72 薬屋の弟子 古典文学に助けられる
「そ、そもそも! 亜人なんぞに、貴重なフィノーラ薬作成の権利を認めるのが間違っておるのだ! 平民の物は、我等貴族の持ち物も同然!! 民は生かさぬよう、殺さぬよう治めるのが我々の義務じゃッ!!」
顔を真っ赤にしてそう喚き散らす監査役を見て、怒りで頭に登っていた血がスン、と急降下した。
【鑑定】している訳ではないのに、がなり立てるあの男の真上に光る文字が見える……ような気がする。
僕は、その踊るような、揺らめくような、緑の文字を思わずゆっくりと読み上げた。
「……『亡国の指揮者』?」
あらゆる文化において『公平であること』『尊敬すること』『互いに報いること』『勇敢であること』『自身の所属するグループを助けること』『家族を助けること』『財産権を認めること』という7つの道徳的行動規範が普遍的なものとして存在する、と前にオズヌさんが言っていた。
逆を言えば、この7つのうち、いずれかを棄損するような行動は、やがて国をも亡ぼすのだ。
この男、あの発言だけで『公平であること』『互いに報いること』『財産権を認めること』を放棄しているのが明確。
さらに、『自身の所属するグループを助けること』『家族を助けること』も、限度が過ぎれば、また禍となる。
政治家が、公よりも私を重要視して、国家を滅ぼしたケースは、検挙にいとまがない。
あのおっさんの身内贔屓がヤバいレベルなのは明白。
あの薄く光る緑の文字そのものが、監査役のおっさんを嘲笑っているように揺らめいている。
まるで、天が、お前の運命は滅亡だ、といっているような気がした。
「……あぁ、そっか……だから、滅びるんデスね」
どうやら僕は、無意識に表情筋が笑みの形を作っていたらしい。
あまり大きな声を発した訳ではないんだけど、監査役のおっさんは僕の言葉を聞いた途端に、今まで見たことがないくらい大きく目を見開き、唇を、眉を、ピクピクと痙攣させ始める。
そして、過呼吸のように荒い息を吐きながら、顔色が真っ赤を通り越して紫に染め、口角から泡を散らして吠えた。
「き、貴様ァ……! ワタシを、このワタシを! よりにもよって、あの『亡国の指揮者』だと!? ふ、ふざけるなァァァァァ!!!!」
気づいたら、眼を血走らせ、鬼の形相のおっさんが僕の目の前に立って居た。
あ、あれ? もしかして、今のって……逆鱗を、毟り取るような発言だった?
瞬時に、視界が真っ黒に染まる。
ふぉ!?
「お貴族様って、言葉でやり込められた時に、手を出したら負けだったんじゃないんスか?」
「ダブルスタンダードは信用を無くすぜ、監査役殿」
「リーリスさん! オズヌさん!」
安堵の感情を呼び起こす二人の声を耳にして、ようやく周囲の把握ができた。
見れば、鋭角に尖った岩で出来た竜の顎のようなものが、僕に覆いかぶさるように形作られている。
あと、数秒……リーリスさんとオズヌさんの静止が遅ければ、この楔が僕の頭から足の先までを貫いていたに違いない。
怖ッ!!!
あ、そっか、監査役のおっさん【土魔法】の使い手だっけ。
しかし、リーリスさんに刀を突きつけられ、【無効】のオズヌさんの義手で押さえつけられて喚いている監査役のおっさんは、興奮のあまり意味不明な事を喚き散らすことしか出来ていない。「アールルスの巫女姫を気取るくぁwせdrftgyふじこlp」とか、「緑眼の○×▼◇(たぶん、放送禁止用語っぽいもの)が『ピー』して『ばきゅーん』すぞ!!」みたいな?
「えぇい、落ち着け!!」
オズヌさんが何とか落ち着かせようとしているものの、少しでも手を緩めたら僕に飛び掛かって来る事は一目瞭然。
だって、怒りの余り、自分で自分の唇を噛みしめ過ぎて血が出ちゃってるもん。
「あら~……そうねぇ【回復魔法】を使おうかしら?」
アローアさんのつぶやきを聞いたオズヌさんが監査役を押さえつける役を別の兵士さんと交代し、一歩アローアさんから離れる。
恐らくあの位置が、監査役の魔法は【無効化】されるけど、アローアさんの魔法は【無効化】されない距離なのだろう。
「【回復魔法】鎮静化~」
アローアさんが、監査役に向かって回復魔法を使ってくれた。
しかし、闘牛もどん引きするくらい興奮しているおっさんは、数十秒だけ肩で呼吸をして小休止してくれたが、一向に荒ぶったままだ。
「あらあら、どうしましょう?」
アローアさんが一瞬、シマッタ、という顔を浮かべる。
そうだよな、これで本物のお姫様である宰相さんが使った【回復魔法】で鎮静化しちゃったら、「凄腕の【回復魔法】の使い手であるダリスのお姫様」という設定に矛盾が生じてしまう。
何とか、強制的に大人しく……あ、そうだ!
