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二章 8



焼肉会から一週間ほどが経った。

正確に言うなら五日が経った。


その間はいつも通りだった。仕事も家に帰ってからも、特に変わったことはない。

本当に何も変わらない。自分で変えようともしていないから、変わらないのは当たり前だ。


『お盆、いつ帰ってくる?』

『忙しいから遅くなりそう』


母からのメッセージに、私はそう返した。

結局具体的な日時は言わなかった。

でも、もうそろそろお盆休みを取ったってなんらおかしくない時期に差し掛かる。

そうすれば同じ文句で逃げ続けるのも無理が出てくるだろう。


『今度ふわふわかき氷食べに行かん?』


これは麻生のやつだ。

この前は日曜日空いてる?と訊かれたが引越しを理由にそれを断った。

今度は具体的な提案をするところに本気が伺えるが、多分私はまたしてもそれを断るだろう。

次は何を理由にすれば良いだろうか。一番手っ取り早いのは帰省のため、と言うことだろう。

帰省なんて、全くする気もないのに。


私ははあ、と溜息を吐いて腕時計をみた。

長針が六の文字盤を越えている。しまった。ぼーっとし過ぎた。

これから私は部屋を出て、一階に降りて先輩と合流して、駅まで行かねばならないのに。

このままだと仕事に間に合わない。


私は慌てて部屋を出た。鍵を閉めて、滑り落ちるような速度で階段を駆け降りる。

どうしよう、先輩に怒られる……。というか、遅刻したら普通に水瀬さんにも怒られる……。

ダッシュしよう。駅までダッシュ。

スーツでダッシュはキツイけど、背に腹はかえられない。


かつん、と足を踏み鳴らした私は一階エントランスへと到着した。

したは良いものの、先輩の姿が見当たらない。


あれ、先輩、先に行っちゃったかな。

まあ結構ギリギリの時間だからな……。

でも多分、何もメッセージは来てないはずだけど……。無断で先に行くってそんなのアリ?


一応電話掛けてみようかな。

もしかしたらまだ来てないだけの可能性もあるし……。

そう思って私がスマートフォンを取り出すと同時に新たなメッセージが届く。


『さきい』


これだけだ。この三文字だけ。


え???


差出人は間島先輩である。で、文面が『さきい』。

は???


ああ、あれかな。先行ってるね、かな。

間違えて途中で送っちゃったとか?偶にあるよね、そういうこと。

と思っていると、また新たなメッセージが届いた。


『さきいってやすむ』


日本語の自由さを最大限に活用した文と言えよう。主語も目的語も全部欠落している。

それらを補って読むなら、『常盤さんは先にローレル行ってて!俺は今日仕事休むね!』という感じだろうか。


先輩、風邪かなんかだろうか。

昨日は普通そうだった……いや、確かにちょっと元気がなかったかもしれない。

まあ最近とみに暑いからね。夏バテとかかな?帰りにスポーツドリンクでも買っていってあげよう。


しかし、大丈夫かな。

メッセージの文面が異様に辿々しいけど。文字を打ち込むのですらキツい体調ということだろうか。

それって相当じゃない?


私は一応『大丈夫ですか?』と送ってみる。

……返事が来ない。

先輩がメッセージを見たというのは確認できた。しかし、返事が来ない。

いや、もしかしたら文面を考えている最中なのかもしれないけど。

ちょっと遅すぎやしないか……?


私は待つのに痺れを切らして電話を掛けてみることにした。

なんかこう、嫌な予感がする。ただの風邪であれば良いのだけど、もしもっと重篤な何かだったら……。

コール音が途切れて通話が繋がった。


「もしもし先輩?大丈夫ですか?」

『…………だい゛じょうぶ…………』

「本当ですか!?」


声ガッサガサだけど!?全く生気を感じられないけど!?

大丈夫じゃないよね絶対!


