三回目の婚約破棄。
「婚約破棄? ……はぁ、それはまたどうしてですの」
「俺は、運命の人に出会ってしまったんだ。君の事は愛していた。けれどただ、その肩書と名声に惚れたに過ぎない。本当の愛情というのは理不尽に唐突に、人生の中に現れるんだ……」
「……つまり好きな人が出来たから別れたい、とそういう話ですの」
「ああ、直球な言い方をすればそうなる。ただ、そんな言葉だけでは決して言い表すことなんかできない。こんな番狂わせが起こるだなんてだれが想像できた?誰もできなかったはずだろう。君も俺も……運命の女神はいたずらに微笑み、俺を本当の未来へと導いた」
彼は詩人が詩を読むように軽やかに言う。
「君との未来を引き裂いて新たなる希望を俺に与えたんだ。そう彼女は蝶のように軽やかで駒鳥のような美しく健気だ。しかし本来は俺とは結ばれぬ身。だからこそ、俺が迎えに行ってやらなければならないんだ」
アルフィオは、聞いてもいないのに彼が心を奪われたという女性の話をしだした。
それを見ていてエリーザは、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
驚いているといえば驚いているのだが、なんせエリーザの短い十七年の人生で、婚約破棄という事象はこれで三回目である。
またかという気持ちが一番大きい。
……それに前の二人と同じように、アルフィオも思い人が出来たという理由ですのね。
同じ世代に絶世の美女がいるというわけでもありませんのに一体、誰に心を奪われるというのでしょう。
本来結ばれないと言っているからには、平民に美人が多いのだろうか。
一度目や二度目の婚約破棄ではエリーザだって腹を立てて、惚れた腫れただと言っている相手に食って掛かったりもしたのだが、三回目ともなると純粋に自分の身に何が起こっているのだろうという疑問が残る。
「それに彼女は、君にすら話すことができなかった俺の欠点を言い当てたんだ。そして許容してすべてを許し、俺を愛してくれるという事をその鈴のなるような優しい声で約束してくれた」
「欠点……」
「その時点で君とは天地ほどの差がついているんだ。エリーザ、だからどうか、そんなに悲しまないでほしい」
「……」
別にそう言われるほど悲しんでいないし、そもそも欠点があるなんて話、聞いていないのだが、その点については共有しないつもりだろうか。
「だって、悲しまれようとも決して俺の心は動いたりしない……一度起こってしまった変化は戻すことはできない。そう、一度割れてしまった花瓶は同じようにもどすことなど……できないんだ……」
まるで自分が一番、苦しんでいるかのようにそう口にするアルフィオにエリーザは思わず、はぁっとため息をついた。
これは完全に自分の世界に入り込んでしまっている。何かを言ったところで気取った独りよがりなセリフ以外は聞くことができないだろう。
流石にエリーザだって自分と婚約破棄をする他人の惚気を聞いてやるほど心優しくもないし暇もない。
公爵家の跡取りとしてやるべき事が山積みなのだ。
新しい婚約者もそのうち両親が見つけてくるだろう。それを待つだけで問題ない。
「そうね。婚約を破棄しましょう。あなたとわたくしには縁がなかった、そう思うことにいたしますわ」
「感謝するよ。エリーザ、君の伴侶となれず申し訳なかった」
「いいえこちらこそ、あなたを引き付けるほどの魅力を持ち合わせていなくて申し訳ありませんでしたわ」
形式上だけで謝って、とりあえず彼には執務室から出ていってもらう。
それにしても突然、婚約を破棄されてしまうとは非常に嫌な一日のスタートだ。
彼は配偶者としては、それなりに優秀な方だった。魔力よし、魔法は持っていないけれど物腰も柔らかで、横暴さもない。
……でも恋をするとあんなふうになるのだったら、少しこそが難点ですわ。……それとも良い条件の婚約よりも優先したくなる力が恋というものにはあるのかしら。
