夕焼けと不安
夕方の海は、日差しが和らいで、気怠げな空気が漂っている。波の音と昼間よりオレンジ色がかった光で、そんな印象を受けるのだろうか。
瑠璃ちゃんと一緒に司さんは昼寝中だ。海で遊んで疲れたのだろう。私も少し仮眠したけど、ロングスリーパーの司さんはまだ、起きそうにない。夕飯は軽く食べるか食べないかだろうから、バーベキューの後片付けが済んだらやる事もない。なので手持ち無沙汰になって、一人で散歩にやって来た。
遠くに見覚えのあるワンピースを着た人影が目に留まる。ポツンと佇んでいる莉子を見つけて、声を掛けた。
「莉子も散歩?」
「うん、結衣も?」
「砂遊び楽しかったね。」
「うん。」
二人で砂の上に座って、波の音に耳をすます。莉子の瞳に憂いが見て取れた。疲れただけかもしれないけれど…。だけど、何か気になった。
「ちょっと浮かない顔だね。何かあったの?」
気の所為かな?
「何かあった訳じゃないんだけど…。」
莉子は言葉を濁す。
「心配事?」
ずっと楽しそうに笑っていたのに。
「心配…そうか、そうかも知れない…。ちょっと引っ掛かる事があったんだ。」
「引っ掛かる事?」
どんな事だろう?
「うん。…愁の所にだけ、瑠璃ちゃん来なかったんだよ…。」
皆んなの膝の上に座っては、おしゃべりをしたり、食べたりしていた瑠璃ちゃんの姿を思い出す。人見知りせず人懐っこいので、大人気だったけど。
「たまたまじゃないの?」
「…違う。私の膝に来た時に、愁の様子を見たからだと思う。」
「どんな様子だったの?」
「嫌そうって言うよりは、どうしたらいいか分からないって感じの対応で…。瑠璃ちゃんが話し掛けたことには答えるんだけど、自分からは話し掛けないって感じ。」
「…なるほど。」
「…愁って子供が苦手なのかもって、私思っちゃって…。その事を瑠璃ちゃんは、敏感に感じたんじゃないかなって思ったんだ。」
「…そっか。」
「だからどうだって訳じゃ無いんだけど、少しだけ不安になったんだ…。」
「…そっか。」
私の場合は、司さんは子供好きなんだなぁって、安心したかも知れない。でも、その逆だったら不安になるかも知れないな…。私達の年齢だと、結婚という事を意識してしまうから。子供を持つ持たないという選択肢は別として、持つことを選んだ場合、父親としてどうだろうかという目で、相手を見てしまうのは仕方ない事だと思う。個人的には、女は現実的な考えをしてしまう傾向にある気がするし…。
「私、とっても幸せなのにな…。彼は私を大切にしてくれるし、ご両親にも受け入れて貰ってるし、不安なんてどうしてだろう…?こんな考えが、頭を過る自分は駄目かな?贅沢な悩みなのは分かってるんだけど…。」
「それだけ、真剣だって事じゃないかな?先の事まで考えてしまえるぐらいに、順調な証拠かも。」
「順調な証拠か…。」
「そうだよ。」
「彼には言わないでね。」
莉子は、縋るような目で私を見つめる。
「もちろん、言わないよ。」
二人で散歩から戻ると、ダイニングで青木さんと緑川さんと司さんと瑠璃ちゃんで、トランプをしていた。いつのまにか起きていたらしい。トランプは丁度、終わったところみたいだ。
司さん達がお帰りと、迎えてくれる。
トコトコと緑川さんに近付いた瑠璃ちゃんが、トントンと彼の肩を叩いた。
「愁くんは、瑠璃が怖いの?」
「え?」
緑川さんは目を見開いた。みんなの視線が二人に集中する。
「愁くん、猫のチョビみたいなんだもん。」
「猫のチョビ?」
「うん、家で飼ってる猫だよ。」
「え!いつの間に飼ってたの?父さん達、前の猫が死んじゃった時、もう悲しいから猫は飼わないって言ってたのに。」
司さんが驚いた顔をする。
「この前、雨の日に家の車の下にいた猫を、じいじが拾ったの。」
「…知らなかった。」
司さんは、今度会いに行こうと呟いている。あ、やっぱり猫好きなんだ。
チョビは鼻の下が黒くてちょび髭みたいに見える事から、司さんのお父さんが名付けたらしい。
「でね、チョビはじいじには抱っこされるんだけど、瑠璃には抱っこさせてくれないの。でもね、じいじが言ってたよ。今は怖がってるけど、瑠璃が怖くないってチョビが思えば、抱っこさせてくれるって。少しずつ仲良くなるしかないんだって。」
「…俺は、怖がってる訳では…。」
「瑠璃は怖いことしないよ?だから、少しずつ仲良くしてね。」
瑠璃ちゃんは、緑川さんにニッコリと笑いかけてみせる。
「……はい。」
困ったような顔で緑川さんは頷く。そして瑠璃ちゃんに向かって、おずおずと手を差し出した。二人は握手をして、笑い合う。そんな様子が微笑ましく感じてしまった。
莉子はこのやり取りをどう思ってるんだろう。
「先輩、瑠璃ちゃんが怖いんですか〜?」
青木さんが緑川さんをからかっている。
「先輩が猫…。」
司さんが笑いを堪えていた。きっと猫耳と尻尾の生えた、緑川さんを想像しているのだろう。あ、ちょっと萌える…。
「お前ら…!」
窓から差し込む夕日に照らされた莉子の横顔は、さっきの憂いを含んだ寂しげなものではない事に私は胸を撫で下ろす。
彼を見つめる彼女の眼差しは、夕日の色のように暖かなものだった。