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僕達の日常  作者: さきち
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お茶と思い出2

「奥様のお葬式、良いお葬式でしたね…。」

 二煎目の緑茶を淹れながら、ポツリと吉田さんが呟く。

「そうだね。俺の知らない出席者も多くて驚いたかな…。」

 会社の関係者だけではなかったのは確かだ。

「奥様は、モテてましたから。」

「…それ、本当?」

「本当です。若い頃の奥様は、輝く美貌で、それはおモテになられました。旦那様は好き勝手なさってるから、冗談で奥様も浮気なさってはどうですかと言ったんです。」

「吉田さん…、気持ちは分かるけど。」

 確かに父さんは好き勝手していた。愛人の家に入り浸りで、滅多に家には帰って来ない人だった。母さんにしたら、面白くなかっただろう事は想像に難くない。

「でも奥様は、男には許されても女には許されないこともある。男女平等だなんて叫んだ所で、それが現実だと。だけど、どれだけ理不尽であろうと、それを飲み込まなければね。それに誰が何処で糸を引いているか、分からないじゃない。そう言っていた奥様の横顔が忘れられません。一途で、聡明な方でした。」

 俺は母を思い浮かべる時、凛と立つ姿を思い出す。気位が高いのもあったのだろうけど、芯のある人だと思っている。

「ああ、自分に厳しい母さんらしい…。」

「理不尽を飲み込んできた方だったから、美穂さんにもそれを求めてしまったのだと思います。」

 思いがけず出た名前に戸惑う。吉田さんに、動揺を気付かれていないだろうか…。

「…そうだな。」

 やっと、その言葉を吐き出す。自分が不甲斐ないせいで、美穂を傷つけてしまった事は、俺の中のいまだに刺さったままのトゲだ。この罪悪感は消える事はないだろう…。

「あの噂を流したのは、奥様じゃありません。それを利用したのは事実ですが…。弱い部分を隠す事すら出来ない美穂さんを見て、奥様は歯痒く思っていたのだと思います。そんな状態では、何処で足元を掬われるかわからないと…。やり方は良くは無かったでしょう。だけど、この家を守る為だと、奥様は自分に言い聞かせていらっしゃいました。それが奥様の正義だったのです。罪悪感がなかった訳ではありません。愁が私を睨むのって、でも仕方ないわね、それだけの事をしたのだからって、寂しそうでしたから…。」

「そうか…。」

「…武さんには、納得いかない話かも知れませんが…。」

 俺を見詰めながら、躊躇いがちに彼女は話し出した。

「でも私は、あながち奥様の考えは間違っていなかったと思うのです。あのままの関係を続けていたら美穂さんと黒川さんは、どうなっていたでしょうか?最悪の結果になっていなかったと、誰が証言できるでしょう?」

「でも、二人がくっ付いたのは、俺達が離婚したからだ!」

「もちろん、結果論です。でも、どうですか?あなたは、美穂さんとも黒川さんとも友人関係を保ってらっしゃいました。」

「そうだけど…。」

「奥様は、この家と、あなたを守ったつもりだったのだと思います。決して悪意で動いていた訳ではないのを、知ってください。」

「……。」

 そう言われても、簡単に納得出来る話では無い。どれだけ傷付けた事に傷付いて、自分の愚かさを呪ったか分からないぐらいだ。あの頃の感情は、まだ熱を持って燻っていて、渦巻く様に自分の中の深い部分にある。

 言葉に出来ない思いを、お茶と一緒に飲み込む。そんな俺の様子を、心配そうに吉田さんは見詰めた。

 沈黙が辺りを支配していた。俺は渦巻く感情が落ち着くのを待つ。


 3煎目のお茶を、急須から俺の汲み出しに注ぎながら、また躊躇いがちに吉田さんは話し出す。

「…旦那様とだって、憎み合っていた訳じゃないですよ。旦那様は、外では奥様を妻として立てていらっしゃいましたし、仕事上の相談役としても頼っていらっしゃいました。少し歪だったかもしれませんが、あれがあの夫婦の形なのです。確かに信頼関係はあったのです。だから、旦那様の事を、あなたに愚痴ったりしてしまったのでしょうけど。」

