一章 32
「あの、私、皆さんのことが好きです」
私はみんなを見渡してそう言った。
そんな私の言葉に、特務課全員揃いも揃ってぎょっとした顔をした。
しょうがないよね、急にこんなこと言われたら。それは私も分かってる。
でも、ストレートに言った方が良い時もあると思うんだ。
「私、皆さんのことが好きです。愛してます。だから、私辞めたくないです。ずっと特務課に居させてください。お願いします」
「ちょーーーーっと一旦待とうか」
間島先輩が手のひらを前に突き出して私を制止した。
「急展開すぎて話についていけてないんだけど……え、なに?まず、いつ辞めるって話になったの?」
間島先輩の疑問に他の人たちもうんうんと相槌を打った。
そうですよね、急に言われても困りますよね。
でもそれは本当にとても大事なことだから、私がちゃんと説明しないと。
「私は、多分この先も今回みたいに血を狙われて襲われると思うんです。思う、と言ってもかなり確度が高くてほぼ確実に二度目三度目が起こります。そしてその時もきっと皆さんにまで危険が及ぶ。それなら、私が特務課を、というかローレルを辞めてしまうのが一番良いです。私が他の分野でその損害を補填できるだけの成果が挙げられていれば良いですが、そういう訳でもないので」
結局は、私を特務課に置くメリットとデメリットが見合っていないのだ。
ローレルは官公庁だから、一般企業に比べれば利害得失にそこまでの重きを置いていないのかもしれない。
しかしそれだってあくまで比較的、と言うだけであって業務の足を引っ張る職員を無条件に養う必要などないはずだ。
だから冷静に考えれば私がローレルに、第八特務課に居ることは迷惑を掛けることにしかなっておらず、私が彼らに幸せになって欲しいと思っているなら辞めるという選択肢以外を取るべきではない。
「はあ、なるほど。まあ理屈は分かった」
「おわかりいただけて良かったです!私、説明下手なので……。あ、それで、確かに辞めた方が良いというのは分かっているんですけど、でも、私は皆さんのことが大好きなので辞めたくなくて……」
「うん、そこだよ。本当、急にどうしたの?何があったの?あれか、吊り橋効果?」
「吊り橋効果ですか?」
吊り橋効果って、怖いことを一緒に体験すると相手のことを好きになっちゃうっていうあれ?私が好きですって言ったから?
あー、確かに状況的にはそう見えても仕方ないのか。
いやいや、でもそんなんじゃないから。
みんなにはもっと自信を持って欲しい。
そんな一時的なものじゃなくてもっとずっと、みんなの積み重ねがあってこそ私はそう思ってるんだから。
「まさか!私はずっと皆さんのことが大好きですよ。本当です、信じてください」
「え、怖い」
なんで?????
どこが怖いんだ?うーん……。
真の意味で興味のない相手とか嫌いな人とかから一方的に好かれていたら怖いか、確かに。
まあ、それは仕方ないか……。彼らが私に齎したものは大きいけど、逆は寧ろマイナスくらいまであるから。
そっか……素直に言うだけが好意の示し方じゃないもんな。ちょっといきなり過ぎたかも。
「わかりました。じゃあ、今言ったことは忘れてください」
「無理でしょ。それに、忘れてもなんの解決にもならないと思うけど」
「確かに……」
間島先輩は頭が良いな……。
私は意外と直情径行の気があるんだよな……。
申し訳ない。
でも、じゃあどうしたら良いの?私はどうすべき?
というか、私がこの話をし始めたのは私が特務課にこの先もずっと居続けることに対しての許可を貰うためだ。
駄目と言われたらしょうがないけど、本気でウザがられるまで拝み倒す所存だった。
だったら、まずは当初の目的を完遂すべきでは?
