新聞部ムツ、幼馴染みと三人で「転ばし桜」の噂に迫る!
ムツこと矢那瀬睦美は新聞部の幽霊部員である。
友人に頼まれ人数合わせで入部した彼女は、帰宅部同然の一年間を過ごしていた。
しかし三年生が引退し、新しい部長が就任した事で状況が一転してしまう。
「矢那瀬、春休みの間に一つで良い。何でも良いから何か皆が食い付くような面白いネタを書け。部長命令だ」
「いや条件ついてる時点で何でも良くないじゃん!」
どうやら新学期早々に部員全員が書いた記事を張り出し、新入部員確保を狙うつもりらしい。
これまで何もしなかった手前拒否する事もできず、ムツは渋々と自身初の記事作成に取り組む事となった。
◇
「ってな訳で突撃取材、行ってみよーっ! オーッ!」
「何が『ってな訳で』だ。いきなり呼び出しやがって。お前の部活事情に俺達を巻き込むんじゃねーよ」
虎之助が右拳を突き上げるムツの頭を軽く小突く。
大して痛くないくせに大袈裟に騒ぐムツを、孝幸がどうどうとなだめた。
「まぁ良いじゃないか、トラ。どうせ俺達暇だろ」
「そーだそーだ。可愛い幼馴染みを助けるのは当たり前の事でしょーが!」
「冗談は顔と中身だけにしろよ」
ギャイギャイと言い合うムツと虎之助を引き剥がし、孝幸が話を引き戻す。
「で、取材先のアテはあるのか?」
「まぁね」
ムツは言い合いを止めると得意気に胸を反らしてメモ帳を握り締めた。
「私ってば他の部活とか生徒会事情とか、なーんも知らないでしょ? だから学校周辺の地域ネタを書く事にしたの」
「妥当だな。それで?」
「ネタの目星は学校裏にある桜並木! ほら、あそこ変な噂があったじゃん」
鼻息荒く「転ばし桜の噂だよ」と語るムツに、男子二人は引き気味に首を傾げる。
「俺知らね。タカは?」
「俺は小耳に挟んだ程度だな。確かその桜の下を歩くと転ぶとか何とか……」
「ザッツライト!」と指を鳴らし、ムツは噂の詳細を補足した。
「正確には桜並木の一番端。一番でっかい桜の下ね。そこは昔から何故か事故が多くて、人は転ぶわ自転車も事故るわで有名みたい」
「へぇ、通学路からは外れてるから俺らにゃ関係ねーな」
「シャラップ! で、特に受験生なんかは『転ぶ』だの『滑る』だのって気にするでしょ? それでうちの生徒の間でも『あの桜の木の下は通るな』ってまことしやかに囁かれてるって訳」
ムツは「ね、気になるでしょ? 気になるよね!」と期待に満ちた目を二人に向ける。
こうなった彼女を止める事は難しい。
長い付き合いの中でそう学んでいる二人は、結局ムツに押しきられる形で件の桜の元へ向かう事を了承した。
「ちなみに、転ぶ原因の噂についてはすでに収集済みで~す!」
「事前準備は助かるな。聞かせてくれ」
褒めよ敬えよと言わんばかりのムツを適当にあしらい、孝幸は話の続きを促す。
真面目な彼は取材に付き合うと決めた以上、真剣に取り組むつもりらしい。
「主に二つの噂があってね。一つは『幽霊が足を引っ張って転ばせる』説。もう一つは『桜の精がイタズラしてる』説。まぁどっちも大して変わらないかな」
「あ? ホラーとメルヘンじゃ全然違ぇだろ」
「いや、『非現実的な存在によって転ぶ』という点で言えばどちらも大差ないだろう」
虎之助は今一つ納得いかないのか、「そんなもんかねぇ」とまるで興味を示さない。
「あとね、幽霊説は種類が多くてどれがオリジナルかは分かんなかった。『転んで死んだ霊』『自転車事故で死んだ霊』『受験に失敗した生徒の霊』……と、まぁこの辺が有力かな。『木の下に死体が埋まってる』なんて話もあったよ」
「なるほど。どれもありがちな話だ」
そうこう話す内に三人は高校の裏手──閑静な住宅地にある桜並木に到着した。
どの桜も満開に咲き誇っており、中々に見応えのある光景である。
三分ほど道なりに進めば、ようやく目的の「転ばし桜」が見えてきた。
その桜は明らかに他の木よりも幹が太く、背も高いし枝も多い。
