12 逃亡奴隷 梅毒を見抜く
【鑑定】
名前:ウィーリン・ディーヴァ
状態:ステイタス異常
「梅毒」感染第2期
ふおおおおおぉぉぉぉっ?!
お、思わず息が上がった。
こ、これは、早く治療しないとヤバイ病気ですよ!?
梅毒。
それは、梅毒トレポネーマという細菌による感染症だ。
例のマンガにも載っていたから、伸びたバネのような細菌の形まで思い出せるよ……!
この病、皮膚や粘膜の小さな傷から感染する。
ひとたび感染すると、血液やリンパ液の流れにのって病原菌が全身を巡り、長い時間をかけてさまざまな症状をひき起こす全身性の慢性感染症だ。
現代日本では、これによる死者が出る事はほとんど無い、と言って良い。
日本には良いお薬があるからね。
だけど、治療薬の存在しない時代だと、とても恐れられた病なのだ。
何故かというと、この病、病状が進行すると、全身にえんどう豆大~ニワトリの卵大のゴムのような弾力のある腫瘍や、しこりができる。
特に、顔や軟骨である鼻に、このゴム腫ができてしまうと、当然、顔が酷く変形してしまうのだ。
想像してみると良い。
自分の顔のいたるところに、ニワトリの卵大のコブがくっついた姿を。
さらに、このゴム腫……放置しておくと、壊死して崩れる。
元々が、どんなに美男美女だったとしても、美貌が裸足でトンズラする容姿に変わり果てるのだ。
しかも、全身性だからね? もちろん、内臓にも影響あるからね?
さらに放置すると、感染後10年ほどで、大動脈瘤や大動脈炎といった心臓や血管の異常、進行性のまひ、歩行障害や認知症の症状まで現れ、やがては……死に至る。
第2期から、ゴム腫が発生する第3期まで進行するには、数ヶ月~数年の「自覚症状の無い潜伏期間」が存在するが、その間も他の人に、この病を感染させる力は持っている。
「実は、ちょっと体調を崩して寝ていたの。あと、見て~。特に痛い訳じゃ無いんだけど、湿疹が酷くて……」
お姉さんがエシル姐さんに皮疹を診せる。
「もう、全身こんな感じで、仕事にも支障が出るのよ」
エシル姐さんは、その湿疹を見て、キツイまなじりをさらに険しく歪ませたかと思ったのだが、その表情は一瞬のうちに掻き消えた。
そして、いつもの男勝りの笑顔を浮かべる。
「ああ、ちょうどいいね。今の時期は、新鮮なシフキ草が入るから、軟膏を出すよ」
エシル姐さん、違う!
これは、ドクダミ軟膏では治らない!!
いや、一旦は治ったように見えるけど、それは潜伏期間に入っただけだ。
ペニシリン……抗菌薬・抗生物質を処方しないと完治はしない。
僕は、思わずエシル姐さんの後ろに並んでいる薬剤や薬壺に片っ端から、【鑑定】を発動させた。
『抗生物質』……その四文字を必死に探す。
【鑑定】
名前:デリトの実
効果:キーノの変色効果を解除する。
違う!
【鑑定】
名前:パラトスナ
効果:肝臓の動きを助け老廃物分解速度を上げる。
これじゃない!!
【鑑定】
名前:マチスト毒(別名:ヒ素)
違う! つーか、ここ、毒薬も扱ってんの!?
【鑑定】【鑑定】【鑑定】……
胃腸薬・頭痛薬・避妊薬・髪の生える薬・声の変わる薬・性転換薬!?
ふぁんたじぃ全開な薬が並ぶが、僕の探す薬は……
【鑑定】
名前:リポキロ
効果:抗菌剤・β-ラクタム系抗生物質を多量に含む。魔力回路の異常に対する万能薬でもある。
あ、あった!!
よかったぁぁぁ!
「この赤い湿疹は、この軟膏を塗ってしばらくすると消えるかもしれないけど……」
「あのっ! これ! こっちのお薬でないと、だめ、デス!」
僕は思わずエシル姐さんの言葉を遮り、急いで『リポキロ』の名の入った壺を指差す。
突然の僕の言葉に、エシル姐さんもお姉さんも、小鳥が豆鉄砲を喰らった顔で僕を見つめた。
「こっちって……リポキロの事かい?」
こく、こく、と力強く頷く。
しかし、二人は目を見合わせると、何故か同時に噴き出した。
へ?
僕、そんな変な事言ったの?
「ふふふ、心配してくれたの? 確かに、リポキロなら、直ぐに治ると思うわ。でも、たかが皮膚炎に、そんな高価な薬、買えないわよ」
「バカだね。コレはかなりの病気に効く万能薬だよ? 確かに、この皮膚炎も治るだろうけど、アンタ、コレがいくらするか知ってるのかい?」
お値段……!