「私何か買ってきましょうか?スポーツドリンクとかゼリーとか」

『…………こめ』

「え?」

『こめ、くいたい……』


お米!?お粥とか?売ってるかな……。

いや、昨日の夜ご飯の残りのお米があったな。

お粥にするんなら冷やご飯の方が都合が良い。買いに行く時間も勿体無いし作るか。


ということで作ってみました、お粥。

もうローレルには遅刻しますって言っておいた。

流石にここから間に合わせるのは無理だ。


で、今私は先輩の部屋の前にいる。

私はなんとかお粥を片手で持って呼び鈴を押した。しかし先輩は出てこない。

動けないのかな、もしかして。それは重症すぎる……。


勝手に入るのは非常識という考えと重症すぎて出てこられないのかもという考えが争った結果、私はお粥が冷めるという理由から勝手に入ることに決めた。

食べ物は粗末に扱ってはいけないのだ。


当然のように部屋の鍵は開いていた。不用心か。しかし私にとってはこれ幸いである。

お粥を片手に持ってバランスをとりつつ、私は部屋に足を踏み入れた。

電気は付いていない。しかし、夏の朝日が窓から煌々と光を差しているから、視認に不都合はない。


先輩が、倒れていた。

リビングと玄関を繋ぐ中央のスペースにぐでっと横たわっていた。

し、死んでる……と最初は思った。だけれども息はちゃんとしている。


ただの風邪でここまでになるか?インフルエンザでもこうはならないぞ。やっぱり変な病気を貰ってきたんじゃ……。

色々な考えが頭に巡ったけど取り敢えずは先輩の要望に応えようと、私はうつ伏せになっていた先輩の身体を仰向けに転がす。


「せんぱーい。大丈夫ですか?お粥持ってきましたよー」

「……ア゛……ゴメ゛……」


先輩が掠れた声でそう言った。

怖いよ。なんかゾンビみたい。


「口開けてください。喉に詰まらせないでくださいよ」


私は先輩の上半身を私の片足に乗っけて傾斜をつけた。

寝転んだままで飲食はちょっと危ない。

そうしてスプーンでお粥をそっと口の中に流し入れる。


「う、うまい……!!」

「あ、そうですか?良かったです」


一口食べた途端、先輩はがっと目を見開いた。

怖いって。それキマってる時の目だよ、絶対。


「もっとちょうだい」

「はいはい」


私はもう一度スプーンにお粥を掬った。


「少ない」

「え。もっと掬うんですか?」

「そう。もっと」


なんで私注文付けられてんの?

……まあ病人だからしょうがないか……。


私はスプーンにすり切りいっぱいくらいのお粥を掬う。


「だから、少ないよ」

「ええ?もっとですか?」

「うん。ていうか自分で食べるから良いや。ちょっとどいて。邪魔」


そう言って先輩は私からスプーンを奪いお粥を掻き込み始めた。


はあああ?いやいや、邪魔ってなに???

これ作ったの私なんですけど???丹精込めて作ったんですけど?

いや、お米と水と卵煮込んだだけだけど。昨日の残り物だけど。


「おいし~。生き返る~」


先輩は満足そうにお粥を食べている。


「やっぱ味の素最強だね」

「悪かったですね、味の素頼りの味付けで」

「別にそんなこと言ってないよ。美味しい。ありがと、作ってくれて」

「……美味しいですか?」

「うん。美味しいけど」

「本当ですか?」

「うん」

「ふえへへ。良かったです」


良かった〜。料理自体はしないわけじゃないけど、一人暮らし用のものしか作らないから人に食べさせるのはちょっと不安だったんだよね。

まあ、うん。色々非礼はあったけど、美味しいと言ってくれるんなら許そう。許してしんぜよう。


あ、そうだ。先輩病気大丈夫かな。

思ったより元気そうだけど、顔色はちょっと悪く見える。


「先輩、体調大丈夫ですか?病院行きます?」

「病院?なんで?」

「え?だって先輩、体調不良で倒れてたんですよね?」


違うの?それ以外に倒れる理由ある?


