一章 5
私は、今、緊張している。
とっても、非常に、この上なく、緊張している。
今だけは世界で一番を名乗っても許されるくらいには。
「__以上が今日の伝達事項です」
雪がしんしんと降り積もる様にも良く似た、落ち着いた響きのテノール。
水瀬燈真から発せられるそれは過不足なくオフィスの中で反響する。
今日はなんの変哲もない平日で、世の中の数多大勢にとっては特に記憶に残ることもないだろう。
しかし、私にとっては一生の思い出になること請け合いだ。
だってここは第八特務課のオフィスなんだから。
今日は私の異動日。
私が新たな環境に飛び込む日で、新たな仕事に従事する日で、ゲームのキャラクター達に出会う日である。
ただいまは朝礼の時間だ。
朝礼自体は総務課にも存在していた。
毎朝定刻に業務連絡が通達される。基本、事務的な内容だけが無味乾燥に伝達されるので大して感慨が湧くこともないのだが、今日の私に限ってはそうもいかない。
昨日の夜は目が冴えて冴えて仕方なかった。お陰で私の睡眠時間はただでさえ短い日本人の平均の半分そこそこといった具合だ。
でも今は全く眠くない。というか、こんな状況で眠いなんて言っていられる豪胆な精神性を持ち合わせていたなら、多分昨日の夜だって余裕で眠りにつけているはずだ。
「最後に、今日から新たにうちの所属となった常盤さんから簡単な自己紹介をして貰おうと思います」
き、来た!!!
そもそも朝礼が始まる前段階で水瀬燈真から自己紹介の段取りの話はされていた。
名前だけで大丈夫だから、と彼は人好きのする笑みで私に言った。
本来なら二言三言付け加えて然るべきなのだろうけど、今日の私にそんな余裕があるとは思えないので水瀬燈真の言葉に甘えさせてもらうこととする。
私は専用に与えられたデスクの脇に立ってオフィス全体が見渡せるよう身体の位置を調節した。
「ほ、本日付で第三総務課より異動してまいりました常盤めぐりです。よよよ、よろしくお願いします……」
私が四十五度に体を折るとオフィスの全員が軽く会釈を返してくれた。よろしく一という返事まで返ってくる。
思い切り吃ってしまった……。
いや、頭の中では何度もシミュレーションをしたのだ。でもそれを実際に出力するとなると勝手が違っただけで!
と、幾ら心の中で言い訳を並べ立ててみても緊張を和らげるのにはなんの効果も示さない。
私はペこぺこ頭を下げながらそそくさと席に座る。
もうこれ以上視線を集め続けるなんて耐えられそうにもなかった。
「常盤さん、ありがとう。それじゃあ、各々職務に戻ってください」
水瀬燈真の締めの言葉に私はほっと息を吐いた。
気を抜くと盛大なため息がれてしまいそうだったけど、そんなことをしてしまえば一生モノの後悔になりそうだったので必死に止める。
最初の難関、朝礼を終えた。
上手くいったとは言い難いものの、必要以上に気に病む結果でもない。
一旦冷静になろう。朝一番にオフィスに来てからずっとテンションが明後日の方向に行ってしまっている自覚はある。
それに色々と気になることもあるのだ。
私の記憶が正しければ、この第八特務課に所属しているのは私を除いて六人。
主人公である高階由良と攻略対象キャラクター五人で間違いないはず。
なのだが、この朝礼に参加しているのは四人しかいない。
残りの二人どこ行った?しかもよりによって手紙の件で話を聞きたかった高階由良が居ないんだけど?
