09 逃亡奴隷 左足を失う!?
ぼやぁ~……
何度か瞬きを繰り返すと、視力0.5とは言え、この近距離だ。
それならば問題が無い、と、二人の人影がしっかりと僕の網膜に映し出された。
一人目の男性が、ミルクティー色の長い茶色の髪を一つに束ね、はちみつを溶かしたような黄金色の瞳をした長いとんがり耳のお兄さん。
えっ!?
リーリスさんってエルフだったの!?
その特徴的なとんがり耳に人懐っこそうな、へにゃん、とした笑顔を浮かべている。
興味深そうに耳をぴこぴこ動かしている所とか、好奇心に満ち満ちた瞳とか……
見た目20代前半のお兄さんなんだけど、これが中年オヤジ!?
むしろ、子供っぽい印象すら、ある人だよ!?
良くあるファンタジーモノみたいに、エルフって成長速度が遅いのかな?
ちなみに、キリリ! とした表情をしたら神秘的な雰囲気すら漂わせることができるだけの顔面偏差値を所持しているイケメンさんである。
しゅっと引き締まった細マッチョ系で、日本に行ったら絶対モテる気がする。
それなのに、あの感じの口調だったの!?
何故だろう? この『美貌の無駄遣い』とか『残念なイケメン』とか、そんな言葉が頭をよぎってしまうのは……
いやいや、世の中『ギャップ萌え』こそ正義! と叫ばれているんだから、むしろ、リーリスさんこそ、流行最先端だ。
そして、もう一人。
僕を支えてくれているこの女性が姐さんに違いない。
そう言えば、姐さんってお名前、何だろう?
【鑑定】
名前:エシル・ソフィ
ああ、エシルさん、ね。
年の頃なら50代後半か60代前半だろうか。
その顔には、月日による年輪が、額や目じりに刻まれている。
でも、きっとお若い頃は美人だったんだろうな~。
リーリスさんとは対照的に、鋭い眼光を放つ深い藍の瞳を長いまつげが彩り、実に怒らせたら怖そうな雰囲気が有る。
だって、このかっちりした長袖の袖をキッチリと返された折り目や上品な黒いロングドレスが、規則に厳しい女学院の学長先生を彷彿とさせるんだもん。
蒼銀色の長い髪は、後ろの方でお団子? シニヨン? 上品に結い上げられていて、その髪に5枚の青い花弁を持つ小さな花を挿している。
生花なのかな? アクセサリーにしては瑞々しい。
声の印象とそれほどかけ離れていない外見で、ちょっと安心。
僕は、ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返す。
「どうだい? …あの壁に貼ってある文字は見えるかい?」
そう言って、エシル姐さんが指さす先には、何かが貼ってある事は認識できた。
照準を絞ろうと、目を薄目にして、書かれている内容を読み取ろうとしたが、残念!
文字までは認識できない。
流石に、近眼乱視の瞳だと、壁までの距離では離れすぎのようだ。
「……わか、り、マ、せん」
「ふむ、じゃ、アンタ、この足は見えるかい」
エシル姐さんは、僕の左足を指差す。
うーん、相変わらず酷いな。
不自然な形に曲がった左足は、どす黒くはれ上がり、裂けた肉の隙間から、膿なのか、骨なのか分からないような白い何かも覗いている。
僕が小さく頷くと、エシル姐さんは、不愉快そうに、鼻を鳴らし、きつく結んだ紐を指差す。
そして、ぶっきらぼうに言い放った。
「近くは見えてるみたいだね。なら、アンタも判断できるだろ。この足、ここで切断するよ」
ふぉっ!?
「あ、姐さんっ!?」
リーリスさんも慌てた様子でその宣告を遮る。
「現実は甘く無いんだよ!! このポンコツ!! ここまで連れて来たアンタならそれが一番わかってるだろ!?」
だが、エシル姐さんの喝に、唇を噛みしめてうなだれるリーリスさん。
その様子に、これが、冗談でも何でもなく、本当に、それしか……手が、無いのだという現実を僕に突き付ける。
おぉぅ……マジかぁぁぁ……
「いいかい、この足は、すでに壊死がはじまっちまってる。このまんま、アンタの身体にくっつけといたら、そう時間もかからず全身に毒が回って、アンタは確実にくたばる」
エシル姐さんの有無を言わさない厳しい口調が、妙に澄んだ小川のせせらぎのように僕の耳に滑り込む。
「仮に、ここで切断しても、確実に助かる保証は無い。だから、このままにしておいて欲しいって言うならアタシは止めないよ。ただし、ウチで死なれても困るから、そん時ゃさっさとココを出てっとくれ」
「切って、くだ、サイ」
答えは、自分でもビックリするくらいあっさりと出た。
そりゃ、命と左足の膝から下、どっちを取るかと言われたら、命に決まってますよ!!!
ただ、あまりにあっさりと決断してしまったのが、逆に信ぴょう性を欠いてしまったようだ。
エシル姐さんは飼い猫がドリアンの匂いを嗅がされたみたいに顔を歪めて僕を問い詰める。
「アンタ、本当に分かってんのかい? 片足になってこれからどうやって生き延びるつもりだい? リーリスみたいな冒険者になるのは片足には難しいんだよ?」
「姐さん、あんまりレイニーを虐めないで欲しいっス!」
リーリスさんが、見かねたように口を挿む。
「ハンッ! 虐めちゃいないよ。アタシはこのチビに、現実ってモノを教えてやってるだけさ?」
エシル姐さんは、ちょっと意地悪そうに口を歪めて笑う。
まぁ、彼女の言っている事に間違いは無いのだろう。
……満身創痍で、死にかけの僕に『今』投げかける言葉として、的確なのかどうかは、ともかく。
心の弱い子ならぽっきり折れてるぞ? この人の言い方。
ほらほら、僕の、か弱~いメンタルさんが、もっと優しい言い方にしてよ~、と訴えている。
「だけど! オズヌの兄貴みたいに片腕の騎士様だって居るっスよ!!」
「あのヘタレ坊やは例外みたいなもんだろ? 元々傭兵として名を売ってたからね」
へー。この世界にも隻腕の剣豪とかが居るんだ?
