鍛冶屋
レティシアとアスールの婚約が決まって半年が経ったある日、ノアールは騎士団御用達の鍛冶屋に来ていた。
「ノアールさん!毎回毎回なんでこんなに剣をボロボロにして来るんですか!」
鍛冶屋のカウンター越しに、ノアールは一人の女性に怒鳴られている。濃い栗色の髪を一つに束ね、トパーズのような美しいオレンジ色の瞳の小柄で一見可愛らしい女性だ。
「なんでって、そりゃ任務に行って仕事して来たからに決まってるだろ」
「他の騎士の皆さんは毎回毎回ここまでボロボロにしないです!そもそもノアールさんはいつもさぼってばかりですよね?実力があるからここぞという時に任務に呼ばれるのはわかってますけど、こんな、剣がボロボロになるなんて……どんな使い方したらこんなになっちゃうんですか!」
ノアールの剣を悲し気に見つめ優しく撫でる。ノアールを怒鳴りつけた女性はこの鍛冶屋の店員、ニーシャだった。ニーシャの言葉に、ノアールは片目をつぶって耳を抑えている。
「そんなに怒らなくてもいいだろ?俺だって一生懸命戦って無事に帰って来たんだよ。それもこれもこの剣のおかげだ。そしてこの剣のおかげってことはニーシャのおかげでもある。うん、本当にありがとうな」
腕を組んでうんうんと大きく頷くノアールを、ニーシャはジトっとした目で見つめた。
「そんなうまいこと言ったって私はほだされませんよ。ありがたいと思ってくださることは嬉しいですし、ノアールさんの命を守ることができたのは誇らしいです。でも、それとこれとは違います!いいですか?そもそも剣というものは……」
いつものようにニーシャの剣に対するありがたい話が始まり、ノアールは小さくため息をついて店主を見た。
「ニーシャ、その辺にしてやれ。こいつも悪気があって剣をこんな目に合わせてるわけじゃねえんだからよ」
「それはわかってるけど、本当にこれはひどすぎますよ」
ぷうっと頬を膨らませてニーシャはまた剣を優しく撫でる。ニーシャは小柄で華奢なうえに若く見えるが、鍛冶屋としての腕前は店主も認めるほどの一流で騎士団内でニーシャに剣の手入れを任せる人間は多い。ノアールもその一人だった。
「とにかく、剣はお預かりしますね。一週間ほどで仕上げます」
「おう、いつも悪いな」
諦めたようにニーシャが言うと、ノアールはニッと笑って礼を言った。
「そう言えばノアール、お前今夜暇か?」
「ん?いや、特に何もないけど?」
突然店主がノアールに尋ねる。夜の予定を聞かれるなんて珍しいと店主を不思議そうに見ると、店主の顔が少し曇った。
「帰りにニーシャを家まで送ってやってくんないか?」
「親方!」
「ニーシャ、いくらお前が腕のいい鍛冶屋で剣の使いにも慣れてるとはいえ、お前は女なんだぞ。何かあってからじゃ遅いだろ」
「それはそうだけど……」
店主の言葉にニーシャの顔も曇る。
「どうかしたのか?」
ノアールが眉をひそめて尋ねると、店主が神妙な面持ちでノアールに言った。
「最近、ニーシャの周辺でおかしなことが起こってるんだよ。最近やたらとニーシャが店にいるかどうか尋ねてくる不審な男がいてな。しかもニーシャが帰り道に誰かにつけられてるような気がするらしい」
「それは心配だな」
「で、でも、つけられてるのは気のせいかもしれないし」
「お前、そうは言ってもお前の持ち物がいつの間にか無くなったりしてるんだろ」
店主の言葉にノアールがさらに顔を顰めてニーシャを見ると、ニーシャは渋い顔で小さく頷いた。
「修理が終わった武器を届けに行ったとき、馬車の荷台に置いてた私の荷物から物が何個かなくなってて……」
「何が無くなってたんだ?」
「仕事の時に外してる髪飾りとか、あとはハンカチとか、手鏡とか」
ニーシャの言葉に店主とノアールは目を合わせ、すぐにノアールはニーシャを見て口を開いた。
「仕事が終わるのはいつ頃だ?迎えに行く」
◇
「すみません、送っていただいて」
「いいんだよ。話を聞く限りは危ない感じだしな」
