一章 34
ホワイトボードを正面にして、私たちは謎スペースへと集まっていた。
第八特務課の出入り口の扉を境にデスクと反対側にある謎スペースに。
目的はただ一つ、先日の『岸根ーユビキタス大井E16作戦』及び常盤めぐり誘拐未遂事件に関する結果報告のためであった。
前者、つまり元々の作戦に関する報告は殆ど終わりを迎えていた。
取引の対象はいくつかのフランスの希少系統。本取引は一ヶ月半後に横浜で。血の保管場所は牛込にあるサイバーユビキタスコンサルティングの本拠地である。などなど。
この日曜日に事情聴取的なアレが行われたらしく私の想像以上に様々な、そして詳細な情報が報告された。
そして、私にとっては本命ともいうべき常盤めぐり誘拐未遂事件の結果報告の時間がやってきた。
「常盤さん」
「はいっ」
いきなり水瀬さんに名前を呼ばれた。
なんでだろ。さっきまでは水瀬さんからみんなに事実を伝える形での報告だったのに。
「こちらに関してはまだ調査が進んでいない部分も多くて。常盤さんの方でわかっていることを先に報告して貰っても良いですか?」
え、マジ?いや良いんだけど、報告できるようなことそんなにないよ?
まあ私にできることなら何でもするけど……。
「わかりました。お伝えできることはそこまで多くないのですが……。まず、主犯格の男は板倉という名前で___」
現在分かっているのは板倉とその仲間数人の名前、そしてカーナビに映っていた私が元々連れていかれる予定だった場所、板倉がぽつりとこぼした『洋館』という言葉くらいだ。
正直大した情報はないな、と思ったけどそういえば一番大事なことを報告するのを忘れていた。
「あの、どうやらあいつらはただの実行犯だったみたいで。指示を出しているのは別の上役の人間だと……」
「そうなんですか?その上役の人間というのが誰か、情報は?」
「それが……。あの、どうもその……高階由良さんだと……」
「「は?」」「「え?」」
今までは口を開くことなく開示される情報を受け入れていた他の四人が、思わずといった具合に声を上げた。
そりゃそういう反応にもなるよね。これ、完全に裏切り行為だもんね。
「な……本当にか?」
「はい。板倉は高階さんが指示を出したと言っていました」
「聞き間違いじゃなく?」
「はい。私も高階さんの名前を口にしましたから、聞き間違えたってことはないはずです」
三保さんが信じられない、とでも言うような表情をしている。
まあ、三保さんは思うところあるだろうね……。
だってよりにもよって高階由良だもん。
多分、というかほぼ間違いなく第八特務課で一番高階由良と仲が良いのは三保さんだし。
三保さんが考えるように押し黙ったのを見て、今度は神楽くんが口を開く。
「……証拠は?あるか?」
「証拠……というと物的なものはないですけど……相手方はこちらの情報をかなり正確に把握していました。それが高階さん経由で伝わったものなら納得がいくかなと」
「そ、そうか……」
神楽くんの目が泳いでいた。相当動揺しているみたいだ。
やっぱり神楽くんは感情が顔に出やすいタイプだと思う。
「それに高階さんは元々、今回のことがある前から私を熱心に勧誘していましたし……。私の血にも興味があるようだったので」
間島先輩が確かに、とでも言うように頷いた。
先輩は高階由良が特務課を訪問した時と麻雀に行った時の都合二回、私が勧誘される様を見ているから納得もしやすいだろう。
「それと、皆さんはご存知ないと思うんですが……私、高階さんから常盤さんが自分の所に来ないならローレルを潰す、みたいなことも言われてて……」
「うわっ、過激だなあ。でも由良ちゃんなら言いそう」
「……まあ、言うか言わないかでいったら言うでしょうね」
間島先輩と高坂さんが立て続けにそう述べる。
本当、特務課内での高階由良の認識ってどうなってるの?結構ヤバい人間だと思われてるよね?
