令嬢の咲かせる毒花
おかしかった箇所を修正しました。
皇女→王女
真実の愛とは何だろう。
幸せとは何だろう。
甘く儚い幸福で耽美な日々は、誰かの犠牲の上で成り立っているのかもしれない――。
◇ ◇ ◇
「早くしなさいよ愚図」
王太子との婚約を控えた冷徹な女王、アシュリラ王女が言い放った。
彼女の映えある婚姻の儀に際して、いそいそと床掃除をしているのは同じく王女のスノーレムだった。
同じ王女の立場にあっても、両者には埋めようのない天と地ほどの差が存在していた。
グランデバレン王家。
富、名声、力と全てを手に入れた世界有数の貴族であり、そんな王家と婚約を交わす事ができるのは大変名誉ある勲章であり、貴族間では一種のステータスとなっていた。
そんな世にも優れたる王家にはちょっと問題があり、それは生まれてきた13人の子供たちが皆女性であったことだ。
それぞれ王女たちは第1から13番目まで区分され、男児に恵まれなかったこの代では、何としてでもあちらから婿入りしてもらわなくてはならず、そこでまた例年のように男子を儲ける事ができれば晴れて跡継ぎを作り出す事ができ、王家は再び安泰を迎える事ができる。
13人の中で最初に生まれ、王家の序列も最高の第1王女であるところのアシュリラは、それはそれはこの婚儀を心待ちにしており、一番期待もされていた。
それ故プライドは山よりも高く、自分以外の人間はクズ同然な態度を周囲に振りまいていた。
しかし強気な態度相応に実力も高く、稀代の傑物たる彼女から生まれてくる男児は、それはもう国家を背負うに値する百年に一度の傑物だと信じられてきた。
反対に才能の全てを彼女に奪われたと言っても過言ではない13番目の王女――つまりスノーレムは、この世の責め苦を一手に引き受けたような扱いを受けていた。
まず髪の毛が黒かったこと。これが彼女にとっての厄災とも呼べる人生の始まりだった。
古来より王家では「黒」は悪魔を呼び寄せる不吉な色だとされており、生まれてきたというだけで罪に値するほどの強い影響力を持っていた。
ちなみにカラフルな髪色が目立つ王家で彼女が唯一の黒髪である。
だからこそ余計に注目の的にされ、王侯貴族からは「不吉」「穢らわしい」だの「悪魔の末裔」とまで蔑まれ、父たる国王からも「王家の恥さらし」として長い間塔の中に幽閉されていた。
黒髪というだけでここまでの扱いを受けるのか――否、この身体的特徴だけに留まらなかったのが彼女にとって最大の不幸だった。
彼女は生まれつき肌が真っ白であった。
肌が白いというのは「貧弱」や「病欠」など、髪の毛以上によくない印象を与え――つまりこの二つの特徴を持っていたが故に、彼女は13番目の王女でありながらこのような仕打ちを受けている訳である。
家族からは居ないもの扱いをされ、相手にされる時といえば何かドジを踏んで失敗した時だけ。
その時は親族一同から、それはもう死体でも見るような冷たい目つきで睨まれ、激しく責め立てられる非難の対象となっていた。
体の良いサンドバッグと成り果てた彼女に、生まれは歴とした王家でも今生に未来などあり得なかった。
他ならぬスノーレム自身もそう信じていた。
そんなある日の事であった。
婚姻の儀まで大分時間があるので、アシュリラはご機嫌でドレスの支度や城内の準備をスノーレムに全て押し付け、更にはそれらを終えた彼女を城から追い出してしまった。
曰く「穢らわしい疫病神に清潔な城内を彷徨かれては困る」だそうだ。
叩かれなかっただけ御の字だと思い、彼女は外を出歩いて途方に暮れていた。
彼女が異変に気がついたのは木々の揺れる音からだった。
明らかに小動物のものではない――なにか大きな人間が転げ落ちたような。
「あいたたた……やぁ、助かりましたよ。貴女は?」
そこには本来いるはずのない人物が木の葉を纏ってはにかんでいた。
「アレオス……アレオス・クラウリオ王太子様……?」
何を隠そう彼こそが本日、アシュリラと婚姻の儀を結ぶクラウリオ家の長男だったのだ。
通常王家と王家の結婚では、婚姻の儀当日までお互いに顔を知らされることはない。
第一に遠路はるばる忙しい中、互いに顔合わせする機会が乏しいこと。第二に王家同士であれば誰が誰と結婚しようが然程問題として扱われないという事情がある。
政略結婚。
