一章 27
「かはっ……!うえっ……ごほっ……」
「片付けるの面倒だから吐くんじゃねえぞ」
見知らぬ男たちの手によって車に放り込まれた私は、今まで猿轡よろしく口に詰められていたものを無理やりに外された。
酸素が一気に流入してきて咽せ返る。
メタリックシルバーのインプレッサのリアシート、私はその真ん中で手足を拘束されていた。
両脇には私を連れ去った男たち。運転席と助手席には別の男二人が乗っていた。
車が発進して十分程度といったところだろう。
車窓から見える景色から考えるに南に下っているようだ。
私は乱れた呼吸を整える。
「貴方たちは誰ですか。何が目的なんですか。どこに連れて行くつもりですか。どうやって私が『奇跡の血』であると___んぐっ」
「うるせえ。黙れ。こっちの厚意で口使えるようにしてやってんのがわかんねえのか。もう一回猿轡かまされてえか?あ?」
お喋り男は右手で私の口元を押さえつけた。その勢いでシートに押し付けられる。
私は慌てて頭を左右に揺らした。声を出せなくなるのは避けたかったから。
今の状況には把握できていない点が多すぎる。
この男と話をしてなるべく情報を集めないと思った。
私の返答に気が済んだのか、男は私から手を離した。
「まあ良い。どうせこれからよろしくする間柄なんだから楽しくいこうぜ、常盤めぐり?」
「それは……どういう……」
「お前、自分がなんで俺らみたいなのに捕まってるかわかってる?」
「それは私が『奇跡の血』だからでは……」
「そうだな。しかもお前のはちょっと特殊な『奇跡の血』だ。それをさるお方が熱心に欲しがっておいででな。血のために態々こんなことしたんだ。すぐには殺しゃしねえよ」
やっぱり上に指示役がいるのか。
まあそうだろうなとは思う。
こんな男にローレルの情報を集めるだけの能力があるとは考え難い。
その上役は誰なのか、聞き出せるなら聞き出しておきたい。
でも、この男は少しでも怪しい動きをしようものなら容赦無く暴力に訴える凶暴性がある。
下手に刺激しては逆効果だ。
「案外あっさり手に入ったな。まあ絶好の状況だったから当たり前かもしれんが。高坂の跡継ぎじゃお前を守るなんて到底できっこないもんな」
男はニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら私の瞳を覗き込む。
明らかにこちらの不快感を煽るようなセリフだった。
「高坂さんのことを悪く言うのはやめてください。高坂さんは……みんなはきっと私を助けに来てくれるはずです」
「へえ、なんだ。結構仲良いんだな。異動したばかりみたいな話じゃなかったか?」
この男、本当にどこまで知っているんだ。
何故ローレルの内情にまで通じているのか。
「なんともまあ儚い友情ごっこだったな。同情してやるよ。可哀想に」
私はキッと男を睨む。
余り感情を昂らせすぎるのは相手の思う壺だろうが、ここまで侮辱されて怒りを覚えないのは第八特務課に対して失礼だと思った。
私の視線を受けた男はにやけを更に深める。
こんな男とはもう一秒だって一緒に居たくない。早く特務課に帰りたい。
そう思って私ははたと違和感に気付く。
私は特務課に『帰りたい』の?どうして?
それは、でも、冷静に考えたら当たり前なんじゃないか?
だって私は今、常盤めぐりなんだから。
常盤めぐりの身体を間借りしているだけの存在なんだから、私の勝手な行動で常盤めぐりの未来を潰してしまうわけにはいかない。
常盤めぐりが戻ってくるかどうかなんて定かじゃないけど、確実にこの身体は私だけのものじゃない。
でも、私が特務課に『帰りたい』と思った時、そこにそんな思考はちゃんと働いていたの?
お喋り男のポケットから電話の着信ベルが鳴った。
けたたましいその音は私の思考の邪魔をする。
うるさい。手を縛られていて耳を塞げないのが不快でならない。
常盤めぐりのことを、私は忘れていたのか?
そんな訳ない、と言いたかった。でも、きっと私はそう言えない。
だって私は確実に、この男たちに連れ去られる間、常盤めぐりのことなんて考えていなかったじゃないか。
ほんの一瞬だって思い出しはしなかったじゃないか。
私だけは忘れちゃいけないのに。絶対に、忘れてはいけなかったのに。
私は常盤めぐりだ。常盤めぐりの人生を預かっている。だったら私は常盤めぐりのために生きねばならない筈だった。
「てめえ死ねよ!」
「ぐあっ……がはっ……いづっ……」
私はいきなりお喋り男に腹を蹴られた。
なんでだ。良くわからない。
でも男の表情は怒りに満ち溢れていて、その原因を冷静に問いただせるような状況ではなさそうだった。
懇切丁寧にシートベルトなんてしているわけもなく、足蹴にされた勢いそのまま私は座席から転がり落ちそうになった。
しかしおしゃべり男と反対側の寡黙な男が私の身体を支える。
一瞬助けてくれた?と思ったけど、そんなわけもなくその男は私の首を腕で固めてお喋り男が思う存分怒りを発散できるように状況を整えただけだった。
腹に追加で何発か蹴りを入れられ、ついでに顔もグーパンで殴られた。
痛い、痛すぎる。
正直、痛いとかそんな言葉じゃ今の私の感じる苦痛なんて表現しきれていないけど、痛みに思考が奪われてそれ以外の言葉が出てこない。
目の前のお喋り男ははあはあと肩で息をしていた。
幾分か怒りは収まったようだが、それでも私を見据える瞳に宿るのは殺意に近いものだった。
「うえっ……がっ……んぐあっ……」
「てめえ、なんか細工しやがったな?あれか、てめえが暴れた時のやつか。ふざけんなよ!」
髪を掴まれて、シートに頭を打ち付けられる。
シートはまだ柔らかいから良い。大した衝撃じゃない。
でも、そうまで頭を振り回されてはまともな思考なんてできないじゃないか。
でも一つわかったのは、私の仕掛けにちゃんと高坂流亥が気付いてくれたのだということだった。
やっぱり、彼なら気付いてくれると思った。
良かった。ちゃんと私の考えは上手くいっている。
大方ローレルの車両が追いかけてきている、とでもいうような連絡が入ったのだろう。
ざまあみろだ。散々殴る蹴るしてくれたけど、お前たちの目論見がそう易々と上手くいくほど世の中甘くないんだ。
内心ざまあみろとしか思えなかったけど、それを表に出すと更に傷が増えそうだったのでなるべく無の表情を保つよう心掛ける。
……だって、常盤めぐりの身体がこれ以上傷付いちゃダメでしょう?
