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一章 26



「……これで全員です」

「了解、ご苦労様。……それで、高坂。何があったんだ」


神楽・エヴァンズの手でハイエースバンのバックドアが閉められたのを確認して、水瀬燈真は助手席に顔を向ける。

そこには唇を噛み締めて悔しそうな表情をした高坂流亥がいた。


岸根会とサイバーユビキタスコンサルティングの談合現場を制圧したのがつい十数分前で、今はその参加者たちを捕縛し車の乗せ終えたところ。

本来なら作戦の円滑な遂行に心中快哉に満ち溢れていてもおかしくない時分である。

しかし、そう素直に喜びを示すには今の状況は確実に欠けているものがあった。


「常盤さんが……攫われました」


高坂流亥の口から紡がれたのは十数分前と変わらない報告。


実働班及び三保瑛人が岸根会事務所でくんずほぐれつ、というには余りに一方的に相手方を無力化していく中で高坂流亥から今と同じような報告がなされた。

しかし作戦を中断するわけにもいかず、一旦は任務の遂行に全力を注ぎ一段落してからの今というわけだ。


「どういう状況だった?」

「ビルに向かおうと車を降りた瞬間に二人組の男が常盤さんを……。相手は『血の特異性』を使っていましたので容易に動くわけにもいかなくて……すみません」

「攫った人間は?」

「素性は良く分かりません。でも、常盤さんが『奇跡の血』であることを知っていました。彼女の『奇跡の血』を欲しているのだとも言っていましたが……」

「連れ去られた先に心当たりは?」

「心当たりは正直ないですが……。実は、少し手掛かりになるかもしれないものがあって」


そう言って高坂流亥は手に持ったウエストポーチから一本の試験管を取り出した。

彼の腰には未だ黒色のウエストポーチが巻かれている。

だから、手に持ったそれは彼のものではない。


高坂流亥の差し出した試験管、そこには一匹の虫がちょこんと居座っていた。


「……虫?」

「これ、コガネムシじゃないすか?」

「サラザールか!!!」


バンのリアシートに腰掛けていた三者が三様に声を上げる。


神楽・エヴァンズと間島レイヤがその奇妙な存在に首を傾げる中、三保瑛人だけはなるほどと唸っていた。


「常盤さんが男たちに抵抗したので、男たちはこれをウエストポーチごと置いていきました。下手に『血の特異性』を使われるのは不都合でしょうから。あの常盤さんの抵抗は失敗したものと思っていたんですが、もしかしたらこれを残すために態々……。三保さん、これに心当たりが?」

「心当たり?ありまくりに決まってんだろ。それ、サラザールの血だよ。知ってるか?ブラジルの希少系統。動物を使役することのできる『血の特異性』だ!サラザールはもう他国輸出禁止だからなあ。良かった〜、十年前に買っといて!」

「……三保さん」


はしゃいだような声色の三保瑛人。彼の表情は声色の通りに明るい。

しかし、それと対照的に水瀬燈真の声色は地を這うほどに暗くて重い。

彼はバックミラー越しに三保瑛人を睨み据えた。


「三保さん、まさかとは思いますがサラザールの血を勝手に常盤さんに……?」

「ん、んー?いや、まあ常盤は一つの『血の特異性』に高い適性があるってタイプじゃないから、色々使えた方が安心だろ?常盤も不安そうだったし、初めての出動だし?安全策だよ、安全策。なあ?」

「三保さん」


水瀬燈真は満面に笑みを浮かべて三保瑛人を振り返った。

その笑顔は表面上とても人当たりの良い柔らかなものだったけれど、うちに秘めるものが全く隠し切れていない。


「今更あなたの血液蒐集癖についてどうこう言うつもりはないですよ。僕にとってはどうでも良いことですから。でも、血液の個人的な譲渡は違法です。良いですか?法に抵触してますからね。これ、僕が上に報告しなければいけないんですけど三保さんはどのように責任を取るおつもりで?」


水瀬燈真の言葉の通り、血液の個人的な譲渡は立派な違法行為である。

今回の場合、三保瑛人が個人的に所有している『血の特異性』をローレルに届け出ることなく常磐めぐりに譲渡したのだから言い逃れができない。


三保瑛人の隣に腰掛けていた間島レイヤが肩を竦めて距離を取った。

面倒ごとには関わりたくないとでも言いたげな様子だ。


「……あれ、大学の方に所有移しといたし」

「それでも用途変更の申請がないでしょう」

「いやあ?研究室の方じゃなくてあくまで大学に、だから用途は固まってないと言うか……」

「そもそもそんな用途のはっきりしない血が大学の所有になっている時点でおかしいんですよ。真っ黒が限りなく黒に近いグレーになったくらいですから、今の言い訳は」

「グレーなら良いじゃん」

「良くないですよ。……はあ、全く。余計なことを……」

「余計ってことはないだろ。これで常盤がどこにいるかわかるんだからさ」


三保瑛人は全く悪びれない様子で、寧ろ堂々と自分のしたことを誇ってみせた。


水瀬燈真は笑顔を崩して彼を睨め付ける。

元々アウトローの気がある人だなとは思っていたが本当にやるとは、と水瀬燈真は心の中で恨み節を吐き出した。


「三保さん、これがあれば常盤さんの居場所がわかるんですか?」

「おお、よくぞ聞いてくれたな高坂!その通り、サラザールの血があれば常盤の居場所はいとも簡単に特定することができる!ちょっとそれ、貸してみろ」


三保瑛人は高坂流亥からコガネムシの入った試験管を受け取る。

地面に垂直に持ち上げられていたそれを水平方向に倒した。

そしてその先端の向く方向を東西南北にゆっくりぐるりと回す。


「サラザールの血で生み出された動物は何の指示も出ていない時、使用者の後をつけ回すっていう性質がある。その動物がシャチだろうとミジンコだろうと関係ない。こいつらは使用者の命令しか受け付けないから近くにいないと意味ないんだろうな。で、常盤はその性質を知っていた」

