営業対事務?
季節は11月に入り、朝晩は冷え込むものの、昼間の日差しは暖かい。社員食堂の大きな窓からは、そんな日差しが差し込んでいた。午前中はデスクワークが中心で外には行かなかったので、青木と社食に来ている。
青木も僕も、日替わり定食を頼んでトレイに乗せてもらった。これだとバランスよく野菜も摂れるので、考えるのが面倒な僕は最近はこれを注文する事が多い。
トレイを持ったまま空いている席を探していたら、大分席が埋まっている事に気付いた。出遅れたかなと青木と話しつつ、キョロキョロと辺りを見渡す。
「おーい、黒川。こっち空いてるぞ。」
振り向くと、同期の呉が手招きをしてくれていた。事務部に所属している彼とは新人研修で一緒の班だった事もあり、いつも気さくに声を掛けてくれる。彼が結婚してからはからっきしだけれど、独身の頃は一緒によく呑んでいた。
呉の座っている席の隣に持っていたトレイを置いて腰掛けた。青木はその向かいに座ると、呉と挨拶しながら話し出している。誰とでも気さくに喋れるのは、青木の純粋に凄いところだと思う。それを横目に、僕はいつもの様にスマホで昼食の写真を撮った。もちろん結衣に見てもらう為だ。
「何で写真撮ってんだ?」
青木との話を中断して、不思議そうに呉は僕を見る。僕がSNSに投稿したりするタイプじゃないのを、彼は知っているからだろう。
「…野菜食べてるよって、知らせてるだけ。」
「誰に?」
「彼女。」
呉はジッと僕を見る。顔に穴が開きそうなくらいマジマジと。一体、何?いつになく真面目な顔してさ。
「…その彼女について信じられない噂が広まってるんだけど、確認していいか?」
信じられない噂?…もちろん心当たりがあった。
「いいよ。」
「彼女って白石さん?」
「そう。」
もったいぶらずに、さらりと答える。出来るだけ何気ない風を装って。僕のポーカーフェイスの成せる技なのだ。
「マジか!!信じられない!」
信じられないって不釣り合いって意味なのか?何故、同じ部署の結衣本人ではなく、僕に聞くのか…。あ、セクハラになるから?
「驚き過ぎじゃない?」
有り得ない様な驚きぶりに、こっちが戸惑う。
「だって、あの白石さんだぞ?どれだけイケメンがアプローチしても、全然靡かなかった彼女が、何故お前なんだ!?」
そんなの知らんわ!っていうか、イケメンじゃないって何気にディスられてる!?身長はともかく、デリカシーの無いのに…なんて言いたい放題、心底不思議そうに言われて面白くない。
「…結衣に聞いて。」
「結衣!」
いちいち煩い。ゆっくりご飯を食べたいのに。彼女を呼び捨てするのって、普通だと思うんだけど?
「何で?どういう切っ掛け?」
質問攻めにうんざりしながら、僕は呉の質問に答えていく。はぐらかそうものなら、もっとややこしくなるのを承知しているからだ。
向かいの青木はニヤニヤしながら、僕らのやりとりを見ていた。ちょっと助けてくれても良いのにさ…。
「赤城さんといい、白石さんといい、営業部は事務部の美女を奪っていくのは何でだ!?」
呉はじと目で僕をみる。何でって言われても、それこそ知らんわ。奪ったつもりは無いんだけど。
「たまたまだろ?」
「白石さんまで、会社を辞めたりとかはないよな?赤城さんの抜けた穴は大きいんだ。」
そう言えば、彼女は最近正式に引き継ぎを済ませ退社したんだった。
「僕は、旧時代的な考えは持ってないから。結衣しだいじゃない?」
って言うか、結婚する事を前提に話が進んでいるのは何でだ?僕がいい歳だから?いや、嬉しいんだけど。
事務部が、緑川先輩に恨みを持っているのは良く分かった。だけどさ。
「呉の奥さんの、静香ちゃんだって、元営業じゃないか。それこそ結婚して会社を辞めたのは、部長も嘆いてたんだぞ?」
同期だから親しくしていた女性だ。それこそ呉も一緒によく呑みに行ったものだ。
「…あれは、たまたま静香のお母さんが、病気になってしまったからであって…。それこそ辞めろなんて、俺言ってないから!」
もちろん知ってはいたんだけど、攻めれっぱなしじゃ面白くないのだ。
「知ってるって。だから、事情がある場合は仕方ないだろ?」
「…そうだな。」
理解はしていても、感情の方で納得していなかったのだろう。誰かに聞いて欲しかったのかも知れないと思う。愚痴が溜まっている様だ。近いうちに呉と呑みに行こうか…。子供に手が掛かるから難しいかな?静香ちゃんの許しが出れば良いんだけど。後でメッセージを送ろうと決めた。
「ところでさ、緑川先輩って、事務部でそんなに嫌われてんの?」
「当たり前だろ?優秀な人材を手放すのは、痛いさ。特に密かに赤城さんに好意を寄せていた、独身男どもには、特に。あ、これは事務だけじゃないよ?」
「部長にも?」
「部長が一番嘆いてたかな。急だったし。ほら、娘の様に可愛がってたから。」
デキ婚なのが、尾を引いてるねぇ…としみじみ呉は食後のお茶を飲みつつ言った。
「……。」
…先輩、頑張ってください。僕は彼が闇討ちに遭わない様に祈りつつ、心の中で合掌したのだった。