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一章 14



間島レイヤの特訓を経て高坂流亥の番が回ってきて、それが今ちょうど終わったところである。

金属の重苦しい扉がバタンと閉まるのを見送って私は盛大な溜息を吐いた。


つ、疲れた……。体力的にという以上に精神的に疲れた……。

間島レイヤの方は良かった。自分を基準にしているためかナチュラルに要求が高いきらいはあったものの、それでも手取り足取り親身になって教えてくれたから。しかもモチベーションの引き出し方も上手い。

しかし問題は高坂流亥の方だ。なんだあのスパルタの権化は!

次から次に飛んでくる指示を的確に捌けなければ心底冷ややかな目で見つめられるという、あの地獄の一時間!ちょっと上手くいったかなと思っても、褒めてくれないどころか感慨にも浸らせてくれないし……。

目を回しながらなんとか必死に食らいついていって、最後には意識が朦朧とするくらいにへトヘトだった。

いや、しかし高坂流亥を舐めてはいけない。一番酷いのは去り際に放ったあの台詞。「次は真面目にやってください」だ。

なにそれ!次はってなんだよ次はって!私がいつ真面目じゃなかったというんだ!そんな酷いことを言わなくたって良いじゃない!

……私、嫌われてるのかな……?まあ嫌われていてもしょうがないけど……。迷惑しかかけてないし……。

でもさぁ、それにしたって酷いよ!私だって普通に傷付くんだから。


私は疲労のあまりに身体を壁に預けた。コンクリートでできたそれは固いうえに不規則に出っ張りがあって、余り癒しには貢献してくれなかった。

間島レイヤが持ってきてくれた(三保瑛人の)カル○スもなくなってしまったし、何か飲み物を買いに行こうかな。でもそのために動く気力すらも今の私には残っていない。

流石に三時間外に出ずっぱりは厳しいものがあった。地球温暖化のせいなのか異様な気温上昇の傾向を見せる現代ならば尚更。


私はポケットからハンカチを取り出して地面に広げ、その上に座った。

本当に立っていられないくらいの疲れようだったのだ。

正装寄りの今の格好で直接地面に、というのは躊躇われたのでハンカチを敷いてみたけど余り効果はなかったかもしれない。


次は水瀬燈真か。彼は優しいからな。よっぽどこれ以上の精神的負荷にはならないだろう、多分。


私がそう考えているとぎぎぎ、と金属が擦れる音がして扉が開く。


「お疲れ様」

「お疲れ様です」


そこから現れたのは言うまでもなく水瀬燈真だ。その手には小さなビニール袋が握られている。

私は足に力を入れて立ちあがろうとした。しかし水瀬燈真に制される。


「まだ休憩していて大丈夫ですよ。ここまでずっと外に居るんですから、疲れたでしょう」

「そうですね……すみません、ありがとうございます」


そうは言ってもこんなあられもない姿を上司の前で続けるわけにはいかない。私はちょっと足を動かしてなるべくお上品に座ってみた。

すると水瀬燈真も私の隣に腰を下ろす。

えっ、大丈夫かな。そのお高そうなスーツ汚れちゃわない?


「隣、失礼します。ちょっと僕も疲れていまして。先ほどまで本部に行っていたものですから」

「ああ、なるほど。それはお疲れ様です」


本部ね~。私は直接行ったことがあるわけじゃないけど、魔境のような場所だという噂はよく聞く。

とにかく本部の人間は家柄、学歴共にエリートと呼ばれるような人しかいないらしいからな。そりゃ怖い。

水瀬燈真はそんな本部によく呼び出されているイメージがある。オフィスに姿が見えないなと思って彼の所在を訊くと今は本部に行っていますと返されることが多い。


「常盤さん、飲み物要りますか?」


そう言うと水瀬燈真はペットボトルを一本私に差し出した。

本日二本目だ。みんな優しいな……。


「ありがとうございます。いただきます」


私はひんやり冷えた水を受け取る。

間島レイヤの持ってきてくれたカル○スはなくなっちゃったからね。ありがたい。いや、正確に言うなら間島レイヤの持ってきてくれた三保瑛人のカル○ス、か。

……これも三保瑛人のものなんてことはなかろうな。いや、受け取った手前文句なんて言えないんだけどさ。

まあもしこれが三保瑛人のものだったとして一本も二本も変わらんか。そう思って私は蓋を捻り水を喉に流し込む。美味しい。


「すみません、立て続けに特訓ということになってしまって。効率が悪いのは重々承知なのですが、あまり時間がないもので」

「いえ、必要なことですから。でも、時間がないというのは?」

「また後日正式に伝えることになりますが、今特務課には懸案事項がありまして。近々その解決のために出動する予定となっているのですが、それまで一週間程度しか時間がないんです」

