一章 18
「いや~、楽しかったですね!!」
店を後にして通りに出るなり、間島レイヤが伸びをする。その表情は言葉通りに清々しそうで、彼の鮮やかな金髪によく映えていた。
「そりゃあ間島は楽しかっただろうな」
「今日は調子が良さそうだったけど、どうかしたのか?」
「調子が良いっていうか、実力ですよ実力。今までは綾ちゃん課長がいたから勝ちきれなかっただけで」
間島レイヤは本当に上機嫌だった。理由は明白。彼が麻雀で圧勝を収めたからだ。
今日は東風戦で二試合__確か九ゲームはやったはず。その半分くらいは彼が勝っていたので本当に圧勝という他なかった。
因みに二位は水瀬燈真、三位は三保瑛人、そしてドべのびりっ尻が私である。
……別に?だって私はちゃんと現実で麻雀やったの初めてだし?
「間島は昔から妙に勝負強いところあるからな。ま、取り敢えず今日は常盤呼んどいて正解だった」
「どういう意味ですか……」
三保瑛人が肩を竦めつつそう言ったが、それって絶対ポジティブな意味ではないよね。
「常盤、びっくりするほど弱かったからな。今日一回も和了ってないだろ」
「立直はよくしてる印象あるんだけどね。なんで勝てないんだろう」
「ぐっ……!」
そんなの私が聞きたいよ!本当になんで勝てないんだろうね!
ちゃんと……ちゃんとセオリーは押さえてるはずなの!別に極端に難しい役狙ってるわけでもないのに……。
「まあ慣れてないんじゃ、しょうがないかもな。でも常盤は賭けるのはやめといた方が良い。絶対カモられる」
「いや、そもそも賭け麻雀って違法ですよね」
三保瑛人は私の発言を無視してそそくさと帰りの電車を調べ始めた。
いや本当に違法だからね?
まあ賭けてるって言っても食べ物とか飲み物とか、そういうやつだけなんだろうけど。でもそこからエスカレートしていったらどうするんだ、全く。
私たちはその後も色々なことを駄弁りつつ駅を目指して歩いた。
店は駅から徒歩十分もないくらいの位置にあるが所謂裏路地のような立地に居を構えているので、人通りのある場所に出るには少々時間がかかる。
私は暑いな、と思って袖のボタンを外した。じめっとした暑さだった。
なんだか……私は今、結構楽しい。
私の勝手なイメージで社外での接待は苦痛を伴うものだと決めつけていたけど、今日は普通に友達と遊んでいるような感覚だった。
真に友人と遊んでいるに等しい、というわけじゃなかったけど、今日は随分と笑ったし喋った。
今の私に残っているのは接待後特有の表情筋の疲れや倦怠感徒労感ではなくて、身体の疲労とそれに反比例した心の充足感だった。
久し振りだな、と思った。こんな風に疲れ切って、でも楽しいと思えるのは。
裏路地を出て、がちゃがちゃとした大路に差し掛かる。雑多でレトロなこの神田の街は、夜に人口が集中していてサラリーマンがたむろする場所というイメージが強い。
私は顔を上げて、開けた大通りのネオンに顔を顰めた。
チカチカと刺激の強い光が視界を占める中、何やら一つの影が私の目に留まる。
「……高階?」
三保瑛人がポツリと呟いた。
彼が言わなければ、きっと私が同じことをしていただろう。
蜂蜜のようにとろりと溶ける光を放つ栗色の髪、吊り目がちなのに全くキツさを感じさせない均整の取れたアーモンドアイ。見間違うはずもなかった。高階由良だ。
なんで彼女がこんなところに。ここはローレルから遠くはないけど近くもない。それなのに……。
私が高階由良の姿に歩みを止めて呆然としていると、三保瑛人は彼女に向かってたっと駆けた。私が止める暇もない。
高階由良はまだこちらに気が付いていなかった。
だから声を掛けなければそれで何事もなく終わったのに。
高階由良に追い付いた三保瑛人は彼女と二言三言を交わした後にこちらに近付いてくる。もちろん高階由良も一緒に。
私は思わず一歩後ずさった。隣に並んで歩いていた水瀬燈真がそんな様子に気が付いて私を背に庇うように動く。
