14 逃亡奴隷 蘊蓄を語る
「だけど、レイニー……あんな約束しちゃって、大丈夫だったんスか?」
部屋に戻ったリーリスさんが心配そうに僕の頭をゆっくりと撫でてくれた。
「ふっ、ふっ、ふー!! お任せあれ!! 実は、一つアテがあるんデスよ!」
「当てっスか?」
そう! まさか、何の目星もなく、エシル姐さんとあんな勝負をした訳では無いのだ!!
ペニシリンは案外、簡単に作れるのですよ!! リーリスさん!
僕の脳内に、某テレビ番組で放送していたお料理番組の木琴の調べが駆け巡る。
ちゃんちゃらちゃらりらすっちゃんちゃ~ん。
「はーい、今日の手作り薬品は、ペニシリン!
作り方をご紹介いただくのは、薬剤調合がご趣味のこのワタクシ、レイニーさん!
そして、アシスタントは、お人好しエルフのリーリスさんデース!!」
「へ!? え? ほえぇ!?」
「ペニシリンと言えば、とっても有名な抗生物質デスね~!!」
「えっ?! ペニ……? ねぇ、レイニー……コーセーブシツって何っスか?」
おお!? 良い質問ですね~。
唐突に始めてしまった今日のお料理番組的なノリに、戸惑っていたリーリスさんだが、本能的に何かを察したのか、なかなか鋭い質問をぶつけてくれる。
ナイス! アシストオォォッ!!
君~、良いアシスタントになれるよ~。
「えっとデスね、細菌や微生物が分泌するもので、他の種類の細菌や微生物が『これ以上増えられないよぉ~』っていう環境を作ってしまう物質の事デス!
だから、そのお薬を体内に入れると、体の中に入ってしまった悪い細菌さんが増えられなくなって、死滅して、病気が治るんデスよ!」
「さ、サイキンやビセーブツ??」
あ、そっか……こっちの世界では、そういう概念がまだ発達していないのか。
「えーと、目に見えない、すっごく小さな生き物の事デス」
「ああ、精霊の事っスね!」
お、おう……
微生物を精霊って言われると何か……違うよーな気がするんだけど、すっごい良い笑顔で「分かった!」って顔をされると否定しずらいな。
しかも、僕がこっちの世界の精霊の概念をよく知らないし。
「精霊って……えーと、例えば、お米みたいな穀類をお酒に変えたりする生き物の事デスか?」
「そうそう、そういう精霊も居るっスよ? それはお酒の精霊っスね~。俺、お酒大好きっス~。美味しいっスよね~」
ふむ。どうやら、発酵の概念は精霊の仕業とされているのか。
ならば、この世界に従いましょう!
エルフがお酒好きなのは、ちょっと意外な気もするけど……
リーリスさんは、僕が元々持っていたエルフのイメージ破壊に余念がないからな。
その程度ならば許容範囲ってもんですヨ。
「そうデス。その『精霊』のなかでも、僕達の生活に役立つ『良い精霊』と、僕達の体調を崩したりする『悪い精霊』が居マスよね?」
「居るっスね~」
発酵と腐敗の違いは「人にとって有益か有毒か」なんだけど、リーリスさんに確認したところ、こっちの世界でも『良い精霊』=発酵、『悪い精霊』=腐敗、で間違いないみたいだ。
「その、『悪い精霊』が増えられなくなる、お薬って事デス!!」
「おお! スゴイっスね! でも、そんなお薬、一体、どうやって作るんスか?」
作り方はとってもシンプル!
「精霊を培養して、そこから薬効成分を抽出して、フリーズドライにかけて粉末を得るだけデス!」
「ば、ばいよー?? ちゅうしゅつ?? ふりいずどらい??」
ね? 簡単でしょ? ……と、主張しようとして、ピキィっと完全停止する。
ペニシリンは『アオカビ』から発見された抗生物質として有名な代物だ。
では、その『アオカビ』をどうやって培養……つまり、たくさん増やして、そこから薬効成分を抽出するのか……
僕の知っている現代のやり方はこうだ。
①、まずはアオカビ”だけ”をたくさん増やす為に、固定培地を準備する。
ガラスのシャーレの中に、固定培地の元として注ぎ入れるのは、精製水200ミリリットルに対し、グルコース10g、ポリペプトン10g、アデニン0.4g、酵母抽出剤5g、寒天7.5gを加えて、よく撹拌した液体だ。
②、滅菌処理を施したシャーレによく混ぜた①の液体を入れる。
③、このシャーレと液体をオートクレーブで滅菌する。
ちなみに、オートクレーブとは「高圧蒸気滅菌器」の事を指す。
何となくなんだけど、個人的には、カタカナ表記より、漢字表記の方が分かりやすいと思うんだよね~。
オートクレーブとは、すごい雑に説明すると、要は圧力鍋だ。
ほら、圧力鍋でお料理をすると煮込み料理が凄く速く出来たりするでしょ?