ていうか今更ながら第八特務課ってとてつもない少数精鋭部署だな。
六人って。いや、私を入れたら七人か。それにしたって少ない。そんなので部署として成立するんだろうか。
ゲームを遊んでいた時には余り気にならなかったけど、実地で体験すると見え方が変わるものだなあ。
なんてつらつらと考えていると私のデスクに輪郭の散乱した影が落ちた。
それは明らかに人影で、私は影の人物を仰ぎ見る。
「どうです?緊張は解れました?」
人影の正体は案の定水瀬燈真だった。
まあ水瀬燈真以外に話しかけられても困るし、彼以外が私に話しかける理由もないだろうから当たり前だが。
「はい、ほんの少しだけですけど。……まだ緊張の方が強いですね、すみません」
「いえ、まだ先は長いですから焦って結果を求める必要はないと思いますよ。急いては事を仕損じる、と言いますからね」
……なんか、普通に良い人だ。
偶然の邂逅を果たした一週間前はまだ彼のことをゲームの中の登場人物だと理解していなかったから今会ったら印象が変わるかもと思っていたのだが、良い意味でその感想に全く変化はない。
まあ水瀬燈真自体は原作ゲームからして善良なイメージの強い人だったから余り安心はできないけど。
「紹介したい人がいるのですが、付いてきてもらっても?」
「紹介、ですか?」
「はい、教育係とでも言えば良いんでしょうか。常盤さんへの業務の説明は彼に一任しているんです」
「なるほど。わかりました」
まあそうだよね。課長である水瀬燈真が私につきっきりで仕事を教えるなんていうのは不可能だろうし。
しかし、しょうがないことだと分かっていても緊張する。
だってその教育係さんだってまず間違いなく『紅が繋ぐ運命』の登場人物なんだから。
水瀬燈真はそんな私の内情など知る由もなく、件の教育係の元へ歩を進めていた。
彼が向かった先はオフィスの入り口に近い、一番下手側のデスクだ。当然私もその後を追っていく。
「彼が常盤さんの教育係となる間島レイヤです」
「ども一、間島です」
そこにいたのは目の醒めるような明るい金髪。
スーツに金髪ってなかなか見ない組み合わせだなあと私はぼんやり思った。二次元ならまだしも、現実でなんて珍しい。
と、そこまで考えて私の頭を強烈な違和感が襲った。
これは現実で間違いないんだよね?でも彼らは元々ゲームのキャラクターなのに?
作者という名の神に創られ、ゲームの中での役割を与えられ、神の意思のもとで動かされる空想上のキャラクター。
そんな人たちを現実と呼んで、それは果たして正しい表現なのだろうか。
こんな……『血の特異性』なんてファンタジーなものが存在している世界を現実なんて、そんなのあり得ない。
あり得ないけど、でもそれでも、間違いなく彼らは生きているし動いている。
目の前で、体温を持って、テキストに縛られず自由に、生きているのだ。
……もうこれ以上考えるのはよそう。
こんな堂々巡りの思案を重ねたって得られるものは何もない。
今の私がすべきことはもっと他にあるはずだ。
「常盤です、よろしくお願いします」
「よろしくね。いや一常盤さんみたいな可愛い子がきてくれて嬉しいな~。特務課って基本的にむさ苦しいからさ」
う、うわあ、お手本のようなチャラ男だ。チャラ男の教科書があったら四ページ目には載っていそうな台詞だったよ、今の。
……まあ基本に忠実っていうのは良いことだよね。変な勘違いを起こさないで済む。
間島レイヤはゲームでの性格設定と齟齬を起こしていないようだ、と私は結論付けた。
「間島、余計なことを言うな」
「うっす。すみません!」
「謝る時は嘘でも殊勝な態度をしろといつも言ってるだろ」
「はい……すみません……」
「……まあ、良い。じゃあ常盤さんのことは頼んだから」
「りょうかいです!!」
間島レイヤはびしっと敬礼のようなポーズを決めた。敬礼にしては角度が急すぎると思うけどね。
それにしても……間島レイヤが教育係で大丈夫なんだろうか?凡そその肩書きに似合うとは思えない言動だ。
まあまだ上辺の言動しか見ていないのだから、そう判断するのは早計だろうが。
でもゲームを参考にするなら彼は……
「それじゃあ常盤さん、僕はもう行きますが何か聞き残したことなどありませんか?」
水瀬燈真にそう問われて、私は瞬時に頭を回す。
ああ、そうだ。あのことを聞いておこう。
別に間島レイヤに聞いても良いんだけど、水瀬燈真に次質問する機会が巡って来なかったら困る。
「あの、第八特務課ってここに居る方で全員ではないですよね?他の方はどちらにいらっしゃるのでしょうか」
私がそう言うと水瀬燈真と間島レイヤは顔を見合わせた。
「三保さん、何処にいるか知ってるか?」
「いや、知らないですけど。でもまあ、多分ラボでしょう」
水瀬燈真は少し思案気な表情をした。たっぷり二拍ほど間を置いて彼は喋り出す。
「そうですね。常盤さん、少し僕に時間をくれますか?残りの職員を紹介します」
「あ、ありがとうございます。でもあの、お仕事大丈夫ですか?挨拶くらいなら自分で……」