「うわ、本当に由良ちゃんだ。なんでいるの?」
「うわって、何その言い方。別に私が何処にいようが勝手でしょ?」
「まあそうだけど」
間島レイヤが驚きの声を上げる。
人の流れに逆らってこちらへ近付いて来た高階由良は相も変わらず美しかった。でも今日はいつもと違った雰囲気の美しさだ。
彼女はオーバーサイズのだぼっとしたパーカーにジーンズ素材のスキニー、コンバースのスニーカーと極限までラフさを突き詰めたような格好をしていた。髪はシュシュだけで束ねて左肩に流し、しかもなんと眼鏡をかけている。
美人は何を着ても美人なのだと、そう思い知らされた。あっさりした服装が逆に彼女の持つ生来の華やかさを引き立てている始末だ。
「由良ちゃんって眼鏡掛けるんだ」
「ああ……うん。まあ、偶にね」
「へ~、初めて見た」
間島レイヤが物珍しそうに高階由良を凝視した。
そうだよね、間島レイヤ。珍しいよね。私も高階由良が眼鏡を掛けているところなんて初めて見た。ゲームで掛けていた記憶はないもの。物凄く似合っているけど。
そんな風に思っていると、高階由良の傍に佇んでいた三保瑛人が何故だか彼女の眼鏡をすっと外して丁寧に折り畳んだ。
「仕事帰りか?」
「え……いや、流石にこの格好で仕事はしてないですけど……さっきまで映画見てたんです。今日は仕事早く上がったので。ていうか眼鏡返してください」
「ん?あー、掛けないって約束するなら返そうかな」
「なんでですか……。別に良いですけど」
三保瑛人は慈しむように目を細めて高階由良を見る。その手は彼女の肩に垂れた絹の髪の毛先を弄んでいた。
高階由良の方もそれをなんでもないことのように受け入れている。
え、ええ〜〜〜!!
この前高階由良がローレルに来た時三保瑛人は出張だったから、この組み合わせは初めて見たけど……。
な、なんか……なんか、二人の距離が近すぎる……!
見ているこっちがどぎまぎするくらい物理的にも心理的にも密な様子だ。それこそ恋人のような距離感というか……。
えっ、ちょっとそういうこと!?えー!?高階由良と三保瑛人が!?
いや、ゲームを鑑みると全く驚くべきことじゃないんだけど……。でも、でも、ついこの間訊いたときは第八特務課に恋人はいないと言っていたじゃない。恋人どころか好きな人すらいないって……。
あれは嘘だったの?いやでも、そんな嘘をついているようには見えなかったけど……。
私は目の前に立って高階由良からの視線を遮ってくれていた水瀬燈真に、なるたけ潜めた声で質問を投げかけた。
「あの……三保さんと高階さんって、もしかしてお付き合いされてらっしゃるんですか……?」
下世話な質問だとは思ったけど、今はそんなことに拘っている場合じゃない。
もし今が三保瑛人と高階由良の蜜月を描いたシナリオの途上にあることが確定すれば私の状況はかなり楽になるから。
正直私はそうであって欲しいと願っていた。
水瀬燈真は軽く振り返って私の質問に答える。
「いや……そこまでは行ってないんじゃないですかね、まだ」
「まだって……それはつまりどういう……」
「お、常盤さんそこ気になっちゃう?」
「うひゃ」
私と水瀬燈真がコソコソ囁き合っていると、突然間島レイヤが割って入ってきた。
「ごめんごめん、驚かせちゃったね。あの二人についての噂話が聞こえてきたからつい。やっぱ気になるよねー、あんな雰囲気だと」
私は首がもげそうなほどに激しく頷いた。
いきなり声を掛けられて驚いたけれど、間島レイヤは二人について詳しそうだったから話を聞けるチャンスを逃したくなかった。
「あそこはね、あんな感じだけど付き合ってはないんだよ。ていうか、三保さんの片想い中」
「ええっ!?」
「一年くらいずっとかな。まあ話だけ聞いてると全然脈なさそうなんだけど、実際に見ると結構良い感じじゃねって思うんだよね。片想いって言いつつ由良ちゃんも満更でもなさそうだし」
えーーーー、三保瑛人が高階由良に片想い!?なんだそれ!