しかもこの場合のヤバいと言うのは原義的な方のヤバいだ。
私の話に第八特務課の全員が全員、非常に苦い顔をしていた。
元同僚が現同僚を狙っているというこの状況は、それは悩ましいものであることだろう。
「えー、マジで由良ちゃんなんですか?じゃあ俺ら、めっちゃ由良ちゃんに恨まれてたってこと?」
「話を聞く限りだとこちらへの恨みというよりは常盤さんの血がどうしても欲しいという風に思えますけど……」
「……高階さんだって『奇跡の血』だ。態々めぐりを狙わなくても良い」
「でもめぐりちゃんのってちょっと特殊な『奇跡の血』って話じゃなかったっけ?具体的に何が特殊なのかは知らないけど」
「それ、私もよく分かってないんですよね……。見分けがつきにくい『奇跡の血』ってだけで、何か特殊な能力があるとかではないんでしょうか……三保さん、どうなんですか?」
私は顎に手を当てて思案に沈む三保さんに声を掛けた。
思考の邪魔をして申し訳ないのだけど、高階由良の目的が私の血である以上、専門家の意見は聞いておきたい。
「……三保さん?」
「……ん?ああ、すまん。なんの話だ?」
「私の『奇跡の血』って見分けがつきにくいこと以外にどんな特性があるんでしょうか?それとも、それ以外は普通の『奇跡の血』と変わらないんでしょうか?」
「ああ……」
三保さんは顎に当てていた手を頭にやって、少しぐしゃりと前髪を混ぜた。
ごめんね、今は高階由良のことを考えたいだろうけど私も自分の血のことを分かっておきたくて。
「いや、それはまだ分かってないんだ。純粋にサンプルが少なくて研究が進んでない。……俺の師匠がその方面を研究してたんだけどな。道半ばで死んで、そっからは放置気味。新たに研究しようにもやっぱりサンプルが少ないって問題にぶつかるし。……でもまあ、だからこそ、もしかしたら油田が眠ってるかもしれない血なんて手に入るなら欲しいだろうな」
なるほど。投資的な思考ってことかな?ちょっと悠長、というか長い目で見過ぎなんじゃないかって気もするけど。
まあ、投資先のどこに価値を置くかなんて人それぞれだからな。
高階由良にとっては私の血が投機先として魅力的だったということなんだろう。
「……常盤」
「はい」
三保さんが思い詰めたような顔で私を見ていた。
私は、彼と高階由良の関係なんてほんの少ししか知らない。
彼が高階由良とどんな言葉を交わしてきたのか、どんな想いで接してきたのか、どんな時間を積み重ねてきたのか、私は知らない。
だから、私が三保さんの気持ちを推察することなんてできない。
でも、彼には幸せになって欲しいと思う。
その為なら、私はなんだってしよう。
本当になんだって良い。血をあげるくらいなら安いものだ。
「常盤、俺に……」
「三保さん、それは常盤さんにではなくて本部に掛け合ってください」
三保さんの言葉を水瀬さんが遮った。
三保さんはばっと水瀬さんを見たけれど、水瀬さんは資料を見つめたままだ。
二人の視線は交わっていない。
三保さんは、きっと私の血を調べたいのだと思う。
だって彼は研究者だし、高階由良は私の血を狙っている。
私の血の真実がわかって、それで高階由良がどうこうなるってことはないのかもしれない。
だけど彼はやっぱり研究者だ。彼の仕事は、役割は、血を研究することだ。
だけど、水瀬さんの仕事と役割はローレルの内部にある。
血の研究ができるのは三保さんだけじゃない。ローレルにだってそれ関する部署はある。
「……まだ何も言ってないだろ」
「大抵、三保さんは碌なことを言い出さないですから。念のため、一応ですよ。……常盤さんはうちの所属である以前にローレルの所属です。そこは僕が曲げられるものではありません」
「はあ……わかってるよ」
三保さんは溜息を吐きつつ、座っていたソファの背もたれに身体を預けた。
権利関係は複雑である、ってことなんだろう。
研究したいと思ったらすぐにできる、というなら誰も困らない。
研究室に籠って、それで全てが解明されるなんて夢物語だ。
まあ、私は学者でも研究者でもないから難しいことはわからないけど。
私にできるのは求めに応じることだけだ。
「由良ちゃんがめぐりちゃんの血を欲しがってる、か。じゃあ色々対策考えないとですよねえ」
「高階さんって、今どこに居るんですか?再就職はしたって話でしたけど」
「さあ、俺は知らん」
「三保さんが知らないんだったら誰も知らないでしょ。まあ、由良ちゃんってずっと謎だからなあ」
「対策というとめぐりに護衛を付けるとか、ですか……?」
「あー、もうそうするのが早いよね。由良ちゃん側を牽制しようにも実態がわかんなさすぎるし」
「対策に関しては本部からの指示を待った方が良い。今回のことは上の耳にも入ってる」
ほ、本部か……。そんな大事になってたのね。
いや、そりゃそうか。これが大事にならない方が問題か。
でもねえ、どうなんだろう。高階由良がどう出てくるのかわからないからな。
高階由良が本当に手段を選ばない感じなのだったら確かに護衛はありかも。
ただ、私は最近ローレルと自宅の往復しかしていないからそんなもの必要?って感じではある。
私がもっと『血の特異性』を使えるようになれば良いんだろうけど。
三保さんに貰ったやつだけじゃなくて、主要四系統も。
ってことはやっぱり、今までと変わらずとにかく特訓!になるんじゃないかな?
うんうん、まあ、それが妥当な落とし所な気がする。
よーし、これからもっと特訓頑張るぞ〜!!
というこの時の考えは甘すぎたのだと、私はすぐに知ることになるのだった。