16 小鳥のスパイ 薬の作り方を盗み見る
「姐さ~ん、『リポキロ』の仕込みなら、俺も手伝うっスよ~」
「おや? どういう風の吹き回しだい? アタシはアンタの【祝福】があると助かるけど、あのチビ助の面倒はいいのかい?」
ビクリ。
その言葉に、思わず身体が小さく跳ねたのは、リーリスさんなのか。
それとも、リーリスさんのフトコロに隠された例の巣の中で小鳥に変身して聞き耳を立てていた僕なのか。
「う、うん。だ、大丈夫っス! レ、レイニーは、今日はちょっと熱がぶり返しちゃって、大人しく寝てるっス。だから、俺も冒険に出るのは止めとこうかな~って思ってたんス!」
リーリスさんの説明臭い台詞に、少し間が空く。
うわ、たまらんな。この間!
めっちゃ怪しまれて居るんじゃないかと、背筋に寒いものが走る。
「ふむ、そうかい。……まぁ、あの傷だったからね。もし、左足の傷が原因で熱がぶり返したんなら、これを飲ませな」
だが、その不安は杞憂だったようだ。エシル姐さんは、単に僕が熱を出した理由を考え込んでいただけらしい。
カタカタ、コトリ、と何かを探すような音が響く。
そして、どうやら、探し出した薬をリーリスさんに渡したようで、リーリスさんの手が小さな薬壺をポケットにしまう様子が服の隙間からチラリと見えた。
「姐さん!! ありがとっス!」
「ふん! 昼ごはんには、またおかゆを作らなきゃなんないんだから、さっさと手伝ってもらうよ!」
「はいっス!」
そういうと、リーリスさんは、ごく自然な手つきで高い所に置かれていた機材を取るのと引き換えに、僕の入り込んだ巣ごと、エシル姐さんの作業場の薬棚の上にちょこん、と設置する。
ふふふ。見える、見えるぞぉぉぉぉ!
薬屋の製薬スペースは、ちょっとした錬金術師のアトリエの様相を呈していた。
くるくる螺旋を描くチューブ状のガラスに似た謎素材が何本も差し込まれている壺、薬剤名を張られて整理されている薬棚、天井から吊るされている蝙蝠とトカゲを足して割ったような生き物の干物、加熱に使う大釜と魔法陣の描かれている加熱台、鹿の角が生えたオーブンのような機械……
ふおおおおお!?
何か、無駄にテンション上がる部屋だな!
二人は、白い手ぬぐいのようなもので、口元を覆い、三角巾で髪を隠す。
給食センターのおばちゃんみたいな恰好だ。
「リーリス、水。」
「ハイっス! 【引き寄せ】水!」
おおおおお!?
な、何だあれ??
リーリスさんが流し台の上で呪文のような物を唱えると、彼の右手をかざしたすぐ下から、滔々《とうとう》と奇麗な水が湧き出してくる。
も、もしかして、リーリスさんって魔法使いなの!? す、スゲェ!! 流石エルフ!!!
明らかな魔法を目の当たりにした僕の興奮は一気にマックスだけど、エシル姐さんは、何も無い他人の手から水が溢れて来る、という異常現象に対して、特に思う事は無いらしく……ごく当然のように道具をばしゃばしゃと洗っている。
リーリスさんもそれが当然と思っているのか、ごく普通に、次に洗う器をエシル姐さんに受け渡している。
「次は、こっちとコレに水を汲んでおいとくれ。」
「ハイっス~。【引き寄せ】水!」
じょぼじょぼじょぼじょぼ……
リーリスさんが、指示された甕と鍋にお水を注いでいる間に、エシル姐さんは、お米のような雑穀をお釜で研ぎ始める。
もしかして、おかゆの準備かな? と思いきや、そのとぎ汁を大きな甕に大切そうに移してゆく。
「あれ? 姐さん、シャーリのとぎ汁なんてどうするんスか?」
「これが『リポキロ』の原料になるのさ。アンタは、その鍋に水を入れたら、そこにフォス芋を皮ごと四等分に切り入れて煮ておくれ」
「ハーイっス」
リーリスさんが指示されたとおり、紫色のジャガイモのようなお芋を、そのまま四等分にカットし、鍋で茹で始める。
このお芋、皮が紫なだけかと思ったら、中もキッチリ紫色なんだね。手早く竈に火を入れて、ふつふつと煮始めると煮汁が奇麗なピンク色に染まっているのが見えた。
「フォス芋が煮えるまでは、こっちの甕をかき混ぜておいておくれ」
「ハイっス、姐さん、この甕は?」
「ああ、これは4日前に仕込んだ『リポキロ』だよ。4,5日間、こうやって頻繁にかき混ぜながら休ませて、それで次の行程に入るのさ」
「へ~」
おっと、この角度だと、ギリギリ甕の中身が見えない!
