一章 12
デスクワークはそこそこに、私はローレルの敷地内にある謎の庭に来ていた。
謎の庭、というのは私というか常盤めぐりが総務課にいた頃同期と共に「あの何に使ってるかわからない謎の庭なんだろうねー」と話していた場所だ。決して正式名称ではない。
ローレルの南東部に位置するその謎の庭だが、話を聞く限りどうも第八特務課の持ち物であったらしい。
実技演習場、とみんな口々に言っていたが名前の大層さに比べて面積は非常に小さい。せいぜいテニスコート半枚分あるかないかだろう。
まあただでさえ地価の高い東京なのだから、一部署のためにそれだけ面積を割けば十分すぎるくらいだが。
「まずは適性確認からだな」
もちろん謎の庭に来たのは特訓のため。私が『血の特異性』を扱えるようにするための特訓を行うのが目的である。
今私の前でアタッシュケースを弄りながら照りつける日差しに顔を顰めているのは三保瑛人だった。
特訓は時間で区切って、指導に当たる人間は順繰りにしていこうという風になったのだが、その最初が三保瑛人だったのである。
「適性確認ですか?適性……というのは?」
「ん?高校で習わなかったか?」
そうだったっけ?すみません無知で。
……良いもんね。別にこれから知っていけば良いんだから。そうして皆私の成長に恐れ慄けば良いのだ。
などと私が内心不貞腐れていると、三保瑛人はアタッシュケースの中から数本の試験管を取り出した。中身は、まあ当たり前だが、赤黒く揺れる血であった。
「『血の特異性』にも色んな系統の能力があるだろ。四職の主要四系統と、それから希少系統」
「はあ」
それは私も常盤めぐりの知識を介して覚えていた。
『血の特異性』の持つ能力は主に四つの系統に分類されて、稀にその四つに当てはまらない希少な能力も存在する。
なんとも厨二極まりない設定だが、この世界ではこれが現実なのだ。
「大抵一人の人間には一つの『血の特異性』しか発現しないが、『奇跡の血』によって自身の血以外の種類の血も使えるようになった。『血の特異性』を持たない人間もある程度は血をつかえるようにもなった。と言っても本当の意味で全員が全ての血を使えるわけじゃない。個人の資質によって系統それぞれへの適性がある。適性によってはある系統はてんで駄目で使えないってこともあるんだ」
なるほど。まあ全員が全部の血を使えますじゃ、都合が良すぎるもんね。
ていうか『血の特異性』を持っていない人でも『奇跡の血』があれば血自体は使えるんだ。知らんかった。
「適性確認というのはどうやって?」
「地道に一つずつ使ってみるしかない。俺の立場でこんなことを言うのは癪だが、適性には精神性が大きく関与しているらしくてな。有効な検査方法はないんだ」
ああ、三保瑛人はこんなんでもちゃんと学者だからな。専門分野に未解明の部分が残されているというのは悔しいところもあるんだろう。いや、そういう部分がないと研究しようがないというのもわかってはいるが。
三保瑛人が一本の試験管を私に差し出した。
「まずは第一系統から」
「第一系統……」
「それって高校で習うんだっけ?」
「習った気がするんですけど、どれが第一でしたっけ」
「水瀬のやつだよ」
「ああ、わかりました。……あの、因みにこれどうやって使うんですか?」
試験管を渡されたは良いものの、血を使うって言ったってどうしたら良いんだ。
動け!って思ったら動くものなの?
「蓋開けて、動けって思ったら動く」
本当にそれで良いんだ!?いや、そんなに高度なことを言われても困るけど……。
もうちょっと体の使い方とか心の持ちようとか、ないんだろうか。
そう思った私だったけど、取り敢えず試験管の蓋を開けてみた。その反動でちゃぷんと血液がはねる。
これを、私が動かす?うーん……本当にそんなことできるのかな。余り上手く想像できない。
それでも私は三保瑛人の言う通り、血をじっと凝視しながら動けと念じてみた。
動け~動け~動いてくれ~。動いてくれないと泣くぞ。
「おお」
三保瑛人が思わず、と言ったように声を上げた。
理由は簡単。私の持った試験管の中の血が動いたからである。
血の一部が透明な液体に変化して宙をぷかぷか浮いていた。
「これ……動いてますよね?」
「ああ、ちゃんと動いてるな。第一系統はオッケーと……」
三保瑛人が手元の紙に何かしらさらさらと記入した。
私は目の前を漂う水のように透き通った透明な液体を見つめる。水のように、というかこれは水だ。『血の特異性』によって生み出された紛い物の水。
これが第一系統の能力だった。
『血の特異性』にみられる主要な四つの能力のうちの一つが、この血を水に変える能力である。
血液が水に変えられたところでそこには赤か透明かの違いしかないんじゃないの、それって本当にそこまで有用性のある能力なの?と思うかもしれない。しかし、第一系統の強みは確かに『水』である部分に存在している。
第一系統で生み出せるものはただ一つ、水分子で構成された物質である。ここまで言えば察することもできよう。
第一系統は単に液体としての水だけでなく、固体の氷、気体の水蒸気も生み出すことができる。しかも状態変化は瞬時のうちに自由自在。
なんとも単純で、それが故に強力な『血の特異性』だ。
まさか、本当に私が動かせるとは。
こんな……魔法みたいな力を使えるなんて。嘘みたいだと思った。でも、これが嘘でないってことは私が一番よくわかっている。
別に私は身体のどこの筋肉だって動かしていないけど、確かに私がこの血を動かしているという感覚があった。ほんの少しの変化だけど、水は私の思った通りに変形するし一部を氷に変えた。
現実味なんてあるはずもない。だけれども、確かに現実で血は私の意のままに姿を変えているのだ。
ちょっと、怖いなと思った。
こんな……理屈も理論も私の馴染みのものから逸脱した代物を私は今動かしているんだ。
ここがゲームの世界であると、今一番実感した。そして、私は真の意味でこの世界の住人ではないのだということも、今嫌というほど実感した。
こんなの、ゲームじゃないと有り得ない。私は……全く物理とか化学とかそういった分野に造詣が深いわけではないけど、ニュートンとかアインシュタインとか怒るんじゃないの?
あれ、でもこの世界にもニュートンは居たしアインシュタインも居たはず。というかアインシュタインに至っては『血の特異性』が隆盛を極めている時期に生きていたよね?
あぁ……もう頭が痛くなってきた。そんな……この世界の整合性なんかを考えていたら頭がおかしくなってしまいそうだった。
実際、私がおかしくなるのもしょうがないくらいこの世界がおかしいのだ。『血の特異性』なんてものが存在している時点で……
「次、第二系統」
私がぼんやりと宙に浮く水の玉を眺めていると、三保瑛人が極めて冷静な声でそう言った。
「……常盤?大丈夫か?」
私はそんな三保瑛人の声に即座に反応することができなかった。
別に身体に異常を来しているわけじゃない。現実に思考が追いついていないだけだった。
ちょっとだけ……ちょっとだけ待ってほしい。ほんのちょっとだけしたら、私もきっとこの世界をちゃんと現実だと思えると思うから。
貴方のことも、ちゃんと、人間だと思えると思うから。




