帰路とデート
展示会最終日は、心配で居ても立っても居られなかった。だけど、どれだけ寝不足だろうと、顔には出さずに乗り切る。手早く片付けを終わらせて、新幹線に乗った。他の二人も一緒に帰路に着く。
「黒川さん片付け早かったですね。私、鬼気迫るものを感じたんですけど…。もしかして、帰ったらデートですか?」
窓際の席の敷島さんは、緑川先輩を挟んだ、通路側に座る僕に話しかけた。
「そう。早く帰りたくて。」
気ばかり焦って仕方ない。だけど、表情だけは平常心を保っている。
「黒川は良いな。俺は家の用事で会えないからさ。」
祖母の誕生日なんて、面倒臭いと愚痴をこぼす。確か、確執があって、あまり好きじゃなかったんだっけ?
仕方ないけどぉ〜、嫌だな。嫌だな。と緑川先輩は、ぶつくさ呟いている。
「そうなんですか。」
良い孫演じるのも、大変だなぁ…。
「二人とも彼女持ちなんですねー。つまんないですね。」
敷島さんは、そんな事を呟く。
「つまんないって、敷島さんは?」
「私も、いますけど。もちろん帰ったらデートです!つまんないって言ったのは、人気がある人には、彼女がいるんだって意味です。だって、誰が射留めるんだろうねって、噂になってたんですもん。」
そんな噂、あったんだ。僕は関係ないよね?
「で、彼女って誰なんですか?早く会いたくなるくらい、好きなんですよね?」
キラキラした目で見つめられたけど、ここで喋ったらすぐに会社中に広まりそうな気がする。
「秘密。」
「ケチ。」
ケチって。同じ質問を緑川先輩にもして、同じく秘密と言われて、唇を尖らせる敷島さんは、私も言いますから!と食い下がる。もう一度、駄目と言ったら、やっと諦めた。
「まぁ、いっか。今日は、片付けが早く済んで、嬉しいから。ありがとうございます♪」
切り替えが早いなぁ。そこが彼女の、良いところなのかも知れない。
「利害が一致して、良かったね。」
こちらに戻って来てから、僕達は、それぞれお疲れ様と別れた。早く!早く!と気が焦って、自然と早足になりながら、結衣のいる場所に向かう。
だけど、おかえりなさいと言う彼女の笑顔を見て、何も言えなくなってしまった。ただいまとだけ、言葉を絞り出したけれど…。えっと、何て言えば良いんだっけ?
食事は済ませて来たので、カフェで待ち合わせて、僕の自宅まで一緒に帰って来たのだけれど、結衣はいつも通りで、変わったところは見受けられない。
だけど、必死に平気なフリをしている可能性もある。どう切り出せば良いのか分からなくて、僕は部屋に帰るまで悶々としていた。
抱き寄せてキスをする。いつもと同じだけれど…。
「今日はダメですよ?生理中なんで。」
そう言えばそろそろだったかもと、思い至る。えっと、という事は…。
「…本当に?」
「?嘘ついてどうするんです?」
「…いや、なら良いんだけど…。本当に?」
結衣をじっと見て、もう一度確認してしまう。
「今日はやけに、疑り深いですね。どうかしたんですか?」
不思議そうに首を傾げる彼女は、僕を見詰める。
「…えっと。」
なんて言えば良いんだろう…。
「…目が泳いでますよ?」
じっと見詰める彼女の瞳に負けて、僕は口を開く。
「…あのさ、青木が、結衣を見たって言うから…。産婦人科の前で。」
結衣は目を見開いて、それから納得した顔をした。
「…ああ、なるほど。私じゃないですよ?」
「そっか。」
残念な様な、ホッとした様な、何とも言えない気分だった。
「あの、緑川さんって普通でした?」
「うん?普通だよ。いつも通り…。もしかして、赤城さん?」
「…はい。と言うことは、まだ言ってないのかなぁ…。今日話してる可能性もあるけど…。」
「先輩、今日は家の用事だって言ってたよ?莉子に会えないって愚痴ってたから。」
「そうですか…。」
「莉子、悩んでました。言い辛そうで…。」
「…そう。」
僕には、想像する事しか出来ない。
「莉子、問診票を記入する時、ペンが止まったんです。既婚か、未婚か、丸をつける時だったんですけど…。」
「確かに、既婚と未婚じゃ、違うだろうな…。」
「そうですよね…。」
結衣は心配そうに溜息をつく。
「莉子はああ見えて、悩みを抱え込むタイプだから、心配なんですよ。」
言ったらスッキリしそうだけど、そういう訳にはいかないのが、人の感情の難しいところなのかも知れない。僕も君に聞きたくても聞けなかったんだし…。
僕は、結衣だったら、どうするつもりだったんだろう…。もちろん、責任は取るつもりだけれど。腕の中の結衣を抱き締めながら、そんな事を考える。
君が妊娠しているかも知れないと思った時、少し嬉しかったと言ったら、身勝手だと、また怒られてしまうかな…。
もし、月曜になっても、赤城さんが緑川先輩に言えてなかったら、僕から彼に言おうと思った。余計なお世話だと言われても…。
「借りは返さないとね。」
赤城さんには借りがある。どうか、彼女の不安が、溶けて流れてしまいます様に…。