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一章 3



仕事を終えて帰宅した私はすべきことの一切を放り出してベッドに倒れ込む。

風呂も料理も洗濯も、今日ばかりは後回しだ。


だって今日は色々ありすぎた。


転生?しかも乙女ゲームの中に?現実的に考えてありえない。

百歩譲って転生までは良い。私は前世も今世も特定の信教はなかったけど、これを機に仏教徒になってみるのも悪くない。

しかしそれが乙女ゲームの中というのが分からないのだ。

ゲームの世界ってフィクションでしょ?私は輪廻転生に関して門外漢も良いところだが、それってありなの?と疑問を抱かざるを得ない。


……そんなのは現実逃避の考えでしかないことは分かってる。もっとちゃんと考えるべきは、乙女ゲームの内容の方だ。

分かってるけど考えたくない!

だって……だってこのゲーム、『紅が繋ぐ運命』ってちゃんとした乙女ゲームなんだもの!

それの何が問題なのかと思う人は乙女ゲームへの造詣が足りないんだ、きっと。


乙女ゲームはカウンセリングゲームである、との言がある。

乙女ゲームに登場する攻略対称キャラクター、つまり主人公と恋愛関係に発展する可能性のあるキャラクターには高確率で重たくて暗くて面倒臭い過去のエピソードが付随しているのだ。

