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一章 24



私はくは、と息を吐いた。気管支が最大限に開かれて空気が漏れる。

欠伸というのはどういう原理で起こっているんだろう、と結構頻繁に思うのだけどいまだに一度も調べたことがない。

人体というのは謎だ。人間は己の身体のことなんて、きっとほんの数割も理解していない。


だって私は自分が『奇跡の血』だなんて全く思っていなかった。

この身体にそんな特別な血が流れていると、想像したことすらなかった。

常盤めぐりは『紅が繋ぐ運命』の登場人物ですらないのに、そんな彼女に『奇跡の血』が流れている?そんなの、あり得るのだろうか。


『私』がいるから、だろうか。

前世なのかなんなのかすらよくわからない『私』がいるから、常盤めぐりはこんな風になってしまったのだろうか。

それならやっぱり私は___


なんて、益体のないことを考えているのは私がエレベーターを待っているからである。

エレベーターの待ち時間というのは手持ち無沙汰の権化と言っても良い。

何かを成し遂げるには余りに短い時間だけれど、何もしないでいるには長すぎる。


などと思っていると目の前のエレベーターがポンと電子音を鳴らした。その後にすーっと扉が開く。

ケージと言えば良いのかゴンドラと言えば良いのか、とにかく内部に乗り込んだ私は五階のボタンを押した。

私の後にも数人が乗り込んできたので、私は鞄を抱き込んでなるべく身を縮こまらせる。


今日はちょっと早めの出勤である。

本当にほんの少しだけなのだけど、私は意識して早めに家を出た。

仕事が溜まっているとか、誰かに呼び出されているとかではない。

ただ、私は仕事が楽しみだったのだ。ここでの仕事が、楽しみだった。

早く特務課に行きたいと、そう思った。だから早めに家を出た。

おかしいな、と私は思った。だってそうでしょう?仕事なんて往々にして辛いものなはずじゃない。

辛くて、面倒で、煩わしくて、理不尽で、つまらない。そんなものなはずじゃない。

仕事をしないで生きていけるなら喜び勇んで放り出すような代物でしょう?それを楽しいだなんて。

珍しいこともあるものだな、と思う。まあでも、悪いことじゃない。

最低八時間労働は義務だ。

一日の三分の一を楽しく過ごせるならそれに越したことはないじゃないか。

楽しい、ね。楽しいなんて、そんな風に思うのは___


エレベーターが再びポンと鳴った。五階についたのだ。

私はエレベーターの箱を降りて、廊下を進む。


ローレルは鉄筋コンクリート造りの無機質な建造物である。

殆ど豆腐に近い形をしたそれは決して新しい建物じゃない。全館空調なんていうハイテクな機能が付いているわけもなく、廊下は夏の暑さをこれでもかと充満させていた。


第八特務課のオフィスの前に着いた私はドアノブを回して扉を開ける。


「あ、お、おはよう!!」

「……おはよう、めぐり」

「あ、おはようございます」


オフィスの中に居たのは高坂流亥と神楽・エヴァンズであった。

誰かは居るだろうなと思っていたが、この組み合わせは予想していなかった。

神楽・エヴァンズは確かに毎日早い時間に出勤している印象があるが、高坂流亥は始業の十五分前着席がお決まりだから。

私はそれを密かに時報と呼んでいたくらいなのに。


「お二人とも、早いですね。私も今日は早くに家を出たつもりだったんですが」


私は雑談の口火を切りつつ後ろ手で扉を閉める。


どうも、二人はそわそわしていた。

というか、なんだか見るからに様子がおかしい。

高坂流亥に至っては上半身を覆い尽くすくらい大きな袋を持っているし。

なんなんだ……?


「常盤さんを待っていたんですよ!」

「え?私をですか?」

「そうです。さ、こっちに来てください」


そう言って高坂流亥は私を入り口脇の謎スペースへと誘った。

もちろん神楽・エヴァンズもそれについてくる。


え???本当になに???


私が頭に疑問符ばかりを浮かべていると、高坂流亥は肩に引っ提げた袋からものを取り出していく。

次から次へと出てくるそれを一つずつ述べるなら、囲碁、将棋、チェス、バックギャモン、オセロ、トランプ、タロット、花札、百人一首、UNO。

総称して言うならテーブルゲームの類であった。


え???


「今日は常盤さんと遊ぼうと思って、色々持ってきたんです!どれがやりたいですか?常盤さんの好きなものを選んでください!」


高坂流亥が屈託のない良い笑顔で笑った。


あー……なるほど?

