提案
仕事から帰って来た時、エレベーターの前で黄瀬さんに出会った。手にはコンビニの袋を下げている。缶ビールやおつまみが入っているらしい。
「司君、丁度良かった。話したい事があったんだ。」
電話しようかと思っていた所だったので、運が良いと彼は笑う。
「立ち話もなんですから、家来ます?」
自分の家の階のボタンを押しながら、提案してみた。すぐに扉が開いて、乗り込む。
「じゃあお邪魔しようかな。丁度、酒もおつまみもあるし。」
そう言ってコンビニの袋を顔の横に掲げて見せて、ニヤリと笑う。
「涼子さんにまた、怒られますよ?それ、ポテトチップスでしょう?」
もう良い歳なんだから、夜のポテトチップスはやめろと言われているのを僕は知っている。健康にも悪いし、今でもお腹が出ているのに、益々太ったら、いつか愛想をつかされるんじゃ無いだろうかと心配になる。
「だから、丁度良いんじゃないか。」
悪びれずに笑う黄瀬さんは、食生活を改める気は無いらしい。本人にその気がないのに、周りがいくらやめさせようとしても無駄だな。涼子さんも大変だろう。
説得するのは諦めて、エレベーターを降りて歩き出す。一応注意はしましたからねと、涼子さんに心の中で言い訳をした。
「ビールとポテトチップスの組み合わせって、最高なんだよねー。」
そう言いながら、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、パリパリ音をさせて食べている黄瀬さんは、幸せそうな顔だ。ビールをグビリと飲んで更に、ダラけた顔になる。もう、何も言いません。
僕も部屋着に着替えて、ポテトを摘む。やっぱり美味しいし、食べ始めると止まらなくなってしまう気持ちは良く分かる。チー鱈や枝豆なんかもテーブルに広げて、ビールを飲んだ。
「そう言えば、話って何ですか?」
「うん?ああ、本題に入らないとね。知り合いから、家を手離すから売って欲しいって頼まれてるんだ。海も近いし、立地最高。元々は別荘として使ってたみたいだから、綺麗だし。使っても良いって言ってくれてて。」
「へぇ、良いですね。」
「それで、提案なんだけど、清掃業者に入ってもらう前に、遊びに行かない?家具もあるし。バーベキュー台があるし、良いよ〜。夏って感じの事したいじゃない。」
「その知り合いの家って、広いんですか?何家族も一緒に泊まれる程?」
「広いよ〜部屋数も多いし、余裕でしょ。だから、売るのに人を選ぶんだよなぁ…。あわよくば、武か稔に売り付けてやろうかと。」
あ、悪い顔してる。黄瀬さんはニヤリと笑った。桃井さん緑川さん、ガンバレ〜。
「緑川さん達も来るんですか?」
「うん。美穂さんや、明美ちゃんや愁君も誘うつもり。」
「花見の時のメンバーですね。」
「ああ、そうだね。まだ話してないから何人集まるか未定だけど。俺からも話すけど、青木君や愁君に話してみてよ。日にちは後で知らせるから。」
八月前半の土曜日になると思うけどと黄瀬さんは付け足した。泊まりだったらそうだろうなぁ。
それから、黒川家の近況などを話した。姉さんと青木は上手くいってるみたいだと言うと、明美ちゃんには幸せになって欲しいから、上手くいくと良いねぇと黄瀬さんはしみじみ話す。
「稔の家も、この夏一波乱起きそうだよ?」
「一波乱?」
黄瀬さんはニヤリと笑って、事情を話してくれる。
桃井さんの留学中の娘さんが、夏休みに友達を家に連れて来る事になったのだが、その友達がどうやら娘さんの彼氏らしい事。それにショックを受けて、不貞腐れて呑んでいるのに付き合わされた事などを話してくれた。桃井家も大変なんだなぁ…。
黄瀬家は男だから気楽だと笑う。
「男だからって、そんなに気楽でもないでしょう?」
「一応、孕ませる様な真似はするなと、釘は刺してある。まぁ、明美ちゃんの事を知ってるから、馬鹿な真似はしないと信じたい。それに、涼子が狼狽えそうだから。」
「…そうですか。」
その辺は抜かりなく教育してるみたいだ。さすが黄瀬さん。
「で?司君自身はどうなの?順調?」
「ええ、まぁ。」
「だろうね。結衣ちゃん、週末泊まりに来てるみたいだし。」
知ってた事だけど、情報筒抜けだな。恥ずかしい…。
「同棲はしないの?」
「…同棲するくらいなら、結婚したいです。」
「あははは、真面目〜。」
僕の背中をバシバシ叩いて、黄瀬さんは笑う。
「僕、もう28ですよ?一応考えてるんです。」
「そっか、昔から知ってるからずっと若いままのイメージがあるけど、そんな歳なんだな。俺も歳を取るはずだ。」
顎を撫でながら、しみじみと呟いた。
「ポテトチップスをバクバク食べられるくらいには、若いんじゃないですか?」
「そう?」
「胸焼けしないんなら、若いんじゃないですかね?」
「じゃあ大丈夫!まだ胸焼けはしない!」
そんなことを話した後、じゃあねと言って、黄瀬さんは帰って行った。長居すると、涼子さんに怒られるらしい。
次の日、黄瀬さんから『胸焼けで気持ち悪い。俺も歳だな。』というメッセージが来て、しょんぼり顔のスタンプが届いた。