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「………ゆ、め?」


「失礼致します。お嬢様、おはようございま、…す」



部屋のドアを開けて入って来た侍女は、いつもの通りに部屋の一番奥のカーテンを開ける。が、侍女は少しだけ目を見開いたのか、驚いたような表情を見せ、手に持っていた水の入った桶を落とした。


「お、お嬢様…、起き上がって…」

「どうしたの?」

「しょっ、少々お待ちくださいませっ」


慌てて部屋を後にした侍女の、とんでもない叫び声が廊下を反響させている。


「お、お嬢様が目を、目を覚まされましたぁーーーーーーーっ」


朝なのだから、目を覚まして何が悪いのだろう?

それとも、我が家にはそんな習慣でもあるのか? いや、少なくとも12年間生きてきてそんな習慣はなかったはずだ。

 

それにしても、あの夢は生々しかった。

けれど、あれが夢でないという変な自信がある。

あれは、今の『私』ではない私に起きた現実だ。そして、私は彼に会うんだ。今世もきっと。

 

まだカーテンの引かれたままの窓まで歩くが起き抜けだからなのか、足を地につけているのに、妙にふわふわとした浮遊感に違和感を感じる。

まるで自分の体ではないような不安定さだ。私は、こんなに体力がなかったか? いや、武闘家の家に生まれ、国家騎士統括隊長の父と第一騎団団長の兄、騎士学校主席の弟がいる家系で、その名家に恥じない女であるために必要はなくとも鍛練はしてきた。

並大抵の男ならば相手にする自信がある。では、なぜこんなにも体に力が入らないのか。

手にしてカーテンを開けるが、何でもない少し大きな(大き過ぎるくらいだ)ただの布を左右に開くだけなのに、思うように力も入らない。

 

――まるで子どもの頃のようだわ――


侍女が叫びながら出て行ってすぐに、騒がしい足音が開けっ放しのドアを通して、近付くのと同時に雄叫びも聞こえる。

いったい何が近づいてくるのか。


「エリーーーーーーーーッ?!」


ドアの蝶番のネジが外れかける程の勢いと音の後に3人の大柄な男と数人の侍女たち、そして大柄な男の一人は小脇に白髪の壮年男性(細身でくたびれた見た目だ)を抱えている。


男の一人、髭の生えた壮年は父親のトムフォード・オーバリーだ。いつもは威厳のある険しい表情の人だが、今はその表情は崩れ今にも泣き出してしまいそうに見える。

もう一人は、母似の形のいいアーモンド型の瞳とスッと通った鼻筋の好青年、ルイスだ。優しそうな見た目だが、隊員相手にはとても厳しい。

ルイスの少し後ろにいる良く似た弟のアーノルド。ルイスよりも幼く童顔な見た目が嫌らしいが、優しい口調と笑顔でとんでもなく手厳しい事をズバズバと口にする所は母親にそっくりだ。

少し後から、母親のマリアナの姿も見えた。


我が家総出で、娘の目覚めを見に来てくれるのは嬉しいがいささか大袈裟すぎないだろうか?


「イェリアーンシス、ここに座ってもらえるかな?」

「……叔父様こそ、座った方がよろしいですわ。お父様のせいでお顔色が悪くなってしまわれていますもの」

「では、一緒に座ろうか」


父親の小脇に抱えられていた白髪の壮年は、父の弟のラドフォード・ダン・シーベルト公爵だ。

父とは真逆の外見と体型だ。

騎士団の軍医長と軍師を勤めている切れ者だ。


「さて、基本的な事を聞くが気を悪くしないように」

「…はい」

「君の名前は?」

「…イェリアーンシス・オーバリーです」

「よろしい。では、年はいくつかな?」

「11歳になりました」

「なっ?!」

「っ、どういうことだっ?!」

「兄さんも、ルイスも、少し黙っていてくれないか? これでは、エリーが余計に混乱してしまう」

 

父とルイスお兄様が焦ったようにラドフォード叔父様を問い詰めている。

お父様ったら、そんなに締め上げては叔父様が窒息してしまいそうだ。

それにしても、2人は何をそんなに焦っているのだろうか?


「ごほっ…ま、ったく……エリー、君は眠る前に自分の身に起きたことは覚えているかい?」

「…いえ、私はいつものように学園からの帰りで……え?」

「うん、少し違和感を持てたかな?」

「ラドフォード! 俺の可愛いエリーは大丈夫なのかっ!!」

「だから、吠えるな。エリーは、事故当時の記憶がない。加えて2年近く眠っていたんだ。これは想定内だ」

「…じ、こ?」


くいっと眼鏡をあげて、ラドフォード叔父様がゆっくりと話をしてくれた。

もちろん、叔父様の後ろでお父様とルイスお兄様が騒いでいたけれど、アーノルドが2人を連れて部屋を出て、叔父様とお母様、そして侍女一人だけが部屋に残った。



「エリー、君は学園からの帰り道で事故にあった。幸い、君は一命を取り留め、事故直後は意識がハッキリとしていた。僕ら一騎団が駆けつけた時も君は何とか意識があって、従者たちを助けてくれと叫んでいた」

