67 薬屋の弟子 常識の違いに気づく
「ばけ……ものッ」「ヒィィ……」「嫌だ、俺、こんな姿になりたくねぇッ……!」「悪ィけど帰らせてもらうぜ」「そうだ、話が違うからな!!」「ひえぇぇっ!!」
彼等は振り上げていた拳を降ろすと、蜘蛛の子を散らす様に姿を消して行く。
ありがとう、変態紳士!
その【モザイク】とても役に立ってます! いろんな意味で。
僕はそんな去り行く彼等の中から、例の監査役の部下を探し出す。
大人しく俯いて、こっそりと去って行こうとしているけれど……あれ?
もしかして、口元、笑ってないか?
一瞬、作り方を説明してしまった事に対して、ヒヤリとした感覚が襲ってきた。
僕……変態紳士のロレンさん抜きでこの薬を作るのは、あまりに非人道的すぎるから、作り方を公開しても問題ないと思っていたけど……
コイツ、もしかして他人の命は利益を得る為の道具程度にしか感じていないのか!?
どうやら、奴の狙いは民衆を煽ってココを襲撃し、薬の作り方を聞き出す事だったようだ。
これは、あの金髪男だけは、監査役の所に帰す訳にはいかないな……!
念のため、群衆をざっと【鑑定】したところ、中央貴族と繋がりのありそうなヤツはこの金髪男一人だ。
コイツは、捕まえてもらわないと……!
「リーリスさん!! その金髪男捕まえてくだサイ! そいつが、扇動していた中央貴族デス!!」
「!?」
僕の叫びに、眼球を目からこぼれ落としそうなくらいギョッとした金髪男は突如、自分の周りに氷柱の塊を複数生み出す。
そういえば、鑑定した時に【水魔法】階位4って出てたな。
「喰らえ! 【水魔法】氷柱乱b」ぶどごんっ!!!
「おやおや……こんなところで水遊びなんて止めとくれ」
「え、エシル姐さん!」
煙の向こうから姿を現したオールド・レディの雄姿!
リーリスさんが動き出すより前に、金髪男に謎の乳白色のねばねばしたものが直撃した。
どうやら、良く見ると、その形状は網にも見える。
エシル姐さんの放った投網型炸裂弾だ。
うわぁ~……これ、トリモチ?
たぶん「氷柱乱舞」って言いたかったんだと思うんだけど、口をべったりとした網がふさいでしまったため、ふごふごもがく金髪男。
「やれやれ、間に合って良かったよ。周りをご覧」
「へ?」
エシル姐さんに指摘されて見回せば、逃げ出していた住民たちもトリモチのような網にかかったり、ダリスの兵士さん達に捕らえられたり、リーリスさんやデイランさんに捕縛されて、すっかり意気消沈している。
あれ? 兵士さんなんて、どこから……?
あ、あの仔ウサギのお兄さんもいる。
「チビ助、リーリスから話は聞いたよ。だけど、アンタもバカだね。頭の回転は良いくせに常識を知らないからこういうことになるんだよ」
エシル姐さん曰く、どうやら、この世界は基本的に弱肉強食。弱者は強者の庇護下にいないと生き延びることができないのだ。
基本的人権だの生存権だのといった甘っちょろい権利は存在していない。
そのため、平民の命の重さなどは、領主である貴族の考え方次第。
ただし、あまりに領主が非人道的だと反乱を起こされたり、逃げ出されてしまって領地の運営が立ちいかなくなってしまうこともあるので、限度はある。
そういった意味では、このダリスは、かなり暮らしやすい方だ。
イサラ姫の聡明な笑顔が、一瞬頭をよぎる。
確かに、ここ、ダリスでは、僕が説明したようなやり方で薬を増やすことは許されないだろう。
だが、僕が説明してしまった皮膚死病の予防薬の作り方……あの情報が外に伝わった時に「あまりに非人道的やり方なので、それを実行しない」と決断してくれる領主がどのくらい存在しているのか分からないのが実情。
この世界の「街」単位って、元の世界だと「国」の違いに近い。
やはり、この手の戦略物資に近い薬品なんかは、例え僅かでも、自領で作りたいと考える領主が多いとのこと。
まあ、戦略物資を他国に依存する危険性は、なんとなく社会か歴史の授業で聞いた記憶がある。
日本でも昔あったんだよね。
えーと、トイレットペーパーパニックだったっけ?
うちのオカンもまだ生まれていない時代だから詳しくは知らないけど。
でも、それが原因で、資源の少ない日本は、石油とかガスとかを、一国だけに頼るんじゃなくて、いろんな国から購入するように切り替えていったんじゃなかったっけ?
流石に自分のところの領民を片っ端から「肉の畑」にするようなヤツは少数派かもしれないが、別の領地を襲い「肉の畑」を収穫する決断を下す……
つまり「内戦を引き起こしても構わない」程度の倫理観の輩は少なくないそうだ。
そういえば……僕がリーリスさんに助けられた時、ダリスでも近くで戦争があったから孤児院がいっぱいで入れなかった、って話してたっけ。
「ゴメンナサイ……僕の認識不足でした……」
ぺそん。
ううぅ、いい気になって演説ぶちかましてしまった自分が恥ずかしい!!
こういう時は、こっちの世界の常識に疎いって歯がゆくなるなぁ……
「まぁまぁ、レイニー殿! 問題はありませんぞ! 皆さん【被虐嗜好】を得て変態紳士・淑女になれば危険はぐぐっと減るのですからな!!」
ロレンさんがモザイク顔のまま、僕の失態を慰めてくれた。
だが、待てコラ。それこそ人的大災害だ。
僕はロレンさんが大量に存在する世界を想像して身震いをする。
「それはそれで大問題デスよ……」
「でも、ま、今回はあのポンコツに感謝しときな」
「へ? リーリスさん?」
なんでも、リーリスさんは、僕が「作り方は説明してしまう」と話したため、そのフォローが必要だと直感したのだとか。
なので、ロレンさんやエシル姐さんだけでなく、町の兵士の皆さんにもSOSをしてくれたのだ。
あ、だから、数多くの兵士さん達が、逃げ帰ろうとしていた群衆を制圧してくれたのね!!
リーリスさん……!
ありがとうございます!!
やっぱり貴方は僕の恩人だわっ!!
「ふぅ、これでこっちは一区切りついたっス~」
リーリスさんとデイランさんが、暴れていた一部の人たちを物理でおとなしくさせると、兵士の皆さんに引き渡し、大きく息をついた。
結局、その日は抗議に来た住民たちと監査役の部下をブタ箱に突っ込んで、【増殖】工場は、普段より少し遅くスタートしたのだった。
あ、もちろん、監査役の部下については、オズヌさん経由でイサラ姫にもきっちり話が行くはずだ。
貴族の世界には「秘密を公言することができなくなる契約魔法」だとか「指定の事象を強制的に忘却させる強制魔法」なんかもあるらしいので、後の処理はお姫様にお任せである。
つーか、そんな魔法があるんだね。
貴族って怖っ!
でも、これで一応ひと安心だ。
よかった、よかった。