そ、それは、考えて無かった。
もしかして、こっちの世界の抗生物質って、お高いの!?
そんな僕の疑問を感じ取ったのだろう。エシル姐さんが大きく頷いて、こう続けた。
「この位のコップ一杯で小金貨3枚だよ」
エシル姐さんが、お猪口くらいのコップを指差す。
な、なるほど、わからん!!!
だけど、「金」が入って来るって事は、それなりにお高いのだろう、と想像はできる。
しかし、僕がピンと来ていない事が分かったのか、エシル姐さんは、そのまま、小さく鼻を鳴らすと言葉を続けた。
「ふん、どこかのポンコツが拾って来たような最下層の奴隷だったら、中央で買ったって、小金貨1枚でおつりがくるよ」
まさかの命のお値段以上!!!
そいつはお高いッ!!
でも、ここで放って置くわけにもいかない。
うーん、病名を伝えてしまって良いものなのだろうか?
一説には『男と女の不名誉』だと言われるデリケートな病だぞ?
だが、背に腹は代えられんか……
「でも、あの……その症状は『梅毒』だと思いマス。」
僕のセリフに、エシル姐さんが眉をピクリと動かして、保育園児の口からノーベル文学賞作家の名前を聞いたような驚きの眼差しと、興味深そうな「ほぅ?」という声を投げかける。
「だから……」
早く治療しないと、大変なことに……と、続けようとした僕の言葉を遮るように、お姉さんは、嬉しそうな声を上げた。
「あら! コレ、梅毒だったの?」
「あぁ、そうだよ。」
エシル姐さんも嬉しそうなお姉さんを肯定するように首を縦に振った。
「うふふ……嬉しいわぁ!」
えええええええ?!
「う、嬉しいんデスか!?」
「ええ、そうよ」
この世界では、梅毒を経験した娼婦の方が価値が上で、勤めているお店によっては、お給料も倍に跳ね上がるのだとか。
さらには、特別ボーナスのようなものまで支給があるそうだ。
「その赤い湿疹が消えないうちに、お店に申告をしときな。しばらくしたら、その湿疹も消えちまうからね」
「ええ、そうするわ!」
お姉さんは、弾む声でエシル姐さんに答える。
珍重されるのは、理由がいくつかあって、「妊娠しづらくなる」「肌が抜けるように青白く妖艶になる」「床上手の証」と言われているらしい。
そ、そんな、バカな……!
「で、デモ、『梅毒』は、悪化すると、全身にブニブニした卵大の腫瘍が出来て……それが腐り落ちるんじゃないんデスか?!」
僕の言葉を聞いたエシル姐さんが、少し厳しい声で、ピシャリと否定した。
「……ソイツは、『腐肉腫病』だよ。『梅毒』とは別物さ」
ふぁっ?!
も、もしかしたら、潜伏期間が長すぎるせいで別の病気だと認識されてるの?!
「でも……!」
「アンタはちょっと黙っときな」
エシル姐さんの、有無を言わせぬ迫力に、僕は思わず息を詰める。
怖ッ!! エシル姐さん、怖ッ!
この人、眼光だけで小心者の膀胱を握り潰せるんじゃないかなぁ!?
あ、でも、僕はちびってませんよ、僕は。
「悪いね、ウィーリン。この子はアタシの弟子にして日が浅くてね。まだ、病名なんかは、ごちゃごちゃになっちまうのさ」
「うふふ……構わないわ。それにしても、ずいぶん小さなお弟子さんね」
「ああ、小人族だからね。……でも、この子の言うとおり『腐肉腫病』が、『梅毒』を経験したような上級娼婦に多い病なのは確かさ。少しでも異変を感じたら、またウチに来るんだよ」
「ええ。あ、でも、一応、いつもの避妊薬も頂戴」
「はいよ」
エシル姐さんは、シフキ草の軟膏と避妊薬らしきお薬をお姉さんに手渡しながら続ける。
「異変が出たそん時ゃ、迷わず『リポキロ』さ。アンタなら、ちょっとはオマケしてやるよ」
「ありがとう! でも嬉しいわぁ、やっと『梅毒』になれたんだもの! うふふ、これで、あと半年も有れば借金だって返し終わるわよ」
お姉さんは会計を済ませると、スキップでもするような軽やかな足取りで薬屋を出て行った。
「……さてと」
エシル姐さんのドスの効いた声が、僕の背筋を撫でる。
ぞわぞわと駆け上がって来るこの寒気は、彼女に対する畏怖なのだろうか……?