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一章 22



高坂流亥に付いて行った先にあったのはローレルー階の資料保管庫だった。

総務課時代はよくここに訪れていた常盤めぐりだったが、最近は足が遠のいている。

まあ、総務課はね。新しいことを考えるより前例に従って恙なく『血の特異性』を利用するための部署だから。


資料保管庫に着いて後、高坂流亥は私に幾つかの映像資料を取り出すよう指示した。彼は彼でまた別の音響資料を探すようだった。


映像、音響資料は保管庫の奥まったところに集められていて紙の資料に比べるとその数は格段に少ない。

それでも一列分の棚はそれで占拠されていたので、確かに目的の資料全てを一人で探し出すのは骨が折れるだろうと思った。


私と高坂流亥は三メートルほど離れてお互い棚に向き合っていた。私は背丈が足りないので脚立を運んでそれに乗っている。

プラスチックのぶつかり合う軽い音だけが空ろに響く。


「……常盤さんにとって、良い先輩というのはどういう人ですか?」

「え……」


高坂流亥は棚を見上げたままにそう言う。


あんまりにも唐突な質問だった。私が咄嗟に返せなかったのも無理はないと思って欲しい。

『良い先輩』って、そもそも質問がふんわりしている。普段から考えるような問題でもないし、私は数度口を開いたり閉じたりして思考を纏める。


「そうですね……優しくて、頼り甲斐があって、場を明るくしてくれて……みたいな人ですかね?」


……言ってしまってから気付いたのだけど、これって遠回しに高坂流亥を批判していることになったりする?私の述べた理想の先輩像って、高坂流亥からかけ離れすぎているような……。

いや、別に高坂流亥が悪い先輩ってわけじゃなくてね?一般的にウケがいいのはこうかなってだけでね?


「いやでも、全員が全員そうってわけじゃ……」

「そうですよね。僕もそう思います」


思ってるんかい、というノリツッコミは口には出さなかった。喉まで出かかってたけど。

なんなんだ、本当。


高坂流亥はゲームでもわかりやすい個性を有していたし今でもその性質は大して変わっていないように思えたのだけど、意外と何を考えているかわからない。

まあ、それが当たり前の人間関係だと言われたらその通りではある。

相手の思考を完全に読み取ろうなんていうのは傲慢すぎる考え方だ。

でも、私たちは決して普通とは言えない関係性なのだ。

私は彼を前世の頃から知っている。ゲームのキャラクターとして、知っている。


「優しい人が理想の先輩と確かに僕もそう思いますが、それだけではバランスが悪いとも思いませんか。全員が似たり寄ったりな性質では柔軟性がない」

「は?はあ、そうですね」


高坂流亥は一枚のディスクを引き抜いた。彼は私より作業に手慣れていて、抱き抱える資料は既に片手で持ち切れないほどだ。


「特に特務課はそうです。水瀬さんも三保さんも間島さんも、みんな優しすぎます。……あと、神楽も」


なんで神楽・エヴァンズだけ後付けなんだ。忘れてたでしょ。ひどいな。


「みんな、甘すぎるくらい優しいです。去年からずっと。だから今年は僕がそういうところを補おうと、ちょっとは厳しい人がいても良いんじゃないかと、そう思ったんです。……これは言い訳ですが」

「言い訳、ですか?」

「はい。後輩への接し方を間違えた僕の言い訳です」


高坂流亥はまた一枚ディスクを引き抜いた。さっきから全くスピードが落ちない。

私は高坂流亥の発言に思わず手を止めてしまったというのに。


「これも言い訳ですが、後輩にどう接するべきかよく分からなかったんです。僕はそういった経験が不足していますから。これからはそれを改めることにします。常盤さんの言う『良い先輩』に近付けるよう善処します。……今まで怖がらせてしまってすみませんでした」


私は漸く一枚のディスクを引き抜いた。

それと同時に確かな納得感が胸に落ちる。


なるほど、と思った。

確かに高坂流亥には先輩というイメージはない。

彼は私より四つほど歳下なはずで、それは常盤めぐりの一番上の弟より下の年齢だ。ゲーム内でも彼は主人公と同期入職の設定のはずだったし、普通であれば私が高坂流亥の後輩になるなんていう状況は生まれるわけがない。