「……はぁ、わたくしが恋を知らないから彼がしょうもない男だったように見えるのか、それとも恋をするとあんなふうになるのが一般的なのかわかりません。何にしても面倒で厄介な話ですわ」
テーブルに頬杖をついて呟くように言った。
すると後ろから、カーティアがエリーザの視界の中にひょっこりと顔を出して、その赤毛の美しいサラサラの髪を揺らして言った。
「そうですね。一般的かどうかはわかりかねますが、多少は浮ついた気持ちになったりするものです。あれは浮つきすぎだと思いますけれど」
カーティアの後ろでシルバーのリボンがさらりと揺れて、目を細めるともともと優しけな顔つきをしている分、さらにお人よしのように見える。
その言葉にエリーザはさらに腑に落ちない気持ちになる。
「それに、わからないのであれば知りたいとは思ったりしないのですか? 同年代のご令嬢は皆、夜会に繰り出して色々な男性との交流を楽しんでいますよ」
「そんなの興味ないわ。それに所詮貴族の恋愛なんて、肩書と地位だけで相手を測りどんな人間かすら興味もないではありませんの。そんなの時間の無駄ですわ。屋敷で魔法を練習していた方が随分マシだと思いませんこと?」
優し気に言う彼女にエリーザは偏屈な意見を返した。
こんなだから恋愛の一つもできないのだと言われてしまえば、ぐうの音も出ないのだが、護衛騎士であり、人当たりのいいカーティアは納得がいったようにコクリと頷いて返す。
「エリーザ様はそうお考えなんですね。たしかにその言葉に反論できる男性はいないと思いますし、実際そうですから」
「……そうでしょう。カーティア……でも、別に言ったっていいのよ。わたくしは同世代の中でも少し偏屈な方でしょう。こんなだから婚約者に逃げられるのかしら」
ぱちんときっちり手袋をはめた手を合わせて笑みを浮かべるカーティアに、なんだかエリーザはこんな自分が主なことが申し訳なくなって、珍しくしょげて少し弱気になって言う。
「そんなことありません。エリーザ様はとてもよい人です。私のような人間を雇ってくださることはもちろん、偏屈……かもしれませんが、私は心底尽くしたいと思っていますから」
「……偏屈ではあるんですよね」
「……ええと、それはですね、偏屈というか、少し頑固というか、ちょっとだけ古風というか……柔軟性がないというか……あ、ああ、違うんです」
エリーザは自分で言ったくせに、カーティアが同意するとそれはなんだか少し直した方がいいようなことの気がして口にする。
すると彼女は少し焦った様子で、偏屈といった言葉をどうにかポジティブな言葉に置き換えようと言葉を重ねる。
しかし、どれも十七の令嬢が持っていて好意的にみられる性質ではない。
そんな状況にカーティアはすごく悩んで、悪い方向の言葉にばかりなってしまって顔をしかめる。
その様子を見ていて、エリーザははたと思った。
……誰だってこういう、素直で可愛いよい子が良いに決まっていますわ。
それにエリーザだって婚約者にするならカーティアの男版のようなよい人がいいと思う。
「あ、そうだ! あのですね、エリーザ様は芯が強くぶれないお方です。そこはあなたのいい所です」
「……ありがとう、カーティア。そういってもらえると少し元気になれますわ」
「はい、えへへ」
彼女が答えを見つけたあたりで、エリーザは早速今回の事をお父さまに報告するために立ち上がる。
それと同時に、カーティアの頭を優しくなでた。
彼女はそれに嬉しそうに微笑んですぐ後ろをついてくる。
こんなに可愛らしくて護衛騎士が務まるのかと思う人もいるだろうが、そのあたりは抜かりない。彼女は炎の魔法を持っていて魔力もそれなりに多い。
それに女性だが割と背が高く、ハイヒールを履いているエリーザよりも少し大きい。
言動からして女性らしく可愛らしい印象を受けるし、顔も優しげなので女性として見習うべき可愛い人だが、称号を持っている立派な騎士だ。
本来ならばいち貴族令嬢であるエリーザのような人間の守護なんかではなく、王妃などもっと身分の高い人間に対して需要がある。