「一週間ですか」


いや早すぎるでしょ。私あと一週間でその出動とやらに参加しなきゃいけないの?この感じで大丈夫?


「すみません……特務課の性質上、人員がかつかつで。本来ならもう少し余裕を持ってことにあたるべきなのですが。常盤さんを危険に巻き込むような形になってしまって本当に申し訳ない」


水瀬燈真が頭を下げるような格好になって、私は慌てて彼を止めた。


「いえいえ、そんなそんな。でもそういう状況なら私、本当に頑張らないと不味いかもしれません。このままだと確実にお荷物にしかならないと思います。水瀬さん、早く特訓を……」


多分三保瑛人の言う通り、私の『血の特異性』は実戦で使い物にならないだろう。十全に準備ができるならまだしも、残り一週間で実地で通用するレベルにまで持っていくのは殆ど不可能に近い。

それでも私にとってはそれこそが今の仕事なのだから、時間がないなどと言い訳することはできなかった。


だから私はすぐさま水瀬燈真に教えを乞おうと立ち上がろうとした。

その時だった。


「あっ」

「おっと」


尻が完全に地面から離れたその瞬間に私の視界がぐらっと揺れた。視野全体がハレーションを起こしたように白く染まる。

中途半端な重心のまま足の力が入らなくなった私は、あえなくその場に頽れた。

しかし倒れた勢いに反して身体の痛みは少ない。その理由は水瀬燈真が私を支えてくれたからに他ならなかった。

水瀬燈真がその腕で私の上半身を引き寄せたので、私は彼の胸に頭から突っ込む形になっている。


「大丈夫ですか?」

「あ……はい。大丈夫です。すみません」


いや本当、助けてくれたのに頭突きしちゃってごめん。わざとじゃないんだ。私の体幹がなさすぎるせいだな。

私はこれ以上彼に被害を与えないようゆっくり身を離した。

今のはなんだろう、目眩かな。流石に倒れるとは思わなかった。


「ありがとうございます、水瀬さん。じゃあ特訓を……」

「今のを見てそれじゃあ特訓しましょうと僕が言うと思います?」


……言わないだろうね。そうですよね。私もちょっと無理がある話の持っていき方だなとは思ったよ。


「でも……私、本当にこのままだと駄目だと思います。自分がどうこうなるだけならまだしも、皆さんにまで迷惑をかけてしまうことになります、絶対。ですから……」

「常盤さん、落ち着いてください」


水瀬燈真は立ち上がりかけていた私を再度座るよう促した。私も渋々それに従う。


「常盤さんの焦る気持ちもわかりますし、それは僕が煽ってしまった側面もあります。確かに今は時間がない。でも、それを理由に常盤さんを追い詰めたいわけではないんです」


水瀬燈真の声は不思議と私の心に積もる。粉雪のようにさりげなく、私の心に積もる。


「『血の特異性』を使うのは非常に体力を要します。しかし使っている内は余りそれを自覚できない。知らず知らずのうちに消耗して気付いた時には倒れるほど疲労していることもざらです。それに慣れていなければ尚更」


私はうっと喉を詰まらせる。水瀬燈真の話はそっくりそのまま私のことだった。


「無理な予定を組んだ僕が言えたことではないかもしれませんが、根を詰めすぎるのは良くないですよ。休憩も特訓の内だと思って、今は休みましょう。実は常盤さんが疲れているだろうと思って色々持ってきたんですよ」


