主導権
耳でシャラリとピアスが揺れる、か細い音を聴きながら、私は歩く。歩く度にチリチリしゃらしゃらと揺れるのだ。久し振りに付けたピアスが、揺れるものを選んだのには理由がある。
今日は彼と一緒で、瑠璃がいないから。抱っこしている時に、ピアスを引っ張られると痛い。だから揺れるものは付けなくなってしまった。最近は大きくなって、瑠璃は自分の足で立って歩くようになっている。相変わらず甘えて、抱っこを求めてくるけれど、痛いからやめてねと言ったら、ピアスを引っ張ったりはしなくなった。そんな事に成長を感じて、嬉しくなる。
少しでも華やかに見せたくて、そんな事を考えてしまう私は、やっぱり自分は女なのだと自覚する。気付かなくてもいい。見てくれなくてもいい。ただの自己満足なのだから。自分に魔法をかける為なのだから。
少しでも、今日の自分が綺麗だと思っていたい。あなたの隣で、胸を張って歩けるように。
仕事ではつけない香り、爽やかで、ほのかな甘い匂いを身に纏い、鏡の前に立っていると、瑠璃が隣に来て、ママ美味しそうな匂いがすると言った。私は彼に、美味しそうって思って欲しいんだろうかと、恥ずかしくなる。
そんなやり取りを見ていたのだろう、ニヤニヤしながら、帰って来れなさそうなら、早めに連絡するのよなんて母に言われて、また恥ずかしくなった。行ってきますと、逃げる様に家を出てしまう。両親には沢山心配かけたから、今度は心配をかけたくはない。
この歳になって、両親公認の付き合いは気恥ずかしい。だけど、安心感があるのも事実で。
でもまぁ、そんな事にはならないだろうとは思っている。だって彼は真面目な人だから。それを少し寂しく思ってしまうなんて、歩君には言えないな…。
そんな事を思い出しながら歩いていたら、目的地の近くまで来てしまった。
待ち合わせの場所にいた歩君が、私に気付く。何故だかジッと見られているので、思わず不安になって、服装のチェックをした。確認した筈だけど、変な所あったかな?
お待たせと言って彼に近づくと、彼はふわりと笑う。良かった、大丈夫みたいだ。ほっと息をつく。
「あ、聞きました?バーベキューの事。」
二人で手を繋いで歩きながら、歩君はそんな事を話す。司から話を聞いたらしい。
「ああ、黄瀬さんから聞いたけど。」
「行きますよね?」
「楽しそうだから、行くつもり。海も久し振りだし。瑠璃も楽しみにしてるから。」
小躍りして喜んだ瑠璃が、調子に乗ってヨロけてこけてしまった事を思い出す。
「そうですか。…水着って着ます?」
「…一応。瑠璃と遊ぶつもりだから。」
一緒に砂遊びをする約束をしているから、そのつもりだ。
「…楽しみにしておきます。」
にっこり笑う彼を見て、思わず顔が赤くなる。…身体、絞らないと。間に合うだろうか…。
今日のデートは映画の予定だ。瑠璃が居ると見られないような、長い大人向けのもの。食事を済ませた後、映画館に入って席に座った。
まだ人はまばらだ。電源を切ろうとした彼のスマホが震える。来たメッセージを見て、歩君は目を見開いた。
「どうかしたの?」
「…いえ、何でもありません。」
少し顔が赤いのは、気のせいだろうか?電源を切って、コーヒーをゴクリと飲んだ彼の横顔をじっと見てしまう。イケメンだなぁとしみじみ思う。そうそう、言いたい事があったんだ。
「敬語はいつやめてくれるのかな?」
ずっと気になっていた事を、少しの勇気を出して言ってみる。
「…じゃあ今から。嫌だった?」
歩君は繋いだ手にぎゅっと力を入れて、私の顔を覗き込む。
「…嫌って言うより、距離を感じて寂しくなる。」
「…ごめん。」
繋いだ手が、更に強く握られた。
「私の方が年上なのを、嫌でも自覚してしまうから。」
「そんな事を気にしてたの?」
「だって、私はあなたより、3つも年上だし…。」
「3つぐらいの差なんて、大したことないよ。」
「ちゃんと釣り合ってるか、気になるんだもん。」
信じてはいるけれど、司から、歩君がモテると聞いているし。
「僕の方こそ、あなたに釣り合ってるか心配してるのに…。今日だって、こっちに歩いて来た明美さんから目が離せなくて…。」
照れた表情の歩君は可愛い。もう一つ気になってる事を言ってもいいかな?
「さん、も要らない。」
彼はしばらく黙って、私をじっと見る。少し、困らせてしまっただろうか。
「…えっと、明美?」
さっきよりも更に、照れた表情で言うものだから、もの凄く可愛く感じてしまう。
「ふふふ。よく出来ました。」
「…主導権を握っているのは、明美だと思う…。」
溜息をついた後、苦笑いで歩君は、そう言った。
「多分、そうでもないよ?私から言えない事もあるし…。」
キスしたいとか言えないもんなぁ…。私はチラリと彼を見る。そろそろ、キスぐらいはしてくれたっていいと思う。普段は瑠璃がいて出来ないし…。
「…あなたの許可を貰ったと思って良い?」
「うん。」
「お母さんから、帰れないようなら連絡をくれって、さっきメッセージが来たんだけど。そのつもりでいてね。」
耳元で彼が囁いた。その息でピアスが微かに揺れて、か細い音を立てる。
「え?」
あ、さっきのメッセージか。お母さん!援護射撃が、生々しい!
丁度辺りが暗くなって、予告編が始まった。真っ赤になった顔が、彼に見られなくて良かったと思う。ドキドキと鼓動が早くて、落ち着けと自分に言い聞かせた。今更、キスだけのつもりだったなんて、言えない…!体を絞る前に、見られてしまう事になろうとは…。下着って今日はどんなのだったっけ?多分、大丈夫だと思うけど…。
この後の映画の内容が、頭に入ってこなかったのは、言うまでもない。