「死ね。死ねよ。俺らをコケにしやがって……!クソッ……!上の命令がなきゃすぐ殺してやるのに……!」
駄目だ。こいつ、まともに話せるようになるのに時間がかかる気がする。
表情からしてまともじゃないもの。目が血走って青筋が浮いている。
色々と聞きたいことがあるのに。無理やり聞き出すのが早いかな。でも、答えてくれるか?下手に喋るとまた殴られそうだし……
「……板倉さん、プラン変更しますか」
そう言葉を発したのは運転席に座る男だった。
多分お喋り男に向かって言ったのだと思うけど、こいつ板倉さんっていうのね。覚えておこう。
何かしらの手掛かりになるかもしれない。
「ああ……そうだな、海の方行け。あいつらにも海に向かうよう言っとけよ。どうせやり合うことになる。四人だそうだから、全部持ってこいよ。手を抜ける相手じゃない」
「了解です」
海、あいつら、四人、全部……。
駄目だ。余りに情報が希薄すぎる。具体的なものが何一つとしてない。
やはりもっとこいつと話をしないと。
今の会話でかなり冷静さを取り戻したようだし、絶好のチャンスだ。
そう思って私がお喋り男、もとい板倉の方を見ると彼もまた私をじっと見つめていた。
その瞳の冷たいことと言ったらない。
私をモノとしてしか見ていない、そんな目だ。
板倉は私の顎を掴んで自分の方へと近付ける。
「ったく、お前のせいでしっちゃかめっちゃかだよ。めんどくせえことしてくれたな。……なあ、お前、助かった気でいるんじゃねえだろうな?もしそうなんだったら笑ってやるよ。俺らがこういう状況を想定してない訳がないだろ?俺らは絶対にてめえを手に入れる。第八特務課に勝つ算段もある。今回は上も本気らしいからな」
「上……貴方たちの言う上って誰のことですか。どうやってそこまで詳細なローレルの情報を手に入れているんですか」
板倉の顔からすっと表情が消えた。
これはまずかったか。不機嫌になる前に訊いておこうと思ったが、もうちょっとクッションを挟むべきだったかも。
私は謝罪をしておこうと思って口を開く。
しかしそれに先制したのは板倉の方だった。
「お前も薄々気付いてんじゃねえの?俺たちの上に誰がいるかなんてのは」
「え…………」
そんなことを言われるとは予想していなかった。
しかも、別に心当たりなんてない。
でも、確かに彼らの持っている情報は限られた人間しか知り得ないものではある。
それらの情報を知っていて、かつ私の血を欲しがっている。そしてローレルに反抗する存在。
……ああ、確かに、ぴったりな特徴を持った人物を私は知っているじゃないか。
なんで今まで思い浮かばなかったんだろうというくらいに、ぴったりな人が居たじゃないか。
「…………高階由良」
「お、ご名答。流石キャリアのエリートさんだな」
高階由良、なのか。こんなことをしているのは。
でも、そう考えると全ての辻褄が合うのだ。
彼女は元々ローレルの職員で、今は退職しているとは言え第八特務課の面々とも繋がりがある。
ローレルの詳細な情報を掴んでいても全くおかしくない立場だ。
そして彼女は私の血を異様なまでに欲している。自分も同じ『奇跡の血』だろうに何故あそこまで執着するのかはわからないが、私の血はちょっと特殊な要素があるのでそれが狙いかもしれない。
そして何より、彼女はローレルを目の敵にしている。
『ローレルを潰すわ』というあの台詞。
あそこまで過激な台詞を口にするということは相当強い意志があるのだろう。こんな大胆な行動に出るのも頷ける。
冷静に考えれば高階由良が指示を出したということにさしたる疑問はない。
だけれども、私には何故という気持ちも確かにある。
だって、高階由良は主人公だから。
彼女はこの世界に最も愛された存在である筈だから。
彼女はローレルの第八特務課で運命の恋をすべき人だから。
だから、そんな彼女がなんでローレルをと思ってしまうのだ。
「恨むんなら自分の血を恨めよ。お前がそんな血じゃなきゃ俺たちだって手は出してない」
「板倉さん、到着しました」
「よし、こいつにもっかい猿轡噛ませとけ。岡たちは来てるか?」
「いえ、あと五分ほどかかるらしいです」
男たちの会話を聞きながら、私は高階由良のことを考え続けていた。