女性騎士というのは、人数が少ないわりに、高貴な身分の人には多く需要がある職業だ。
そんな彼女がエリーザの護衛についているのは、彼女が貴族と平民の間に生まれた私生児だからだ。高貴な身分の人というのはそういう汚点を嫌う。
しかし今はその魔力の多さに彼女の実家もその存在を認め、貴族としての体裁は保っている、きちんとした女性騎士それがカーティアだ。
けれどもエリーザはそんな事情はどうでもいい。女性爵位継承者として立派にこの屋敷をついで、ゆくゆくは国も豊かに、土地も豊かにして、がっぽがっぽと儲けて楽しく暮らすのだ。
それだけが目的で、まぁそれが一番難しいのだが。
なににせよまずは婚約者が必要だ。将来の結婚相手を見つけなければ、バリバリ働くことも叶わない。
……お父さまにお任せするつもりでいましたけれどわたくしの方からも動いてみようかしら。
思考を切り替えて、エリーザはきびきび歩いて父の元に向かったのだった。
とある日、人生で三回目の婚約破棄をされてからしばらくして、その話題もやっと日常生活で忘れられそうなときの事。
自室で休憩していると、窓から屋敷の門の外に見慣れた馬車が止まっているのが見えた。
……あれは、アルフィオの家のものですわね。
家紋がついているのですぐにわかる。しかし、可笑しい。
彼とは約束していないし、そもそも会う用事もない。用事もないのに領地の屋敷の方までやってこないだろう。
……カーティアに確認を……。
そう思って後ろを振り返るけれど、彼女はいない。今は休憩中なのだ。
……そういえばそうでした。ならうかつに動かない方がいいですわね。屋敷の正門には常駐の兵士もいますし、何かあっても安心ですわ。
合理的にそう判断し、なんとなくその馬車を見つめている。この場所からだと塀の陰に隠れてしまって誰が乗っているかは確認することができない。
今はカーティアは休憩中で、大体いつもこの時間に、エリーザはお茶をするので決まってこのタイミングでの休憩だ。
…………。
なんだか彼女の顔と、アルフィオの顔が同時に思い浮かんで、変な想像をしてしまう。
そんなわけがない非常に下世話な考えであり、カーティアに対しても失礼な考えだとわかっている。
しかしなんだか胸騒ぎがして、エリーザは持っていた紅茶を置いておもむろに窓を開け放った。
「お嬢様?!」
側で仕えていた給仕係の侍女が驚いて瞳を瞬く。ぶわっと風が入り込んでテーブルに置いてある花瓶の花を飛ばした。
「ちょっと出てきますわ。なんでもなければすぐに戻るので気にしなくてよくてよ」
「は、はいっ」
侍女は髪を抑えてその場に蹲りつつ、焦ったように返事をする。仕方ない平民の子なので急にこんな行動をとったら驚くだろう。
あとで心づけを渡してあげなければ。
そう考えながらエリーザは指輪に魔力を込めてクローゼットのわきにいくつか掛けてある傘の中から、適当にリボンがついている物を選んで、風の魔法を使って手繰り寄せる。
そしてそのまま窓に足を掛けて三階の自室から日傘を開きつつ飛び出した。
……さて、なにをしているのかしら。
エリーザに会いに屋敷のそばまで来たというのならばそれはそれでいい。
今更だとしても婚約破棄をしたことを後悔していて、やり直したいと謝罪に来たという話ならばもっといい。
しかしそうではないような気がして、フワフワと風に吹かれて漂って、エリーザは桜の花びらのように、またはタンポポの綿毛のように宙を舞って屋敷をぐるりと囲む高い塀の外へとやってきた。
そこには、案の定と言ったらいいのか将又、驚くべきことにと言ったらいいのか、カーティアとアルフィオがそれなりに近い距離で向き合っている。
何かを話している様子だったが強い風が吹いて彼らは少し驚く。
しかしアルフィオはカーティアにつかみかからんばかりに言い寄っていて、なんとなく察しがついた。
……そういう事、ですの。
考えつつ屋敷のそばの石畳にふわりと着地して傘を閉じた。