「体調不良……まあ広義で言えば体調不良、かも?」

「誤魔化さないでください。我慢せず病院は行った方が良いですよ」

「いや一多分病院行っても治らないやつなんだよね、これ。だから大丈夫だよ」


それは大丈夫じゃないのでは?

病院にかかっても治らないって、不治の病的なあれってこと?

持病みたいなことかな。それならしょうがないか……。

現代医療で治せないものは私にはどうしようもないしな。

そういうので苦しい時はゆっくりするのが一番だ。


「じゃあ私、なにか買ってきますよ。食べやすいものが良いですよね?なにかリクエストとか……」

「いや、食べやすくなくて良いから腹持ちの良いやつが良いなあ。お粥はちょっと消化に良過ぎて明後日まで持たない可能性が……」


は、腹持ちの良いやつ??なんで???

体調悪い時ってそういうのが良いんだっけ?最近風邪ひいてないからわからないけど……。


ていうか……うん?

今先輩、明後日って言った?明後日?なんで?


「明後日になにかあるんですか?」

「え、いや、まあね。あるじゃん。一ヶ月で一番嬉しい日じゃん」


一ヶ月で一番嬉しい日……。

なんだろう、満月?いや、満月を一番の楽しみにしている人は相当希少か。

明後日……十六日……?あ、わかった。


「給料日ですか?」

「あはは、正解」


やった!確かに一ヶ月単位で言えば一番しいよね。

お金はやっぱり大事だもの。だって自分の生活もそうだけど、家族の生活だって成り立たせないといけないから。

そう、家族の、生活だって。

……ああ、なるほど。そういうことか。


「先輩、」

「常盤さん早く仕事行った方が良いんじゃない?こんな時間だったら由良ちゃんも出てこないから一人でも大丈夫でしょ」


先輩はちょっと早口でそう言った。


……そうだね。その通りだ。

私は遅刻している身なのだから早く仕事に向かおう。


「そうですね。私行きます。……なにも買ってこなくて大丈夫ですか?」

「うん。やっぱりお粥で十分。この食器、洗ってから返すね」

「はい。……先輩、今日仕事来ます?」

「あー、うん。多分?」

「わかりました。待ってます。それじゃあ、失礼しました」


私は靴に足を突っ込んで足早に先輩の部屋を後にした。

その後もそのままの速度で駅まで向かう。


多分、先輩が倒れたのは空腹が原因だと思う。

先輩は母親への仕送りにお金を使い過ぎて、給料日ギリギリの今食費が足りていないのだ。

それならお粥を食べた途端に元気になったことや、病院にかかっても治らないとの発言も納得できる。


倒れるほどまでに生活費を切り詰めて母親にお金を送るなんてどうかしている。

おかしいでしょう、そんなのは。絶対におかしい。

でも、私はそんな先輩に口を出すことはできない。出してはいけない。


私はこの状況を解決する術を知っている。

彼を悪役から解放する手立てを知っている。

ただ『紅が繋ぐ運命』の通りに動けば良い。主人公が取ったのと、全く同じ行動をすれば良い。

主人公は作中でローレルに助けを求めた。

ローレルを頼って間島レイヤと母親を隔離した。

具体的に言うと、母親を更生施設のような場所に押し込めたのだ。

私もそれをすれば良い。別に不可能じゃない。

あれは『紅が繋ぐ運命』の主人公だけに許された手立てではない。

これは私が前世を覚えているからできることだ。

だからそんなやり方でもって先輩の人生を変えるわけにはいかない。


だけど、だけど、先輩は倒れたんだよ?

そんな、前世がどうのこうのと言って躊躇って手遅れになる方が駄目なんじゃないの?


三叉路に差し掛かった私は足を止めた。

別に、ここは歩き慣れた道だから迷うことなんてない。

だけど偶には違う道に行っても良いかもしれないな、と私は思った。



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