主人公はそんなキャラクター達に寄り添い、或いは図らずも彼らの救いとなることで仲を深めていく。

主人公はそれで良い。主人公は特別だからそうやってキャラクター達と懇ろになるのに、ある種の神の寵愛が働く。

しかし、そうでない人間が万が一にも同じ状況に放り込まれてみろという話だ。

複雑な成長環境に置かれたキャラクター達は、往々にして非常に面倒臭い性格であることが多いのだ。

そんな面倒臭い性格の人たちと、これからの私は一緒に仕事をしなきゃならない。

今日課長に啖呵を切ったばかりなのに、既に心が折れそうだ。


私は横倒しになっていた身体をゆっくりと仰向けにした。

天井に備え付けられたライトが眩しかったので右手で視界を遮ってみる。


因果なものだ。

乙女ゲームなんてただ一つ、この作品しか遊んだことはなかったのに。

前世の楽しかった記憶。友達の家にお邪魔して、徹夜寸前で遊んだあの記憶。

懐かしい。一番という訳じゃないけど、かけがえのない暖かな思い出。


帰りたかった。あの頃に。

帰ってまたあの子と遊べたらどんなに良いだろう。未来を憂うことも、過去を悔やむことも、今に悩むこともなくもう一度馬鹿みたいに笑い合えたらどんなに幸せだろう。


帰りたい。でも帰れない。

人間は生き返ることなんてできない。

だったら、だったら。

転生なんてさせないで欲しかった。


もう……今日は散々だ。

異動の件もそうだけど、転生のことも。


しかし、自分の不幸を嘆いてばかりもいられない。

この世界がゲームの中であろうとなんであろうと、私には命があって生活があって家族がいる。

前に進まないといけない。

生きていかなきゃいけない。


私は考えた。

まずはこの世界を舞台とした乙女ゲーム、『紅が繋ぐ運命』について分かっていることを整理するのが先決だろう。

前世の記憶を思い出した、と言ってもまだ覚束ない内容も多い。

私がこのゲームをプレイしたのは転生する(要は私が死ぬ)丁度一年前だったから、詳細があやふやなのだ。


女性向け恋愛シミュレーションコンシューマーゲーム・『紅が繋ぐ運命』。

現代日本風の世界、しかし『血の特異性』なる特殊能力を持った人間が存在する世界を舞台とする。

架空の政府機関・血統管理機関、通称ローレル内の第八特務課が主人公たちの主な活動場所である。


攻略対象キャラクターは全部で五人。

全員がローレルの第八特務課に所属している。

実はそのうちの一人とは既に邂逅を果たしているのだ。


水瀬燈真。

そう、総務課の課長の暴走を止めてくれたあの人。第八特務課の課長さん。

彼の名前を聞いた時に覚えた違和感は、きっと私の前世の記憶に起因するものだったのだろう。

彼のゲームの中での設定といえば。

優しくて温厚、柔和で紳士的。礼儀正しく物腰柔らかとプラスの情報しか出てこない。

性格も特筆すべき癖のようなものはなくて、理想的な良い上司という描写のされ方だった。

そんな水瀬燈真の最大の特徴はといえば、その家柄であろう。

これはゲーム知識というより寧ろ常盤めぐりが持つこの世界での常識によるのだが、水瀬家というのは大層高貴なお家柄であるらしい。

『血の特異性』を保持する家の中でもトップクラスの権力を持ち、旧華族の家系であるとかなんとか。

そんな家の次男として産まれた水瀬燈真は実は長男との間に確執を抱えている、というのが彼のシナリオの主な軸だった。


二人目は神楽(かぐら)・エヴァンズ。

名前からもわかる通りアメリカと日本の血が混ざった、ハーフ設定のキャラクターだ。

寡黙で無表情と余りハーフ感のない性格設定だなと思うけど、これは偏見だろうか。

筋骨隆々という四字熟語がこの上なく似合う、ガタイの良い人。

彼との恋愛を主軸にしたシナリオは盛り上がりには欠けるけれど心情の機微が刻明に描かれていて、主人公と心を通わす過程が誰より説得力に溢れていた。

彼は比較的癖のないキャラクターだと思うのだけどただ一つ、毒にも薬にもならない要素ではあるが、癖としか言い得ようのない特徴がある。

というのも神楽・エヴァンズは所謂オタクなのだ。

日本文化への興味が高じてジャパニーズコミック、ジャパニーズアニメにどハマりしたのだとゲーム内で彼が語っていた場面は何故かはっきり記憶に残っている。


三人目は高坂(こうさか)流亥(るい)

ツンデレ、と形容してしまうのが一番手っ取り早いキャラクターだ。

しかしそれはあくまで一見の印象にすぎない。彼を正確に評価するなら、警戒心が強く排他性が高いというべきだろう。身内には従順だが敵には容赦がない。

少々視野狭窄のきらいがあって、真面目実直な性格にもかかわらずトラブルメーカー気質でもある。

この視野狭窄の性質は勿論高坂流亥生来のものも大きいだろうけど、理由はきっとそれだけではない。

何を隠そう、高坂流亥は弱冠十八歳なのである。

この世界の現行法では未成年にあたる。

そんな彼が何故国家公務員たりえているのかというと、理由は単純で高坂流亥が帰国子女だからだ。

幼少期より欧米を転々としてグローバルかつ深淵な教養を身につけた彼は飛び級制度を利用し、さる高名な大学を齢十八にして卒業した。

天才と呼んでなんらの差し支えもない。

完璧すぎる経歴と未だ完全とは言い難い精神性のアンバランスさが彼の魅力だ。


四人目は間島(まじま)レイヤ。

公務員の肩書にも関わらず綺麗に染め上げられた金髪が目を引く、色々と派手なキャラクター。

軽佻浮薄、享楽的で刹那的な言動をする印象が強い。もっと有体に言うならチャラチャラした男性というイメージだ。

そんなイメージとは裏腹に複雑な家庭環境に悩んでいるという特徴もある。

というか寧ろ彼との関係性を築いていくシナリオでは、そちらの方がフィーチャーされているくらいだ。

高貴な家柄でも外国籍でもなく飛び級経験もない一般家庭出身の間島レイヤだからこそ、共感性の高いシナリオだった記憶がある。


最後、五人目は三保瑛人(みほえいと)

第八特務課において最年長、といっても三十代そこそこで大人の余裕と若々しさの良いとこどりをしたようなキャラクターだ。

捉え所のない性格で飄々とした雰囲気を纏っては主人公を翻弄していた。

実は彼、この作品随一の癖の強さを持つキャラなのである。

そんな三保瑛人の特徴というのが『血液マニア』というもの。

『血の特異性』なんてものが存在しているこの世界では当然のように血液研究も盛んだ。そんな中、三保瑛人は血液研究分野で博士号を取得し数多の研究で成果を上げているらしい。