「あんなに積極的にアプローチをかけてくれたのに、何が君をそこまで頑なに変えてしまったというんだ? やはり、あの女が君を卑屈にさせている原因なのか?」
「だから、こんな場所まで来られたら困ります。きちんと交際はしているではないですか、だからすぐに帰って━━━━」
「あら、せっかくいらっしゃったお客様ですのに、帰らせてしまうなんて失礼ではありませんの」
切羽詰まった様子のカーティアの言葉をさえぎって声を掛けた。
二人はもちろん突然風に乗ってやってきたエリーザの事になど気が付いていなかったので、弾かれたようにこちらを向いてカーティアはあからさまにやってしまったという顔をしていた。
……なるほど、やっぱりですか。あなたですね、わたくしの婚約者たちの思い人というのは。
「……な、いつからそこに」
「そんなことどうでもいいではありませんか。それよりもそのお話、わたくしは無関係ではないでしょう。ぜひ、当事者として話をお聞きしたいですわ。屋敷の中にいらしてくださいませ」
「い、や……その。なんというか、これはだな……」
しどろもどろになるアルフィオから事情を聴くために屋敷へと誘う。それから硬直しているカーティアに目線を向けた。
「あら、隠さなくて結構ですわ。見ればわかります。長年仕えてくれた従者に……裏切られていたという事でしょう? カーティア」
「! エリーザ様っこれは━━━━」
「弁解は結構です」
彼女はすぐさま何かを訴えかけようとこちらに進み出てくる。
けれども、今のエリーザにその言葉を冷静に聞けるだけの余裕はない。
彼女からすればエリーザはとてもこらえ性が強く、大人っぽい女性に見えていると思う。少なくともそう見えるようにしていたつもりだ。
けれども今はその余裕さえない。本当に。
他人に対しては冷静に考えられる余裕はあるけれど、長年連れ添った彼女にこんなことをされて、さらには嘘をつかれていたと思うと、品のない態度をとってしまいそうだ。
きつくカーティアの言葉をさえぎって、今はとにかくあなたの話を聞いていられる余裕はないと示した。
「っ……エリーザ様」
「お願いだから黙ってくださいな。見苦しく取り乱したりしたくありませんの」
声が少し震えて、怒りからそうなってしまっているのか、それとも悲しくてなのか自分でも見当がつかない。
そしてその余裕のなさを、長年を共に過ごしてきたおかげで彼女も感じ取ることができたらしい。
全員が黙り込んでその場には、昼下がりのとてもいい陽気には相性の悪い重たい空気が立ち込めた。
けれどもそんな状況で、二人の間の空気が読めなかったアルフィオはいまだに恋の盲目と自分の世界から覚めていない様子で、ばっとカーティアを守るようにエリーザに向かって手を広げた。
「そうか、わかった。こうやって君はいつもこの女から高圧的な態度をとられて仕事をやめられずにいたんだな……!」
一人勝手に謎の解釈をして、鋭く怒りの籠った視線をエリーザに向ける。
そんな事実などありはしないし、彼らの関係は深くはわからないけれど、何かうまくいっていないのならば彼女だけの問題でエリーザは関係ないと思う。
「そうならそうと、俺に頼ってくれればよかったのに。そうだよな。君のような繊細な人は、図太く高慢なエリーザのような人間に逆らえなくて当然だ!」
「……え」
カーティアは消え入りそうな疑問の声を上げたが彼は、自己満足な笑みを浮かべてカーティアを少し振り返り、それからすぐにエリーザを巨悪の根源を見つめるみたいな目線でみた。
「こんな、可愛げの欠片もないような図太い女、そんな女を健気に守るカーティアはとても素敵だ。けれど、そのせいでこの場に縛られて、俺と結婚できないのならば不憫でならない……!」
「……」
「エリーザ、カーティアのような可憐で、男性に人気のある女性が妬ましいのはわかる。でも、そんなふうに他人の恋路を邪魔するなど君の醜さにさらに拍車をかけるだけだ」
言われてエリーザは苛立たしくてぐっと目を細めた。婚約破棄された挙句にこんなふうに言われる筋合いはない。
