妄想
七月に入り、日差しがジリジリ肌を焼く。照り返す路面も、熱を持っていて暑い。街路樹の緑色も濃さを増し、日を遮ってくれているものの、一歩日向に出ると目眩を起こしそうなくらい眩しい。
夕方になって、強烈な日差しはなりを潜めたけれど、出来るだけ影を探して歩いていた。
僕等は映画を観た帰りで、手を繋ぎながら晩御飯は何を食べようかなんて、話しながら歩いていた。
前を歩く親子の姿を見て、君が目を細める。
「可愛いですね。」
6歳ぐらいの男の子と父親と母親が、仲よさそうに笑顔で話していた。
「男の子だと、ヤンチャで大変かも知れませんね。」
「女の子でも大変だと思うよ?」
瑠璃も活発だから、姉さんは大変そうだ。
「あー、思春期とかどうなるんでしょう?」
「うん?」
「私、もし、息子にクソババアとか言われたら、ショックで立ち直れないと思う。」
「…なかなか、リアルな妄想だね。」
本当にショックな顔をしている君に、笑いが込み上げてくる。
「でも、そうだなぁ、もしそんな事を言われたら、僕が懇々と説教してあげるからね。」
「本当ですか?」
「もちろん。」
「じゃあ、安心ですね。」
ふふと君が笑う。
「安心してて。」
僕も微笑み返した。
「もし、娘がお父さんの洗濯物と一緒に洗わないでって言っても、私が説教してあげますからね。」
鈍器で頭を殴られた様に、君の言葉が僕を打つ。
「…リアル。」
本当に悲しくなってきた。うう、ショック過ぎる。
僕がショックな顔をしていたからだろうか。君は僕の顔を覗き込んで、心配そうな顔をする。
「…妄想ですよ?」
「…結衣と僕の子なら大丈夫だと思いたい。」
思わずそんな事を呟いてしまった。まだ、結婚すらしてないのに、何を話してるんだとハッとする。
でも、そんな事を想像して、話す事が出来るのも、君とだからかなぁ。君にとって、僕との結婚は自然な事なんだろうか。そう思うと、思わず顔がニヤけてしまう。
僕がプロポーズしたら、君は頷いてくれるだろうか…。
…まだ、言えないな。
「あ、お盆休みの予定決めた?」
「いえ、まだ未定です。」
「一日だけ時間くれる?何なら、半日でも良いんだけど。」
実家に顔を出す度に、楽しみだなぁと父と母が話すんだ。僕に約束を忘れるなと、笑顔で圧力をかけてくる。しらばっくれたら、許さないと言っている様に感じるのは、気のせいでは無いだろう。
「ああ、前に言ってましたね。もちろん良いですよ。私にも一日時間をください。」
「もちろん良いよ。」
「ちょっと、緊張しますね…。何着て行きましょう?」
君は上目遣いで僕を見る。
「普段着で良いよ?」
「え、でも…。」
困った様に、眉毛が下がった君を見て、思わず笑ってしまいそうになる。ん、でも待てよ?僕も結衣の家族に会うんだよな?
「僕も緊張するかも…。スーツの方が良い?」
「普段着で良いですって。」
顔を見合わせて笑い合う。
考えてみれば、娘さんを僕にくださいと言いに行く訳でもないんだし…。
でもいずれは…。チラリと結衣を見る。そうなったら良いんだけど…。
「お父さんって怖い?」
恐る恐る聞いてみる。気難しい人だったらどうしよう…。
「怒ると怖いですけど、普段は割と穏やかな方だと思いますけど。」
…怒ると怖いのか。大丈夫かな?ドキドキしてきた胸を、片手で押さえる。
「やっぱりスーツの方が…。」
「大丈夫ですってば。」
君は呆れた様な顔をした。
「お父さんとお母さんが好きなもの教えて?あと、嫌いなもの。」
だって、嫌われたくないしなぁ。ヘタレな僕を笑いたければ笑えば良い。
多分、結衣のご両親に、結衣は凄く大切に育てられてきたんだろうな…。彼女から、家族の話を聞いているとそう思う。自分の娘が、彼氏を家に連れてきたら、どんな気分なんだろう?
もし将来娘ができて、そんなことになったら、僕は平静でいられるのかな?
姉さんが初めて、彼氏を家に連れて来た時って、父さんどんなだったっけ?母さんは平然としていたけれど、父さんは難しい顔をしていた気がする…。
僕が彼女を連れて来た時は、ニヤニヤしていたのに。娘って男親にとっては、特別なのかなぁ?
やっぱり、緊張するなぁ…。敵認定されない様に、気を付けないと。
僕も将来子供が授かったら、どうなるんだろう?ちょっと未知の領域かも。娘でも息子でも、結衣に似ている方が良いなぁ。無条件に可愛がれそうな気がする。
娘に嫌われない様にするには、どうしたら良いのかな?お父さんの服と一緒に洗わないでって言われない方法を、誰か教えてくれないだろうか。
なんか、今日は妄想してばっかりだな。
「さっきから、どうして難しい顔してるんです?」
君は僕を見詰めて、怪訝そうな顔をする。
「娘に嫌われない方法を考えてる…。」
まだ、その事を考えてたんですかと君は笑った。そしてふと真顔になる。
「…思春期は、諦めてください。」
「え?諦めないといけないの?」
「ええ、受け入れて下さい。そういうモノなので。」
「…経験談?」
「はい。」
「…お父さんって大変なんだね。」
折角可愛がって育てても、思春期には嫌がられるんだな。切ない!あれ?姉さんと父さんってどんなだったっけ?自分の事で精一杯で覚えてないかも知れない。
「そうですね。でも、思春期過ぎたら、仲良くなれるかも?」
「疑問形?」
「はい、家族の努力次第です。」
「そっかぁ…。そりゃそうか、家族の事も、サボれば自分に返ってくるか…。」
そうやって、努力の末に乗り越えて行くのかも知れない。姉さんと父さんも、乗り越えて今があるのかな?今は仲が良いし。
「仕事でも一緒でしょ?家庭でも同じです。いつも試されてるんですよ。」
「試されてるか…。」
「まぁ、将来より、近い難関を乗り越える事を考えてくださいね。」
え!大丈夫だって言ってたのに。
「…難関なの?」
恐る恐る聞いてみる。怖気付いた僕を見て、結衣は悪戯っ子の様な表情をする。
「ふふふ、どうでしょうね?」
何その笑い、怖いんだけど?何を試されるんだろう?僕はゴクリと唾を飲む。
お父さん怖くないんだよね?はっ、ノーマークだったけど、お母さん?
取り敢えず、嫌われない事を考えよう…。
僕は空を仰いだ。