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一章 33



私は象牙色の天井を見上げた。

今は草木も眠る丑三つ時であり、室内は電気も付いていない。

だから象牙色だ、というのは昼間に見た映像の再現でしかないのだが。


ここは赤薔会本部の一室。

聞いた話によると、赤薔会というのは『血の特異性』を持った家々が血の保全及び相互協力のために集う血液管理組織であるらしい。

ローレルはあくまで行政組織。国に於ける血液の管理を担うだけであって、『血の特異性』を持つ家々を管理するのは赤薔会である。とのことであったが、結局詳しいことはよく分からなかった。


まあ、そんな難しいことに頭を悩ませる必要は今の私にはないだろう。

今日は初めての出動があって、私も非常に疲れているのだから。


私が何故こんな真夜中に赤薔会の天井を見上げているのかと聞かれれば、それは療養の為であると答えることができよう。


高階由良の魔の手を潜り抜けた私たちは板倉たちを赤薔会に引き渡し、それから同組織で身体に異常がないかの検査を受けた。

全員特に異常は見られなかったものの、私は矢嶋の血のことやふくらはぎを盛大に刺されたこともあって、一応今日は赤薔会で様子を見ることになったのだ。

大袈裟過ぎやしないだろうかと少し思ったが、私も今は死にたくない。

今日は初めてのことがあり過ぎたから慎重すぎるくらいで丁度良いのかもしれないなと思うことにした。


私は寝かされていたベッドから身を起こした。

ある種の患者ともいうべき人間に対するベッドにしては少々豪華すぎるきらいはあったものの、過度に低反発でも高反発でもない寝心地の良いベッドだ。

私はベッドから地面に足を下ろし、ゆっくりと歩き出す。


私は療養に当たって一室丸ごとを赤薔会から与えられていた。気分はさながらスイートルームである。

その部屋の一角には肉厚のソファが机を囲んで長方形を成すように並べられていた。

そのソファの一群の一つに私の手荷物が無造作に置かれている。

私は手荷物の中から一枚の紙を取り出した。


『高階由良を探してください』


天井と殆ど同じ色の便箋に書かれたその文字を、私は軽くなぞる。


思えば、全てはこの手紙から始まったのだ。

常盤めぐりが異動を言い渡されたその日にデスクに置かれていたこの手紙。

未だに差出人すら分かっていないこの手紙。


実は、私はこれを毎日肌身離さず持ち歩いていた。多分差出人が高階由良でないのだろうということがわかってからも、ずっと。

だって、この手紙だけが私と前世の繋がりを証明してくれているみたいだったから。

私の前世がちゃんと存在していたんだってことをこの手紙だけがわかってくれているみたいだったから。


でも、もうそんなものは必要ない。

私に前世は必要ないのだ。

前世の記憶が第八特務課の正常な認識を阻んだのは紛れもない事実だった。

私が前世を思い出しなどしなければ、常盤めぐりはずっと存在し続けられたし幸せになれたはずだった。


だから、だったら、私は前世のことなど忘れてしまった方が良い。

彼らの為にも、常盤めぐりの為にも、私自身の為にも。

私が前世を無かったことにしてしまえば、常盤めぐりは生きられると思う。

だって私と常盤めぐりを隔てるものは私に付随した余計な記憶でしかないんだから。


前世の記憶をなくした私に残るのは常盤めぐりにあったものだけ。

それだけが残るなら、私の存在は常盤めぐりに非常に近いものになれるはずだ。

多分、きっと、なれるはずだ。


私はクリーム色の便箋を両手で摘んだ。

そうして一点に力を込め、紙を引き裂こうとしてみた。


私はは、と息を吐く。

その吐息は自嘲の響きに取り憑かれていて、淡くて虚ろで弱々しい。


結局そんなこともできないのだ、私は。

前世を忘れるために、透かせば容易に日の光を通す便箋一枚ですら破れない。


しょうがないから私は元あった場所に便箋を戻した。

家に帰ったら押入れの奥にでもしまっておこう。

破けはしなくても、もう二度と目に入らない場所に置いておこう。

それで良い。今はそれで。


私が前世を忘れて常盤めぐりになってしまえば、全てが上手くいくことは明白なのだから。

そうなれば常盤めぐりが幸せになって、常盤めぐりの家族や友達も幸せになる。

彼女は優秀な人だったから第八特務課にだって貢献してくれるはずだ。私がいるよりよっぽど。

そして、常盤めぐりや特務課のみんなが幸せになれば私も嬉しい。

だから、きっとこれからそうなっていくはずだ。


『ねえ、「紅が繋ぐ運命」って知ってる?』


ふと、頭の中に声が響いた。

これは、私の前世の記憶だ。

私の友達の声だ。


『あのね、これ乙女ゲームってやつなの。___ちゃん、やったことある?』


ううん、と私は答えたはずだ。


『だと思った。___ちゃんゲームとかやらないでしょ。これ面白いんだよ。一緒にやろうよ~、ね?』


私はうん、良いよと答えたはずだ。

それからその何日か後に友達の家に泊まって、一晩中ゲームをやり続けた。

お菓子を間に置いてジュースとお酒を何本も開けて、二人で真剣な顔をしてテレビに向き合っていたはずだ。


やめてくれ、と思った。

楽しかったんだ、あの頃は。それは覚えてる。

だけど、もう戻れないでしょ?どう頑張ったって戻れないじゃない。

忘れさせてくれたら良いでしょう。私はこの世界で楽しい時間を見つけたんだから。

私が今楽しいと思う時間を守るためには、忘れなきゃいけないんだよ。

そうしたらみんな幸せになれるんだから。


好きだよ。前世の友達だって好きだった。だったというのは正しくない。今でも大好きだ。

でも、今は特務課だって大好きなんだ。だから……


私は再びベッドに向かった。

傷を癒すためには寝るのが一番だ。

週が明ければ仕事も始まる。

仕事が始まれば私は特務課のみんなに会える。

そうしたら、きっと私は前世なんて忘れられるはずだ。

そうなってくれないと困るよ、本当に、と私はそう思った。



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