あれは、普通のお鍋でお湯を沸かすと100℃までしか上昇しないんだけど、圧力を加えて加熱すると、お湯は120℃近くまで温度が上がる性質があるんだよね。
それを利用して、120℃っていう高温で固定培地になる、液体そのものの雑菌を殺しているのだ。
④、その固定培地にペニシリンの原料となる菌株を塗布する。
ペニシリンの原料となる菌株は、アオカビの中でもたくさんのペニシリンを作ってくれる優良株が望ましい。
元の世界ではペニシリウム・クリソゲナムって名前の株だったんだよね。
たしか、最初に発見された時は、メロンについていたアオカビじゃなかったかな?
この知識を知る元となった、マンガの作者様の好物がメロンだったからよく覚えているぜ……!
⑤、そのシャーレを常温に数日放置して、アオカビが育つのを待つ。
アオカビちゃんの成長に理想の気温は27℃だから、その温度を保てる季節だと育成がはかどる。
だいたい、3~4日程度でアオカビがもっふり、と生えた固定培地ができあがる。
と、ここまでが培養の作業。
次はこのアオカビから『ペニシリン』だけを抽出する作業だ。
⑥、シャーレの中にある寒天培地をぺりぺり剥がして、精製水に投入し、3時間程度、ぐるぐると撹拌させる。
⑦、このアオカビの浮いた液体をろ過する。
『ペニシリン』は水溶性の物質だ。液体に溶け込んでいるから、固形物は全部不純物だと言って良い。
だが、ろ過しただけの液体には、ペニシリン以外にも別の成分がいっぱい混ざっている。
そのため、この液体から、さらに『ペニシリン』以外の不純物を取り除く作業が必要だ。
⑧、ろ過した液体に『活性炭』を入れる。
これで、液体の中のペニシリンは活性炭に吸着される。ペニシリンにはそういう性質が有るのであ~る。
ここまでで、雑に表現すると『ペニシリンがべったりくっついた活性炭』が出来た訳だ。
⑨、この『ペニシリンべったりの活性炭』を1%の酢酸水溶液で洗浄する。
何でこんな事をするのかというと『ペニシリン』とは、そもそも酸性の物質なんだよね。
だから、同じ酸性の酢酸水溶液で洗うことで『アルカリ性の異物』を活性炭から取り除く事ができるのだ。
⑩、洗浄後、『ペニシリンべったりの活性炭』を器に入れて、そこに2%の『炭酸ナトリウム水溶液』……つまり、食用の重曹を溶かした液体加える。
この『炭酸ナトリウム水溶液』はアルカリ性。
活性炭にべったりとくっついていたペニシリンが炭酸ナトリウム水溶液で洗われた結果、その中に溶け出してくる、という訳なのだ。
これで、ようやく純度の高いペニシリン溶液が出来あがり!
テッテレー。
⑪、最後に⑩の液体をフリーズドライにかける!!
水は圧力が高い状態だと100℃でも沸騰せずに、お湯の温度が上がる性質があるんだけど……要は、その逆の性質を利用したのがフリーズドライだ。
圧力が低い状態……例えば、空気の密度の薄い標高8000m級の高山なんかだと、水は80℃くらいで沸騰して水蒸気になっちゃうでしょ?
それの究極!
圧力がゼロの真空状態だと、H²oは、温度にかかわらず気体となる性質がある。
だから、食品が凍っている状態で十分に圧力を下げると、その中の水分が固体の氷から、直接気体である水蒸気に変化!
そして、食品の表面から外部へ逃げていくんだ。
これが、フリーズドライの正体。
発見した人、スゴイ!
こうして、純度の高いペニシリン溶液から水分を除去することで、ペニシリンの結晶が完成!
どうです? 仕組み自体はそれほど難しくないでしょ~?
…………
……
「……って、全然、簡単につくれないデスッッ!!!」
だごんッ!!!
僕は、思わず膝から崩れ落ち、両手で地面を思い切り叩いてしまったのであった、まる。




