表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕達の日常  作者: さきち
44/135

口紅

桜が葉桜になった頃、寒さは和らいだとは言いつつも、朝晩はまだ冷え込む。スプリングコートが手放せない。

朝、会社に出勤して、いつもの様に掃除をしていたら、莉子が出勤してきた。おはようと挨拶を交わす。莉子が私の顔をジッと見た。


「口紅変えた?」

さすが莉子、細かい所までよく見ている。

大体、男性と言うのは、女性の髪型や服装の変化などには気付きにくい。口紅の色など、殆ど気付かないと言っても過言では無い。

化粧は自分の為にするものだと思う。戦う為の鎧の化粧もあれば、自分を鼓舞する為だったりもする。

「うん。ドラッグストアでつい、買っちゃったんだよね。うたい文句に惹かれて。」

「ああ、CMやってるやつでしょ?“キスしたくなる唇に”だっけ?」

「そう、そう。」

「ふ〜ん、して欲しいんだねぇ。」

ニヤニヤ笑いながら、莉子が私の唇を見詰めた。

「いつもしてくれるけどさ。」

本当はもっとして欲しい、その先まで。そんな事を思っているだなんて、黒川さんには言えないな。

「今日はデート?」

「うん。一緒にご飯食べに行く。」

「早く食べてくれると良いのにね。」

「…何の事?」

「…見てたら分かる。まだだって。」

莉子は超能力者じゃないだろうか?マジマジと顔を見詰めてしまう。

「…そうだけど、私の心を読んでるの?」

「まさか。分かりやすいだけ。」

莉子はクスクスと笑う。

どうしよう、黒川さんには考えてる事読まれてないよね?…大丈夫。彼はそんなに鋭くない…筈、多分。



彼といつものカフェで待ち合わせて、食事に行く。今日は、こじんまりとしたイタリアンレストランだった。緑川さんに、美味しいと教えてもらったらしい。席数もそれ程多くないから、予約しないと名物の前菜の盛り合わせが、食べられないのだとか。

前菜が一口サイズで、沢山お皿の上に乗っていて、見た目も綺麗で美味しかった。メインも美味しいけれど、前菜が美味しいって素敵だと思う。このパテ最高。

「コレも美味しい、さっきのも美味しい。」

そんな事を呟いていたら、ワインを持ちながら、黒川さんが目を細めて嬉しそうに微笑んだ。

「結衣は美味しそうに食べるよね。」

「だって、美味しいんですもん。」

「連れて来たかいがある。いつも居酒屋とかラーメンとかに、なってしまってたから。」

「居酒屋大好きですよ?ラーメンも。」

「そうだけど、物足りなくないかなって思ってた。」

そんなこと考えてたんだ。

「そんな事ありません。あのお店飽きないですし。黒川さんが通いたくなるのも分かるなぁって。」

「居酒屋の雰囲気が好きなんだよね。でも、こういうお店もたまには良いね。」

「たまにで、良いですからね。」

「じゃあ、たまに連れて来る事にする。」

彼はまた、目を細めて笑う。デザートの盛り合わせはジェラートとティラミスという、珍しくもない組み合わせなのに、すごく美味しくて大満足だった。食後のコーヒーを飲み終わった後、私は席を立つ。


「化粧直してきます。」

「女の人は大変だなぁ。」

「礼儀です。」

「すっぴんでも可愛いのに。」

「そう言って良い気にさせといて、実際すっぴんで行ったら、なんで今日は化粧してないのって言う、男っていうのは身勝手な生き物だって莉子が言ってました。」

「…ごめんなさい。」

彼の目が泳ぐ。身に覚えでもあったのだろうか。

「やっぱり。」

「どっちも見たいかなぁと。」

「正直でよろしい。」


私は化粧室に行って顔を確認する。崩れてないから大丈夫かな。口紅を直すだけで良さそうだ。

今、この口紅をひいているのは、礼儀なんかじゃない。あなたに綺麗だって思ってもらうため。あなたにキスをしてもらう為だけにしているのだから。

あなたの前じゃなければ、ここまで気を使わない。ご飯を食べたから、後は帰るだけ。でもそんな少しの時間だって、綺麗でいたいから。



いつもの様に別れ際にキスをする。今日は、いつもより少し長くて激しかった。

「…口紅、付いてしまいましたね。」

私はハンカチで彼の唇を拭く。

「あ、落ちちゃった?ゴメンね。」

「もう落ちても良いんです。」

もう、口紅の役目は終わったのだから。

「おやすみ、結衣。」

「おやすみなさい。黒川さん。」

またねと笑顔で手を振る、あなたの背中を見送る。キスが長かった分、離れるのが寂しい。


あんなに激しいキスをするクセに平気な顔で、またねと言うあなたが憎らしく感じてしまう。あなたは平気なんだろうか?私はこんなにも離れたくないと思っているのに…。

悔しいなぁ、自分ばかりが好きみたいで。はぁ、と溜息をつく。


部屋に入ってしばらくしたところで、机に置いたスマホが震えた。

今度の土曜日か、日曜日はデートしないかと彼からメッセージが届いた。何も予定は無かったので、どっちでもいいですよと返信する。じゃあ土曜日に、何処か行こうと返信が来た。


会いたいと思ってくれてるんだと、嬉しくなる。別れたすぐ後にメッセージが来たという事は、彼も離れたくないと思ってくれていたんだろうかと、自惚れてしまう。


でも、この口紅、役に立ったな。“キスしたくなる唇に”か。うたい文句は本当だったなと、ふっと笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