ならば、迷う事もあるまい。
「イイ、デス。……切って、ごほっ、ごほっ、げほっ……死ぬ、より、まし、デス」
1……2……3……僕は、ゆっくりとエシル姐さんの瞳を8秒間見つめる。
えーと、確か、7秒だか8秒だかじっと相手の瞳を見続けると、相当アピールになる、と、どっかの就職斡旋サイトで見た記憶が蘇る。
じー……本当に青くて奇麗な瞳だよなぁ。
「ふん!」
小さく微笑んで先に目をそらしたのはエシル姐さんの方だった。
と、同時にリーリスさんがはちみつ色の瞳を生まれたての子犬のようにきゅるきゅるさせて「ごめんっス」と謝って来る。
いやいやいや、何でリーリスさんがそんな顔するんですか!?
冷静に考えれば、脱獄して逃げ出しているあいだ「痛みの感じないチートタイム! ひゃっほう!!」とばかりに、元々、かなりボロボロだった足を酷使しまくったのは僕自身だ。
いやー、やっぱり、痛みって大切な感覚ですねー。
ははははは……はぁ……。
「ほら、これを飲みな」
そう言って、エシル姐さんが僕の口に青いドロッとした液体を注ぎ込む。
味は、特にない。
ただ、飲み込んですぐに、ぐわん、ぐわんと世界が遠くなって行くような不思議な感覚を覚え、思わず、タオルの上にぐったりと横になってしまう。
おおお? なんだこれ?
飲んだ事無いけど、強いお酒を飲まされて酔っ払ってしまっている状況って、多分、こんな感じ?
くらくら、ふわふわ、するるるる~。
そして、がちゃがちゃと何やら準備を始めるエシル姐さんとリーリスさん。
手際よくタオルごと移動されたかと思うと、僕の口にかまぼこ板みたいな切れ端を押し込んで、それを猿ぐつわみたいに固定する。
えっ……? まさかの麻酔無し?
一気に、緊張で心音が跳ね上がる。
まぁ、でも、痛み止めの薬は飲んでるし、あの青いお薬のお陰で、一応、ふわふわと現実が遠い感じがしてるから、案外サクっと終わるかな?
と、思ったんだけど、流石にちょっと考えが甘かったらしい。
焼けた刃が肉にめり込んだ瞬間、足にカミナリが落ちた。
ふごおおおおぉぉぉぉぉぉっ!?
反射条件的に悲鳴を上げて逃れようともがく。
ぎゃーっ!!!
痛い痛い痛い痛い痛いッ!!!
いや、だけど、生き延びたい!! 生き延びたいんじゃゴラァッ!!
だからッ、我慢ッ!! だけどッ、がーまーんーがーいーたーいー!!
あああああ、もう、何を言ってるんだ僕ッ!!
「ふぐぅぅぅうぅぅッ! ぐアァァァ、んーッ! んんーーッ!!」
耳に響く自分自身のひび割れた悲鳴にちょっと引く。
流石に、視界も生理的な涙で、潤んで、歪んで、引き攣ってチカチカしている。
「レイニー、ゆっくり、ゆっくり、息するっス! ひっ、ひっ、ふー、っスよ!」
ラマーズ法かい!
思わず、悪態をつきそうになってしまったが、いざ目が合うと、僕の身体を必死に押さえつけてるリーリスさんの表情の方が痛ましいという何だか申し訳ない事態に。
あああああ、そんな顔を泣きそうなくらいくしゃくしゃに歪ませないで!?
僕が虐めてるみたいじゃん!!
でも大丈夫! 骨を折って形を整える辺りになったら、僕の身体の方も流石に力尽きたよ!!
最後の方は、ほとんど反応できずにガクガク震えながら、痙攣を繰り返すうちに、呻く体力すら使い果たしてぐったりしてきたから!
あー……何か、すっごい寒いわー……血を流し過ぎたのかなー……
うふふふふ、小川のほとりに花畑?
いやそんな、まさか。
幻覚と現実の境があいまいだわ。
え? 股間の辺りが生ぬるい? さぁ? 気のせいですなァ……
いやむしろ、そこは許容範囲でしょ!?
ガチでビビったってお小水くらい漏らす世の中ですよ!?
こちとら麻酔無しで左足をもがれてるんだぜ!? 失禁くらいするわい!!
じゃんじゃんばりばりだよ!!
ん? 本当に失禁? ヘンゼルとグレーテル……じゃない、屁ー出ると具がー出る状態じゃないかって?
……問いただすな。そこは。
永遠の乙女の秘密って事にしておこうぜ。
そう、永遠に、な?
もう、痛すぎて半分錯乱状態の僕だけど、左足の骨をゴリゴリとノコギリのようなもので切られ、ぼてん、と何かが体から取り外されたような衝撃と当時に意識がぷちん、と千切れ飛んだ。
まさに、何度目かのシャットダウン。
いや、ホント、もう少し早い段階でシャットダウンしても良かったのよ?