一章 15
「ふんっ!……駄目だ……また失敗……」
ただいまは、本日最後の特訓~神楽・エヴァンズを添えて〜の真っ最中である。
攻守共に優れた性質を持つとのことで第一系統の血を重点的に特訓することになった私であるが、これがなかなか難航していた。
「全然氷、大きくできない……」
「今日始めたばかりでそれなら、別に悪くはないと思う」
「そう?でも時間がないからなあ……」
第一系統の、水分子で構成される物質を生み出す能力。それを使っていざという時のために氷の防障壁を作れるようになろう!というのが目下の目標であった。
水瀬燈真の話の通り、私は約一週間後の出動で実働隊の補助的な役割が期待されているらしい。その為に派手な『血の特異性』よりも身を守ることを最優先にした特訓の組み方がなされている。
しかしその、身を守れるほどの大きさの氷の壁を生み出す、というのが至難の技なのである。
私の身長は日本の成人女性の平均より数センチ高い程度ではあるが、それでも身体全体を守るというなら高さは百七十くらい欲しい。もちろん人間は棒ではないし私も特別スリムな体型というわけじゃないから、横幅だって五十……いや六十は欲しいかな。防御性を高めるなら厚さも必要だし。
と、理想を並べ立ててみたは良いものの現実はそれとは程遠い。
今の私が生み出せるのはせいぜい三十センチの壁だ。猫が丸まればギリギリ隠れられるかな?くらいの大きさしかない。
「神楽くん、なんかコツとかない?」
「コツか……」
仕事中なのにも関わらず私が神楽・エヴァンズに対してタメロなのは、彼たっての希望である。今は他に人もいないし良いだろうとのことだった。念のため言っておく。
「よく言われるのはやはり、想像してみることだな。完成形を想像して、理想に近付けていく」
「想像ね……」
結構ちゃんと思い浮かべてると思うんだけどな。まだ足りないのだろうか。
午前中に見た間島レイヤの氷山にも見紛う大きさの氷とか、さっきお手本で見せてもらった水瀬燈真の氷とか。
理想が高すぎるのかな。段階を踏んでいくべき?
「まあ、想像といっても抽象的だし限度がある。現実的な話をすれば上手くいった時の感覚を覚えておいて、徐々にその再現性を高めていくしかない」
そうですよね……そこら辺は普通にスポーツとかと一緒か。地道だなあ。
まあ一朝一夕で上手くなるなら『血の特異性』ももうちょっと一般に普及してるよね。そうじゃない特殊技能だから今の地位を築いているわけで。
「りょーかい。わかった。ねえ神楽くん、終業まであとどのくらい?定時になったら一旦戻ろうかと思ってたんだけど……」
「もう過ぎてる」
「えっ!?」
「一時間くらい」
「そんなに!?」
全然気が付かなかった。私の体内時計はどうなっているんだ。
「あー、あれかな。日が長くなったから気付かなかったのかも……」
それにしても気付かなさすぎだけどね。まあそれだけ集中してたってことだよ、うん。
「……日本にはDaylight Saving Timeはないのか」
「でいら……なに?」
神楽・エヴァンズがぽつりと呟いた。
でいらいと……せいびんぐ……急にリスニングが始まったぞ。ちょっと待ってくれ。
こんなところで急にハーフ要素出してこなくて良いから。私が英語苦手なのがバレるでしょ。
急なリスニングに眉を顰める私に向かって、神楽・エヴァンズが困り顔をしながら説明を試みる。
「あの……なんて言ったら良いんだ?夏だけ時刻を早めて……」
「ああ、サマータイムみたいなやつ?」
「それだ」
神楽・エヴァンズは自分の説明が伝わったことに満足そうに頷いた。
良かった~、私でも知ってることで。いきなりリスニング試験が始まったからびっくりした。私は英語を苦手としていたタイプの学生だったから、ちょっとトラウマが蘇ってきた。
「なんで急にサマータイムの話?」
「いやなんとなく……。去年高階さんとそんな話をしたのを思い出したから」
なるほどね。まあ取るに足りないような会話がふとした瞬間に思い出されることはよくある。
そうだよね。神楽・エヴァンズはハーフなだけでなくてアメリカ出身だったはずだから、そういう常識の違いがあってもおかしくないよね。
なんか、今まであんまりそういう出身地による違いみたいなのを感じたことがなかったから新鮮だ。
「神楽くんってアメリカ出身なんでしょう?」
「そうだな」
「いつから日本にいるの?」
「……去年の四月」
「へえ、じゃあ日本に来て一年ちょっとくらいしか経ってないんだ。日本語上手いね」
「母が日本人だから、それで慣れているだけだ」
うん、知ってる。ゲームでもそうやって言っていた。オタクになったのも母を通じて日本文化を知ったからだ、みたいなことを言っていたはずだ。
「バイリンガルって良いね。私あんまり海外行ったことないから、本当に日本語しかわかんなくて」
「まあ、喋れたら便利ではある」
「それに格好良いじゃない?私が喋れるのっていったら……ああ、大学時代に第二外国語でイタリア語取ってたの。珍しいでしょ?まあ、全然覚えてないんだけど」
「……イタリア語は、俺も少しならわかる」
「えっ」
なにそれ。そんなの初耳だ。ゲームでそんなこと言っていたっけ?
神楽・エヴァンズは今まで私の目を見ていた視線を下に外した。彼の右手は反対側の袖を掴んで、それをぎゅっと握り締める。
「……父がイタリア系の血なんだ。それで少し興味があって」
「へ~、イタリア系なんだ。びっくり」
「……あまり、良いイメージはないかもしれないが……」
「そうなの?私はあんまりわかんないけど……」
そんなに具体的なイメージを描けるほど私はアメリカ文化に造詣が深くない。そんな当然みたいに言われても知らんがな、という感じだ。
神楽・エヴァンズの視線は未だに私の足元を彷徨っていた。
彼は背が高いから、覗き込めば簡単に視線を合わせられるはずだ。でも、そんなことをしたら嫌われそうだと思った。
「『ゴッドファーザー』みたいな、あんな感じだ」
「あー、『ゴッドファーザー』か。面白いよね、あれ。私最初のやつしか見たことないけど。私ソニー好きだな。あの一番上のお兄ちゃんの。ソニー・コルレオーネ。名前違ったっけ?」
「いや……合ってると思うけど……」
神楽・エヴァンズは驚いたようなほっとしたような、微妙な顔をしていた。
私は本当に何も知らないのだ。一応前世と今世で二人分の人生を生きているはずなのに、大した人生経験を積んでいない。それは常盤めぐりが悪いのではなくて大体私のせいなのだけど。
だから、私に外国における常識なんてわかるはずもないのだ。
無知は恥だと、そう思う。だけれどもきっと、それがほんの一瞬だけ光になることもある。
私は貴方に何があったのか知らないし、貴方が生まれ育った場所のこともよく知らない。
だからこそ、私は自分がなにも知らないということを知って貴方と話すべきだった。無知の知と言ったのはソクラテスだったか。流石、教科書に載るような人の言うことは違う。
私は貴方を、知っていることで傷付けたくはなかったし知らないことで傷付けたくもなかった。
「俺は……」
「うん」
「やっぱりマイケルが好きだ。マイケル・コルレオーネ」
主人公だからね、と言って私は笑った。