そう言って水瀬燈真は脇に置いてあったビニール袋からおにぎりを取り出した。

鮭とわかめ、それから舞茸炊き込みご飯。半透明のビニールに包まれたそれは明らかにコンビニのものだった。


「どうぞ、好きなものを幾つでも持っていってください」

「あ、ありがとうございます……」


水瀬燈真は屈託なくにこりと笑ってそれを差し出した。私は少し迷った末に舞茸のおにぎりを手に取る。

差し入れはとてもありがたいのだけど、なんだか私はそれを食べる気にはなれなかった。


「あの……確かに水瀬さんの仰ることは尤もだと思うのですが……それは水瀬さんが私の惨状を知らないからそう思えるのだと思います。実は私、適性が……」

「ああ、それは知ってます。三保さんに聞きました」

「えっ」


水瀬燈真は鮭のおにぎりのビニールを剥きつつそう言った。

知っているなら何故そんなに悠長に構えているのか。もっと焦りを覚えて然るべきじゃないのか。


「あの、だったら……」

「それでも、ですよ。出動といっても、必ずしも『血の特異性』を使って大立ち回りを演じる必要はないんです。特に今回は本取引の前の談合現場を押さえるだけですから。余程のことがなければ実際に『血の特異性』を使うことはないでしょう」

「で、でも、もしものことがあったら......」

「それは勿論、考慮に入れています。ですから、常盤さんは潜入のメンバーから除外しています」

「ええ?」


水瀬燈真は鮭のおにぎりに齧り付いてそれは美味しそうな顔をした。おにぎり、好きなのかな。

じゃない。私もその出動とやらに参加するという話じゃなかったの?だって人手が足りないとかなんとかって……。


「別に全員で直接現場に乗り込むわけじゃないですからね。半分は外で情報集収、もしくは待機。潜入組が取り押さえた後に合流。常盤さんはその待機組です」

「ああ、なるほど……」


出動という物々しい単語を聞いて刑事ドラマとかでよくある派手な銃撃戦みたいなやつを思い浮かべていたが、確かにそういう補助的な役回りも必要だよね。


でもなあ、それでも危険なものは危険だ。やっぱり急く気持ちはある。

そんな思いが顔に出ていたのだろう。水瀬燈真は私の顔を見てちょっと考える仕草をする。

ほんの数瞬の後に水瀬燈真は私の手のひらに乗せられていた舞茸のおにぎりを奪っていった。

いやなんで?そんなにおにぎり好きなのかな。でもこれ、コンビニのおにぎりだよ?そこまで執着する?

彼は舞茸おにぎりから包装を剥がして、再度私の方を向いた。


「むぐっ」


すると何故だろう、水瀬燈真が私の口に舞茸おにぎりを突っ込んだ。本当になんでだよ。

私はおにぎりを零すまいと水瀬燈真の手からそれを受け取る。彼は私がおにぎりを咀幅し始めたのを確認するとふっと表情を和らげた。


「これでも食べて今はちゃんと休憩してください。余計なことは考えずに。大丈夫ですよ。うちの……第八特務課は基本的に優秀な人材が集まっていますから、彼らの特訓を受けていれば間違いないです。絶対に、大丈夫です。彼らを信じてあげてください」


私はもぐもぐと口を動かしながら水瀬燈真を上目遣いで見た。

確かにそうだな、と思う。確かに、誰より『血の特異性』に詳しい三保瑛人や『血の特異性』に高い適性を持つ間島レイヤ、スパルタの権化の高坂流亥とここまででも十二分に頼もしい面子である。