……醜いだなんて、よくもまぁ、ぬけぬけと。婚約という契約を取り消すほどに婚約者の従者と関係を結んだ男がよくも、そんなことを……。
とにもかくにも腹立たしくてたまらないので、そんなふうに言うのならばこちらだってたとえ傷つくことになっても、見苦しく取り乱すことになっても応戦してやろう。
そんなふうに思って、エリーザはぐっと拳を握った。
しかし、ガツンと音がして、アルフィオは衝撃をうけて膝から崩れ落ちた。
「……よくも、私のエリーザ様にそんな口をききましたね」
低くどすの聞いた声が三人の間に響く。アルフィオは状況が理解できていない様子で頭を抑えてうめき声をあげた。
「私の唯一の主を、よくもそんな汚い言葉で罵って、文句をつけましたね。本当に許しがたい。エリーザ様と何食わぬ顔で結婚しようとしていただけでなく、こんなことまで……しおらしくしていればつけあがって」
エリーザは思わずぽかんとしてしまって、彼女がアルフィオと繋がっていたのだと気が付いた時よりずっと衝撃を受けた。
なんせ、カーティアがこんなふうに感情をあらわにしているところなど、今の今まで一度だって見たことがなかったのだ。
……なんで、そこであなたが怒るんですの。
驚いたまま、働かない思考で思う。
エリーザの婚約者を陰で誘惑して、婚約破棄をさせて楽しんでいたのではないのだろうか。彼女ならば、エリーザと婚約してあっている彼らにアプローチをかけることは簡単だったように思う。
そして何も知らずに婚約破棄をされて困っているエリーザを見て陰で笑っていたのではないのか。
「はっ……な……き、君がこんな暴力的なことをするわけが……わ、わかったそこまでしなければ後からこの女になじられて、文句を言われるのがこ、怖いんだろう!
君は気弱で繊細だから! いいんだそんなふうにエリーザを思いやっているように演じなくたっていいんだ!」
アルフィオは、絞り出すように言った彼女の言葉を天邪鬼か何かだと思ったらしく、痛んでいる頭を抑えつつ立ち上がって振り返り、カーティアにつかみかかった。
「安心して俺の胸の中に飛び込んで来ればいい! そうすればたとえ君が下賤な平民の血を半分宿していようとも何もかも捨てて愛し合う覚悟が出来ているんだ!!」
そのまま抱きしめてしまおうと強引に迫るアルフィオに、カーティアは何の容赦もなく拳を握って振りかぶり、その顔面に向かって突き出した。
「がぁっ!!」
「……」
可愛らしい麗しの護衛騎士であるカーティアから繰り出された拳は、見事にアルフィオの顔面をとらえ、そのままアルフィオは勢いに負けてのけぞり、背後の柵に背中を打ち付けてガゴォ~ンと鉄との鈍い衝突音を上げた。
「……」
「……」
脳震盪でも起こしたのか、アルフィオはそのまま綺麗に崩れ落ちて柵に体を預けてがっくりと意識を失う。
…………グーで……グーで殴りましたわ。
いろいろと考えるべきことがあるはずのエリーザは、なんだか間抜けなことを思ってしまい、サラサラの赤毛を肩にかけるカーティアを呆然と見つめた。
彼女はふーっと細い息を吐きだして、何とか感情を抑えようとしている様子だったが、髪をぐしゃぐしゃとしてこらえきれずに言った。
「何が胸の中に飛び込んで来ればいいですか。誰が、あなたのようなとんでもない人の胸に飛び込むっていうんですか。それに、私、男になんて一切興味などありません。
こんななりでも恋愛対象は女の子です。あなたはただ、エリーザ様の婚約者だから婚約破棄させるためにちょっと優しくしただけですから!
思いあがるのもいい加減にしてください!」
怒りの滲んだ声でカーティアはまくしたてる。
しかしそんなことを言ってももうアルフィオには意識はないだろう。それに彼女が言ったことは聞き捨てならない。
…………女の子が……恋愛対象……。
だからわたくしの婚約者を奪っていたというの? つまりわたくしが恋愛対象? わたくしは女の子は恋愛対象ではありませんのよ?
