青木家3
「あれは丁度、爽が生まれた日の事です。名前を付けようとしたんです。走ると書いて走って。」
お父さんは話し出す。歩君は私を気にしつつも、黙ってお父さんの話に耳を傾けていた。
「今と漢字が違いますね。」
「そうです。…私と歩は血が繋がっていません。でも歩と走なら、兄弟だって分かるでしょう?兄弟として壁が無い様に、そう思って私と妻で考えました。私達は家族だって証明したくて。」
私は相槌を打ちつつ、頷いた。
「歩に、こういう名前にしようと思うんだと言ったら、困った顔をするんです。歩の事を考えて名付けようとしたのに、歩は気に入らない様でした。」
私は、歩君を見る。彼は少し困ったような顔をしていた。
「何が嫌なのか、私も妻も分かりませんでした。だから聞いてみたんです。何が嫌なのか…。」
何が嫌だたんだろう?彼を見ても、話の腰を折る気は無いらしく、黙ったままだ。
「僕が歩いていて、弟が走っていたら抜かされちゃうかもしれないし…。それに走ってばっかりだと、疲れるんじゃない?なんて言うんです。兄として弟には抜かされたくないって思ったんですね。」
お父さんはその時の事を思い出したのか、ふっと笑って、話を続ける。
「それは切っ掛けだったのですが、私も妻も反省しまして。もうとっくに私達は家族で、歩も兄になる自覚をしているのに、私達は家族としての形式にこだわり過ぎていたのかなって…。初めから歩は、弟に対して壁なんか感じていませんでした。私に対してもそうです。逆に壁を作っていたのは、私の方だったのだと気付きました。」
ああ、なるほど。
そう言えば、私の時も、私の事を司から聞いていたのに、近付いたんだっけ…。そんな事を思い出す。
「もう、妻もそうちゃんと呼んでいましたし、今更他の名前は考えられなかったので、だから読み方はソウのままで、漢字を変えて爽にしました。」
お父さんが、歩君をチラリと見て、私に視線を戻す。
「…昔からそんな感じなので、そういう性格だと思ってもらえませんか?」
「…言わなかった事に意味はないと?」
さっきよりも気持ちは落ち着いているけれど、私の事と何の関係があるのかと思ってしまう。歩君は黙ったまま、ただ私を見詰めていた。
「それは、私にも分かりません。歩の口から話すべきでしょう。」
お父さんはそう言って、歩君を促す。
「ねぇ、明美…大事なのは過去じゃなく今だろ?僕は父さんや母さん、爽にも、先入観を持たないで、今の明美を見て欲しかっただけ。ただそれだけだったんだ。君を傷付けるつもりは無かったんだ。」
彼は真剣に私を見詰める。その言葉に嘘はないと、そう思えた。
「……。」
ああ、これは私の問題だったのだ。お父さんが壁と呼んだものは、私にこそあったのだ。私が彼を信じきれていないから、ありもしない壁を感じてしまうのだと、やっと気付いた。
彼に対して、その家族に対して、申し訳ない気持ちが、胸に込み上げてくる。また、目に涙が溢れてきた。
「…私こそ、ごめんなさい。」
私はハンカチで目を覆い、馬鹿な自分を恥じていた。歩君の暖かい手が、私の背中を撫でてくれる。僕もごめんと彼は言ってくれたけど、やっぱり悪いのは私だろう。
二人分のただいまという声が玄関から聞こえた。パタパタと軽い足取りの音が、近付いて来て焦る。慌てて涙を拭ったけれど…。
異様な雰囲気を感じ取り、何かあったの?と目を丸くする爽君と瑠璃から目をそらす。しまったと思ったけれど、もう遅い。歩君は私の背中を撫でているし、ご両親も何も言えずにいるし。瑠璃は、素早く私の様子に違和感を抱いたのだろう。
「…あゆむくんが、お母さんを泣かせたの?」
目の赤い私を呆然とした顔で見詰める瑠璃は、歩君を悲しげに見詰めた。
「違う!」
慌てて否定したけれど…。
「…ごめん、瑠璃ちゃん。」
歩君がそう答えると、瑠璃の瞳に、涙が湧き上がってきた。
「あゆむ君なんて大嫌い!」
「瑠璃ちゃん!」
瑠璃が飛び出し、歩君も後に続く。私も後を追おうとすると、お父さんが引き止めた。
「自分でまいた種は、自分で刈り取らなければいけません。」
「…でも。」
引き止められたのに行けないので、その場に躊躇いがちに腰を下ろす。だけど、瑠璃達が気になって仕方ない。そわそわしている私に、お母さんがお茶を勧めてくれた。お茶に口を付けたところで、お父さんが口を開いた。
「青木家の唯一の家訓があるんですが、それは自分の言動には自分で責任を持つというものです。」
そう言って、にっこり笑う。お母さんも落ち着いたものだ。
「家訓ですか…。」
「そうなんです。だから僕は親から勉強しろなんて言われた事は無いんですよ。だけどお前はそれでいいのかとは言われます。」
爽君は苦笑いをして、話してくれた。
「ある意味、とても厳しい家訓ですね。」
「はい、そう思います。ですから、兄があなたと瑠璃ちゃんを、この家に連れてきた意味を汲んでやっては頂けないでしょうか?」
ああ、そう言う事だったのか。やっぱりわたしは馬鹿だったな…。そして爽君は、私やご両親の顔色を伺いつつ、躊躇いがちに口を開いた。
「あの…、父が引き止めたのに、僕がこう言うのも何ですけど、そろそろ兄を助けてやってはくれませんか?僕達は男兄弟なので、女の子の扱いには慣れてないんです。」
困った顔で私に頼み込む爽君は、歩君が心配なのだろう。私は席を立ち、玄関に急ぐ。きっかけを貰えて、爽君に感謝したいくらいだ。
後ろの方で、お母さんがもう少し困らせてやった方が、いいんじゃないのとしゃべっている。本当に厳しいと苦笑いが漏れた。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
思ったより長くなってしまったので、次回も青木家編です。
チョイとシリアスな場面が続いていますが、どうぞ見守ってやってくださいませ。
ではまた☆あなたが楽しんでくれています様に♪