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3 団長の思い

「団長、何かいいことでもあったんですか?」


 近くにいた副団長にそう言われて、アスールは内心ドキリとしていた。団員の前ではあまり内面を出さないように日々心掛けており、その日はいつも以上に気をつけていたはずだったが、どうやら顔にでてしまっていたようだ。


「いや、別に何も変わりはないが、そう見えたか?」

「はい、なんとなく、ですけど。いつもは口が真一文字に結ばれているのに、今日は口角がほんの少しだけ上がっているように見えます。……気のせいでしたか?」


 さすがはいつも自分の側にいて共に死地を潜り抜けてきただけの男だ。ほめてあげたいところだが、今日に限っては気づかれたくなかったとアスールは心の中でため息をつく。


「気のせい、だな。まぁ機嫌が悪いと思われるよりはましだが」


 ごまかすように苦笑すると、それもそうですねと副団長は笑う。


 ふと、近くにいたブランシュが冷ややかな瞳をこちらにむけながら近寄ってくる。


「そういえば、寮母さんも今日はご機嫌みたいですね。昨日まではずいぶん疲れ切った顔をしていましたけど、今日はずいぶんと晴れやかに見えます。……誰かさんと何かあったんでしょうか」


 静かに、アスールにだけ聞こえるように言う。アスールが眉をしかめて無言で見つめると、ブランシュは冷ややかな瞳を崩すことなくアスールへ一礼してその場を立ち去った。


「団長、あいつと何かあったんですか?あいつ、いつも団長にやたら敵対心燃やしているように見えるんですが」


 会話の内容は聞き取れなかったが、二人の雰囲気を察した副団長がアスールに尋ねる。


「さあ、なんなんだろうな」


 アスールはブランシュの後姿を見つめながら、そう吐き捨てた。



◇◆



 一日の任務が滞りなく終わり、アスールは寮の自室で一人業務をこなしていた。明日の任務の班構成や王城への報告書など日中の任務以外にも団長としての仕事は山積みだ。


 ふと、窓の外を眺めると星が一つ見える。昨晩のことを思い出して、アスールはフッと微笑んだ。


 若干十八歳の寮母は、その若さから思うように寮母の業務をこなせていない。ここのところどうも煮詰まっているようだったので、久々に星空を眺めたら少しは心もほぐれるのではないかと提案してみたが、効果は抜群だったようだ。今日のレティシアはご機嫌そのもので、物腰もいつもより柔らかく団員とのコミュニケーションも上手に取れているようだった。


 そんなレティシアを見て、アスールも嬉しさが隠し切れなかったのだろう、副団長から冒頭の言葉を言われたのだった。


(俺の仕事の都合もあって昨日になってしまったが、あんなに喜んでくれるならもっと早くに誘うべきだったな。しかし、昨晩のレティシアは本当に可愛かった)


 湯浴みを済ませてきたのだろう、レティシアからほのかに香るフローラルないい香りは、アスールの心をかき乱す寸前だった。それにベンチへ招き入れた時に手を差し出した時の遠慮がちな姿、触れ合った手や密着した体の熱は今でもはっきりと覚えている。よく手を出さずに我慢したものだと、アスールは自分をほめてやりたいくらいだった。


 七つも年下の、ずっと妹のように接してきたレティシアをひとりの女性として意識し始めたのは一体いつからだったろうか。あんなに可憐で可愛らしかった少女が、日に日に成長し可愛らしさは残したまま美しい女性になっていく。見た目だけじゃない、内面もどんどん素敵な女性として育まれていく様子を、アスールはずっと見守り続けてきた。


 騎士団に入団してからは寮住まいになったため、レティシアと離れた時期もあった。その頃はまだ妹のような存在で、いつか自分はレティシア以外の女性と結婚するし、レティシアも他の誰かと結婚するのだろうと勝手に思い込んでいた。


 それなのに、だ。寮母であるレティシアの祖母が引退してレティシアが寮母として群青の騎士団寮へやってきた時には、あんなに小さかったレティシアがすっかり大人びた姿になっていてずいぶんと驚いた。当時レティシアは十六歳だったが、この国では十七歳で成人になるのでほぼ大人といっても過言ではない。


「お兄ちゃん!」


 そう言って自分の後ろをくっついて回っていたあの小さな少女が、すっかり魅力的な女性になっていたことにアスールは衝撃を受ける。だが、レティシアは自分のことを兄のようにしか思っていないはずだ。そう思い、兄として、そして騎士団長として恥じない対応をしようと心がけてきた。


 だが、寮で生活を共にするうちにレティシアに対して兄としての気持ちや騎士団長としての気持ちだけではない感情が生まれてしまったことに気が付く。どうしたってその気持ちは無くなってはくれず、日に日にそれは大きくなっていくばかりだった。