しかし──
「確かに他よりかはデケぇ桜だが……花は殆んど咲いてねぇな」
「ほんとだ。何でだろ? な~んか怪しい。オバケの影響?」
「馬鹿か。オバケなんて居っかよ。古い木みてぇだし、寿命とかなんじゃねーの?」
虎之助の発言は適当だが妙に説得力がある。
三人は誰からともなく転ばし桜の手前で足を止めると、まじまじと木や周辺を見回した。
桜は三人から見て道の右側にあり、その奥にはトタン屋根の付いた平屋が建っている。
塀も含めてかなり古い平屋で、人が住んでいるのかは判断がつかない。
「ん~、怖い噂が立つのも仕方ないような外観と言えなくもないけど……」
「噂の出所の理由としては弱いな。やはり桜か道路の方にスポットを当てるべきだろう」
桜の根本は白っぽく乾いた固い土で、太い根がぼこぼこと張っている所以外は平坦だ。
縁石は高さが無く、道路の方は古くて黒いアスファルトで出来ている。
よくよく見れば染みや汚れ、ガムの跡があちこちに残っているのが分かるが、特に欠けや亀裂などは見当たらない。
「道はまっ平らだね」
「はっ。こんな何もねぇ所で転ぶとか、そうそう無ぇだろ」
「そうそうあるから噂になってるんですぅー」
フラフラと桜の前をうろつく虎之助に噛みつきながら、ムツは転ばし桜の写真を撮る為に道の左側に移動した。
車通りは殆んど無い。
歩行者と自転車の利用者が主だった、一方通行の道である。
「ムツ。そっち側は足元に気を付けろよ。溝がある」
「分かってる。ありがとタカー」
ムツはチラっと足元を確認してスマホのカメラを起動した。
道路を挟んだ桜の反対側には排水用と思われる溝があり、今時珍しい事に蓋が無い。
幅二~三十センチ、深さ二十センチ程のそこそこ深い側溝──
それが十メートル程続いているのだから、危ないったらない。
「普通さ、蓋くらいするよね。あの金属格子のアレ。こんな溝が丸出しじゃあ、もし子供や酔っぱらいが落ちたらどうすんのさ」
ムツはブツクサぼやきながらシャッターを押す。
道路と土の境目でスマホを弄る孝幸が邪魔で、何度か取り直すはめになってしまった。
「むぅ、花がないから全然映えない~。二人は何か気付いた事あった?」
スマホをしまったムツが桜の元へと駆け寄る。
──その時だった。
「わひゃっ!?」
突然ムツの右足が何かに引っ掛かり、彼女は思いっ切り前につんのめった。
どうにか転ばずに済んだのは、咄嗟に伸ばした腕を虎之助が反射的に掴んだおかげである。
「っぶね~! 何お約束な事してんだ馬鹿!」
「びび、びっくりしたぁ~! ありがとトラぁ!」
「トラ、ナイス反射神経。ムツは何故躓いたんだ?」
辺りの地面を淡々と調べ始める孝幸に、ムツは「いやもっと心配しろよ!」と地団駄を踏んだ。
「そんなの私が聞きたいし! なんか何も無いのに引っ掛かったんだけど! まさか私、マジでオバケに転ばされたの!?」
怖ぁ! と腕を擦る彼女の発言を聞き流し、孝幸は地面に手を当てて考え込んでいる。
虎之助は虎之助で桜の枝や花、幹に生えたキノコや根っこを睨むように観察しては、木周辺の土を踏みしめるばかりだ。
ザリザリと靴と地面が擦られる音が繰り返される。
ふいに孝幸と虎之助が顔を上げた。
「なるほどな」
「これが原因かよ。下らねぇ」
ほぼ同時に発せられた言葉にムツの目が丸くなる。
「え!? なになに、もしかして原因分かったの? お祓い行った方がいい?」
「いや、お祓いの必要はない。原因は幽霊ではないからな」
「原因はこいつ……転ばし桜だ」
ムツは二人の視線の先を追い、小首を傾げる。
彼らの目は桜の木の下──根元部分を注視していた。
「こいつ、根がやたらとボコボコしてて窮屈そうに見えねぇか?」
「あー……まぁそうかな。他の桜より大きいし、土の範囲が足りなくなったんじゃないの?」
「そうだ。そして桜の根は地中からアスファルトを押し上げ、凹凸を作った」