もしかしてこれは昨日の友達発言の続きということか?


私と高坂流亥は何故だか昨日友達になった。そこに実が伴っているかは置いておいて、とにかく名前だけは友達になったのだ。

私と彼は友達。友達とは一緒に遊ぶもの。じゃあゲームを持っていこう!

という思考の流れなんじゃないだろうか。

もしかして高坂流亥は馬鹿なのかもしれない。


「この前常盤さんが水瀬さんたちと麻雀に行ったと聞いて、羨ましいなと思いまして!」

「ああ、麻雀ですか」


なるほどね。それもあるのか。

まあ確かにちょうどこの二人は居なかったもんな。

そう考えると良いバランスなのかも。


「わかりました。そうですね、私もゲームするのは好きですよ。でも、三人でできるってなると限られますよね。ボードゲーム系は殆ど二人用ですし……」

「別に二人用でなんの問題もないのでは?」

「え?」

「え?」


高坂流亥があっけらかんとそう言ったので私は間抜けな声を出してしまった。


いや、ここには私と高坂流亥とそれから神楽・エヴァンズもいるんだから三人でしょ。

もしかして神楽・エヴァンズは私の幻覚だったの?


そう思って私が脇に立つ神楽・エヴァンズに目を向けると、彼は少し肩を竦めた。


「……流亥は観戦するだけで良いらしい。俺とめぐり、二人でできるやつにしよう」

「いや、これは僕が常盤さんと遊ぶために持ってきたんだよ。そもそも神楽は呼んでない」

「俺はいつも通りに来ただけだ。でもせっかく三人いるなら一緒に遊んだら良いだろ」

「えー……」


この二人はなんで小競り合いをしてるんだ……。

二人ってそういう仲なの?