「では、忘れなくても良いのでこの先ずっと私を特務課に置いてください!お願いします!」
「めぐりが……おかしくなった……」
隣で神楽くんがぽつりと呟く。
なんでよ。私どこもおかしくないよ。私はずっと一般を逸脱できない凡庸な人間だよ。
いや、この世界に来てからはそんなことないかもしれないけど。『奇跡の血』持ちの人間に転生した時点で。
でもそれはあくまで常盤めぐりの身体が特別なだけであって、今思考している私自身は世の中に掃いて捨てるほど存在する愚味な人間でしかないよ。
私が神楽くんにどう反論しようかと脳内で言葉を組み立てていると、高坂さんが反対側の車からやって来て私の肩を掴み上半身をリアシートに押し付けた。
彼の私を見つめる瞳は真っ直ぐで、実に綺麗な濡れ羽色をしている。
「本当に大丈夫ですか?あいつらに頭でもぶたれたんですか?」
「えっ、いや、確かにこう……頭を掴んでガンガンやられたことはありましたけど……」
「ええっ!?それを早く言ってください!それが原因ですよ、絶対」
「いやいや違いますよ、絶対。ていうか原因って。なんの原因ですか」
「常盤さんのおかしな言動の、です」
「私おかしくないですって!!!」
高坂さんまで!?なんでよ!!一体私のどこがおかしいと言うんだよ。
あれだよ?自分と違うからってすぐに相手をおかしいと決めつけるのは良くないよ?
「いや、流亥……めぐりは矢嶋の血を吸ったのかもしれない……」
「矢嶋の血まで!?水瀬さん!今すぐ帰りましょう!今すぐ!」
「わかった。わかったから、高坂も神楽も落ち着け。あと常盤さんも」
「私もですか!?」
高坂さん神楽くんと一緒にされるのは心外だ。
そりゃ、ちょっとは普段通りじゃないところもあるけど、二人ほどじゃないでしょ。
「常盤さんが一番落ち着いて欲しいですよ。頭がとか矢嶋の血がとかは冗談にしても一旦冷静になってください」
「…………はい」
納得がいかない……。私は冷静な思考のもとに行動しているのに……。
というか、あれかも。
これは遠回しに断られているのかも。
私が特務課に残るなんて、そんなのは話し合うまでもなくあり得ないだろと、そういうことなのかもしれない。
それならそれで仕方ない。それが彼らの選択だというなら、私はそれを尊重する。
「取り敢えず赤薔会に行きましょう。ちゃんとした治療を受けなければいけませんから。三保さんはこっちの車を運転してください。もう一台は僕が運転するので」
「ん、わかった。あ一……間島は向こう乗れ。神楽と高坂はこっちで」
二人の指示に従ってみんなが二台の車に分かれて乗車する。
私は動けないので移動はしていないけど、水瀬さん間島先輩と同じ車だった。
車は元来た道を引き返す。
連れて来られた時は余り地理情報が良く判っていなかったのだけど、ここは大田区だったのね。
大田区からローレルまでってどのくらいかかるんだろう。
いや、これから赤薔会に行くんだっけ。じゃあ時間は良くわからないな。
……ていうか赤薔会ってどこ?
ていうか赤薔会ってなに!?
そうじゃん、よく考えたら赤薔会ってなんだよじゃん。
今までみんな当たり前のように赤薔会赤薔会って言ってたからスルーしてたけど、私そんなの知らないよ。だってゲームに出てきてないもん。
いや、めぐりちゃん知識によるとなんか『血の特異性』に関する組織だと言うのはわかるけど。
……そっかあ。もう最初からこの世界はゲームの世界なんかじゃなかったのかあ。
ここはもしかしたら『紅が繋ぐ運命』と似た世界で、似た空間なのかもしれないけどずっと違ったんだよね。
ここで生きるみんなは確かに自我を持った人間で、自由意志に基づいて行動するただの人間だったんだよね。
私と何も変わらない。ただの人間なんだよね。
良かった。なんか、すっきりした。
私が前世で見たものは何も変わらない。彼らは確かにゲームの登場人物だった。
でもそれと、この世界にいる彼らが確かに人間であることは背反ではない。
私は『紅が繋ぐ運命』というゲームが好きだったし、この世界にいる第八特務課のみんなが好きだ。
それで良かったんだ、最初から。
彼らがゲームと一緒だとか違うだとか、そんなことはどうでも良かったんだよ。
私はもっと、彼らをちゃんと見つめるべきだった。
そして、それに気付いてちゃんと見つめた上で、私は彼らが好きだ。この世界が好きだ。
だから、私はこの世界で生きたい。これからもずっと。
「あー疲れたー!常盤さんも疲れたでしょ。俺らに遠慮せず寝たりとかして良いから。俺は毎回ガンガン寝てる」
「あはは、ありがとうございます。確かにすっごく疲れました。でも正直身体が痛過ぎて眠れそうにないですね」
「まだどっか怪我してる?」
「いえ、怪我ではなくて……筋肉痛みたいな感じというか……」
「ああ、なるほど。まあね、常盤さんは初めてだから。多分次からは慣れるよ」
「え、」
「え?」
次からって、え、次から?ちょっと待って欲しい。
え?私に次ってあるの?