「いえ、僕もそう多忙という訳ではないので大丈夫ですよ。それにあの人と二人きりで会うのはやめた方が……」
水瀬燈真は言葉尻を濁した。仮にも同僚に向かって酷い言いようだと思うのだけど、多分彼の心配は行き過ぎたものではないのだ。
『血液マニア』の三保瑛人。
ゲームを鑑みるなら彼は非常に危険な人物だった。
主人公と出会って自己紹介もそこそこに血液採取をしようとし始めた時は、コイツやばいと思ったものだ。
前世の私からしても相当やばい奴に見えていた三保瑛人だったけど、常盤めぐりの記憶を獲得した私からすれば更に狂人度合いが増して見える。
この世界は『血の特異性』の存在故に厳しい血統管理が敷かれている。血液情報は徹底的に調べられ分類されるため、ほんのーミリグラムの血液であっても立派な個人情報となり得るのである。
個人情報をみだりに他人に開示してはいけないことなど、ごく普通の人にとっては態々確認するまでもなく当たり前のことだ。
そんな社会常識がありながら出会い頭に血液採取を断行しようとした三保瑛人のなんと非常識なことか、というわけ。
そりゃあ警戒されもする。
「では、お願いします」
「じゃあ行きましょう。業務の説明はそれが終わった後、ということで」
「りょうかいでーす」
一応、最後の返事は間島レイヤのものである。念のため。
今の私が水瀬燈真に舐めた口をきける訳がない。
水瀬燈真は一旦第八特務課のオフィスの外へ出た。
第八特務課のオフィスはあの人数で使うにしては広々としていたけど、それでも私の元いた総務課や他部署と比べれば格段に小さい。
あの中に隠れられそうな場所もなかったので外に出るのは納得だ。
それに私にも思い当たる節はある。
三保瑛人は個人単位で血液に興味があるだけでなくて、一応博士号を持つ学者な訳だからレオーネから直々に研究室のようなものを与えられているらしい。
これは完全にゲームの知識だ。三保瑛人との恋愛模様を描いたシナリオではその場所が嫌というほど登場した。
……主人公もよく三保瑛人と恋愛しようと思えたよね。出会いが流石にあんまり過ぎだろう。
外見の良さが免罪符になるにも限度があると思うんだけど。
第八特務課のオフィスから廊下をぐるっと回った先で水瀬燈真は歩みを止めた。
他に比べて物々しい扉の前だった。防音性の高そうな、分厚い扉だ。
「多分、ここに居るはずです。確かに変わった人ではありますが大丈夫ですよ。……きっと」
きっとって。それって水瀬燈真が大丈夫じゃないかもしれないと思ってるから出る言葉でしょ。
本当に大丈夫なんだよね?不安になってきた……。
水瀬燈真が押すと重い扉が音もなく開く。
「お邪魔します。三保さん?居ますか?」
中は研究室らしく雑然としていた。
手前は居住スペースとでも言うべき生活感の溢れる空間で、奥にはガラスを一枚隔てて実験スペースのようなものがある。
思ったよりちゃんとしてるな、と言うのが私の感想だった。
なんかこう、もっとマッドサイエンティックな空間とかゴミ屋敷レベルの汚さとか、そんな部屋がお出しされるかと思っていた節がある。
「三保さん……寝てる……。……起きてください。三保さん、起きてください!」
水瀬燈真の言う通り三保瑛人は居住スペース側の空間に備え付けられたソファの上で大胆にも睡眠をとっていた。
勤務時間中ですよね?というツッコミは野暮なのか正当性があるものなのか、この空間にいるとその境が曖昧になってくる。
「んん……?燈真……?」
「はい、そうですよ。水瀬燈真です。今日はうちに新人さんがくる日だって言ってあったでしょう」
三保瑛人はソファからのそりと身体を持ち上げた。
彼はものが散乱した机の上を漁って輪ゴムを探し出し、肩にかかりそうな程の長い茶髪を無造作に括る。
ああ、そんなことしたら髪傷みますよ……といの一番に思ったのはそれだった。
「新人って言ったか?」
「はい、昨日もお話ししたはずですが」
「そいつ?」
そう言って三保瑛人はこちらをしゃくる。
そいつって。失礼か。
と思ったけど、後輩である私がそれを指摘するのも失礼なので一旦水に流すことにする。
「はい。この度第八特務課に転属して参りました、常盤めぐりです。よろしくお願いします」
特務課のオフィスでしたものとそう変わらない自己紹介をした。
今回は吃らなかったぞ、よし。
やはり実践経験は人を成長させるのだ。
内心得意気になっている私の顔を三保瑛人はじいっと見つめた。じっくりと、穴が空くほどに見つめた。
そんなに見つめられると照れを通り越して怖い。
めぐりちゃんにこんなことを言うのもあれだけど、別に常盤めぐりは特別可愛いとか美人とか褒めそやされるタイプの顔ではないし、長時間見つめて面白みのある顔ではなかろう。
それとも何か?ガンをつけられているのか?ヤンキーよろしく?うーん、そんな雰囲気でもないしなあ。
なんて考えていると三保瑛人はすっと立ち上がってこちらへ向かって歩を進めた。
そしてむんずと私の両肩をその手で掴んだ。
私たちは数瞬の間視線を交わして、その後三保瑛人は口を開く。
「……君の血をくれないか」
き、きたーーーー!!!!