「……何も」

「かなり悲惨な現場だったからね。滑落したのが崖だったし。……その時の後遺症で君は、下半身不随の重症を負ったはずだった」

「いえ、足は動きます!」

「…そうなんだ。理由は分からないが、君の足は奇跡的に完治している。先ほど診せてもらった腰の傷だけを残してね」






信じられない。

だが、事実には変わりない。


学園からの帰り道。

私はいつも通りに迎えの馬車で家路についた。

何一つ、変わりない。いつもの従者とお付きの侍女と、3人だ。

だが、運悪く馬車の車輪のネジが外れ、そう高くはない崖(と言っても、家の2階程の高さはあるだろう)から馬車ごと落ちた。

運良く、私は一命を取り留めたが、従者と侍女は打ち所が悪く、一騎団が駆け付けた時には亡くなっていたらしい。

そもそも、騎士団は私の帰りが遅いというお兄様の言葉で出陣したらしい。歳の離れた兄だからなのか、少しばかり過保護なのが功を奏した。


今日の所は休むようにと叔父様に言われたが、自分の身に起こった、覚えのない事を受け入れられるほど大人でもない。

かといって、受け入れられないわけでもない。

地に足がついていないような不安定さ、力の入らない手足、長過ぎる眠りでぼーっとした思考。

事故から2年近く眠っていたとなれば全て合点がいく。


「……私に与えられた何かがあるから、生かされているのでしょうね」


誰にともなく、呟くように新たな決意を口にする。


「神は、私に新たな天命をもたらした。前世の…どことも分からない世界で出会った人」


特別に神を信仰しているわけではないけれど、神の御業とも言える奇跡を体験したのだから、神の存在を信じる以外に理由付けが出来ない。


「私は……きっと彼とこの世界で生きるために、一度死んで生まれ変わったのだわ」


それなら、これからの私に出来ることは、たった一つ。

 

“生き抜くこと”


まずは、衰えた筋力と体幹を元に戻さなくては。

筋力が戻ったら弓稽古と護身術の鍛練も再開ね。

それに、淑女の稽古もしなければいけないし、あの人がどの位の方なのか分からないから、どうなってもいいように教養も必要だわ。


やることは山積みね!

 

来年は14歳。

社交界デビューの年ですし、それまでに全てを整えなくては!!




『全ては、貴方と生きるため』


夜空に輝く月は、これからの未来を優しく照らすように光っている。

どんな暗雲だろうと、今世こそ――










・・・・―――――1年後。





タンッ―


庭の端に設けられた小さな的の真ん中に、放った弓がまっすぐに突き刺さる。


「姉上、貴女は本当に2年間、眠っておられたのですか?」 

「あら、その事実は貴方がよく分かっているでしょう? でも、まだまだね。放す直前に指先がぶれたわ。そのせいで射道も少しぶれたもの」


とは言うものの、思っていた以上に早く筋力と体幹が戻った。

寄宿学校の春休みで帰省しているアーノルドが、信じられないとでもいう妙な顔をしているけれど、本当の事なのだ。

それもこれも、叔父様とルイスお兄様のおかげだ。

騎士団員の基礎訓練をリハビリ用に応用したメニューを作ってくれて、定期的に健診もしてくれた。

成長過程でもある私の体を、壊さないように、そしてやり過ぎないように、状態を診ながらのリハビリで私の体は想定以上の早さで回復した。


「エリー」

「お母様!」


美しいブロンドに、アーモンド型の目とスッと通った鼻筋。

白く透き通った肌に映える紅の引かれたポッテリとした唇。

母は、誰がいつ見ても美しく妖艶な淑女だ。もう26にもなる大男を産んで育て、まだ10代の子どもがいる3児の母親だということを忘れてしまう程の絶世の美女だ。

 