手を払いながら立ち上がる孝幸につられるように、ムツと虎之助もアスファルトの方へと視線を移す。
やはり平らな道としか思えず、ムツは足裏を地面と平行になるよう左右に動かした。
その度にガッガッと当たる部分がある事に気付く。
確かに、パッと見では分からない凹凸が複数あるようだ。
「転んだ人間は恥ずかしくてすぐにその場を立ち去るだろう。だから地面をよく見ずに『何も無い所で躓いた』で済ませてしまうんだ。アスファルトの色が暗くて見辛いのも原因の一つだな」
「わざわざ地面のデコボコ調べる暇人も居ねぇだろーしな。実際には盛り上がったアスファルトに躓いてたってだけの話だ」
なるほど、とムツは感心しながら二人の話をそのままスマホに入力していく。
「でもさぁ、いくら地面が悪くても、そんなに沢山の人が都合よく転ばし桜の下でばかり転ぶかなぁ?」
「それはきっと、この道が右肩上がりになっているせいもあるだろう」
孝幸がスマホの画面を二人に向ける。
見慣れないスクリーンショットだ。
「何これ」と疑問符を浮かべるムツに、孝幸は「傾斜測定アプリの結果」と答えた。
「先程ダウンロードして測ったんだが、この道は桜側の土地が高くて溝側が低い、斜めの道だという事が分かった」
「平らに見えて実は斜めのデコボコ道かぁ。それで躓いちゃったのね!」
「側溝もポイントだろーな。目に見えて『危ねぇ』って思うもんがあったら、お前はどうする? わざわざ落とし穴のフチなんざ歩かねぇだろ」
「確かに……余裕をもって避けるよね」
虎之助の言葉を反芻し、ムツは何度も頷く。
転ばし桜の噂の真相──
多くの者が側溝を避けて桜の下を通る。
しかし道は傾いている上、桜の根で隆起しており、平坦だと思って油断していると足を取られる、と。
なんて単純な話であろうか。
「ハッ、お前こんなネタで記事書けんの?」
「トラうっさい! 唸れ私の文章力ぅ!」
「まぁ頑張れ。いざとなったら校長の娘と教頭の息子がお見合いした話でも記事にすれば良いさ」
「何ソレそっちのが面白そうなんだけど」
孝幸のフォローも空しく、彼女はガックリと肩を落としたのだった。
◇
そして時は過ぎ、桜の花ももう終わりとなった頃。
新聞記事を書き終えたムツの元に、慌てた様子の虎之助が駆け込んできた。
「ちょっとトラ! レディーの部屋に勝手に入んないでよ!」
「んな事よりお前聞いたか!? 転ばし桜、何日か前に切られたってよ!」
「な、なんですとぉ!?」
何日か前という事は取材をした後すぐの可能性すらある。
一体なぜと呟く彼女に、虎之助は「枯れてて危険だから急ぎで伐採したんだとよ」と憐れみの目を向けた。
「え、アレ枯れてたの?」
「危険って事は中身スカスカだったんじゃね? キノコも生えてたし、花が咲いてなかったのも納得だわな」
「じゃ、じゃあこの書きたてほやほやの記事はどうすんのさ!」
ムツが原稿用紙を握りしめて机に突っ伏していると、今度は孝幸が駆け込んできた。
「おいムツ、トラ! 転ばし桜の話聞いたか!?」
「あ~、今トラから聞いたよ。切られたんだって?」
「違う! 転ばし桜の切り株を掘り起こしたら、地中から二人分の人骨が出たそうだ。今警察やら何やらが来て学校周辺が大騒ぎらしい」
「な、なんですとぉ~!?」
タイミングが悪すぎる大スクープである。
悲鳴に近い声を上げるムツには触れず、孝幸は地元のニュース画面を二人に見せつけた。
「で、記事はどうすんだ? 新学期まであと二日。もう無い木をネタにする訳にゃいかねーだろ」
「もし取材し直すならば、警察や野次馬が落ち着いてからになるだろうな」
「……もちろん記事はボツよ……取材のやり直し、上等。やってやろうじゃないの……」
原稿用紙をビリッと破り、ムツはすっくと立ち上がった。
「二人とも! 校長の娘と教頭の息子のお見合い結果、聞きに行くよ!」
流石に人骨ネタは手に負えない。
ムツは虎之助と孝幸の背を押して部屋を飛び出した。