それに、高坂流亥は今までの人生で相当特殊な環境下に置かれてきたはずだ。

飛び級で大学を卒業して、未成年で国家公務員になって。そんな中で彼が、どちらと言えば『後輩扱い』を受けがちだったろうことは想像に難くない。


人間、得てして慣れないことは判断を誤りがちである。

それは至極当たり前の事実で、どんな人間にも適用されるべきものだ。

それがいくら、乙女ゲームの攻略対象であったとしても。


「……別に怖がってないですよ」

「そこで嘘を吐かなくても」

「嘘じゃないですって」

「じゃあ今朝の車の件はどうなんですか」

「……確かに……」


一応怖がってませんよアピールをしておいた方が良いかなと思ったけど、まあ無理だった。


でも、正直今は本当に高坂流亥を怖がってはいない。だって彼はちゃんと説明してくれた。

それで、歩み寄ってくれた。

それは勿論、私だって高坂流亥に無条件の優しさを求めるわけじゃない。私たちは同僚で仕事仲間なんだから。

そうじゃなくて、高坂流亥が私と変わらないんだと思えたことが大事だった。

彼だって私と同じように失敗するし、間違える。

そう思うと、なんだか高坂流亥が可愛く見えてきた。先輩に向かってなんと失礼なと言われても、自然に湧く感情はどうしようもない。


「あの高坂さん、優しくしなくて大丈夫ですよ」

「はい?」

「そもそも、高坂さんは理不尽に厳しい人ではないと思います。私が怒られる時って普通に私のミスが原因ですから。そこは寧ろ、ちゃんと叱って欲しいなあと」

「……そうですか?」

「そうですよ。それに、特務課の皆さんは甘すぎるくらい優しいというのには私も同意しかないです。飴と鞭の使い分けは大事ですから、申し訳ないんですけど高坂さんにその鞭の役割をお願いしたいなあなんて。私の健全な成長のためにも!」


私はにこっと笑って高坂流亥の方を見る。


彼は、多分全ての資料を集め終わっていた。両腕いっぱいに抱えられたプラスチックケースのタワーはいやに明るい蛍光灯の光をてらてらと反射している。

そんなプラスチックの上に見える高坂流亥の表情は何を考えているのかよく分からなかった。

いつも通りのプレーンな顔で私をじっと見つめている。私の発言を不快に思っているかもしれないし、そうでないかもしれない。


「あ、でも高坂さんが無理をなさる必要はないんですけど……今まですっごく無理して怒ってたとかなら、全然。その場合は自分で自分を怒るんで、大丈夫です!」


私がそう言うと、高坂流亥はほんの少しだけ眦を歪めた。

その表情は怒っているようにも見えるし、笑っているようにも見える。困っているようにも、呆れているようにも見えた。

彼はいつだって真意の見えづらい表情をしていたけれど、それでも何も思っていないなんてことはないのだろう。

高坂流亥の顔には微かに様々な感情が去来した。言葉では形容しきれないような様々な感情が。でも、総じて私を非難する色は浮かばなかった。


「自分で自分を、では余り効果がないと思いますよ。……しょうがないですから、僕が鞭の役割とやらを担いましょう。僕は元来言うべきことは言う質なので、今までと変わらないと思いますけどそれでも良いんですね?」

「もちろんです!今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

「それじゃあまずは、早く資料を集めてください。口が動くと手が止まる癖は直したほうが良いですよ」

「うっ……すみません……」


自分からお願いしといてあれだけど、もうちょい優しくしてくれても……。

いや、良いんだけどね。変に性格を取り繕われると上手くいくものもいかなくなると思うから。人間関係はデリケートなのだ。

あと、遠慮されるのは普通に悲しい。


でも、良かった。高坂流亥ともある程度仲良くなれたと思って良いんじゃないだろうか。

これできっと、常盤めぐりが戻ってきても大丈夫。


私は隣り合ったディスクを同時に引き抜く。あと二枚だ。


口が動くと手が止まる、というのは指摘されて初めて気が付いた。つくづく、自分はマルチタスクに向かない人間だなと思う。

私はお口にチャックをし、黙々と作業を続ける。

高坂流亥との会話はなかったけど、今はそこまで気まずさを感じない。


「……常盤さん」


高坂流亥がこわごわと私の名前を呼んだ。本当に、恐る恐るといった感じだった。

私は軽く振り向いてはい、と返事をする。


「僕と友達になってください」

「……はい?」


私は殆ど反射で聞き返した。

『友達になってください』と聞こえた気がしたのだけど、急にどうした?あ、私の空耳かな?


「僕と友達になってください」


全然空耳じゃなかった。高坂流亥がご丁寧に復唱してくれたお陰で空耳じゃないことが確定してしまった。

空耳であってくれたら良かったのに……。


「なん……え?と、ともだち……?」

「はい」


はい、じゃないよ。

なに?マジでなに?どういうこと?