「それって……つまり……」


三保瑛人がある方角で試験管をぴたりと止めた。

ガラスの中のコガネムシは先端が向く方にとてとてと歩みを進める。


「つまり、このコガネムシが進む方向と同じ方角に常盤もいるってわけだ。自分の居場所を報せるために常盤が残してったってことだろうな。あいつ意外とやるなあ。これなら試験管開けなくても良いし」


全長ニセンチあるかないかのコガネムシは、外界から守られた試験管の中で悠々と主人探しに邁進していた。


高坂流亥は試験管の中の虫をじっと見つめる。

常盤めぐりの最後の微笑み。あれは自分を慰めるためのものだ、と高坂流亥は思っていた。

無力さに打ちひしがれる自分を慰めるためのものだと。あんな状況にもかかわらず、自分は常盤めぐりに気を遣わせてしまったのだと。

実際、あそこに居たのが水瀬燈真や間島レイヤ、神楽・エヴァンズであれば常盤めぐりは攫われずに済んだ可能性が高い。

でも、今はそんなことを気にしている場合じゃなかった。

彼女の残した手掛かり。連れ去られる前の彼女の笑み。

彼女は全力を尽くした。やれるだけのことをやった。

それに自分が応えないでどうするというのか。

そう思って高坂流亥は顔を上げ、三保瑛人を真っ直ぐに見つめた。


「今すぐ追いかけましょう、常盤さんを。早い方が良い。遅くなれば何をされるか分からないです」

「そうだな。早いに越したことはない。よし、高坂。俺は向こうの……」

「ちょ、ちょっと待ってください。まだ作戦は終わったわけじゃないんですよ。こいつらを赤薔会に連れて行かないと」


どんどんと話を進めようとする高坂流亥と三保瑛人に水瀬燈真は待ったをかける。


ハイエースバンの荷室に転がる十人超の捕縛者たち。

もちろん今回の作戦はこれらの人間を捕らえるだけが目的ではなく、相応の機関に引き渡さなければならない。

被疑者の収容と事情聴取はローレルの外部で行われるのだから。

作戦は八割方終了しているものの、まだ完遂したというわけではないのだ。


「そりゃそうだな。でも、赤薔会に行くのは別に全員じゃなくたって良いだろ?どうせもう捕縛は済んでるんだから。それにこの人数だったら詰め込めば一台で行けるだろ。……よし、神楽か間島か、どっちか一緒に来い。俺らだけじゃ流石に火力が足りん」

「勝手に話を進めないでください。確かに後は赤薔会に行くだけですが、これは出動なんですよ?本部から直接指令の出ている作戦なんですよ?最後の最後で詰めを甘くして万が一が起こったら……」

「そうだな。燈真の言ってることは大体正しいし、お前はそう言わなきゃならん立場だ。でも、俺には立場なんてない。あるとしても、その立場は常盤の同僚とか仲間とかそんなもんだけだ。その立場に立った時、今常盤を追いかけずに赤薔会に行くという選択肢を選ぶことが正しい判断だとは思えない」


三保瑛人は毅然とそう言い放った。

水瀬燈真はそれを聞いて苦々しく眉を顰める。


正しさと義理人情。それらが両立する時なんて世の中に大して存在していない。

大抵は二つがぶつかり合って中途半端に空中分解するだけだ。

だから、彼らは選ばなければならない。どちらを取るかを、選ばなければならない。


「……俺は、めぐりを追いかけます」


車中に落ちる沈黙を破ったのは神楽・エヴァンズだった。

彼はしっかりと水瀬燈真を見据えてそう言い切った。


「え、神楽がそっち行くの?良いなあ、俺も行きたかった~」

「別に間島も来れば良いだろ。あっちは燈真だけで十分だって」

「良いんすか?やった。やっぱ常盤さん心配ですもんね~」

「お前は赤薔会行きたくないってのも大きいだろ」

「あ、バレました?」


間島レイヤが軽い雰囲気でそれに続く。

二人の言葉を聞いた水瀬燈真ははあ、と溜息を吐いてかぶりを振った。


「……僕、一人ですか……」

「燈真ならいけるだろ」

「そうですよ~。水瀬さんならなんか起こってもちょちょいのちょいですって」

「ちょちょいのちょいって何ですか?」

「え、流亥知らないの?もしかして死語?うわ、ジェネレーションギャップ……」

「……俺は知ってますよ」

「神楽……!そうだよね~、まだまだ使うよね〜」

「いや、俺はアニメで聞いただけですけど……」


裏切りだ!という間島レイヤの絶叫を遠くで拾いつつ、水瀬燈真は考える。


確かに今回の捕縛者はそこまで多くないから、無理をすれば一台に全員乗せられるだろう。

自分は京橋にある赤薔会に赴いて、他はもう一台の空いた車で常盤めぐりの捜索。赤薔会への引き渡しを終えた後に合流。

もうこの常盤めぐりを追いかけるという雰囲気は変えようがないだろうと思われた。

仕方ない、と水瀬燈真は小さく独りごちる。


「分かりました。捕縛者はこっちの車に全員移してください。状況は逐一報告すること。あとは、無闇に『血の特異性』を街中で使わないでください。良いですね?」

「了解了解。燈真、赤薔会行ったらすぐこっち来いよ。どっかで油売ってんじゃねえぞ」

「わかってますよ。……僕だって常盤さんのことは心配です」


そう言って水瀬燈真はハンドルの縁をなぞる。

ウレタンのステアリングは引っ掛かりがなくて、爪弾くと虚ろな音を立てた。



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