 ああ、だから。父さんに対する文句は、母さんの愚痴だったのか…。

「母さんは、父さんを嫌ってなかった?」

「もちろんですよ。むしろ逆です。支えたいって思ってらっしゃたと思います。頼りないなんて愚痴りながらも、頼られると嬉しそうでしたから。」

「そっか…。」

 仲が良くない両親との間に生まれた自分は、何処かふわふわした存在の様な気がしていた。本当の所は、両方から疎まれているのではないだろうかと、若い頃は疑う事をやめられなかったのだから…。父と仕事をする様になってからは、そんな事は思わなくなっていたのだけれど。


「…武さんは知っているでしょうか?生まれて来られなかった妹さんがいる事を…。」

「…母さんから、少しだけ聞いたことがある。」

 あれは、いつだっただろうか…。どうして僕は一人っ子なのと、子供の頃に母に聞いた時だっただろうか…。

「流産されたんですよ。…誰が悪かった訳でもありませんが、あれから気落ちされた奥様と、旦那様の仲はギクシャクしてしまいました。それまでは仲がよろしかったのに…。気丈に振る舞ってはおられましたが、奥様は罪悪感を感じずにはいられなかったのでしょう。良く隠れて泣いておられました。旦那様も、落ち込んでいる奥様をどう扱って良いのか戸惑っている様でしたね。そんな感じで、仕事の方に逃げ込む様に疎遠になってしまい、遂には愛人を作って滅多に帰って来られなくなりました。」

 ああ、父さんも弱かったんだ…。だから、逃げてしまったのだ。母さんも、罪悪感から、それを飲み込んだのだろう。

 だけど、後には、歪だろうと、二人なりの形を見つけたのだ。


 俺は病室での、父さんの様子を思い浮かべる。動かなくなった母さんを見詰め、静かに涙を流し、確かに悲しんでいた姿を。それが意外で、声すら掛けられなかった事を…。だけど、今吉田さんの話を聞いて、少し納得してしまった。

「俺、母さんは可哀想な人だって思ってた。父さんは帰って来ないし、でも初めて貰ったブローチを愛おしそうに見ていたから…。」

 ずっと過去に生きているんだと思っていた。現在なんて、母さんにとっては地獄でしかないのだと…。

「可哀想だなんて、憐れむのはおやめください!」

 いつになく強い口調で、吉田さんは俺に言い放つ。

「…ごめん。」

「…奥様はおっしゃいました。誰が、どんなふうに、どんな環境で生きていようと、幸福も不幸もその人自身の中にある。決して他人に決められるような事じゃないわと。私は、与えられた場所で精一杯私自身を生きた、だから不幸じゃなかったの。周りからどんなに不幸に思われていようと、私は自分が幸せだったって胸を張って言える。だってあなたに出会えたんだものって、私を見て微笑んでくださいました。子供にも恵まれたし孫もいる。決して好かれている訳じゃないけれどって。」

「……。」

 自分も含めて、人から嫌われる事を過剰に怖れてしまう人が多い中で、母の生き方は潔いのだろうか。だけど…、やっぱり不器用だ…。

「私は私の役割を果たしただけ。それで良かった。あなたが私を、私の存在を許してくれるなら、私はそれだけでいいの。他の誰から憎まれようとね。…そう、笑ってらしたんです。だから…!…だけど、奥様がご家族の方にまで誤解されたままなのは、私が嫌なんです!本当の奥様を、私だけが知ってるなんて、寂しすぎるじゃないですか…!」

 彼女は俺の前で、泣き崩れた。お葬式の間も涙を見せず、気丈に振る舞っていたけれど、悲しんでいたに違いないのだ。一番長く母と過ごしていた人なのだから…。俺は彼女の背中を撫でることしか出来なかった。


 いつもお読み頂き、ありがとうございます。思っていたより、長くなってしまったので、次回も続きます。

 人というのは、自分が正義だと思うから動けるのだと思います。たとえそれが、他の人から悪に映ったとしても…。自分が悪だと思いながら生きている人はいないのではないかと考えて、このお話ができました。結局の所、視点の違いなのですね。人の数だけ正義があるのならば、納得は出来なくても、理解してみると良いのかも知れません。それはとても難しいですが。

 ではまた☆あなたが楽しんでくれています様に♪

 

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