朝、時間になっても先輩はロビーに現れず部屋を訪ねてももぬけの殻で、仕方なくローレルに行くと先輩は休みだと告げられた。

先輩の欠勤理由が私によるものだと、水瀬さんと三保さんはわかっていた。

だから二人は昼食の時間に私を呼び出した。

ことの経緯を聞いた二人は先輩の過去を語って聞かせてくれた。

これ以上下手に首を突っ込まれては堪らないと、そういう判断なのだろう。


「……すみませんでした」

「俺らに謝られても困る。謝るんなら間島に直接にしとけ」

「いえ……お二人にもご迷惑をお掛けしましたので……。もちろん先輩には後ほど謝罪したいと思っています。……あの、直接会ってくださるかどうかは……分かりませんが……」


先輩は今どこにいるのかわからない。多分昨日の夜からずっと外にいるんじゃないだろうか。

このままふらっと何処かへ消えてしまうんじゃないかと思った。

消えるなら私が消えれば良かった。先輩が私に会いたくないのなら、先輩じゃなくて私が消えれば良いのだ。

元々私なんていないようなものだったのに。そう、私さえ消えれば良かったのだ。常盤めぐりじゃなくて私が消えればこんなことには……。

だから言ったのに。前世のことなんか思い出すべきじゃないって。何度失敗すれば気が済むのか。

前世の、ゲームの知識なんかに先輩の過去を当て嵌めるべきじゃなかった。誰かが悪役で、誰かが正義で、そんな単純な二元論に先輩の人生を貶めるべきじゃなかった。

あんな無神経な……お母様を捨ててしまえなんていうような、そんなことを私は……言うべきじゃなかった。


「別に常盤さん、謝らなくても良いんじゃないですか」


そう言ったのは水瀬さんだった。

彼は今日も今日とて漆塗りのお重を弁当としていた。

私は彼の言葉に耳を疑った。慰めの言葉にしても過激すぎると思ったからだ。


「いえ、謝罪はちゃんとさせていただきます。それでちゃんとけじめをつけます。もう二度と先輩のことに軽々しく口を出したりはしません」

「ああ、それなら謝ったほうが良いですね」

「……え、はい?」


さっきから、水瀬さんの言うことは余りよくわからない。

そりゃあ謝罪をすべきなのはそうだけど、何が『それなら』なのか。


「間島の件、もう十五年以上は拗れたままなんですよ。一向に改善する気配もない。もうそろそろ爆弾でも落として、すっきり更地にしたほうが早いと思いませんか?」

「爆弾って……私のことですか?」

「もちろんそうですよ。ここまでしたんなら責任を取るべきじゃないですか?責任を取って、最後までちゃんと引っ掻き回してください。中途半端が一番迷惑だ。多少の外圧がないとあれは変わらないでしょうし。……いてっ」


三保さんが水瀬さんの頭をはたいた。

漫才みたいな動作だったけど、三保さんの表情は険しい。


「適当なこと言うな」

「適当じゃないですよ。本当にあの膠着状態を崩そうとするなら相応の衝撃が必要だと思いますけど」

「そうかもしれんが、それを常盤に押し付けるんじゃない。そんなに軽い問題じゃないだろ。このままだと、常盤も間島もどっちも傷付くだけだ」

「そうですかね。まあそうなんだとしても、なんの犠牲も払わずに解決できそうな問題でもないのでは?間島、十年近く母親と会ってないんでしょう。それがなんの対価も無しに変わるとは思えないですね、僕は」

「あのなあ……犠牲とか対価とか、はなからそんなこと考えてるんじゃない。誰が傷付いて良い話でもないだろ。きっと……どうにかする手立てはあるはずだ」


意外と水瀬さんは現実主義なのだなと思った。

というより、意外と三保さんが理想主義と言った方が良いかもしれない。

正反対な意見だ。しかし、どちらの気持ちもよく分かる。

先輩の事情をちゃんと知った後ならば、誰も傷付かず全てが落ち着いて欲しいという願いも、しかしここまで複雑な問題がすんなり解決するはずがないという推論もどちらも間違いでないというのがよく分かる。