そもそも女の子同士って恋愛するものではありませんわよね。わたくしとカーティアの関係は騎士と主ですのよね。ああ、いいえ騎士と主も恋愛関係になるのはいかがなものかと思いますの。
思考が巡りにめぐって、頭に最終的にクエスチョンマークが浮かぶ。
そんな調子のエリーザにカーティアは目線を上げて、それからふらりとそばまで来て、それから膝を折ってエリーザの手を取った。
「……エリーザ様、弁解をさせてください。ただ、私はただ、あなたの婚約者たちに不信感があって……」
何やら、勝手に弁解を始める彼女のつむじをじっと見つめた。
正直先ほどまではそれが一番大きな問題だと思っていたけれど、今はそれどころではない。そっちの話は今は一番大事ではない。
「いえ、もちろん。端からこんなことをしようと思っていたわけではないんです。ただ、エリーザ様の従者という性質上、主に見せない彼らの隙を私が目にすることが多く。
少し調べをつけてどんな人なのか探っていくうちに、お金つかいが荒いとか、エリーザ様に隠れて娼館に通っているだとか、自身の母親とありえない距離でいるところが目撃されているとか……。
そういうよくない所ばかりが目に付いてしまって。
でも、そのぐらいならばエリーザ様だってきちんと対処をして、うまく結婚生活を送るために努力をできると思います。
我が主様はとても優秀な方ですから。でもそれでもやっぱり、こんなに真面目で実直なあなたが苦労されると思うと、いてもたってもいられなくて。
それなら同じ女の私が、少し好意をちらつかせてみてそれでもきちんと自分を保ってくれる男ならば妥協しようと……思ったんです」
初耳の話ばかりされてエリーザは、思わず間抜けな顔をしていた。
なんせ、知らない事実が多すぎる。
しかしカーティアがただ婚約者を奪って陰でエリーザの事を笑っていたというよりも、その話の方が大分現実味がある。
婚約中に別の女に惚れて婚約破棄を申し込むような男たちと、カーティアのどちらを信じるかと言われたらもちろん彼女……で間違っていないと思う。
「けれど、どいつもこいつも、エリーザ様の良さを微塵もわかっていないクズばかり。
深く考えもせずに、私の容姿ばかりを見て、都合のいい女だと思い込み、最終的には盲目に恋に落ちてあなたから離れてくださったけれど最低な人たちばかりでしたよ。
もちろん、証拠はあります!
それを見てあなたが納得してくれるかはわからないし、私のやったこともまた……許されるべきことではない。現にこうしてあなたを傷つけました。
私も彼らと同じ浅慮で浅はかな馬鹿な……男です。
けれどどうか勘違いしないでいただきたいのです。この好意だけは曲がりなりにも嘘ではありませんでした……決して……エリーザ様の事を傷つけるつもりなど……微塵もなかったんです」
ぐっと手を握られると、痛いぐらいでその気持ちは伝わってくる。証拠があるというのならば見定めることもやぶさかではないし、信じようと思える。
しかし、そういう事情があるのならば言ってくれなければ困る。いかに思いやっていても歪んだ愛情は時に人を滅ぼすのだから。
と、少し常識的なことを考えたが、それを口に出すことはかなわない。
エリーザの頭の中には、カーティアの恋愛対象とエリーザに対する思いが九割九分九厘をしめている。それに、さらに彼女の弁明で分かった事実。
……あなた、男なんですの?
