恋の傷
俺は外回りから戻ってきた。梅雨とはいえ、晴れた日はスーツを着て歩いていると、暑い。着実に夏が近づいていると感じる。
それと同時に、自由な時間のカウントダウンが迫って、俺の心を焦らせる。あと、五ヶ月。
それは、父との約束。三十歳の誕生日になれば、正式に父について後継者としての仕事をしなければいけなくなる。今もずっと勉強はしているけれど、環境も人の態度も、ガラリと変わってしまうだろう。だから、俺は変わらないものが欲しいんだ。
今のうちに、やりたい事はやってしまわなければ…。と言っても、俺のやりたい事は、君と過ごす時間を堪能する事。君の心を俺の物にする事。今も君の心は俺に向いているけれど、自由な時間が終わる前に、それを揺るぎないものにする事。君さえいれば、どんな重圧も、笑って乗り越えられそうだから…。俺の、変わらないもの。
視線を感じてそちらを見ると、莉子と目が合う。すぐに視線は逸らされたけど、俺は彼女の瞳に一瞬よぎった憂いを見逃さない。…何かあったのかなと思う。
「……。」
デスクに向かって歩きながら、スマホで早速メッセージを送る。食事に誘ったら、大丈夫だと返信が来た。
大丈夫だろうか…。あの様子だと、結構落ち込んでいそうだと見当をつける。今までの経験から、勘みたいなものが働く様になったんだ。莉子限定だけれど。
俺の中の、君に関する今までの蓄積したデータから、あれ?いつもと違うぞ?って感じで、違和感を感じ取るんだと思う。
莉子は自分から弱音を吐くことはない。だから俺が気付いてあげないと、いけないんだ。こっちから聞いてあげないと、彼女は弱音を吐けない。そんな不器用な部分が、可愛くて愛しい。莉子のそんな部分に気付いている人間は、そうはいない。
仕事が終わって、レストランで食事をした。やはり、違和感を感じる。君は何も言わない。だけど、俺は確信を持つ。
予約しておいたホテルの部屋で、君に問い掛けた。莉子は、二人きりじゃないと、中々話してくれないから。ソファーに腰掛けて、君を見詰める。
「莉子、何かあった?」
「…ちょっとだけ。」
「ちょっとじゃなさそう。結構落ち込んでるでしょ?」
莉子の手を握って、顔を覗き込む。
「どうして愁は私が落ち込んでるのが分かるのかな?」
ふっと笑って、莉子も俺を見詰めてくれた。
「それは、俺が莉子大好き人間だから。」
誰よりも愛してるから、君の事を。
「何それ。」
莉子はくつくつと笑う。自然な笑顔が見られてホッとする。
「だって、本当だから。」
「じゃあ、私は愁大好き人間になるのかな?」
「そうだよ。」
「そっか。」
彼女は微笑む。
「…実は結衣に余計な事を言ってしまったんだ。」
元彼の事を聞いてしまったのだと言う。それから、白石さんは明らかに落ち込んでしまった。浮気されて、傷付いていたのを知っていたのに。
「結衣は私以上に意地っ張りだから、心配なんだよ。ちゃんと黒川さんに、苦しい事を苦しいって言えてるのかな?ちゃんと甘えてるのかな?」
「莉子以上か…。黒川は大変だな。」
「ホントにね。」
一緒に食事に行かないかって誘ったけど、気にしなくても大丈夫だと白石さんに言われたらしい。自分が傷つけてしまったのに、黒川に頼むしかなかったのだと言う。
自分では何も出来ない情けなさで、落ち込んでいたらしい。
「恋の傷は、恋でしか癒せないのかも知れないね…。」
君はポツリと呟いた。
「莉子は恋の傷はあるの?」
「…君は一人でも生きていけるって、言われた事ぐらいかな…。」
弱々しく君は笑う。嫌な事を、思い出させてしまっただろうか。
「…その男は分かってないな。」
俺は莉子を抱き締めて、頭を撫でる。彼女は俺の服を掴んで、胸に顔を埋めた。
「うん。分かってない。」
君はこんなに繊細で傷付きやすいのに…。自分の言葉で、友達の事を傷付けてしまったと気に病んで落ち込むぐらいに。
莉子はしっかりしているけれど、その分責任感が強くて、人を気遣っているから。だから彼女は時々疲れてしまうんだ。本人ですら気付いていない、その疲れを癒してあげたいと思う。落ち込んでいたら、慰めてあげたいと思う。君が心から笑える様に…。
それが俺の役割だって思ってるんだ。俺に莉子が必要な様に、君にも俺が必要だって。そんな風に考える俺は傲慢かな?
「元気になった?」
莉子は相変わらず、ずっと抱き着いたままで。
「まだ足りない。」
俺はふっと笑う。こんな風に甘えてくれると、本当に嬉しくて。
「仕方ないなぁ…。」
俺は更に莉子を抱き締めた。
君の恋の傷も、俺で癒えるだろうか…。俺だから、君は甘えてくれてると思って良いよね。
少なくとも、俺は思ってるよ?君は俺の変わらないものだって。
君になら、俺は自分の弱みを見せられる。君もそうだろう?
いつもお読み頂きありがとうございます。
甘えてるだけじゃありません。やる時はやる男なのです、緑川さんは。(笑)
今年も、仕事に、勉強に、家事に…と、あなたも色々やる事はあると思いますけど、乗り越えていけると良いですね。
ではまた☆私は無理しない程度に頑張ります♪あなたもご無理なされずに♪