凄い!本当に言った!怖い!
これ、ゲーム内での台詞とまるっきり同じだ。本当に一言一句違わない。
それは主人公限定じゃないのね!まあでも言ってくれないかなーってちょっと期待してた!ちゃんと怖い!
怖いよー!助けて!と言う気持ちで私は水瀬燈真を見た。
長身の三保瑛人の影に隠れて水瀬燈真が引き攣った顔をしているのが分かる。
「……三保さん、そういうのは止めましょうってこの前話したじゃないですか」
「……そうだっけ?」
「ちゃんと覚えててくださいよ。無意味に怖がらせてどうするんですか」
水瀬燈真のお陰で私の肩から三保瑛人の手が離れていく。ありがとう水瀬燈真。
「すみません常盤さん。いきなり怖い思いをさせてしまって。予想していたのですから僕が止めるべきでした。本当にすみません」
「いえいえそんな。水瀬さんが謝られるようなことでは……」
うん、どっちかと言うと謝罪すべきは三保瑛人の方だ。別に謝って欲しい訳でもないけど。
「ですが、結局数日以内には採血に応じて貰うことになると思います。……大丈夫ですか?」
「はい、それはもちろん」
そりゃあね。それはしょうがない。
ここは血統管理機関・通称ローレルで、しかもここは第八特務課となったら採血なしで仕事をしようなんて土台無理な話だ。
省庁や部署の求めとあらば、それは勿論喜んで採血でも献血でもしようじゃないか。
それを初対面の人に求められるのが異常というだけで。
「……その血は俺にも回ってくるんだろうな?」
「さあ、それはどうでしょう。三保さんは僕との約束を破りましたからね。僕にもそれなりの考えがあります」
「なん……だと……。燈真、機嫌直せ。な?そうだ、今度代官山の……なんて言ったっけ、あのモンブランの店。あれ奢るよ。美味しいって言ってもんな?」
「自分で買いますので結構です」
「燈真……!!お前に人の心はないのか……!!」
軽妙な会話が二人の間で交わされる。
へえ、この二人って仲良いんだ。
いや、原作ゲームでも喋っていたと言えばいたのだけど乙女ゲームの性質上、そして『紅が繋ぐ運命』の性質上攻略対象キャラクター同士の絡みは必要最小限といった感じだったのだ。
別に仲が悪い印象もなかったけど、どうにも会話が仕事の付き合いです感満載だった気がするので、こんな気の置けない友人みたいな会話を聴くのは新鮮だった。
「……はあ。常盤めぐり、だったな。すまなかった。怖がらせてしまって。こちらにも退っ引きならない理由があってな」
退っ引きならない理由って大袈裟な。あなたの趣味の問題でしょ。
でもまあ、まさか三保瑛人から謝罪を受けるとは思わなかった。しかも結構素直なものだったし。
私だって特段心の狭い人間というわけでもないので、謝罪を受けて許さないなんてことはしない。それに未遂状態だしね。
加えてゲームの知識があるお陰で一定程度の心構えはできていたのだ。想像よりはマシな衝撃だったと言える。
「いえ、大丈夫ですよ。あの、今後は仲良くしていただけますと幸いです」
「ああ。仲良く、な」
先輩に対して仲良くというのは不味かったかな……。
別に他意はないんですよーと私は満面の笑みを浮かべる。
「挨拶も済んだことですし、帰りましょうか。三保さんお邪魔しました」
「ん?ああ、ちょっと待て。俺、来週京都行くんだが……」
水瀬燈真と三保瑛人は真剣な面持ちで向かい合う。どうやらちゃんとした仕事の話のようだ。
そうなってしまうと私にできることはない。だってまだ異動したてだからね。なるべく存在感を消してじっとしておこう。
三保瑛人に会えたのは良かった。『紅が繋ぐ運命』に登場するキャラクターとはなるべく早くに出会っておきたい。問題を先送りにして良いことなんて大抵の場合にはないのだ。
私は確かにゲームの内容を把握している。でもこの世界がゲームの通りに動いてくれる保証なんてないし、そもそも今がゲームに於けるどの場面かもわかっていない。