当人同士の相性より、むしろ生まれてくる子供の方に両家は期待している節がある。
そんなこともあり、彼は一刻も早く自分の婚約相手をひと目見たく、木の上から城内を覗き込もうと企んでいたわけだ。
しかし、慣れない事をしたのでうまくバランスが取れず落下してしまったのだ。
土埃と木の葉に塗れてしまった王子の服を、スノーレムがせっせと綺麗な布で拭き掃除をする。
そんな彼女の様子を、アレオスはじっと見つめていた。
「……キミだ」
王子は突然掃除をしている彼女の手を取って言った。
「キミこそ私と結婚するグランデバレン王家の王女だ。どうだ違うか?」
王子のその余りにも真剣な眼差しを向けられ、スノーレムはそれまでにない感情を抱くと共に困惑した。
「それは――大変申し訳ありませんが、それは大きな誤解でございますアレオス様。私はスノーレム。第13王女です。王太子様が本日婚姻の儀を結ばれになられるのは、第1王女のアシュリラお姉様でございます」
しかし王太子殿は一笑に伏し、彼女の頭を撫でた。
「それが事実であったとしても――私の心は既に決まったよ」
やがて彼は追ってきた従者の元に向かって走り去り、間もなく王太子一行を迎えて婚姻の儀が始まろうとしていた。
「……はい?」
「ですから私クラウリオ家のアレオスは、第1王女アシュリラ様との婚約をお断りさせていただきます」
参列者の手に持っていた乾杯のグラスが、地に落ちて叩き割れた。
一同騒然な王太子の爆弾発言が立席の諸侯たちを唖然とさせ、両家を混乱の渦に陥れていた。
「代わりに――そう、キミだ。第13王女スノーレム様よ。貴女との婚姻の儀を結びましょう」
スノーレムは王太子から差し伸べられた手に――眼前の信じられない光景にどうして良いかわからなかった。
この一件は、巷を騒がす一大事となった。
国王も厄介払いできて精々やら、手塩にかけた娘を袖にされたやらで高熱を出してうなされ、当の王太子はクラウリオ家から火のようになって怒られた。
この問題が難しいところは、グランデバレン王家の子が全員女であるため強気になって出られないところと、スノーレムがあんなでも形式上は紛れもない王家の王女であることだ。
本来婚約相手を入れ替えるなんて前代未聞の許されざる事態だ。
こんな暴挙がまかり通るのは、婚姻可能年齢に達している13人の女を抱えたげに特殊な今代のグランデバレン相手だけだ。
渋々それまでは居ないもの扱いだった13王女は、服を仕立てられ髪を結われ、身なりを整えられるとほどなくして婚姻の儀を結んだ。
それからの彼女の人生は一転して薔薇色そのものだった。
クラウリオ家の宮殿に招かれた彼女は、毎日のように城を飛び出して2人だけの幸せな時間を築き上げていた。
王太子と来る日も来る日も楽しく過ごし、次第に両者は惹かれあっていった。
既存の王族らしさに飽き飽きしていたという王族きっての問題児であるアレオス王太子と、王族どころか人としてすら扱われなかったが、誰よりも心優しい気質を持つ王族に相応しく無い存在たるスノーレム。
一見歪な両者が結ばれるのは最早必然――いや運命の領域ですらあったのかもしれない。
「あぁ。やめてください……そんな」
そんな2人の間には愛が芽生え始め、とうとう我慢の効かなくなった王太子によって夜伽の準備が進められていった。
「2人だけだから、大声を出しても大丈夫だよ」
アレオスからの熱烈な愛を拒みきれず、一晩中両者は互いを求め合うように抱き合った。
それまで女として見られた事のなかったスノーレムが、激しく愛欲の海に溺れ、王太子の逞しい腕に抱えられて朝を迎えた。
「夢を見てるみたい……こうして貴方に見初められて、互いに一つになれるなんて」
まだ興奮冷めやらぬ夢心地に微睡みながら彼女は腕の中で呟いた。
「今だから言えるけど、実はあの日第1王女と結婚するつもりはなかったんだ。でもキミがいてくれた。首の皮一枚繋がったってところかな」
「まぁ悪い人」
「……本当にあの日、キミと出会えてよかった。心からそう思っている。キミは他の王族みたいに権力や欲に満ちていない。汚れなき純真無垢な美しい魂なんだ」
「そんな事言われたの初めてだわアレオス。あの家ではいつも病原菌のように扱われていたわ。ねぇ見てよこの黒い髪に白い肌。穢らわしい災いの象徴でしょう?」
しかし王太子は首を横に振って彼女を強く抱きしめた。