「もうすっかり、もとの貴女ね」

「はい。でも、まだ指先の感覚が万全とはいえません。ルイスお兄様は気のせいだろうと言われるのですが、やはり射道が少しぶれますの」

「…戦場でその技を振るうわけではありませんよ。淑女としての仕草も忘れてはなりません」

「もちろん、心得ておりますわ」

「エリー、5日後に陛下より舞踏会の招待を頂いたの。貴女が目覚めた事をお伝えしたら、万全となった頃に14歳のお祝いも兼ねてと仰っていらして、5日後に決まったのよ」

「まぁっ! ドレスを新調しなくてはいけませんわ! お母様!」


にっこりと笑った母が「だから、この後は私と出掛けましょう」と嬉しそうに話をしてくれた。


弓の腕を極めはしているが、女である以上おしゃれはしていたい。

何時なんどき、運命のあの人に出会う事になるのか分からないのだから、いつどうなってもいいように万全でなければいけない。

これは、淑女としての嗜み以前に、女としてのプライドでもあるのだ。


懇意にしている仕立て屋で今度の舞踏会用の服を仕立てる。

母が事前に注文をしていたらしく、おおよその形も出来上がっていて、後は寸法直しを少しするだけということらしく、舞踏会には何とか間に合いそうだ。


その後はここ数年で新しく出来たという洋菓子店へ行ったり、個室のある喫茶店でお茶をして、私たち特に母は王女の妹ではあるが至って庶民に近い趣味をお持ちの人だ。

王宮で育っていた幼少期の事を母は、まるで鳥籠のようだったと話す。

決められた相手、決められた場所、決められた順番。

王の一番最初の子どもにのみ、王位継承権が与えられ、それ以外の子どもたちは言わば保険。

その保険は、必要な時に必要な存在でなければならない。第二皇女として生まれ、王位継承権がないのならば、結婚という形でその身を必要な存在にしなければならない。

役に立てなければ、意味のない人生だった。


「それでも、お姉様は……陛下は私に一つの権利を与えてくださった。結婚相手だけは、私が決めてもいいというもの。反対をする大臣たちをね、『妹の政略的結婚がなければ、私の治める世は不安か? 私が、無能であるということか?』って、言って黙らせちゃったの」


ふふっと扇子で顔を隠して笑う母は、とても優しく幸せそうだ。

その母が、目を伏せて悲しそうに眉を下げている。


「結婚ってね、お家事情だけではない幸せな物もあるのよ……それで、あのね、エリー。貴女にとってあまりいい報告ではないのだろうけれど、舞踏会で見聞きするよりはずっと良いと思うの」

「はい」


なんとなく、このあとに言われることは分かっている。

この1年、一度たりとも姿を見せなかった人。そして、誰もその話をしない。

お母様がご自分の話をしたのだって、理由があるのだろうことも途中で察してしまった。


「貴方と婚約を交わしていた、ルパードなのだけれど…昨年、別の方との婚約が決まってね…ごめんなさい。引き留めてはおけなくて」

「お母様、お気になさらないで。彼は花の16歳。引く手数多の殿方をいつ目覚めるかも分からない婚約者で足留めなど出来ませんもの。……それに、わたくし、目が覚めてからルパードを思い出した事、欠片もございませんの」


私の発言に、母は少し面食らったようだったけれど、すぐに淑女の微笑みを見せて笑ってくれた。


「お相手がいないで舞踏会デビューに行かせるなんてと思っていたけれど、貴女を見て少し安心したわ。当日はアーノルドがエスコートしますから、安心なさい」

「まぁ、アーノルドったらもうそんなことが出来る用になったんですの?」

「この春休みに叩き込んだのよ。卒業後には婚約も正式に決まることですし、いつまでも武骨なままでは困りますからね」


2つ下のアーノルドは母の叔母上にあたる方のお孫さんとの婚約が決まっている。

そのお孫さん、アーノルドよりも2つ年上で私と同じ年なのだけれど、隣国での留学中で私もよく知らない子らしい。

まぁ、アーノルドには年下よりも年上の方がしっくり来るし、ちょうどいいのかもしれない。


「貴女には、幸せになって欲しいのよ、母のように」

「はい、お母様」


 

◆ ◆ ◆



仕立てたドレスは、舞踏会の前日に届けられた。

試着したドレスはピッタリのサイズで、少し胸が踊った。

髪を結い上げ、母から譲り受けたネックレスとイヤリングを身につけると、跳ね踊っていた胸は舞い踊る用に高鳴る。

今日で自分も淑女の仲間入り。

華の社交界で生きる女になるんだ。



「今宵の姉上は、大変お美しいですね」

「良い誉め言葉ですね。本番は、女性の耳元で囁くと尚良しです」

「分かりました。令嬢とお会いした際にはそう致します」

 

お母様ったら、アーノルドをどんな色男に育てるおつもりかしら。と心配になるやりとりだ。

紳士としてエスコートするアーノルドに成長を感じて嬉しくなる。



「そういえば、今夜の舞踏会にはルパードも来るらしいですよ」

「そう。ご挨拶をするべきかしら?」

「姉上は、私の隣に凛としていればいいのですよ。挨拶など、男からさせるものです」

「そうなの? でも、ルパードとは幼馴染みでもあるわけだし、ご婚約なさったのならお祝いの言葉を伝えた方が良いと思うのだけど」

「……姉上はどこまでお人好しなんです? というか、姉上の場合、黙っていれば物語に出てくる悪役令嬢のようなのに、口を開くと想像とは真反対なのですから、こういった場所では、黙って微笑んでいれば、オーバリー家の青薔薇としては花丸ですよ」

「………なに、青薔薇って」

「……本当に、姉上は。はぁ、いいですか、オーバリー家にと言えば――・・」


そこから会場につくまでの間、馬車の中では、社交界でのオーバリー公爵家の評判と淑女たちの地位についてのアーノルドによる講義が行われた。


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