「リーリスさん、【引き寄せ】て貰えませんか?」
「おっと……な、何をっスか?」
兵士さんと協力しておっさんを抑えていたリーリスさんが、耳だけ僕の方に向けて尋ねる。
「はい、監査役の体内の水デス」
「ふぇっ!?」
リーリスさんは一瞬驚いた声を上げる。
だが、オズヌさんと目配せ合うと、直ぐに力ある言葉を唱える。
「【引き寄せ】このおっさんの体内の水ッ!!」
リーリスさんが魔力を発動させたタイミングと同時に、オズヌさんがさらに一歩後ろへ下がった。
じょぼじょぼじょろじょぼじょろ……
リーリスさんの指先から透明な液体が溢れて行くのと引き換えに、おっさんの抵抗がどんどん弱まって行く。
「き、きさま……ら、な、なに……を……」
座り込んで、ぜーぜーと荒い息をする監査役の様子に
「あ、その辺で良いデス!」
と、ストップをかける。
【鑑定】すると、
氏名:ツルート・ハゲヌン
状態:ステイタス異常:脱水症状・中等度……吐き気、全身脱力感、疲労、弱い嗜眠状態、手足のふるえ、ふらつき、頭痛、脈拍・呼吸の上昇、皮膚の紅潮、めまい。
となっていた。
人間、体内の水分を3%も奪われると、かなりぼんやりしてくるし、20%以上奪われたら死ぬのだ。
「……えーと……え?」
驚いているのは、【引き寄せ】を使ったリーリスさんだけではない。
イサラ姫やアローアさん、そして、監査役の太鼓持ちらしき貴族連中も、不可解そうに眉をひそめたり、首をかしげたりしている。
この世界って、熱中症とか、脱水症状って認識は薄いのかな~?
それとも、この状況で強制的に脱水されたのが珍しいのかな?
「き、貴様ら、ツルート様に何を?」
「ダイジョブ、デス。興奮しすぎで、ちょっと脱水症状になっているだけデス。涼しいところで、経口補水液を飲んで、少し休憩すれば、良くなりマス」
「レイニー、ケーコー・ホスイエキって何スか?」
「えーと、僕が前に住んでいたところでは、真夏とか、激しい運動のし過ぎで、クラクラしたり、ノドがカラカラに乾いた時に真水じゃなくて、ちょっと甘じょっぱいモノを飲んだ方が早く元気になるっていわれているんデス。その飲み物の事を『経口補水液』って呼んでたんデス」
「あら~、ポカリアの事ね~」
ちなみに、ポカリアというのは、お水にお砂糖と塩を混ぜた夏の飲み物らしく、お貴族様だと、このポカリアの中に、さらに疲労回復に効果のある果物の果汁を加えたり、ス~とするミントの葉みたいな薬草を入れたりするのだそうだ。
アローアさんのポカリア発言で、一応納得したらしい中央の貴族達は、脱水症状でふらつくおっさんを4人がかりで支えながらそそくさと退場する。
監査役に押しつぶされて目を回している【傀儡】使いは放置である。カワイソ。
一応、死んではいないみたいで、アローアさんと猫耳のメイドさんが回復魔法らしき術を施している。
「だけど、驚きましたよ。まさか、貴女が中央の古典文学までご存じとは……」
宰相さんの口調のまま、イサラ姫が呆れた調子で僕に語り掛ける。
え? 中央の古典文学? な、なにそれ?
聞けば、どうやら僕が言い放った『亡国の指揮者』って貴族社会では古典に乗っ取った由緒正しい悪口なんだとか。
昔、緑目の巫女姫ネーヴェリクという少女が、粗野で非道で暴虐な獣人王に処刑されそうになった。その時に獣人王の非道をなじり、正義を説き、最後にそのような行いこそ、亡国への指揮を執る者に違いない、と宣言したのだそうだ。
結局、少女は処刑直前に英雄アールルスに助けられ、英雄の第一王妃となり、この獣人王は日ごろの行いのツケが回り、部下からの反逆にあって惨たらしく処刑されたらしい。
ちなみに、この処刑までの間、どんどん惨めに落ちぶれていく様子が古典文学として結構詳細に描写されているそうだ。
日本でいう「平家物語」みたいなもんかなー?
で、時は下って、ある時、傍若無人な振る舞いをする貴族への当てつけとして、対立する子爵が、緑の瞳の明らかに平民の少女に、「まるで『亡国の指揮者』のようだ」と宣言させ、さらし者にしたのだそうだ。
それが噂となり、実際に傍若無人な貴族に素行調査が入り、結局、お家の取り潰しになったらしい。
そこから、『亡国の指揮者』と平民の少女に宣言させるのは、高度な嫌がらせ兼呪いの一種として使われているのだそうだ。
へ~、全然知らんかったよ。そんな話。
あぁ、しかも、僕、瞳の色が緑色だしね。だからあんなに逆上したのか。
ま、結果オーライってもんですヨ!