高坂流亥と神楽・エヴァンズ。

二人の関係性ってよくわからない。

そうまで頻繁に喋っている印象もないけど、決して仲が悪そうというわけでもない。

と、今までは思っていたのだが。


「えっと……お二人で一緒に待っていたわけではないんですね。私はてっきりお二人とも待っていてくださったのかなーと」

「まさか!違いますよ。神楽が居るのは偶々です。寧ろ邪魔なくらいです」

「だから、俺はいつもこの時間に来てるんだ。邪魔なんて言われる筋合いはない」


そりゃそうだ。


え、この感じからすると二人は仲が悪いんだろうか。

別に仕事だと普通だと思うんだけど。

まあプライベートは仕事に持ち込むべきじゃないか。


「えーっと……お二人は仲が悪……じゃない。意外とあけすけな関係なんですね……?」

「ああ……いや、違いますよ。神楽と僕は別に仲が悪いってわけじゃないです。すみません、誤解を招く態度でしたね」


え、仲悪いわけじゃないんだ。今ので。

よくわからん……。


「そうだな。俺と流亥は仲が悪いわけじゃない。ただ、ライバルなんだ」

「ら、ライバル???」

「そう、ライバル」

「な、なんの?何で競ってるの?」


ライバルって、なにそれ。本当によくわからない。


そう思って、私が素直な疑問を口にすると二人は少し困ったような顔をした。


「何で競ってる、か……」

「難しい質問ですね……。強いて言うなら、人間としての魅力、とかですかね……」

「はあ……」


何言ってんだ。


まあ良いや。正直ちゃんと話を聞いても二人の真の関係性を理解するのは無理そうだし。

面倒臭いことは考えないで、楽しいことをしよう。


「それで、ゲームやるんですよね?まあ三人ならトランプかUNOか花札くらいしかできないですけど」

「いや、だから神楽は……」

「良いじゃないですか。三人でやりましょうよ。そっちの方が楽しいですよ」

「そ、それは……」

「ほら、流亥。めぐりもこう言ってるし、一緒にやろう」


高坂流亥は大いに渋い顔をしつつ、それでも最後にはうんと頷いた。


まあ遊ぶ時は人数多い方が楽しいからね。

それに特務課のオフィスは狭い。ここで神楽・エヴァンズだけ仲間外れじゃ、気まずすぎてゲームどころじゃないだろう。


「トランプかUNOか花札か、どれがやりたいですか?」

「俺、大富豪やりたい」

「ああ、大富豪か。良いね。高坂さんは大富豪、どうですか?」

「まあ、常盤さんが良いなら」

「じゃあ大富豪やりましょう!」


大富豪はお手軽に盛り上がれて良いよね。

ルールもわかりやすいし、いくら人数が増えてもできるし、運と実力の塩梅がちょうど良い。


今回は革命、八切り、スペ三、禁止上がり有りの分かりやすいオーソドックスなルールでやることになった。


で、始まってみるとこれがまあ楽しい。

大富豪なんて久し振りにやった。

それこそ大学生以来___この場合は前世の私が大学生の時以来ってことだが、かなりご無沙汰だった。


まあ大富豪は二人じゃやらないからな。

前世の私は友達が多いタイプじゃなかったから、遊ぶのは専らただ一人の親友とだけだった。

『紅が繋ぐ運命』もその親友と一緒に遊んだのだ。

結婚を間近に控えた親友と昇進を間近に控えた私は、きっとこの先会える時間が減るだろうと、だからその前にぱーっと遊び明かそうと、そう決めたのだ。

そこで選ぶのが乙女ゲームというのは、親友らしいといえばらしい。

彼女は対戦形式のゲームを非常に苦手としていたから。


とても楽しい思い出だ。

だから、そんな思い出を作ってくれた『紅が繋ぐ運命』というゲームには感謝している。

私にとって『紅が繋ぐ運命』は本当に大事な、親友との思い出が詰まったゲームなのだ。


流石に、まさかその世界へ転生してしまうとは思っていなかったけど。

しかもそんなゲームのキャラクターと喋っているなんて、現実とは思えない。


現実とは思えない。だけど、これはどうしようもなく現実だ。

だって私はここでちゃんと生きている。

呼吸をして、拍動を感じて、循環しながら生きている。

それは絶対、間違ってなんていない。


「ふっ……。俺の勝ちだな」

「あそこで革命されたのは痛かったな……。あれがなければ僕が勝ってたのに」

「わ、私三連敗なんですけど……」


麻雀の時同様、私はぼろ負けだった。三連続大貧民だった。

なんでだよ……。

麻雀といい大富豪といい、私は引きが絶望的に悪いんだよなあ……。

運要素のあるゲームは弱いのかもしれない。


「めぐりは……うん、弱かったな」

「そんなにはっきり言わないでよ……」

「常盤さんは……」


高坂流亥は顎に手を添えて、少し伏目がちに言葉を連ねる。


「確かに引きが悪いのはありますが、最初のうちから勝負を仕掛けすぎるきらいがありますね。相手に手札が揃っている状態であればカウンターを受けやすい。自分が最初に手札を出せる序盤に勝負をかけたい気持ちはわかるんですが、ジョーカーの所在がわかっていない段階での賭けは勝率が低い。どのカードが既に切られているか、それがある程度分析できるようになってから強い札を出すのでも遅くないですよ。あと、常盤さんは八切りの存在を忘れがちで___あ」


高坂流亥はしまった、という顔をした。


いや、そんな顔しなくても。


「すみません。余計なことを言いました」

「いえ、余計なことなんてなーんにも聞こえませんでしたよ。勝負ごとは勝とうとしないと楽しくないですから」

「そう……ですかね」

「そうですよ!」


高坂流亥は微妙な表情をして少し俯いた。


真面目か、と私は内心で突っ込んだ。

そんな、いちいち自分の発言の是非を気にしていては苦しいだけだよ。

そりゃ思い遣りがあるっていうのは素敵なことだけど、それで自分が苦しむんじゃなんの意味もない。


でも、確かに高坂流亥ならそういうことで悩みそうだと思った。

だってゲームの中でも、彼はそういう人だった。

でも、彼はそれだけの人じゃないと、そういうところも知っているじゃないか。

いきなり友達になれと言ってきたり、職場に大量のテーブルゲームを持ってきたり。


ゲームとは違う。ゲームと同じ。それが混在する世界。

どちらの側面が正しいのだろう。

私は彼らをどう見るべきなのだろう。


「流亥が一言多いのはいつものことだ。気にするな」

「なっ……多くない!偶にはそういうこともあるけど……それはレアケースだから!」

「流亥、過ぎたるは及ばざるが如しだぞ」

「もしかして僕、馬鹿にされてる?」


神楽・エヴァンズが余りにあっさり言ったので私はちょっとびっくりしてしまった。

二人がライバル、という説明はよくわからなかったけど、今ので少し関係性が見えた心地がした。


「そうですね、高坂さん。中庸が一番なんですよ。孔子もそう言ってます」

「常盤さんまでですか!?」


今日は早く仕事に来て正解だったなと、そう思った。




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