だけど、上下を返すようにかき混ぜている棒に付着しているのは、ドロッとした粘り気のある薄いオレンジ色の液体みたいだ。
異世界版抗生物質は、この甕の中で培養されるらしい。
どうやら培養方法は、現代の実験設備よりも、お酒や醤油の醸造に近い気がする。
「なるべく空気を含むように、しっかり混ぜとくれ。その間にアタシは新しい甕の仕込みをするからね」
「ハーイ」
エシル姐さんは、撹拌作業をリーリスさんに任せて、奇麗な木の箱から、新鮮な木の葉っぱを取り出す。
【鑑定】
名前:リポキリア草
用途:『リポキロ』の原料となる薬草
おお! アレが精霊の丘のさらに高所にしか生えないという、貴重な異世界版抗生物質の原料だ!!
よく見ると、その葉っぱは、まるで粉を吹いたように青いカビちゃん……微生物がビッシリと生えている。
ほほう? あれは、木の葉っぱそのものというよりも、葉っぱを養分にして成長しているあのカビちゃんが抗生物質には大切なのかな?
もしかするとアオカビの一種かもしれないな。
しかし、エシル姐さんは、リポキリア草を一旦確認すると、またしっかりと木の箱にしまい込んでしまう。
うう、小金貨に化ける高価な原材料だもんね、そりゃ、扱いも慎重になるか。
もう少しじっくり【鑑定】をしたかったが、仕方がない。
そして、良く煮えた紫のジャガイモ……もとい、フォス芋を取り出し、その煮汁を先ほどのシャーリ……だっけ?
あの、お米のとぎ汁みたいな液体と併せてピンク色の汁を作り上げる。
「よし、温度は人肌だね」
エシル姐さんが満足そうに頷く。
微生物の弱点は高温だ。
とぎ汁と混ぜられ、ほど良く温度の下がった液体に、直接リポキリア草を放り込むエシル姐さん。
僕の目には、きちんと箱をひっくり返して、とんとん叩く様子が、箱の中に残った胞子も無駄にしないようにしているように見えた。
そして、リーリスさんと同様、ばっちょばっちょと、甕の液体をひたすら天地返しの撹拌作業だ。
どのくらいそれを繰り返していたのか、リーリスさんが「ふえぇ~。疲れたっス~」と呻く声に、エシル姐さんも顔を上げる。
「まぁ、そうだね。今日の所はこのくらいにしておこうかね」
エシル姐さんは、二つの甕に紙で出来た蓋を締めると、煮汁を取った後のイモと研ぎ終わった雑穀を持って、作業部屋から退出する。
リーリスさんも、大きく伸びをすると、さりげなく僕の入っている巣を懐に回収し、一旦自室に戻った。
「どうっだったスか? レイニー、何か分かったっスか?」
「ぷわ~っ! ありがとうございマス、リーリスさん! 一応、培養については、目途がつきマシた!」
僕は、小鳥の姿から、人間の姿に戻る。
そそくさ、と衣類を着用しながら、異世界版抗生物質の作り方を思い返す。
あの液体『芋の煮汁とコメっぽい雑穀のとぎ汁』は、培養液『グルコース10g、ポリペプトン10g、アデニン0.4g、酵母抽出剤5g』に当たる部分だ。
グルコースって雑にいうと糖分の事だし、ポリペプトンはタンパク質を酵素で消化したものの一種。
アデニンは地球上ではごくありふれた有機物で、お茶やコーヒー、ココア、ノンアルコールビールにも、その仲間が含まれている。
酵母抽出剤は読んで字のごとくだ。
別にシャーレに固定する必要が無いなら、寒天は材料から除いても問題は無い。
つまり、どういう事かというと『糖分と栄養分が豊富で微生物が繁殖しやすい液体』と、イコールであると言って良いだろう。
「ねぇ、リーリスさん、あの雑穀とお芋って珍しいものだったりしマスか?」
「そんな事無いっスよ。あの雑穀は、レイニーもおかゆで食べた事があると思うっス」
あ、もしかして、エシル姐さんが作ってくれた、あのおかゆの原料かな?
「お腹に優しくて体にも良いから、体調悪い時にはいつもお世話になるっス。フォス芋も安くてお腹いっぱいになるし、育てるのも採るのも楽っス」
このフォス芋、お腹に溜まりやすく安価なので、通称『貧者のパン』と呼ばれているのだとか。
うん、うん。原材料がお手頃価格なのはありがたいですよ。
「では、材料の内、その二つは問題無いデスね。……あと『アオカビの生えた食べ物』とかありマスか?」
「へっ!? アオカビ? アオカビって、あの、アオカビっスか??」
突然の質問に、リーリスさんが狐につままれたような、ぽかん、とした顔をする。
あれ? 話してなかったっけ? 精霊、精霊って呼んでたから説明を忘れてたかな?
「ハイ。ペニシリンの原料になる精霊はアオカビに住み着いているんデス」
「えええええええ!?」
リーリスさんの絶叫がこだました。