彼女の肌も髪も、全て彼の手が優しく包み込んでいる。
「スノーレム。これからも僕と幸せになってくれないか」
「……はい」
しかしそんな夢のような日々の裏には、ただならぬ感情に支配されている者がいた。
婚約を破談されただけに飽き足らず、あろうことか自身がゴミクズと罵っていた出来損ないの末端の妹が自分の婚約相手を寝取ったのである。
これが心中穏やかなわけがない。
新たに結ばれた婚姻相手との会食でも、指先から血が滲むほど強くナイフを握りしめ怒りに満ちた表情で相手王子を睨みつけていた。
何であんな疫病神がアレオス様と婚約できて、私がこんな豚みたいな男と婚約しなければならないのよ。
絶対に認めないわ。何が何でもあいつから幸せという幸せを奪い取ってやる。
瞳の奥に灯された邪悪なる嫉妬の炎は、彼女をとある凶行に走らせる事になった。
その日はアレオスが諸外国との交渉に出かけて留守の日であった。
婚姻の儀を行った後、完全に住居を移した13王女の居場所を――2人だけの愛の巣を執念で特定したアシュリラはその日を狙って彼女の部屋に押し寄っていった。
何も知らずに呑気に鼻歌を歌っていたスノーレムの後頭部を、手にした酒瓶で勢いよく叩きつけると、気絶した彼女を引きずり回して薄暗い地下の倉庫に縛りつけた。
「お目覚めかしら私の可愛いスノーレム」
彼女が目を覚ましたのは、顔面にバケツに入った冷たい水をぶちまけられた時だった。
姉の修羅の如き形相を眺め、即座に何が起きているのかを察した。
「何をしにきたのですか……アシュリラお姉様」
名前を呼ばれたのが不快だったのか、彼女はスノーレムの頬を強く叩き、血走った目つきで冷たい視線を突き刺した。
「……いえね。そういえば大事な大事な妹の結婚式に、私まだお祝いをしてないと思ってね。今日渡しに来たのよ」
一見人の良い笑顔でそう言う彼女の顔はちっとも笑っておらず、むしろ鬼か悪魔のような威圧感を放っていた。
その光景とじんじんと湧き出す右頬の痛みから、スノーレムはかつて自分が受けた苦痛と恐怖を脳裏の底から思い出していた。
第1王女が取り出した護身用のナイフが、緊縛の王女の衣服を切り裂いた。
はだけた乳房が露わになったのを、彼女は光の灯らぬ瞳で冷徹に見つめていた。
「この胸で私のアレオス様を誘惑したのね」
怒りに身を任せ、アシュリラは彼女の白い肌が真っ赤に染まるまで叩き上げた。
手にしたナイフをちらつかせ、敢えてひと思いに刺殺しないところを見るに、恐怖を植え付ける思惑もあったらしい。
その効果は絶大で、それまで幸せの絶頂期にいたスノーレムは、実姉により一瞬にして絶望のどん底に突き落とされた。
「この泥棒猫の淫猥売女が」
赤くなった皮膚に唾を吐きつけ、ようやくナイフの切っ先を肌に近づけた。
鋭利な部分が当てられた白い肌から、一滴の赤くて丸い雫が滴り落ちてきた。
「その身体、傷物にしてあげる。今日から存分に王太子様と夜を楽しむといいわ。あははははっ!」
胸部の中心にかけて、アシュリラの突き刺したナイフが交差して傷跡を残した。
夥しい数の血がそこら中に飛散し、狂気に満ちた彼女の顔面を真紅の返り血で染め上げた。
これまでに味わった事のない苦痛にスノーレムは悲鳴を上げたが、薄暗い地下倉庫にやってくる人物など誰も居なかった。
それを良い事に彼女は突き刺したナイフをより奥の方へとぐりぐりと捻り込んだ。
それまでに胸中に渦巻いていた嫉妬や怒りを全てぶちまけるだけぶちまけると、満足したアシュリラは全身にこびりついた返り血をスノーレムのドレスで拭い捨てた。
そうして縛りつけたままの彼女を置いて、高笑いを上げながら地下室から出て行った。
◇ ◇ ◇
その後どうにかスノーレムは地下より脱出できたものの、その日以来彼女はずっと抜け殻のように変わり果て、最早生ける屍と化していた。
王太子が何を言っても反応せず、あれほど愛し合っていた夜の時間も激しく拒むようになった。
誰にも迷惑をかけたくない想いと、身を貫かれた痛みや恐怖でロクに言葉を紡げなくなってしまったのだ。
だが、新月が7回ほど巡ったある夜。
王太子に迫られた彼女はとうとう思いの丈を全てぶちまけた。
あの日自身に何があったのか、誰に何をされたのか全て――
「こんなに醜い身体になってしまい、もう私は王太子様のお側にはいられません」