いや、でも待て。なんかこの会話、既視感があるぞ。そうだ、あれだ。神楽・エヴァンズだ。

神楽・エヴァンズにもこの前急に友達になりたいから呼び捨てにしろとかタメ語にしろとか言われたんだった。

なに?今特務課では唐突に友達申請をするのが流行ってるの?その流行りは大層傍迷惑だからやめた方が良いと思うけど。申請するにしても手順を踏もうよ。


「友達……というのは因みに、高坂さんの中ではどういった認識で……?」

「河原で殴り合って拳と挙で語ったり、夕陽に向かって一緒に駆け出したりするような……」

「ステレオタイプがすぎる……!」

「というのは冗談ですが」


冗談かよ。初めて聞いたよ、高坂流亥の冗談。

こんな状況でジョークを飛ばさないで欲しかったけど。


「例えばお互い渾名で呼び合って、帰りにスタバに寄って、休日にはディズニーに遊びに行くような、そんな関係が友達です」

「スタバとディズニー限定なんですか」

「別にそこに拘っているわけじゃないですが……」


スタバもディズニーも金かかるよ。日常的に行ってます!っていうのは完全に富裕層だ。

まあ、高坂流亥にとって大事なのは寄り道をして休日にも遊ぶという部分なのだろうからそんなツッコミは野暮だと思うが。


「……すみません。変なことを言いました。忘れてください」

「えっ、今のを忘れろと言うんですか」


それは無理があるだろう。人間の記憶はそんなに都合の良いようにはできていない。

全く、なんで高坂流亥は急にこんなことを言い出したんだ?やっぱり本当に、唐突な友達申請が第八特務課で流行っているのかもしれない。


「この前、神楽さんにも似たようなことを言われましたよ。友達になりたいから呼び捨てにしてくれ!とかタメ口にしてくれ!とか」

「神楽が?ぬ、抜け駆けだ……」

「抜け駆けって……」

「それで、神楽とは友達になったんですか?常盤さんと神楽は友達なんですか……!?」


ちょっと待て。高坂流亥。迫ってくるな。目が怖い。

というか、神楽・エヴァンズを話に出したのは間違いだったかもしれない。思いついたから口に出してしまったけど、これだと次の展開は……


「いや、その、どうなんですかね?そうじゃないとも言い切れないというか……なんというか……。まあそれなりには仲が良いと言えるのでは……」

「じゃあ僕とも友達になってください」


ですよねー。そうくると思った。安易に基準を与えてはいけないよね、こういう場合。


なんで高坂流亥までそんなことを……。彼は良識があるタイプだと思っていたのに……。

なんか、それだと神楽・エヴァンズが非常識な人みたいだ。あながち間違いじゃないかも。


「でも……高坂さんは先輩ですし……」

「僕の方が年下ですから」


まあ、それはそうなんだけど。

彼は多分私の三、四個年下だ。


それにしても、神楽・エヴァンズと完全に同じ論調なんだね。

やっぱり流行ってるんじゃない?唐突友達申請。

そう来るなら、私だって同じように返すしかない。


「公務員は年功序列、大事ですから。あくまで職歴の上での年功序列が、大事ですから」

「それは……そうかもしれないですけど……」


高坂流亥はあからさまにしゅんという顔をした。

なんでそんな顔するの!?いつもはポーカーフェイス気味なのに!

これじゃあ、まるで私が許されざる罪を犯したみたいじゃないか。

いやもしかしたら今しがた私の言ったことは本当に、末代までも許されない大罪なのかもしれなかった。

こんなにも純粋に、無垢に、真摯に友人を求める彼を拒絶するのはあの世で間魔が問答無用に地獄行きを指図するに足るだけの罪悪なのかもしれない。


……い、いや、流されるな。いくら高坂流亥が小鹿のようなつぶらな瞳で見つめてこようと、それが脚立に乗る私からは上目遣いに見えていようと、彼は私の先輩で敬意を払った対応をすべき人なのであって……


「ま、まあ……友達……くらいなら……」

「本当ですか!」


負けた。駄目だった。

だってそんな懇願するような瞳でみつめられたら、良いよって言うしかないじゃない。断ったら私が圧倒的な悪になるじゃない。

そもそも私は年下からのお願いは無下にできないタイプなのだ。だって私優しいし?


「じゃあ今から僕と常盤さんは友達ということで、よろしくお願いします」

「は、はあ……。よろしくお願いします……?」


そう言って高坂流亥はちょこんと頭を下げた。

それはプラスチックケースの塔があってほんの少しの会釈に留まったが、そんな邪魔がなければ三つ指でもつきそうな勢いだった。

私も釣られてぺこりと頭を下げる。

なんだこれ。


友達?私と高坂流亥が?

ていうか高坂流亥は急にどうしたんだ。

彼ってこういうタイプだっけ?もっとこう、冷静というか理性的というか、そういうイメージだったんだけど。


本当にどうしちゃったんだろう。今日だけで高坂流亥の印象が二転三転しているんだけど。

ゲーム通りの真面目で厳しい印象から、慣れない環境に適応しようと悪戦苦闘する人間味溢れる印象、それから存外突飛なことを言い出す印象。

……別にどれが本物ってわけでもないのだろう。

人間は一元的な存在ではない。相反する性質を併せ持つことだって往々にしてある。

でも、しかし、彼はゲームのキャラクターなわけで、それだったらある程度は一本筋の通った性質を有しているはずで…………。


私の目の前の高坂流亥はるんるんと音でも聞こえてきそうなほどに嬉しそうで、尚且つキラキラと目を輝かせていた。


……まあ高坂流亥が嬉しそうだから、それで良いか。

それに、特務課の人と仲良くなれるのは私も嬉しい。

常盤めぐりの将来の立身出世のため、私が課で良好な関係を築いておくことは重要だ。


だから、多分、それが正解なのだ。


そう思って、私は最後のDVDを引き抜いた。



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