56 薬屋の弟子 薬を増やすは金次第?
「あっ! 兄貴!」
振り向けば、鉄格子のはまった扉が開かれている。そして、そこにたたずむビッグもふもふキーウィ。
そっか、もう一週間経過したんだね。過ぎ去ってしまえばあっという間だったな。
「そういえば、ロレンさんはどうなったんデスか?」
僕の質問に、ふっこふこのキーウィさんが、一瞬、とても悲しい目をしたような気がした。
まさか……問題が発生した!?
皮膚死病の耐性をレベル1で持っていても、本来は動物実験すら済んでいないような治験だ。
いくら【被虐嗜好】のロレンさんでも、内分泌系は強化の仕様がないはず。
しかも相手は、変異している可能性の高い危険な天然痘ウィルス。
さしものロレンさんとはいえ、笑えない状況になっている可能性が否定できない。
「兄貴……!」
その様子に、リーリスさんも何かが起きていると感じたのだろう。
「実は……」
ロレンさんは、変態ではあっても悪い人ではない。こんなことで、命を落とすなんて……
いや! あのロレンさんに限ってそんな事はないはずだ!!
あ……もしかしたら、後遺症で顔中が痘痕だらけに?
「あの変態紳士……皮膚の防御力が高すぎて、普通の針が刺さらなくてな……」
「「ファッ!?」」
なんでも、ロレンさんの【物理耐性】レベルが高すぎて普通の針だと皮膚を貫通できなかったようなのだ。
鑑定した時に見た、【祝福】の「レベル」って6も有れば一流、7で世界有数、8以上は神の領域クラスであるらしいのだ。
そのため、耐性無効化鋼の特注針をポポムゥさんに使ってもらって、ようやく感染させることができたのだとか。
オリハルコンって、古き良きファンタジー世界だと、それなりの強敵を倒す武器を作るための、何かスゲー強い金属ってイメージだったけど……そうかー、変態紳士のための医療用かぁ……
しかも、無事発病したは良いが、その病状は驚くほど軽く、何とかワクチンを作り出すことに成功はしたものの、現時点で薬の量産にとても手間取っているらしい。
今も、エシル姐さんはロレンさんと格闘中だ。
「今は、医師・薬師・回復術師に優先的に予防薬を届けている途中で……悪いな、お前さん達の分が確保できなくて……」
オズヌさんが申し訳なさそうに羽毛を膨らませる。
「兄貴、気にしないで欲しいっス」
しかし……量産、ねぇ……
「ねぇ、リーリスさん、オズヌさん、そのワクチン……じゃなくて、えーと予防薬って魔力を帯びている薬なんデスか?」
「え~? そんな事ないと思うっスよ?」
唐突な僕の問いに、リーリスさんがきょとんとミルクティー色の髪を揺らす。
オズヌさんも、ゆっくりと一つ頷くと、リーリスさんの答えを肯定する。
「ああ、あの薬は【無効】持ちの俺にも効果があるからな。魔力が含まれない事に間違いはないぞ。」
「確か、できあがったお薬って液体デスよね?」
二人は、顔を見合わせると「ああ、そうだな」「そうっスよ」と首を縦に振る。
うん、うん。そこは予想通り。
「じゃぁ、リーリスさん、もしも仮に冒険者ギルドで【引き寄せ】の祝福を1回使って欲しいって依頼があったら、最低、おいくらなら受けたいな、と思いマスか?」
「ほへぇ!?」
突然の脈絡のない問いに、リーリスさんは頭の上に『?』マークをぽこぽこ浮かせて首を小さくかしげる。
僕の意図は伝わっていなくても、僕が何か企んでいるのは伝わったのだろう。
リーリスさんは少し考えると、
「そうっスねぇ……何回使うか、にもよるっスけど、10回以下なら、一日で小銀貨5枚、10回以上なら1回につき、大銅貨1枚は欲しいっス」
と、答えた。
なるほど。日本円に直すと、日当5千円以上が相場って事か。
「あの、お薬の量産方法なんデスけど、こんなやり方ってどう思いマス?」
僕は考えていた方法を二人に伝える。
題して『金の力でぶん殴れ! 人海戦術は正義! 魔法でお薬を増やしちゃおう大作戦!!』だ。
このダリスの街、平民や獣人の皆さんであっても、些細な【祝福】を使える人はたくさんいる。
その中で、以前、エシル姐さんから聞いた能力。
それは、『手のひらサイズのアイテムを増殖することができる。ただし、魔力を含むものは増やせない』というもの。
そこで、この【増殖】能力持ちの方を大勢雇って、1回大銅貨1枚、つまり約500円でひたすら、ロレンさんの生み出したお薬を【増殖】して貰うのだ!