ノアールはニーシャの仕事が終わる時間に店に迎えに来てニーシャを家まで送っていた。街灯があるとはいえ、やはり夜道は薄暗く女性が一人で歩くには危ない。ニーシャの仕事が終わるのは遅い時間なのでなおさらだ。
(こんな薄暗い道、いつも一人で帰ってんのか?まじで危なっかしいな。もう少し店の近くに住めないもんなのか)
店までの距離はそんなに遠くないと言うが、それでもこんな夜道を歩くには十分遠いと言える距離だった。
隣を歩くニーシャをチラリとみると、ニーシャは少し周囲を警戒するように緊張した面持ちで歩いている。いつもは喜怒哀楽の大きいニーシャがこれだけ緊張しているのだから、事の重大さがうかがえた。
(一緒に来て正解だったな)
ノアールがふと何かに気づいて目を細める。そしてニーシャの手を静かに掴んでニーシャに顔を近づける。
「ニーシャ、後ろを振り向くな。つけられてる。走って撒くから俺の手を離すなよ」
突然のことにニーシャは驚くが、すぐに真剣な顔でノアールを見つめてうなずいた。それを見たノアールも静かにうなずき、次の瞬間走り出した。
曲がり角をいくつか曲がり、細い路地裏で止まる。かなりの速さで走ったので、ニーシャは肩で息をして壁によりかかった。
「大丈夫か?悪いな、速すぎたか」
「い、いえ、大丈夫、です」
小声で聞くノアールに、息を切らしながら小声でニーシャが答える。近くには人の気配はなく、どうやらうまく追手を撒けたようだ。
「うまくいったみたいだな」
ノアールがそう言うと、ニーシャはほうっと大きく深呼吸してしゃがみ込んだ。
「お、おい、本当に大丈夫か?」
「すみません、安心したら、力が抜けちゃって」
しゃがんだままノアールを見上げたニーシャは、ふにゃりと笑っているが少し震えている。
(そりゃそうだよな、怖い思いして全速力で走ったんだから)
「落ち着くまで待つから気にしなくていいぞ」
「ありがとうございます。でも、もう大丈夫です」
ふーっと息を吐いてニーシャは立ち上がろうとした。だが、やはりまだ力がうまく入らないのだろう、体制を崩してしまった。
「おっと」
咄嗟にノアールがニーシャを抱き止める。ニーシャの体は小さいうえに華奢で、すっぽりとノアールの腕の中に収まってしまった。
(ちっせえな)
この小さい体で自分たちの剣を扱っているのだと思うとずいぶんと不思議な感じがする。こんな細い腕があんなに重い剣を持ちあげ修理したり手入れしたりするのだ。なんなら騎士団の剣だけではない、冒険者の剣や剣よりも重い武器をこの手で掴み、直している。どう考えても不思議すぎて、ノアールはしばらくニーシャを抱き止めたまま動かなかった。
「あ、あの、ありがとうございました。でも、いつまでこうしてるんでしょうか」
ノアールがニーシャの華奢さ加減に驚いていると、ニーシャが腕の中で小さくうめく。
「あ、ああ、悪い悪い」
ノアールが腕からニーシャを開放すると、ニーシャは俯いたままだ。立ててはいるようだが、もしかするとその場で立っているのが精一杯なのかもしれない。
「ちょっとごめんな」
そう言ってノアールはニーシャの腰と膝裏に手を回してニーシャを持ち上げた。
「う、ええっ!?」
突然お姫様だっこされたニーシャは驚いて慌てふためくが、ノアールがしっかりとニーシャの体を掴んでいる。
「あんまり暴れると落っこちるから気をつけろよ。俺の首に手を回した方が安定する」
「えっ、いや、あの、この状態は一体」
「まだちゃんと歩けないだろ?これで家まで送るよ。俺にこうされるのは不服かもしれないけど、我慢してくれ」
「へえっ!?」
有無を言わさないノアールに、ニーシャは観念しておずおずと遠慮がちにノアールの首に腕を回した。
「よし、これで大丈夫だな」
「あの、ノアールさんていつも女性にこんなことしてるんですか?」
「?いや、こんな状況になることまずないだろ」
「それはそうですけど……自然にやってるなら天然たらしすぎる」
「ん?なんか言ったか」
「なんでもないです」
ノアールの肩に顔をうずめてニーシャはまた静かにうめいた。