今が主人公・高階由良と誰の恋愛を主軸に置いたシナリオなのか、そのシナリオの中でもどのくらい進展しているのか。そういう細かいところが全く判然としない。
別に私はゲームの結果に干渉したいと思っている訳ではないのだ。ただ、この第八特務課に於いて『紅が繋ぐ運命』の要素は重要な位置を占めると思われるし、その展開の仕方如何によっては私にも多大なる影響を及ぼすことだろう。
私の目下の目的は常盤めぐりのために仕事で成功を収めること。成功、と言っても私自身に大した能力がないのは分かっているので、とにかく再左遷とかローレル追放とかそんなことにだけはならないようにしたい。
そのためにも、現在のゲームの進行状況を正確に把握して仕事に支障を来さないようにしたいのだ。
だからこそ私は早く高階由良に会いたかった。
ゲームの進行状況を把握したいなら、やっぱり主人公本人に訊くのが一番手っ取り早い。ある程度仲良くなれば恋バナのノリで今どんな感じなの〜?と訊き易くもある。
それにやっぱり同性同士というのは大きい。
乙女ゲームの中の世界という性質上仕方のないことだけど、第八特務課は男性人口が圧倒的だ。そんな中でたった一人でも女性が居てくれるというのは、ゲームのことを抜きにしても精神衛生上非常にありがたい。
ここに来れば高階由良にも会えるものと思っていたけど、どうにも姿が見当たらない。
彼女はどこに居るのだろう?
「常盤さん、お待たせしました。課の方に戻りましょうか」
いつの間にやら会話を終えた水瀬燈真が私の顔を覗き込んでいた。
どうしよう。高階由良の件、聞いてみようかな。うん。そうしよう。
「はい。あの、その前に一つ質問させていただいても良いですか?」
「はい、どうぞ」
「高階由良さんってどちらにいらっしゃいますか?」
私の質問の後、研究室内に沈黙が落ちた。
え、なんで???そんなに変な質問したかな?
寧ろここまで頑なに高階由良の話を出さない皆さんの方が私からしたら奇妙だけど。
「常盤さん、高階さんのことをご存知だったんですか」
「えっ」
あ、なるほど。確かにそれは疑問に思うか。
私はローレルに来て三ヶ月程度のど新人な訳で、他部署の人間とネットワークを築いているとは考え難いよね。
でも私が高階由良の存在を把握している理由をありのまま話すわけにはいかない。
「はい、まあ、お名前だけですけど……」
「そうだったんですか……」
水瀬燈真は顎に手を当てて考え込むような表情のまま固まった。
「あの、私何か……」
「いえ、すみません。まだ質問に答えていませんでしたね。彼女は……高階さんは、ちょうど先月ローレルを辞職なさったんです」
「え?」
私の脳は水瀬燈真の言葉をうまく処理できなかった。いや、それは正確な言い方ではない。脳はしっかり働いていた。それを認識するのを阻んだのは私の感情の方だった。
高階由良がローレルを、辞めた?
なにを……なにを言っているんだこの人は。そんなのあり得るわけが……いや、あり得ない方がおかしいのか。だってここは現代風の世界で、職業選択の自由は誰にでも与えられている。
でもゲームとしてはおかしいでしょう。そんなことがあって許されるはずがない。主人公がいない物語なんて成立する訳がないんだから。
高階由良がいない?そんな……そんなことがあって良いわけが……
「まさか常盤さんが高階さんのことをご存知だとは知らず、申し訳ないです。混乱させてしまいましたね」
混乱。まあ確かにしている。
でもそんな、混乱なんて生易しい言葉で私のこの感情を、この思いを、表現し尽くせるなんて思わないで欲しかった。
高階由良がいない。いない、いない。
そんな……嘘だ。そんなのは嘘だ。火を見るよりも明らかで、真っ赤な嘘。
だってだって、高階由良が居なければこの世界なんて……。
「常盤さん?」
水瀬燈真が心配そうに私の瞳を見つめている。
その瞳は純粋に私のことを案じていて、それが直前に嘘を吐いた人間のものだとは到底思えるわけがなかった。