特に頼もしいのは高坂流亥だ。あんな過酷な特訓を耐え抜けたなら、今より強くならないという方が難しいだろう。

そう思って私はふふっと笑う。


「そう……ですね。確かに皆さん頼もしい方ばかりです。本当に。だから私、皆さんを信じます」


私の言葉を聞いた水瀬燈真は嬉しそうに微笑んで、その背を建物の壁に預ける。

私は舞茸おにぎりをもう一度口へと運んだ。うん、美味しい。舞茸結構好きなんだよね。


「美味しいですか?そのおにぎり」

「はい。めっちゃ美味しいです。水瀬さんは美味しいおにぎりをみつける才能があると思います」

「随分と限定的な才能ですね」


私はくつくつと喉を鳴らした。こんなにのどかな時間を過ごすのは久しぶりな気がする。まあ今日の前半は怒涛の展開の連続だったからな。

私はゆっくりと息を吸って酸素を身体に送り込んだ。食べ物がお腹に入ったことで眠気が訪れる。

あー……本当に眠い……でも普通に仕事中だし寝れない……。


「良かったです。常盤さんが元気そうで」

「え……?」

「高階さんが来た日から常盤さんの様子がおかしいなと思っていたんですが、今日は元気そうなので良かったです」

「え、あ、え、私変でしたか?」


嘘でしょう?全然自覚なかったんだけれども。


確かに高階由良の訪問は私に衝撃を与えるものばかりを残していった。

そもそも私にとっては高階由良こそがこの世界での一縷の望みだったというのに、それが無惨にも打ち砕かれた瞬間でもあった。

何よりあの、『ローレルを潰す』という発言。あれは未だに私の中で大きく存在感を放つ言葉として記憶にある。なんで彼女はあんなことを……。

でも、そんなことで取り乱していては高階由良がローレルを辞めたと知った時と同じ過ちを繰り返すだけだった。だからなるべく気を付けていたと、そう思っていたはずだったのだが。


「すみません。また皆さんにご迷惑を……」

「いえ、迷惑なんて何も。ただ僕が勝手に心配していただけですから」


別にここ数日は高坂流亥から怒られる回数が増えたわけじゃなかったから、悟られていたのは水瀬燈真にだけなのだろうか。

まあ、水瀬燈真に悟られている時点でよろしくないと言われてしまえばその通りである。


「やっぱり、常盤さんは高階さんと仲が良いんですか?ああ、でもこの前が初対面なんですよね。じゃあ、どうしてそこまで高階さんのことを?」


まあ当然の疑問だな、と私は思った。

側から見れば私たちの関係は歪なことこの上ないだろう。

私は初対面にしては彼女のことを知りすぎていたし、彼女の方も私に向ける執着が出会って初めてのものとは思えない。

でも私の側の事情は水瀬燈真に話すわけにはいかないし、高階由良の側の事情なんて私の方が訊きたかった。

だから私は口をまごつかせる。


「あの……それはですね……うーんと……その……前世からの因縁?」

「前世?」


あーーーー、絶対誤魔化し方を間違えた。というか前世からの因縁はもう全然誤魔化せていない。

それこそが紛うことなき真実だ。水瀬燈真に信じてもらえるかは別にして。


「前世……なるほど……それなら合点がいきますね……」

「そんなに簡単に納得しないでください。ちょっとは疑って欲しいです」


まさかの結構あっさり納得された。いや、多分冗談なのだと思うけどね。

水瀬燈真はくすくすと笑うと捲り上げていた袖をすっと伸ばす。


「まあ、そこら辺の事情は深く聞かないことにしましょう。人生いろいろ、ですから」

「ありがとうございます……。島倉千代子さんにも感謝です」


まあ、これ以上聞かれても答えられることがないからな……。

別に私の前世を明かすのは決して無しではない選択肢だけど、それは第八特務課の人間に対してではない。

だってもし第八特務課の人に前世を説明する場合、彼らのことはなんて言ったら良いのかわからない。貴方たちは実はゲームの中のキャラクターなんですって、私にそうやって言えというの?冗談じゃない。


「僕としては二人の関係性がなんであれ、常盤さんが元気でいてくれるならそれで良いです」

「私だけですか?高階さんは?」

「高階さんは……今は全く関わりがありませんし。そもそも彼女は僕に心配されなくても一人でどうにかするんじゃないでしょうか」


意外とドライなんだな、水瀬燈真は。高階由良限定かもしれないけど。

高階由良訪問の時にも思ったのだが、二人は余り相性が良くないように見える。

あんな短時間の会話ですら気まずさがこちらにも伝わってくるんだから相当だ。これでもゲームでは本当に二人が恋愛関係に発展するシナリオがあるのだけど……。

もちろん、この世界での現状は高階由良の性格の変化が寄与している部分も大きいだろうが。


「高階さんに何かされた、というわけではないんですよね?僕で良かったら相談に乗りますが」


何か、ね。されていないとも言い切れない。

『ローレルを漬す』。あの台詞。ずっと気になっているのだ。よりにもよって彼女がローレルを、なんて。

あり得ないことだとはわかっている。ローレルは国の組織なのだから、彼女一人でどうこうできる相手ではない。でも、彼女は一人ではなさそうだった。それならやっぱり、彼女は現実としてローレルの脅威なのだろうか。