「ほう……確かに、それは盲点だったな」
「レイニー頭いいっスね! そうっスよ! 【祝福】で【増殖】すれば、ロレンさん一人に頼るよりも俄然早く薬を増やせるっス! 俺の知り合いの冒険者にも、その程度の些細な【増殖】を使えるヤツなら何人もいるっス!」
「ただし、一つ問題がありマシて……」
「問題っスか?」
「……お金が、ないデス……」
「お、おぉぅ……それは、確かにっス……」
目の付け所は悪くないのよ? ただし、それが実現できるかどうかは別問題なのだ。
そんな僕たちを見ていたオズヌさんが、やおら、しゅるるんっと、人間の姿に戻る。引き締まった褐色の肌には、明らかな古傷以外は見当たらない。
あのドクダミ……じゃなくてシフキ草軟膏の効き目は良好みたいだ。こっちの世界の方が、効力が強いのかな。良かった、良かった。
そして、オズヌさんは、真剣な顔でトリレタに何か書くと、それを空中に放す。
「オズヌさん?」
「確実に、とは約束できんが、ウチの姫さんに今の話を送ってみた。恐らく、融資の申込なら受けてもらえる可能性が高い」
「「おおおおおお!?」」
「そうなれば、数日後に城に招かれることになるだろう。そこでウチの姫さんに融資の相談をしてみてくれ。ただし、レイニー、お前さんが言っていた増やし方の詳細は説明するなよ?」
「へ? 何でデスか?」
「姫さんは問題ないが、ちょうど、この季節は中央からも貴族連中が派遣されて来ているはずだ。そいつらが腐った輩でな。七つの道徳的行動規範すら守っているのか怪しいんだよ」
「七つの道徳的行動規範デスか?」
聞けば、あらゆる文化において「公平であること」「互いに報いること」「勇敢であること」「尊敬すること」「家族を助けること」「自身の所属するグループを助けること」「財産権を認めること」という7つの道徳的行動規範が普遍的なものとして存在するのだとか。
「そいつらが詳しい薬の増やし方を聞いたら、まず、自分の手でやりたがるに違いない。」
オズヌさんの指摘どおり、この世界では、平民や獣人の使う【増殖】の魔法はほとんど使い道がない、という思い込みがある。
そのため、誰もこんな方法で薬を増やすことを思いつかなかっただけなのだ。
だが、その思い込みさえ無ければ、一定の資産がある者なら、誰にだって実行出来る方法だ。いわば、コロンブスの卵。
「自分たちが美味しい所を取って行って、ダリスにはそうやって増やした薬を割高で買い取らせようとするはずだ。第一、姫さんは子爵、来ている連中はそれより上の伯爵家の連中だからな」
オズヌさんが、忌々しそうに眉根を歪ませる。
家の格付けによる身分ってヤツか。貴族の世界もなかなか世知辛いな……
「つー訳で……」
と、やおら、オズヌさんがにやりと微笑んだ。
「姫さんの説得、がんばれよ。リーリス」
ぽん。
「えっ!? お、俺っスか!?」
突然、肩を叩かれ、話を振られたリーリスさんが素っ頓狂な声を上げる。
「当たり前だっ!! 貴族の世界は男尊女卑なうえに、身欠けに対する偏見は酷いもんだぞ!? まさかお前、レイニーを矢面に立たせるつもりじゃないだろうな!? 紹介はできるが、俺は立場上、融資交渉は無理だぞ?」
「あ! だったら、姐さんに……」
「あほ! エシル姐さんには、増殖の『種』になる薬を、あの変態紳士から搾り出して貰わないと、増やすもクソもないだろうが……まったく、ちったぁ、貴族ウケする、その整った外見を生かせ!」
オズヌさんの義手でデコピンされたリーリスさんが「ほえぇぇ~」と情けない声を上げたのだった。