だから、だからこそ、何も知らなかった私が、いや、ゲームを通して知った気になっていた私があんな風に口を挟むべきじゃなかった。

先輩のお母様はただ無闇に子供を傷付けるだけの人じゃなかった。

先輩はただ理不尽な親の元に生まれただけの人じゃなかった。

先輩はただヒロインからの助けを待つ人じゃなかった。

ゲームなんかとはまるっきり違っていた。


違う。私は、助けたかっただけだ。

本当に、先輩に幸せになって欲しいだけなんだ。

『紅が繋ぐ運命』は私の大切なゲームだから、だからそんなゲームが元になったこの世界はずっと幸せであって欲しい。

それに、先輩は私を助けてくれた。そんな人が幸せになれないなんて、そんなことが許されるはずがない。

そう思っていただけだったのに。


「すみません……私……本当に……私、どうしたら良いんでしょうか。私は、どうやって先輩に……」

「常盤……。良いんだよ。常盤は何もしなくて。そうまで責任を感じる必要もない。いや、まあ一回くらいは謝っとくべきだとは思うけど」

「はい、謝罪はもちろんのことですが……。でもあの、先輩、私と話してくださるでしょうか……」


私がそう言うと、水瀬さんが出し抜けに机に置いてあった三保さんの携帯電話をひったくった。


「あ、おい」

「ちょっと貸してください」


水瀬さんは三保さんの返事を待つことなく、携帯機器の画面をひょいひょいと操作する。

ほどなくして電話のコール音が響いた。


『……もしもし』


コール音が切れて少し機械的な人の声が発せられる。

間島先輩の声だ。


「間島、今どこにいる?」

『三保さ……水瀬さんですか?なんで……』

「携帯借りてるだけだよ。それで、今どこにいるんだ」

『えっと……今は自分の部屋ですけど……』

「そうか。そういえば、間島は体調不良なんだったな」

『は?はあ……まあ……そうですね』

「じゃあ見舞いの品でも持って行ってやるから、それまで家に居ろ。わかったな」

『……わかりました。わざわざありがとうございます』

「ん。それじゃあ」


そう言って水瀬さんは携帯電話の画面を暗転させた。

そして彼はそのままソファから立ち上がり、ラボの隅に備え付けられている冷蔵庫の中から数本のペットボトルを取り出した。


「これ持って間島のとこに行ってください。僕は兄貴に呼び出されたとでも言っといてくれれば大丈夫ですから」

「え……あの……これは、どういう……」

「間島、もう家に帰ってるそうですよ。これ持って見舞いに行って、さっさと仲直りでもなんでもして来てください。私情を仕事に持ち込まれるのは困ります」


水瀬さんはペットボトルを私の鼻先に突き付けつつぶっきらぼうにそう言った。


「いや、それ俺のジュース……」

「良いじゃないですか。どうせ三保さん一人じゃ全部飲めないでしょう」

「あのなあ、お前らが飲み物ちょこちょこ持っててるの、わかってんだからな。それ俺の自費だから。普通に窃盗だから」

「はいはい。三保さんが後輩のためにジュースの一二本も奢れない非常に薄情な人間であるということがよーくわかりましたよ」

「一、二本どころの話じゃないだろうが。……まあ良いけど。常盤、ちゃんと間島と話し合ってこいよ。常盤だって悪気があったわけじゃないんだから、間島もきっとわかってくれる」


三保さんの言葉に私は小さくはい、と返事をした。


違うんだよ、三保さん。私に悪気がなかったなんていうのは全然、全く見当違いな認識なんだよ。

悪気よりもっと悪辣なものをもって、私は先輩に踏み込もうとしたんだ。

それはきっと、どんな謝罪をしたって許されない。


そうして私たちは仕事に戻った。

午後は特に変哲もない、ただパソコンに向き合ってキーボードを叩く作業だった。


水瀬さんに渡されたペットボトルが、私のデスクの隅に固めて置かれている。

私はそれをぼうっと眺めた。

蛍光灯の光が水に入り込んで乱反射する様をただ眺めた。

企画課から回された書類は今週中に提出できれば良いから、多少は時間に余裕がある。

そんな余裕があるが故に、私の頭には仕事と関係ない考えが次々と浮かんでくる。


先輩がこれまでどんな思いをしてここまで来たのか、それは私が想像してし切れるものではない。

私は先輩の人生をわかった気になって、それであんな愚かな行動に出てしまった。

後悔、なんてものでは済まない。


先輩はお母様と十年会っていないと、水瀬さんが言っていた。

何も話せぬまま、ぐちゃぐちゃになったまま、十年の月日が過ぎたということだろう。

それはとても辛いことだろうな、と思う。


ふと、アルコールの匂いが思い出された。

これは、多分、獺祭の匂いだ。

私の父は祝いの席で、よく獺祭を好んで飲んでいた。

私の入学、卒業、習い事の発表会、誕生日、正月、クリスマス。

父は日本酒を片手に節目を笑顔で祝っていた。


父というのは前世の父だ。常盤めぐりの、ではない。

父の口癖は『二十になったらお前も一緒に飲もうな』だった。

なんなら中学生の頃、酔いの回った父に飲まされそうになったこともある。

だけど、その言葉が叶うことはなかった。


私は大学に進学するタイミングで親と喧嘩をした。

単純に、私のしたいことと両親が私にして欲しいことが合わなかった。それだけだった。

私は殆ど家出するように東京の大学へ出た。

それから大学を卒業して、就職して、死んだ。

その間、一度も両親には会わなかった。

ずっと会いたくないと思っていたわけじゃない。会いたいと思ってはいた。

ただ、何を話せば良いかわからなかったし、どんな顔をすれば良いかわからなかった。

だから、私は結局二度と両親に会うことはなかった。


私はそのことを本当に後悔している。

死ぬ前にもう一度だけ、会っておけば良かった。

本当に一度だけでも良いから、ちゃんと話しておくべきだった。

死んだら二度と会えないというそんな簡単なことが、私にはわかっていなかったのだ。


先輩には私と同じ轍を踏んで欲しくない。

親と話せないまま、分かり合えないままに死ぬことがどれだけ辛いかなんて、私が一番知っている。

だから、私は先輩の邪魔をすべきじゃない。


先輩には幸せになって欲しい。

少なくとも、私の感じた辛さと同じものを彼に味わわせたくはなかった。



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