17 小鳥のスパイ 小遣い稼ぎをする
結局、あの後、フォス芋とシャーリのとぎ汁を準備し、リーリスさんがどこかから貰って来てくれたカビた果物を材料に、4日ほどかけて培養作業をしてみたものの、残念ながら培養液は完全に腐敗してしまい、最初の試作品は失敗に終わった。
ちぇ……
うん、まぁ……でも、あのカビ、中にクロカビとか赤カビとか色々混ざってたもんな……。
現在は、悪くなる速度が速いと言われている旬の果物「カロン」をカットし、部屋に放置中だ。
そこに、アオカビちゃんが生えるのを待っている状態である。
次は、アオカビだけのコロニー……塊を種に培養するつもりである。
僕は、左手の杖を使って、よいしょ、と立ち上がる。
おっとっと!
ふらり、とよろめく身体を近くの木の幹に預けてバランスをとる。
うーん、やっぱり、分かってたけど、片足は不便だね。
今日、リーリスさんは冒険の仕事に行っている。
……どうやら、行きつけの飲み屋さんへのツケの支払期日が近いらしい。
僕は、というとリーリスさんが戻って来るまで、1階の共用スペースでお留守番である。
一応、庭先までは出歩いてもOKだ。
いや、リーリスさんの自室でゴロゴロしてても良かったんだけどね?
でも、この共同住宅、トイレは1階にしか無いんですよ。
今までは、トイレに行きたくなると、リーリスさんにお願いして1階まで連れて来てもらっていたんだけど、この足で3階の自室とトイレを自力で往復するのはキツイ。
だって、階段一段の高さがさぁ……僕の身長……と、まではいかないけど、顔の辺りまでは来てるんだよ。
流石に、右足一本で、それを上り下りするのはハードが過ぎる。
ちぇー……折角小鳥に変身できるのにィ……こんな時に役に立たないなんて!
あーあ、早く大きくなりたいな。
さらに、今日は天気も良く、薬屋さんも結構にぎわっているので、僕は邪魔にならないようにお庭に避難中である。
だって、今、話し込んでいる獣人のおばちゃん……かなり噂好きみたいでさ。
世界の危機を救う救世主が現れる予言の話から始まり、隣のパン屋の娘が旅人に恋をして家出しそうになった話を経て、現在盛り上がっている内容が……
どこか別の街だけど、逃げ出した奴隷を助けた男が処罰された話なんだよ!!
なんでも、届け出を出さずに一緒に暮らしていたら、奴隷の持ち主である貴族の怒りを買っちゃったんだってさ。
何か、そんな話を聞いちゃったら、居たたまれないじゃん!!!
エシル姐さんの視線がきつくなった気がするし……。
「それにしても、このシフキ草の軟膏は助かるわよね」
「まあね。コレは皮膚病なら、ほとんど何にでも効果があるからね」
お客のおばちゃんとエシル姐さんの噂話の内容がいつの間にやら変わっている。
「だけど、『シフキ草』は『シフキダマシ』っていう毒草が一緒に生えるでしょ? 素人には見分けが難しくて、なかなか手が出せないわ。あたしもシフキ草を見分けられれば、ちょっとしたお小遣い稼ぎができるのにねぇ。だって、シフキ草ってそこら中にいっぱい生えてるじゃない?」
彼女は、有閑マダムよろしく、エシル姐さんの出してくれたお茶を飲みながら、言葉を続ける。
「ははは、そうだねぇ……これの見分けのコツはニオイなんだけどねぇ……」
「エシルは良いわよね。白甘藍族だから、嗅覚は人間と同じくらいだし、近くの植物の育成が良くなるんでしょ? アタシは白狼族だから、こんなに強烈なシフキ草のニオイを嗅ぎ続けたら、すぐ鼻がバカになっちゃうわ」
ばふり、ばふり、とでっぷりと豊かなお尻の間から出した、立派な尻尾をゆったりと振るおばちゃん。
頭の上に鎮座しているピンと立ったわんこ耳……もとい、狼耳もぴこぴこと元気に揺れている。
へー……? この、シフキ草ってそんなに見分けが難しい薬草なんだ?