「……水瀬さん」

「はい」


これは水瀬燈真に話すべきことなのだろうか。

ともすれば妄言と一蹴されかねないような台詞だし、実際私も半信半疑のままでいる。

しかし、現実となる可能性がほんのーパーセントでもあるなら相談すべきだとも思う。

それに、私はこのことを一人で背負いきれない。誰かに話してしまいたかった。それで、楽になりたかった。

多分それが、結局のところ一番の理由なのだった。


「ペンケースを届けに行った時、高階さんと色々な話をしたのですが……」


かくかくしかじか、もちろん都合の悪いところは省いて高階由良の『ローレルを潰す』発言に至るまでの経緯を説明した。

水瀬燈真は最初こそ驚きを隠せない様子だったけど、すぐに真剣な顔をして頷いていた。


「なるほど……それは確かに衝撃的な発言ですね……そうですか、高階さんがそんなことを……」

「……信じてくださるんですか?」

「え?」


水瀬燈真は何を当然のことを、といった面持ちで私を見ている。

でも、だって、不安だったのだから仕方ない。

ここで水瀬燈真にそんなのは冗談だろうと言われていたら、多分私の心は折れていた。私は本当に今、何を信じたら良いのかわからない。


「結構突拍子もないことを言ったと自分でも思ったんですが……」

「まあ確かに俄には信じ難いですが……高階さんなら言いそうだなと」


水瀬燈真の中で高階由良はどういう認識なんだろう。

まあ、別にどういう認識だって私にとっては構わない。それによって水瀬燈真が私の言うことを信じてくれたことが嬉しかった。

それなら水瀬燈真の中の高階由良像がどうなっていようと私にとっては喜ぶべきことだ。


「水瀬さん、ありがとうございます」

「っ……!と、常盤さん……?」


私は感極まりすぎて水瀬燈真の手を取った。それをぶんぶん振り回しながら最大級の謝辞を伝える。


「本当にありがとうございます!水瀬さんに話して良かったです!あの……良かったらまたいつか私の話を聞いていただけませんか?」

「え?あ、はい、僕で良ければ……」

「ありがとうございます!約束ですよ!」


水瀬燈真は握った手と私の顔を交互に見て目を白黒させていた。

ごめんね。でも今は純粋に喜びたいの。誰かに何かを相談できたのって、本当に久し振りな気がする。いや、相談自体はしていたかもしれないんだけど、それにまともな反応を返されたのはそれこそ本当に久し振りだった。だから今は、ただ純粋に、喜んでいたい。


握った水瀬燈真の手は私のものより少しひんやりしていた。それでもしっかり熱はあって、骨張ってごつごつしている。右手の中指にはペンだこがあって、深爪気味だ。多分薬指より人差し指の方が長い。

ちゃんと、生きている人の手だと思った。

彼がこれまでの人生で積み重ねてきたものが、選び取ってきたものが、しっかり見える手だと思った。

だから……だから私は……


「あの……常盤さん、手が……」

「あ、す、すみません!こんな長々と……」


冷静さを取り戻した私は水瀬燈真の手をぱっと離す。

危ない危ない。今のはセクハラだと言われても仕方のないことをしていた。

昨今はコンプライアンスに厳しい世の中だ。年齢や性差に関係なく訴えられても文句は言えない。


「本当にすみません。あれだったらハンカチを……ああでも今は汚れちゃってて……水瀬さん?」


水瀬燈真は自身の手をじっと見つめて放心状態だった。

え、大丈夫?あれかな。もしかして私を訴えるかどうかを熟考している?

やめてくれ~、幾ら私に非があると言っても普察沙汰は勘弁だ。なんでも!なんでもするから!だから許して!


「…………休憩」

「はい?」


視線は手から外さないまま、水瀬燈真は何かしらを呟いた。

でも私にはよく聞こえなくて聞き返す。


「……休憩、十分に取れましたか?」

「あ、はい。かなり身体も楽になりました」

「そうですか。それなら特訓、始めましょうか」

「は、はい……」


なんだか水瀬燈真の目の焦点が合っていないように見えるんだけど、大丈夫なのかな……?

私はそう訝しみつつも立ち上がって日向へと歩みを進めた彼の背中を追った。



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