夜の帳が下り切った深夜の中にいても、その白い肌に残った消えない傷跡はハッキリと確認できた。
一度脱いだ服で傷跡を隠すように再び着ようとしたその時、アレオスの力強い手がそっと彼女の胸部の傷に触れた。
「……キミの全てが欲しい。痛みも、苦しみも、悲しみも――全部」
涙を浮かべた王太子によって、スノーレムは1週間ぶりに夜の時間を過ごした。
「どんなに辛い過去があろうとも、夜の闇がなにもかもかき消してくれるよスノーレム」
彼は何度も泣きながらあの時の懺悔をした。
愛する者から目を離してしまったこと、守れなかったこと。
傷跡をなぞるように触れた王太子の震える唇が、冷え切った彼女の身体をなによりも温めるものだった。
その3日後のことだった。
突然アシュリラは父たる王に呼び出された。
そこには夫婦となったアレオスとスノーレムも居た。
「とぼけるな! お前があの日アレオス王太子殿に不始末を働いたことで婚姻が破談になったこと、何もかも知っておるのだぞ!」
「ですから待ってくださいお父上。そんな事私してません。むしろそこにいる薄汚い一族の恥が王太子様を誘惑したから――」
「ならばこのドレスに付着した血液とナイフはなんだ!」
「そ、それは――」
そう。それは紛れもなくアシュリラが愛用していた物だった。
しかし、あの日スノーレムを傷物にした際に使用した物は、全て彼女が誰にも知られず処分したのだった。
よって目の前にあるものはその時のものではない。
だが、彼女の表情には激しい動揺と焦りの色がうかがえた。
あるはずのないものを見せつけられ、あろうことかそれが全て濡れ衣の証拠となっているのだ。
王太子は傷のある自身の右腕に、血痕の付いたナイフを当ててみせて実演した。
「濡れ衣です! 私がそんな、王太子様をお刺しになる理由がどこにありましょうか!」
「ならば貴様は他ならぬ王太子殿の発言が虚偽のものであると言いたい訳か。ここまでの証拠が出揃っていて」
「だからその証拠なんて嘘っぱちで――」
「黙れ! 貴様をずっと大事に育てて甘やかしてきたが、こんな形で反故にされるとはな! 恩を仇で返しおって。……今思えば昔から貴様はどこか歪んでおったわ。確固たる証拠を前にしてもなお自らの犯した罪を認めず欺こうとし、王であるわしはおろか他国の顔にまで泥を塗る所業。貴様など最早王家の人間ではないわ! とっとと出てゆけこの不届き者が‼︎」
怒り心頭に達した王が合図すると、彼女は兵士によって城を追い出されていった。
王に献上した証拠品――それらは全て嘘だった。
あの日真相を知らされた王太子とスノーレムによって、彼女をはめるためにでっちあげた物であった。
実姉に無実の罪を着せ、国から追い出すというこの陰謀めいた提案を施したのは被害者たる彼女であった。
でも良いよね。お姉様も散々私をでっちあげの嘘で痛めつけてきたんだから。
自分に返ってきても文句なんて言いませんよね?
その後残っていたブサイク王子との婚約まで破談され、更にえたく気に入られた貴族の領主に拾われ、アシュリラはその養子となった。
――ところが。
「な、なんですのっこれ!」
領主の館にて彼女は生まれたままの姿にされ、檻の中に閉じ込められていた。
領主はぶよぶよと醜い身体を揺らし、恐怖に歪む彼女の顔を見つめて鼻息を荒げていった。
「なんと愛しき元王女よ。そなたは今から生命の奇跡を拝む事になろう」
檻の中には彼女の他にも得体の知れぬ怪物が入れられており、鋭い牙を覗かせてアシュリラを狙っていた。
「生命って何よ! 私は王女なのよ! あんたなんか問題にならない程の――」
「だった、でしょう?」
そうして涎を垂らした怪物に、かつての王女はその美しい足から順番に食いちぎられていった。
舞い散る血飛沫と肉片を眺めて、愉快そうに領主は手を叩いて笑っていた。
彼女の悲鳴と彼の嬉々とした笑い声が館中をこだまし、やがてそれらが終焉を迎えるようにしんと静まり返った。
真実の愛とは何だろう。
幸せとは何だろう。
甘く儚い幸福で耽美な日々は、誰かの犠牲の上で成り立っているのかもしれない。
ずっと蝕んできた家族を犠牲にして吸い尽くした栄養で、美しくも醜い私という一輪の毒花が咲き誇るのでしょう。
初の短編ものです。
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