色々と思うところはあるけど……まず一つ、ゲーム的に言えばこれは余り有益な情報とは言えない。有益でないというか、余り現状に変化を齎す情報ではなかった。
だって、乙女ゲームって基本的に女性の側から恋愛的なアプローチしていくものでしょ?女性側が男性のことを気になっているから、相手を振り向かせようと頑張るんでしょ?それなら今の状況っておかしいじゃないか。
三保瑛人が高階由良に想いを寄せている時点で乙女ゲーム的目標は達せられているわけだ。
しかし現状二人は交際していない。彼が一年以上片想いをしているというのに、である。
ということは今、ゲームの物語は三保瑛人のシナリオでない。『じゃない』ことが分かっただけでは状況は余り進展しない。
のだけれども。一個人として言わせてもらうなら、めっちゃ応援してます。
だってさあ、ただでさえ美男美女の組み合わせなんだもの。
血液マニアの印象が強すぎて忘れがちだけど、乙女ゲームの攻略対象キャラなだけあって三保瑛人も格好良いからね。高階由良は言わずもがな。
ただただ一般人の私からすれば、美男美女のカップルが一組生まれるというだけでちょっと興奮だ。別に変な意味ではなく。美しきを愛でるのは人間として至極真っ当な感性と言えるだろう。
まあ、一般人でありつつもこの世界に於いてちょっと特殊な状況下に置かれている私がそんな浮かれた調子で良いの?と言われれば……確かに。しかも応援している相手はゲームの主人公と攻略対象キャラクター。……考えれば考えるほど興奮なんてしてる場合じゃないな。
「三保さんは由良ちゃん関連で揶揄うと面白いからおすすめだよ。遠慮せずどんどん弄ってね!」
「間島はもっと遠慮しろよ。一応三保さんは先輩なんだから」
調子の良いことを嘯く間島レイヤに対して水瀬燈真が呆れたようにそう言った。一応は余計な気がするけどね。
しかしなるほど、三保瑛人が。それは大変意外だ。
別に彼を恋愛に興味のない人だと思っているわけではないけど、自分から追いかけるタイプの恋をするイメージではない。
それは多分『紅が繋ぐ運命』内での印象が影響していると思うが、彼は作中どちらかと言えば主人公を翻弄して最後の最後になるまで本心が読めないようなキャラクターだった。
……今は余りそういう感じはしない。ある種超然的だったゲーム内での彼とは少し……。
私はちらりと三保瑛人を盗み見た。
少し癖のある茶髪は黒いゴムで一本に束ねられていて、縦に長い体躯は遠くに居ても誰より目立つ。
見た目はやっぱり変わらない。『紅が繋ぐ運命』の三保瑛人そのものだ。
私は不思議な安堵感をもって彼から目を外す。
いや、外そうとしたその時私の視線は別のものに絡め取られた。
高階由良だ。
彼女は私を見て在らん限りに目を見開いていた。
今までは私に気が付いていなかったのだろう。私が態々隠れたのだから当たり前だが。
今はもう見つかってしまっても良いかという気持ちだった。私が心を落ち着ける時間は十分にあったから。
高階由良は私を見つめてふっと微笑むとアスファルトを踏みしめながらこちらへ近付いてきた。
脇目も振らずに私だけを見て。
遠目ではよく見えなかったのだけど、彼女は右手にアイスの袋を握り締めていた。
「常盤さん、いたんだ。会えて嬉しい」
「そうですか」
別に私が貴女に会えて嬉しいかと言えばそんなことはない。高階由良が非人道的なことをしたとか人倫にもとる行為をしたとかそういうわけではないけど、彼女の齎した混沌と混乱とを思えば私が彼女を忌避するのも致し方のないことだった。
高階由良は頬を上気させて喜色を浮かべ、きらきらと目を輝かせている。
彼女は本当に私に会えて嬸しいのだろう。それが嫌というほど伝わってくる。
気を抜けば、私も彼女に飲み込まれてしまいそうだった。彼女の『嬉しい』という感情に取り込まれてしまいそうだった。
「ねえ、私の提案考えてくれた?」
「提案?なんのですか?」
「もう……忘れないでねって言ったのに。私と一緒に来て欲しいってやつ」
「ああ……いや、あれはもうお断りしたはずですが」
「もう一回考えてみた?」
「何度考えても変わりません。私は高階さんのことを信じることはできないし、だからこそ貴女に付いていくこともありません」
「でも、血のこと聞いたんでしょ?」
「聞きましたが、それがどうかしたんですか」
