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―今世こそは末永く幸せになってやろうじゃないか!―

黒い髪は短く、清潔な印象がある。

黒い上品なスーツから覗く、キレイに刈り上げられた襟足とうなじ。座ってる彼の後ろから抱き付いて、そこへ唇を寄せるのが好きで、それをするとよく仕返しにと私のうなじにキスマークを残される。


目付きはつり上がって鋭いが、私を見つめる瞳はいつも優しく暖かい。


スッと通った鼻筋と薄い上唇。下唇の右下に小さなホクロが一つあって、それがとても色っぽい。

なにかを考えているときにペロッと出てくる舌に飛び付いてしまう。


大きな体には、左の肩から背中の刺青。初めての時、怖がらせないようにって服を着たまま私に触れてくれていたけれど、私はそれが寂しくて「脱いで」ってせがんだ。

彼は、それに苦笑いしながら「煽るな、バカが」とおでこに口付けて、服を脱いでくれた。

 

不器用なりにちゃんと私を愛してくれる。私のぶつけるような愛情表現に耳を赤くしながら答えてくれる、そんな彼が大好きで、愛しかった。

 

私の近くではタバコは吸わないし、お酒も飲まない。

タバコ臭いキスも、酒臭いキスも、したことがなくて、それをねだっても「お子さまにはまだ速い」とあしらわれる。でも知ってるの。私が堕っこちないようにって、少しでも悪い事から避けられるようにって、いつでも守ってくれてること。

 

「……そんな、嘘だぁ」


――深夜0時過ぎ。楷泉氏の自宅マンションの近くで通り魔に襲われたと見られています。

楷泉氏の他に、数人が教われ、重軽傷を含め少なくとも6人の死傷者が出ています。

以前犯人は刃物を持って逃走中との発表に付近では警戒が強まっており、近隣の学校は臨時休校………――



目の前に突然突き付けられた事実を受け入れるのと、辰治さんへの電話をかける動作はほぼ同時だった。

死んだ。なんて報道は嘘で、実は生きていて、いつもみたいに少しかすれた低い声で「バカだなぁ」って笑いながら電話に出てくれるんだ。

そうに違いないんだ。

だって、昨日車の中だっていう辰治さんと電話してて、家に着くからって、「おやすみ」って、電話で言い合って……


《…ヒマリさん…》

「…………ぅあ、あぁあっ……う、そでしょ? ねぇ、まっさん!」

《……すまねぇ、すまねぇ……若から伝言、預かってます。忘れるなよ、愛してるからな。だから、さっさと忘れて笑っとけ。………ヒマリさん、もうかけてこねぇでください。若からの命令です。それじゃ》


いつも、秘書のように辰治さんの横にいた松山 政春さん。私はまっさんって言って慕ってたけど、そのまっさんからの抑揚のない妙に落ち着いた声が、現実だと念を押している。

一方的に切られた電話にかけ直したけど、既に不通のメッセージが流れる。

 

――あぁ、こんなにも速く辰治さんとの繋がりを切る準備してるなんて…ずるいよぉ…


「あぁーーーーーーっ」








何日も泣いて、疲れて寝て、目が覚めてまた泣いて。

私の中ではずっと終わらない悲しさなのに、世間はあの通り魔事件をもう報道すらしていない。

いつも通りの政治ニュースに時事問題、明日の天気や番宣…。

私だけが止まったまま。

愛する人が死んでもお腹は空くんだと、初めて知った。

何もしたくないのに、「何か食べなくちゃ」って思う自分がいる。



「そうだ、食べてちゃんとしなきゃ。笑っとけって……笑って生きてろって言われたじゃない」


どれくらい泣いて、どれくらい塞ぎ混んでいたのか。

スマホのメッセージ通知がえげつない。

ゼミ仲間からの新着メッセージは50件近い。

着信もあったらしいが、気付いてもいなかった。


いつもの調子でグループチャットの方に{季節外れのインフルー。やっと動けるー!ごめーん!}とだけ返した。


仲のいい子たちにだけ個別で返して、後のどーでもいい男たちからのメッセージはフル無視。

辰治さん以外の男は正直、邪魔なくらいだと思うのは今も変わらない。

寝ても覚めても、もう貴方が居ないという現実は生きる地獄と一緒な気がする。


それでもきっとあなたは苦笑いしながら言うの。


『いいから、笑って生きてろ』





久しぶりに吸う外の空気。

 

久しぶりに会う良く見知った友達の顔。


変わらない楽しい会話。


私がどんなに悲しいと嘆いても切れない私の生きる世界。


貴方のいない、交わらない世界。


いつだったか、辰治さんが私に言った。


『ねぇ、辰治さん?』 

『んー?』

『何で左じゃダメなの?』


新聞に視線を落としていた辰治さんが、ソファでだらける私を見ている。

小さな、でも照れ臭そうなため息をついてガシガシと頭をかいてから、意を決したように私の手を取って少し真剣な顔をする。


『こっちにはめるってことは、もう全部俺のモンになるってことだぞ?』

『…うん、いーよ? なる! なるもん!』

『……今、ヒマリが持ってるモン捨てて、俺のとこに来れるのか?』

『っえ、と……捨て、る?』


グッと声を低くした辰治さんが、私の左手に力を入れる。


『家族も、友達も、夢も、全部捨てて俺のモンになる覚悟があるか? 一度こっち側に来ちまったら、お前はもう正真正銘俺の女だ。俺の下にいる舎弟等の姉になるんだ。切っても切れねぇ関係になる。その時、お前が向こう側に帰りたいと泣いても、許してやれねぇんだ。分かるな?』


辰治さんの言うとこは理解できる。

捨てられる自信なんてない。

危ない世界の女になると言うことは、真っ白な世界から背を向けて、黒く染まる事と同じ。

一度黒く染まった絵の具が、真っ白に戻ることはない。

その色に、辰治さんの色に染まり切る覚悟。


『だからな、その覚悟が出来たら、そのときにこっちにはめて身一つで俺のとこに来い』


そう言った辰治さんの目はとっても優しくて温かくて、嬉しかったな。


でもその時、私は即答出来なかった。

毎日のようにかかってくる父からの電話。私を心配する兄2人からのしつこいくらいのメッセージ。

 

他愛ないことで笑い合って、冗談を言って過ごせる友人。


弁護士になりたいという願い。


 


それを捨てられるのか?


捨てていいのか?





でも―――…




今なら、言えるよー…






「ヒマッ、あぶっ――……」



ドンッ――…






あー、一瞬重かったな。

何だろう…何も感じないのに、もうダメなんだって分かる。



視界に映った運転手の顔を覚えてる。

辰治さんの舎弟さんたちの中でも、最近入ったばかりの若い人だった。

私より少し年上の、犬っぽい人。


でも、あの顔は……犬というより、手負いの狼?

闘志抜き出しで、怖いくらいの殺意の目。



あぁ、辰治さんを殺ったのも……あの人だ。

で、次に私か。

辰治さんの周りにいた人間、皆消すつもりなのかな?

じゃぁ、まっさんも危ないじゃん。



でも、危ないって、言えそうにないなぁー…



どうか、辰治さんの大切な家族が危ない目に合いませんように。



そして、どうか。



次も辰治さんと会える世界に生まれたい。






そして、今度こそ――………



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