いや、話の流れからして言葉のあやか、バカな男と同じですと、言い間違えたのか。
……わからない、あなたの事が今……まったくわかりませんの……。
「……」
「誓って、もう二度とこのような身勝手な行動などしません。ですからどうか……いえ、言ってしまえばそれはあなたの負担になってしまいますもんね。解雇されて当然です、私なんて」
「……」
「お側に仕えて、あなたの一生を守ることができず大変申し訳ありませんでした」
話を勝手に進めて、感極まってこちらを見上げてくるカーティアはとても愛らしい。長いまつげに綺麗な肌、さらさらとした髪は美しい赤毛でどこからどう見ても女の子。
しかし握られる手はエリーザよりも大きくて、いつも手袋をつけているのでわからなかったが、しっかりとした質感を持っている。
「…………」
「愛しています、エリーザ様」
よく聞けば、優しい声をしているけれど、決して高くて女性らしい声というわけではない。
っていうか、愛しているらしい、そんな話は知らなかった。
なにから聞けばいいのか、長年連れ添った彼女にどんな言葉を言えばいいのか。
ここまで来たら、そういう事だったのかと肯定するべきか。
様々なことをエリーザは考えた。気の利いた一言や、びしっとこの場を収める言葉、もしくは質問。
婚約者を奪われていた情けない女ではあるが、かっこはつけたい。しかし、的外れなことは言いたくない。
とにかくカーティアはエリーザの事を愛しているらしく愛ゆえにこんな行動をとった。そして男のような存在であり、女の子が恋愛対象。
けれどもこんなに可愛くて、女の子らしい。少なくともエリーザから婚約者を奪える程度には女の子っぽくてかわいい。
では彼女は女性なのか、もちろんはたから見たら女性だ。服装も見た目も名前も、戸籍も女の子だ。
でなければエリーザの護衛騎士になんてなってない。
しかし、女の子が好きなのだ。男の人らしい思考をしていて女の子が好き、ということは心は男で体は女なのか。
女として男が好きなのか。女性が好きで、自己認識が男ならばそれは男なのか。
そもそも体が男なのか、体がどうだから男だ女だという話はそもそもナンセンスなのだろうか。
カーティアが自分を男だと思っているのならば、男として扱うべきか。
いやしかし、エリーザは体が男な相手は男だと思う。けれど体が男ってどういうことだ。何をもってして男というのか、女の子が好きなら男か。
女の子らしかったら女の子なのか。頭がおかしくなりそうだ。
そして最終的に「一つ聞いていいかしら」とつぶやくように言った。
「はいっ、な、何なりと!」
「あなた、ついてるの?」
「…………え、何がですか」
「だから、男性器」
「え!? っはい。男なんで」
「ああ、そう」
「はい、一応ですね」
「え、名実ともにあなた男なんですの?」
混乱したエリーザは平然とした顔をして一番間違った質問をした。あまりにも直球な質問だったが、彼女……いえ、彼は当たり前の顔をして答えた。
「……そういうことになります。体も、心も男……です」
「じゃあなんで、そんななりをしてますの?」
「あ、私、が男だと……長男になってしまうので」
言われて、エリーザは少し間をおいて納得した。
……私生児が長男だといろいろと家が面倒なことになりますわね。たしかに女性として過ごすのは変な判断ではありませんわ。
納得は出来るしかし実感は出来ない。
「そう、男だったのね。とりあえず屋敷に戻りましょうか。カーティア、その人は……従者が回収するでしょう」
「は、はい」
実感できないけれどだからと言って何が変わるのか、エリーザはよくわからなかった。
よくわからないけれど、だからと言って彼を手放すというのも妙な話な気がして、さらに深く話を聞くために屋敷に向かう。
すると彼はいつもの通りエリーザの後ろをぱたぱたとついてきて、なんとなく振り返った。
「…………」
今すぐに主従関係を解消されなかったことに安心しているらしい彼は少し申し訳なさそうな、けれどもこらえきれないような笑みをにじませていて、その瞳に宿っている感情は多分親愛ではない。
今までもずっとそうであったらしいのだが、今そうだと思うと心の奥が妙な居心地の悪さになってすぐに目を逸らす。
「……それにしても、性別ってとても難しいものですのね。今日一日でなんだかわたくし、今までの性別への観念が狂った気がしますわ」
「申し訳ありません。ややこしい生い立ちで……でもそれほど難しくはないと思います。ただどんな性別でも自己認識でも、惹かれる人には抗えませんから、彼らのように、私のあなたへの思いのように」
なんだかカーティアが元婚約者たちの事も引き合いに出してうまい事を言う。
たしかにそんなものなんだろうと、エリーザはちょっとだけ柔軟な思考を手に入れたが、これからその愛について悩む日々が始まろうとはまったく思いもしていなかったのであった。
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