どうやら、この薬草……その薬効よりも、一緒に毒草が混ざって生えて来る事の方が有名で『薬師殺し』の異名を取っているようだ。
「これの軟膏を売り出せる、ってのが一流と二流の境目だ、アンタは凄いよ」と、なぜかおばちゃんが自慢気に鼻の穴を膨らませている。
そういえば、逃げ出した時に消毒代わりに使ったけど、よく似た猛毒の株が有ったな……と思い出す。
僕は、庭先にもっさもっさと生えていたドクダミ、ことシフキ草をぶちぶち収穫する。
僕の場合【鑑定】があるから、これの見分けについては、全く問題が無い。
おばちゃんの話していた、ちょっとしたお小遣い稼ぎが、どの程度になるか分からないけど、とりあえず飯のタネになりそうなものは収穫しておこう!
僕は、せっせと近くの道端にも生えているこの薬草を毟り取っては1階の共用スペースの端っこに積み上げて行く。
うん、まぁ、足のリハビリだと思うとちょうど良い運動量かもしれない。
庭先から数mほど、ぴょこぴょこ、と杖と右足で移動し、ゆっくりと片足でしゃがむ。
シフキ草をむしる。
杖を使ってゆっくり立ち上がる。
庭先へびょこびょこ戻り、薬草を置く。
この繰り返しである。
気づくと、結構な量の薬草が集まっていた。僕なら、ばふ~ん、とこの上にダイブしても怪我しないくらいの量になっている。
とっくに噂話のおばちゃんは帰ってしまったようだが、エシル姐さんは、ちょっと面白そうな笑顔を浮かべて僕の集めたシフキ草の山を見ていた。
「あ、あのー……エシル姐さん、これ、シフキ草デス」
「へぇ……アンタ、シフキ草とシフキダマシを見分けられるんだね」
「ハイ、あの【祝福】で、分かるんデス」
「あぁ……確か、【鑑定】だっけ? 結構使える【祝福】で良かったじゃないか」
エシル姐さん曰く、亜人や獣人と呼ばれる僕達の持つ【祝福】は些細なものが多いらしい。
例えば、「両手で軽々持ち上げられる程度のちょっとした物を手元に引き寄せる【引き寄せ】」「トイレで用を足して紙が無い時に限り、少量トイレットペーパーを作り出せる【限定作成】」「親指サイズ以下の大きさで銀貨以下の重さで魔力を持たない物を複製できる【増殖】」など。使い処がイマイチ分からない感じのものなのだそうだ。
ちなみに、この世界の貴金属や宝石は必ず魔力を持つらしい。
現代日本であれば、小さいモノをコピーなんて、チートだと思うけど、この世界では複製する価値のある物が相当限られるようだ。
「あの、コレ、軟膏にしても良いデスか?」
「軟膏の作り方を知ってるのかい?」
僕はこくり、と頷く。
例の漫画知識、ホント、助かるわぁ……!