 それに、昨年寮へ入寮してきた団員の一人ブランシュはどうやらレティシアに気があるらしい。自分とレティシアが旧知の中だということは昔から寮にいる団員には知れ渡っているが、若い団員たちには言わないでいる。アスールと旧知の中だと知って、レティシアに取り入ってアスールに気に入られようとする輩が現れないようにするためだ。


 ブランシュはアスールとレティシアの仲を知らない。それでもレティシアを気にかけているということは、レティシア自身に興味があるということだ。その事実はアスールの心をじわじわとむしばんでいく。レティシアとブランシュが仲良く話をしている姿を見ただけで胸は張り裂けそうだし、明らかにブランシュは自分のことをライバル視している。そしてブランシュはそれを隠そうともしない。


 自分はレティシアに兄としか思われていないが、ブランシュはレティシアと同じ年で話も合うようだ。レティシアはいつかブランシュのことを好きになってしまうのではないか、そう思っただけでアスールは気が狂いそうになる。


(レティシアにとっておれは兄のような存在でしかないのに。レティシアに兄として以上の気持ちを持ってほしいだなんて、俺は本当にどうかしている)


 はぁ、と静かにため息をついて机の片隅にたまっている手紙の束を見つめた。そこには実家からの手紙もあるのだが、未開封のままだ。実家からの手紙は決まって結婚相手を見繕ったから婚約しろという内容だ。最初の頃は忙しいことを理由にして律儀に断りの返事を送っていたが、あまりの頻度に面倒くさくなり最近は無視を決め込んでいる。


(レティシアへの気持ちを隠し持ったまま、他の誰かと婚約するなんて無理だ。そもそも相手のご令嬢にも失礼だろう)


 本当ならレティシアと一緒になりたいと思う。だが、そんなことはできっこない。七つも年が離れていて、レティシアは自分のことを兄としか思っていない。そして騎士団長と寮母という関係性。気にしない人間にしてみればそんなこと大したことがないと言うだろうが、アスールにとってはそのどれもが無理だと思うための材料になってしまう。


 アスールがレティシアのことを考え頭を抱えていると、部屋の扉がノックされた。


「おい、アスール、いるんだろ?ちょっといいか」

「ノワールか、入れよ」


 アスールの返事にドアがゆっくりと開かれ、一人の騎士が入ってきた。少し長めの黒髪をひとつに束ね、長身でスラリとしている。少したれ目でややくたびれたような風貌に見えるが、その瞳の奥底にはギラギラとした光を宿している。その男はノワールといい、アスールとは同期で昔から仲がいい。


「どうした、こんな時間に」

「いい酒を手に入れたからこっそり持ってきた。一緒に飲もうぜ」

「お前……」


 寮内は基本的に禁酒だ。お祝いごとなどの場合には解禁されるが、それ以外ではお酒を持ち込むことも禁止されている。


「よく騎士団長の部屋に酒を持ち込めるな、お前の神経を疑うよ」

「騎士団長の部屋だからだろ。たとえ見つかったとしても騎士団長が共犯だったら罪は軽くなる」


 へへへ、と薄ら笑いをしながら懐から酒瓶を取り出して机の上に置く。部屋の片隅にある棚からグラスを二つ取り出して酒瓶から酒を注ぎ入れた。手慣れた様子にアスールはやれやれとため息をつく。


「お前はいつも仕事ばっかりしてるな。楽しいのか、それ」

「楽しいことも楽しくないことも両方だ。お前は仕事しなさすぎだろう」


 注がれた酒を一口飲みながらアスールは言った。ノアールは地位や名誉に興味がなく、仕事も最低限のことしかしない。だが、仕事をしなさすぎ、とはいってもノワールは剣の腕だけは良い。討伐の任務や警備の任務では誰よりも抜きんでていい働きぶりをする。それを知っているからこそ、アスールはノワールを邪険にしないし、飲酒のことも大目に見ているのだ。


「そういえば今日のレティシアはご機嫌だったな。何かあったのか?」


 にやにやと笑みを浮かべながらノワールはアスールに聞く。ノワールは、アスールのレティシアへの気持ちを唯一知っている男だ。昨晩のことを教えると、ノワールは目を輝かせてアスールのグラスへなみなみと酒を注いでいく。


「お前、珍しく積極的だな。それで、気持ちは伝えたのか?」

「伝えるわけないだろ、ばか。レティシアはどうせ俺のこと兄としか思ってないんだぞ。そんな男に急に告白なんてされてみろ、気持ち悪いだろうが」

「兄のように、ねぇ……そんなことねぇと思うけどな」


 ぼそり、とノワールはつぶやくが、そのつぶやきはアスールには届かなかった。


「俺はこの気持ちをレティシアに伝えるつもりはない」


 アスールの言葉に、ノワールはグラスをくるくると傾けてふーんと気のない返事をした。


「だったら、レティシアが他の誰かと結婚しても問題ないんだな?レティシア、縁談話が来てるらしいぞ」


 ノアールの言葉に、アスールは耳を疑った。





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