高坂流亥とは別ベクトルで天才と言えるだろう。

その才能については両手を挙げて素晴らしいと言えるが、有り余る才能故か常人からすればどん引きレベルの奇行が彼には多々見られる。

その最たる例が特殊な傾向を持つ血と分かるなりすぐに血液採取を断行するという主人公との出会いイベントである。


そう、この『紅が繋ぐ運命』の主人公・高階由良は『血の特異性』を持っているのだ。

しかもその血は十万人に一人の確率でしか現れないと言われる『奇跡の血』。

高階由良は血の特殊性を買われ、ローレルにその身を請われたのである。


意外と憶えているものだな、と思った。

さっきも言ったが私がこのゲームを最後に遊んだのは一年も前なのである。

しかも私が死ぬまでの一年は嫌というほど長く感じる年だったのだ。

今ばかりは私の記憶力を褒めたい。

だって私はこれからそんな一癖も二癖もあるキャラクター達と仕事をしていかなきゃならないのだから。

なんの心構えもなく第八特務課に乗り込んでいたらきっと、課長に切った大見栄虚しく一週間もせず途方に暮れていただろう。


しかし、思いの外私の記憶が明瞭だからといって油断もできない。

原作のゲームには存在しないイレギュラーが発生する可能性も十分ある。というか、イレギュラーは既に発生しているとも言える。

イレギュラーなんてどこに?と訊かれれば、その答えは何を隠そう私自身だ。私というか、常盤めぐりというか。


そもそも『紅が繋ぐ運命』に常盤めぐりなんてキャラクターは存在していなかった。

第八特務課は先ほど名前を挙げた五人の攻略対象キャラクターと高階由良のみで構成されていて、他の職員がいたなんて話は聞いたことがない。

まあ私もこのゲームをとことん極め尽くしたと言えるほど遊んでもいなかったから、私の知識に漏れた部分でそんなキャラクターが居た可能性も否めないが。

しかしその可能性が限りなく低いこともまた事実。

だってこれは乙女ゲームなんだから主人公以外の女性がそんな美味しい立場にいるわけがない。

結局議論は振り出しに戻ってしまう。


常盤めぐりはなんなのか。常盤めぐりとはどういう人間なのか。

私以外に常盤めぐりを名乗れる人間はいなくて、私以外に常盤めぐりを生きられる人はいなくて、でも私が一番常盤めぐりのことを知りたかった。


前世の記憶を思い出したあの時、実は私の中の常盤めぐりの記憶がかなり色褪せてしまったのだ。

言語化するのが難しいのだけど、今の私は前世というこれまでの人生の更に過去の記憶を思い出したのではなく、今世の記憶に上乗せするような形で前世を思い出してしまった。

もう少し言葉を尽くすなら、自分が常盤めぐりとして生きていた時の記憶がいきなり三十年ほども昔の記憶になってしまったのだ。

前世の私の享年が大体三十歳だったので、その分常盤めぐりの記憶が後退してしまった。


これはゲームをプレイしたのが一年前とか、そんなものの比じゃなかった。

普通に生きていたって三十年も経てば人は別人と言っても良いくらいに変化する。

本人が望む望まないとに関わらず、身体、交友、責任、人間を取り巻く環境は刻一刻と変化していく。それに合わせて精神性が変化するのは自然の摂理で、誰に止められるというものでもない。

常盤めぐりと私は前世今世の関係があるにしても、生まれ育った環境も生来持ち得る能力も驚くべきほどの隔絶がある。

そんな相手を自分だと思えなんて酷な話だ。


それでもまだ、私の中の常盤めぐり成分とでもいうべきものは生きている。

彼女は家族をとても大切にしていたから、今の私もそんな常盤めぐりの家族のために頑張ろうと自然と思うことができている。

常盤めぐりの家族は前世の私にとっては他人だったけど、そんなことが気にならないくらい家族を大切にしようと思える。

私はなんとなく、良かったと思った。

なんでかはわからないけど、私が常盤めぐりの家族を大切にしようと思えていて良かった。


でも、逆に言えばそれ以外のことは殆ど常盤めぐりの手を離れて私の感性に委ねられてしまっている。

それは多分、良くないことだ。

本当ならこの身体も、そこに宿る心も、全部全部常盤めぐりのものなのに。

彼女はまだ二十三で、これからもっとたくさんの幸せを知っていくはずだったのに。

それを私が乗っ取ってしまっている。

しかも彼女は望んでそれらを手放したわけではない。自分から放棄したわけじゃない。


だからこそ、私は常盤めぐりの意志を踏み躙ることなんてできない。

前世を思い出す少し前、彼女は決意していた。

もう一度ここから頑張ろうと。

それなら私のすべきことはもう決まっていた。

私は常盤めぐりのために第八特務課で頑張って、名を揚げるのだ。彼女がいつか戻ってきた時に彼女の望みを叶えられるように。


私はスーツの胸ポケットから少し寄れた便箋を取り出す。


『高階由良を探してください』


この手紙の送り主は一体誰なのだろう。

高階由良本人?それとも全く別の人?

しかしそれも、一週間後第八特務課に行って本人に尋ねれば済むことだ。


私はその便箋を額に軽く押し付けた。


その手紙の文字、香りはなんだか不思議と私を安心させてくれる。

おかしな話だとは思う。

だって、この手紙さえなければ私が今悩んでいることの大半なんて生まれるはずはなかったんだから。




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