作り方は、簡単。
まず、きれいに洗った新鮮なドクダミの葉を400ccくらいのお水で、とろとろになるまで……だいたい、30分くらい茹でる。
それを布巾を張ったボウルに注いで、濾してカスを取る。
ちなみに、この搾りカスについても、そのままお風呂に入れれば天然の入浴剤だ。
追い炊きは出来ないから、使い終わったらその日のうちに捨てちゃうけどね。
そして、軟膏のメインは、この濾した液体。
それを半分くらいになるまで煮詰める。
次に、馬の油を湯煎して溶かした所に、この煮詰めた汁を少しづつ泡だて器などでよく混ぜていく。
これで、容器に詰めればドクダミ軟膏は出来あがりである。
冷蔵庫で1カ月くらいは余裕で持つ。
蓋に油紙をぺったりと貼っておくとさらに長持ちする。
「ふぅん、ウマの油なんて聞いたことがないけど……ルマの油の事かい?」
聞けば、ルマとは元の世界の馬に相当する家畜みたいだ。
「それなら、軟膏の作り方は正しいみたいだね。だけど、アンタ、その身体でウチの竈を使うのはちょっと止めときな」
うぅ……ですよねー。
僕は、思わず自分自身の手を見つめてしまう。
ただでさえ身長40㎝に満たない小さな体。そのうえ、左足は膝から下が無い。
竈の上にあるお鍋に薬草を投入して良く煮込む。
煮えたら、それをボウルに張った布巾で濾す。
……言葉では簡単だが、僕にとっては命がけの作業といって良いだろう。
鍋や窯の大きさは、当然、エシル姐さんにちょうど良いサイズ……つまり、僕には大きすぎて、重すぎる。
「まぁ、確かにこれはシフキ草だけみたいだね」
エシル姐さんは、光るコインのような物を使って、満遍なく僕の集めて来た薬草を調べている。
「軟膏を作るのはそんなに手間じゃないから、アタシの方で作っといてやるよ」
そういうと、エシル姐さんは、僕の集めたシフキ草をわっさりと持ち上げて、全部作業場の釜の中へ入れる。
そして、僕に小さな銀色のコインのような物を5枚ほど渡してくれた。
「? あの、これは?」
「ふん! アンタが収穫したシフキ草の代金さ。言っとくけど、この『シフキ草の軟膏』はアンタを置いとく事を認める『新薬』とは違うからね」
「え、あ、ハイ」
エシル姐さんは、ちょっと普段より早口でそれだけ宣言すると、さっさと軟膏づくりに入ってしまった。
おー……この世界初のお金だー……
そうか。これ、売れるんだね。
これがどのくらいの価値になるのか分からないけど、この世界で、僕が生きていける可能性が芽吹いた事に、思わず笑みがこぼれる。
よーし、待ってろシフキ草! 片っ端から集めてやんよ!!
そんな訳で、僕はリーリスさんが帰って来るまで、庭先や道端で、ぴょこぴょことシフキ草の収穫を続けたのだった。
「ただいまーっス!! あれ、レイニー、何やってるんスか?」
「あ、リーリスさん!! おかえりなさいデス!」
とっぷりと日も暮れて、流石に外に出て行くには難しい時間帯になった頃、リーリスさんが戻って来た。
僕は、エシル姐さんから貰った小さな銀貨をリーリスさんに渡す。
「あれ? どうしたんスか? レイニー……これ、小銀貨じゃないっスか」
「エシル姐さんに貰ったんデス」
「ああ、おかえり、リーリス。そのチビ助がシフキ草を収穫してくれたからね。……一応、アタシが買い取ったのさ。ホラ」
エシル姐さんはそう言いながら、ハマグリサイズの二枚貝、大小二つを僕達に渡す。
「?」
よく見ると、その二枚貝は、がま口のように加工されており、中にはぎっちり軟膏のようなクリームが詰まっている。
ぱちり、と口を開いてみると、ふわりと香るドクダミの香り。
「シフキ草の軟膏は、大概の皮膚炎や虫刺され・擦り傷・あかぎれに効く軟膏だからね。リーリス、その中指の怪我に塗っときな」
見れば、リーリスさんの右手中指にちょっとした傷が付いている。
「ダイジョブ、デスか?」
「にゃはは~、大丈夫っスよ、この位。でも、折角だから使わせて貰うっス、姐さん、レイニー、ありがとっス」
リーリスさんは、傷口に軟膏を刷り込みながら、にぱっと微笑む。
「ほら、ちび助、アンタが自分で取って来た薬なんだから、アンタも使いな」
「え? あ、ありがとうございマス!」
おお、二つ渡してくれたうち、一個は僕の分なんだ? わーい!
僕は小さい方の貝をありがたくいただく。
僕の身体に刻みつけられた傷や頭の円形脱毛症は、かなり治って来ているけど、念のためお風呂上りとかに塗っておこう!
「いや~『ゴツール墓場』の警備は大変だったっス、もう、お腹ペコペコっスよ~」
「はいはい。二人ともちょっと待ってな」
エシル姐さんが夕ご飯の準備に取り掛かる間、僕は、今日の成果について、リーリスさんに自慢したり、お金の価値について確認する事に忙しくて……
この時点では気づけなかったのだ。
この時、すでにリーリスさんの身体が病に侵されていた事に。