あれなんじゃないの。私は問答するまでもなく特務課及びローレルから追放って話じゃなかったっけ?
あれ?まだそんなこと言われてなかった?
「私……辞めなくて良いんですか……?」
「その話まだ続いてたの?そりゃ常盤さんが辞める必要なんてないよ。辞めたいって言うんなら無理には止めないけど、そうじゃないでしょ?」
「それは……辞めたくはないですけど……」
「じゃあ辞めなきゃ良いじゃん」
「でも、ご迷惑じゃないですか?だって私が居たら……」
「だから、全然迷惑じゃないって。ねえ、水瀬さん」
間島先輩は運転席に座る水瀬さんに話を振った。
水瀬さんは特務課の課長で、彼の鶴の一声があれば私なんて簡単に追放でもなんでもできてしまうだろう。
幾ら他の人たちがその優しさを以て私を引き留めたとしても、彼が私を不要だと、害悪でしかない存在だと思っていれば関係はない。
だから、私は水瀬さんの口元を注視する。
「常盤さんを迷惑だとは思わないですよ。寧ろ辞められた方が迷惑です」
「え、」
「『奇跡の血』はただでさえ貴重なんですから、自前で調達できるならそれに越したことはないです。それに、その血を狙う奴らが居たのだとしてもそれは僕たちが普段取り締まる不逞の輩となんの違いもない。そういう奴らはいずれこちらで処分しないといけないのですから、それが早いか遅いかの違いだけでしょう。要するに、常盤さんが迷惑だと思っているものは全て僕たちの通常業務の範囲内でしかないわけです」
「は、はい……」
「そんな迷惑よりもよっぽど常盤さんが辞めた時に発生する諸々の業務の方が迷惑です。代わりを見つけるのだって時間がかかりますし。しかも高階さんが辞めたばかりで……」
「うん、水瀬さんちょっと言い過ぎじゃないっすか?」
あんまりにも辛口な水瀬さんの物言いに、間島先輩が待ったをかけた。
水瀬さんはその台詞を述べる間中ずっと前方から視線を外さなかった。まあ運転中に余所見されたら困るのだけど。
その瞳は心底冷たくて冷静だ。
つまり、それは本気で、嘘偽りなくそう思ってくれているということだろう。
私は辞めなくても良いってこと、なんだよね?
「いやった___ あいたあっっ!?!?」
私は歓喜して上体を勢いよく跳ね起こす。
しかし、そう動いてすぐに喜びの余り忘れていた激痛が襲ってきた。
そうだった……今全身痛いんだった……。
「いだい……いだずぎる……」
「あーあ一大丈夫?ほら、ゆっくり動いて」
「ずみまぜん……ありがどうございまず……」
私は間島先輩に支えられつつゆっくりと体勢を戻す。
バックミラー越しに見える水瀬さんの瞳は依然冷たかった。これ、絶対呆れられてるよね?
水瀬さんは意外と辛辣なんだよな。三保さんに対しては顕著だったけど、それが私にも……。
ということは私も三保さんと同じくらい頼されてるってこと!?いや、同じは言い過ぎか。
でも、嬉しいかも!
私は再び身体を痛めないよう心の中で小躍りしながら、そのまま車に揺られ続けたのだった。