疑惑
朝、いつもの様に早めに出社して、観葉植物に水をやったり、簡単な掃除をしたりしていた。出社して来た同僚に挨拶を返しながら、掃除を続けていると、黒川さんと同期の呉さんが、話掛けて来た。
「おはよう。いつもありがとう。」
彼は既婚者で、娘さんの写真を見せてきたりする子煩悩な男の人で、話やすいのでよく喋る。
「いえ、好きでやってますから。」
「昨日さ、面白いもの見ちゃった!」
「何です?」
「独り身の同期が凄い美人と歩いてたんだよね。あいつにもやっと春が来たかって感じで嬉しくて。」
「へぇ、独り身の同期って誰ですか?」
「営業の黒川だよ。たまにここにも顔出すから知ってるでしょ?ほら、イケメンの青木君とよく一緒にいる背の高い男だよ。」
「…昨日?」
「そう、昨日の夜。仲良さそうで、俺それ見て上手くいくと良いなって思ったんだ。」
私達は付き合う様になってから、電車の一緒の車両に乗る様になった。同じ時刻の電車に乗っていたことが分かったからだ。彼は痴漢避けぐらいにはなるからと、笑いながら言ってくれて嬉しかった。彼はいつもカフェでコーヒーを飲んでから出社する。私はそこで別れて先に出社している。
なので、今朝も一緒に居たのだ。彼の様子は普通だったし、呉さんの話が信じられない。目の前の呉さんは、嘘をついている様には見えない。昨日は私達は一緒には居なかった。だけど…。
急に不安になって、彼に今すぐに聞きに行きたいと思った。机を拭いていたふきんを握りしめていた事に気付き、呉さんに上手くいくと良いですねと相槌を打ち、笑顔を顔に貼り付けた。給湯室に向かって歩きながら、胸のモヤモヤに蓋をする。大丈夫だと自分に言い聞かせながら…。
デスクに戻った所に、莉子が来て、おはようと挨拶をする。
「おはよう。…何かあったの?」
私の硬い表情を見て取って、莉子が聞いてきた。
「…後で言う。」
どうしよう…。メッセージを送ってみようか…。でも、疑ってるみたいに思われたら嫌だし…。
そんな事を考えていたら、彼が出社して来た。ジッと見詰めてしまう。言いたい事を胸にしまい込んで、おはようございますと挨拶した。
「?おはようございます。」
彼は不思議そうな顔で私を見て、挨拶を返してくれた。
呉さんが彼に近付いて、挨拶している。思わず聞き耳を立てた。
「やっと彼女出来たの?」
呉さんが彼に話し掛けている。
「何で知ってんの?」
「昨日一緒にいる所見たんだよ。」
「…昨日?」
「凄い美人と歩いてただろ?あれ、うちの会社の子じゃないだろ?」
「あー、アレは姉だよ?」
「え!?全然似てないじゃん!」
「昔からそう言われるんだよね。ほらこの人だろ?」
そう言いながら、スマホの写真を見せている。そう!この人!と呉さんは言う。
「この小さい子は?」
「姪っ子。もうすぐ4歳。今、戦隊ヒーローとライダーに夢中なんだって。」
「ウチはまだ、ア○パンマンに夢中だけど。」
「2歳だとそんな感じだな。大体一度はハマるんだよ、ア○パンマン。」
「何だ、勘違いか…。あ、でも彼女出来たって言ったよな?」
「うん。社内に居るから、変な事言って不安にさせないであげて?」
「え、そうなの?誰?」
興味津々の呉さんが、彼に詰め寄る。
「秘密。恥ずかしいから、知られたくないんだってさ。」
「そっか、安心してくれ。まだ白石さんにしか話してないから。」
「…ピンポイント。」
小さい声で彼はポツリと呟いた。
「うん?」
「いや、誤解が解けたなら良いや。じゃあ、そろそろ行くわ。」
彼はそう言って去って行った。
肩から力が抜けて、デスクに突っ伏した。…良かった。隣の莉子は納得した様に、なるほどと頷いている。
私のスマホが震えて、彼からメッセージが来た。
『と言う事なんだけど、安心してくれた?誓って、やましい事はしてないので。』
『安心しました。呉さんが美人、美人と連呼するので、気になって。』
私も彼に返す。
『もしかして、妬いてくれた?』
『当たり前じゃないですか。』
私がそう送ると、凄く嬉しそうな表情の猫のスタンプが届いた。思わず笑ってしまう。
「猫、好きなのかなぁ?」
そうなら、私と一緒だ。今度猫カフェにでも誘ってみようかな。そんな事を思いながら、私も猫のスタンプを返した。