「貴女の血のこと……ローレルはずっと黙っていたのよ。常盤さんはそんなローレルを信じられるの?」
「それについては今日、長官から事情をご説明いただきましたし私はそれに納得していますので」
「説明……?」
「私の血は希少なものだから安易に情報を伝えることができなかったと」
「そんなの詭弁でしょう。知っていたなら最初から伝えるべきよ。本当に常盤さんのためを思っているなら」
「高階さんの言うことこそ詭弁なんじゃないですか。貴女が私をそこまで勧誘するのは『奇跡の血』が欲しいからでしょう」
「それは違う。私は別に貴女の血が欲しいわけじゃない。常盤さんを守りたいってこの前言ったでしょ」
「私は守られなければならない状況にはいませんと、先日言ったはずです」
「今はそうかもしれないけど……これからもそうだとは言い切れない」
「ありもしない事実を根拠に動くなんて、私にはできません」
高階由良は柳眉を歪めた。アイスを持った右手はそれと共にパーカーのポケットに突っ込まれ、左手は裾を握ったり離したりを繰り返している。
高階由良は焦っていた。一目でそれとわかるほどに。もっと早く私を丸めこめるとでも思っていたのだろうか。
高階由良の言い分はこの前からずっと、具体性がないのだ。掴みどころがなくてふわふわしている。
複雑な事情がありながらも真摯に内実を詳らかにしてくれた古瀧さんと比べれば、どちらを信じるかなんて考えるまでもない。
「私は嘘は言ってない。私は常盤さんに嘘はつかない。だから信じて欲しい」
「それだけで信じられるほど、私もお人好しじゃありません」
「じゃあ、どうしたら信じてくれる?私、そのためならなんでもする」
「ちゃんと説明してください。全部、ちゃんと。私は高階さんのことがよくわかりません。貴女のことも、貴女の言っていることもよくわからない。なんで高階さんはそこまで私に拘るんですか」
「それは常盤さんが『奇跡の血』で…………あ」
高階由良はしまった、という顔をした。
綺麗に墓穴を掘りすぎだろう。結局高階由良は私の血を欲しているんじゃないか。数秒前に言ったこととすぐ矛盾するようでは発言に説得力などあったものではない。
私はほっと息を吐いた。良かった、高階由良がぼろを出してくれて。このままだと神田の街で一晩を過ごすことになっていた。
「私は高階さんを信用できません。少なくとも今は絶対に」
「ちょっと待って。本当に。今のは間違えた……というか言い方が悪かった。だからもう一回……」
「今の状況で高階さんがどれだけ言葉を尽くしたとしても、説得力がないです」
「そっ、それは……そうかも……しれないけど……」
「高階、そこまでにしとけ」
そう言って高階由良の肩をぐいっと引いたのは三保瑛人だった。
「常盤の言ってることは基本的に正しいし、逆に高階は怪しすぎだ。一回仕切り直した方がお互いのためだと思うぞ」
「っ~~~!三保さんはどっちの味方なんですか!」
「どっちって、そもそも敵も味方もないと思うけどな」
高階由良と三保瑛人は暫しの間無言で見つめあっていた。もちろんロマンチックな意味ではなくて、高階由良の方は半ば睨むような格好だったけど。
高階由良は眉間に皺を寄せていたが、観念したのか大きく息を吐いた。
そして右手に持っていたアイスの袋を破って開ける。
え、今?
「あげる」
「え?」
高階由良の持っていたアイスはパピコだったので、彼女はそれを二つに分けてその内の一つを私に差し出した。
「あげる」
「あの……パピコ半分で買収はちょっと無理があるかと……」
私がそう言うと高階由良は少し寂しそうな顔をした。
いやいや、そんな顔されたって私は付いていかないからね。
「別に買収とかそういうのじゃない。……いらない?」
「え……いや、もらう理由が……」
「常盤さんがいらないなら俺が貰っちゃおっかなー」
そう言って急に間島レイヤがパピコを掴んだ。
彼はそのままパピコを自分の方に引き寄せようとしたけど、高階由良がそれを許さなかった。
彼女はキッと間島レイヤを睨んでいる。
「なんで間島くんにあげないといけないの?」
「ええ?だって常盤さんいらないっぽいじゃん?」
「だとしても間島くんにあげる義理はない」
「えー、ケチ」
なんて気の抜ける会話なんだ……。私はこんなに高階由良を警戒しているというのに。
意外と第八特務課は呑気だよなと思った。
けれども、視界の端で水瀬燈真が高階由良を注視しているのが映る。良かった、私の孤軍奮闘じゃなくて。
「本当に、いらない?」
高階由良は縋るような目でもう一度こちらにパピコを差し出した。
その目は本当に心細そうで、私に助けを求めるようだった。豊かに生え揃ったまつ毛が彼女の頬に影を落とす。化粧っけがないのに卵のように滑らかな高階由良の肌がやけに目についた。
やめてくれ、と思った。高階由良の誘惑を跳ね除けるのは、本当に、本当に、とても困難なのだ。
その目で見つめられるとうんと言ってしまいそうになる。
「……いらない、です」
「……そう」
高階由良は落胆を隠さずに息を吐く。
「じゃあ、三保さんにあげます。私二本もいらないので」
「ん、ありがとう」
「多分溶けてるので冷やした方が良いですよ」
「えっ、俺には?三保さんにあげるなら俺にくれれば良かったじゃん?」
「だから、間島くんにあげる義理はないって。自分で買えば?」
「酷くね!?俺今月ピンチなんだよ~。パピコの一本くらい良いじゃん」
「間島くんは基本的に毎月ピンチでしょ……」
間島レイヤと高階由良が小競り合いを始めた。喧嘩をするほど仲が良いということなんだろうか。
私がそう思っていると、水瀬燈真がこちらに距離を詰めてきた。
「すみません、余り力になれなくて」
「いえ、そんなことは。最初に水瀬さんが庇ってくださったから私も落ち着いて話せましたし」
「それなら良いですが……本当にすみません。高階さんも常盤さん相手の方が情報を零してくれるかなと」
「ああ、なるほど。それなら、私の方こそ余り力になれてませんね。すみません」
「いえいえ、色々とわかりましたので大丈夫ですよ」
水瀬燈真はそう言って含みのある笑みを浮かべた。ちゃんとそういう食えない表情もできるのね。初めて見たかもしれない。
そうして私たちが談合のような会話をしていると、高階由良がこちらを睨んでいるのに気が付いた。
「……水瀬さん、常盤さんに近付かないでもらって良いですか」
「その言葉、僕が言う方が適切な気がしますが。高階さんこそ常盤さんに危害を加えないでくださいね」
「どの口が……!」
うわ、一触即発といった雰囲気だ。高階由良と第八特務課は基本的に良好な関係なのだと思うけど、やはりどうもこの二人だけは例外なようである。
なんでだろう。二人の間に何かあったのかな?
「大体、こんなところで何やってたんですか。こんな時間に女の子連れ回すなんて危ないでしょう」
「俺たちは麻雀帰り。ほら、俺たちよく神田の雀荘行ってたでしょ?」
「ああ……そういえば……って常盤さんを危ない遊びに巻き込まないでよ」
「別に麻雀は危なくないでしょ。ていうか由良ちゃんこそ、こんなとこで何してたの?家ここら辺だっけ?」
「いや。家は全然違う方向。……新宿ピカデリーまで行くつもりだったんだけど、間違えて神田で降りちゃったからここで映画見てたの」
「神田と新宿間違うことある?」
「あるから私がここにいるんでしょ」
いや、普通神田と新宿は間違わないと思うけどね。
山手線だとマジで真反対じゃない?
なんというか、本当に高階由良はよくわからないな。
ゲームの性格から余りにも逸脱していることもそうだけど、ゲームの前提がなくてもそもそもかなり不明瞭だ。
彼女は何がしたくて、何が目的なんだろう。
いや、私を仲間?にしたいのはよくわかるんだけどね。『奇跡の血』を自分のものにして、それでどうするつもりなのか。
「あんまり喋ってると終電なくなるぞ。取り敢えず歩け」
「もうそんな時間ですか」
「皆さん何線で帰りますか?」
「俺地下鉄〜」
「僕と三保さんは中央線ですね」
「あ、私も中央線です」
「高階は山手線だろ?」
「そうですけど……これ私も一緒に帰る流れなんですか?」
「当たり前だろ」
高階由良が巻き込まれた形になってげっという顔をした。
まあ、良いんじゃないかな。高階由良も一緒に帰ろうよ。三保瑛人が居れば私にこれ以上の勧誘をしてくることもないだろうし。
高階由良からしたら気不味いかもしれないけど。
それにしてもみんな意外とばらばらだなあ。どこに住んでるんだろうとか結構気になるけど、あんまりプライベートに踏み込むのは良くないよね。
「俺と由良ちゃんだけ別かー……ふーん?三保さん、由良ちゃんのこと送ってかないんですかあ?夜も結構深いですよお?」
「え、別にそんなの良いけど……。元々一人で帰る予定だったし。ていうか、三保さんがこっちまで来たらそれこそ終電が……」
「良いじゃん良いじゃんタクシーかなんかで帰れば。それかそのまま……」
「間島、お前その先言ったら分かってるな?」
間島レイヤがここぞとばかりに三保瑛人を弄り倒す。本当に容赦ないな。
家に送るのを誘導するまでで止めておけばただの良い人だったんだけど。まあそれでも揶揄いたい欲求が隠せてないから、結局単純に良い人ではないな。
「……はあ。まあ、送ってくよ」
「え、いや、だから大丈夫ですって。地味に遠いですよ、私の家」
「知ってるよ。でも危ないだろ。高階に何かあったらどうする。……嫌だって言うなら無理強いはしないけど」
「嫌ってわけじゃ……ないですけど……。本当に良いんですか?」
「良いに決まってるだろ」
「『だって高階は俺のマイスイートハニーだからな……』」
最後の台詞は間島レイヤが三保瑛人に向かってぼそっと呟いたものだ。
多分高階由良には聞こえていなかったと思うけど、逆にこちらには丸聞こえだった。
間島レイヤ、『俺のマイスイートハニー』だと意味が重複している気がするよ。普通にマイスイートハニーだけで良かったんじゃないかな。
ふっと隣で水瀬燈真が噴き出す声が聞こえる。水瀬燈真って自分からは揶揄わないけど、止める気はさらさらないよね。
三保瑛人は一瞬の硬直の後、間島レイヤを振り返ってその頬をつねりあげた。
「いたぁ!何するんですか!」
「それはこっちの台詞だよ!お前良い加減にしろよ、マジで。他人事だと思って調子乗りやがって……!」
「いででで!それは死ぬ!死にますって!」
三保瑛人は頬をつねるだけでは飽き足らず、間島レイヤの首を締め始めた。
自業自得、因果応報、悪因悪果、身から出た錆。自分の行いを悔い改めてください。この場合は三保瑛人が正しい。流石にね。
私も水瀬燈真もご愁傷様です、という風に間島レイヤを見つめる。
高階由良は多分状況をよく分かっておらず、形の良い眉を顰めて怪訝な顔をしている。罪な女だよ、高階由良は。
一頻り三保瑛人のお仕置きが済んだところで、水瀬燈真が時計を見た。
「本当に時間がないですから、もう帰りましょう。良いですね?」
「ああ、さっさと帰ろう。さっさと」
「いってぇ……。俺も早く帰ってこの傷を癒したいです……」
「自業自得だろ」
本当にね。
駅に向かって歩き始めると、自然と帰る路線によってグループがわかれた。グループといってもここには五人しかいないのでペアとトリオって感じだけど。
唯一地下鉄で帰る間島レイヤは我々の中央線グループの方に合流していた。流石にこれ以上三保瑛人を揶揄うのは控えておこうという良心でも働いたのかもしれない。それかあんな良い雰囲気の二人に割り込むのは気が引けるということかもしれないが。
私たちの前を並んで歩く三保瑛人と高階由良は本当に良い雰囲気なのだ。美男美女の組み合わせは絵になるし、何よりお互い楽しそう。ここまでくると手を繋いだり腕を組んでいないのが不自然なくらい。
……一つ不満を述べるなら、高階由良が私の視線に気がつく度にこちらへ向かってにっこり笑い掛けてくるのはやめて欲しい。見ているこっちが悪いのもあるが、だって視界に入ってしまうんだもの。
私はなるべく前を見ないよう努めつつ、談笑を楽しんだ。
私たちは神田駅に到着した。
JR組はそうすぐに別れる必要はなかったが、地下鉄利用の間島レイヤは当然だが地下に行かなければならない。
「じゃ、俺こっちなんで。お疲れ様でした~、また麻雀行きましょうね!」
「ああ、また近いうちに」
「お疲れ様でした」
「じゃあな」
「またね」
口々に別れの言葉を告げて私たちは遠ざかっていく。
このまま何事もなく私たちは帰宅の途についた。
……とはならないのが人生の難しさである。
「三保さーん、送り狼は駄目ですよ~」
「てめえふざけんな!!」
三保瑛人が物凄い勢いで引き返して間島レイヤを足蹴にした。
懲りないなあ、彼も。この調子だと高階由良が第八特務課にいた時なんて、間島レイヤの身体は年柄年中ボロボロだったことだろう。自業自得だけど。
そして、相も変わらず水瀬燈真は笑いを堪えきれていなかったし高階由良は状況に置いていかれていた。