幸せの形(番外編)
「ただいま」
遅い時間だからだろうか、控え目な声がして玄関まで行くと、まだ寝てなかったの?と愁に驚いた顔をされた。
「お帰り、楽しかったみたいだね」
「え、何でそう思うの?」
驚いた顔をする彼は、思わず顔を触って確かめている。
「気付いてなかった?鼻歌歌ってたよ?」
「そう?」
「うん」
「そっちも楽しかった?」
「もちろん!ノンアルコールなのに、盛り上がったな…」
今日の事を思い出して、頬が緩む。やっぱり女子会は楽しい。
「二軒目にマリンちゃんの店行って飲んでたんだけど、相変わらずだったよ。あ、マリンちゃんが、遊びに来たいって言ってたよ?」
愁が笑って言う。出産祝いを贈ってくれたから、お返しはしてあるのだけれど、きっと翼の顔が見たいのだろう。
「いつでも良いって、メッセージ送っとくね」
「うん、お願い」
お土産だと愁が笑って、紙袋を手渡してきた。
「いつかの店で買ったんだ」
仕事中に店の前を通り掛かったから、寄ってみたのだという。ガサガサと梱包材の紙を剥がすと、ころんと何か出て来た。
「見て!」
小さな女の子の可愛いウサギの人形が、愁の手のひらにあった。玄関に飾ってあるやつよりひと回りほど小さく、ひと目見て子ウサギなのだと分かる。
「あ…、これって…」
「このウサギを見つけてさ、あ、翼だって思ったんだよ」
嬉しそうに笑う彼は、やっぱりプロじゃないとねと言う。一瞬何のことかと思ったけど、自分で木彫りすると言っていた事を思い出した。あの時のことを、覚えていたんだ…。
あれはまだ翼が生まれる前。玄関に飾られたウサギのカップルの人形の、毎日ホコリを払ってお守りの様に大切にしていたら、あなたが笑ったんだ。
『これって俺と莉子みたいだね?』
『でもこの子がいないね?』
自分のお腹を撫でて、私は言った。
『あー、俺が木彫りで作る?』
『そういうの苦手じゃないの?』
『美術が高評価だった事はないけど…』
『そんな、無理しなくて良いよ?』
そんな何気ないやり取り。それきり忘れていた記憶。
「また、子供が生まれたら買い足すのはどう?」
ネクタイを緩めながら、彼はテーブルに腰掛けた。
「良いね!」
私は水を差し出す。そして彼の向かいの席に座った。
「ねぇ莉子、父さんが、帰って来て欲しそうなんだよね…」
苦笑いしながら、愁は私を見つめた。それは私も感じていた事だ。いつか帰る事は決まっていた事だけど、お義父さんが家を改装しだした時点で、覚悟は出来ていた。愁はさらに言葉を続ける。
「…別にまだ先でも良いんだけど、実家は吉田さんもいるし、莉子も子育てに専念出来るかなって思ってさ。もちろん、莉子の気持ちが優先で良いから!」
どう?と彼は上目遣いで私を見つめた。
私は返事の代わりに、子ウサギの人形を指差す。彼は意味が分からなかったのか、首を傾げた。
「おじいちゃんとおばあちゃんの人形も、買わないといけないんじゃない?」
「ホントだ…父さん、拗ねそうだもんね」
彼はふっと笑って、ありがとうと私の手を握った。そして紳士風のがあったかもと呟きながら、記憶を探る様に上を向いて考えている。
「あ、明らかにお婆ちゃん風だと、母さんに怒られそうだな…」
ぷっと思わず吹き出してしまった。ばぁばと呼ばれる事を拒む美穂さんは、以前遊びに来た時、美穂ちゃんだよ〜と翼に話しかけていた。その呼び方で押し通すつもりらしい。
「一緒に選ぼうよ」
「うん」
莉子と一緒だったら、大丈夫と彼は笑った。
別の日の朝、
玄関に新しく増えた子ウサギをチョンチョンと指で触って、そして翼の頭を撫でながら満足そうに愁は笑う。
行ってきますと、振り向きざまに笑うあなたの姿を、あと何度見る事が出来るだろう。どうかこの幸せな瞬間が、出来る限り何度も味わえることを願って止まない。時には、どうしても、そう思えない瞬間もあるだろう。だけど、私は確かに今幸せを感じている。
出会った頃のことを、ふと思い出す。全然タイプじゃなかったのにな…。それが、こんな風になるなんて、不思議。
そんな事を考えながら、翼の機嫌の良い時間を利用した習慣の掃除をこなしていたら、スマホの着信音が聞こえた。画面を見るとマリンさんからだった。
『今、大丈夫?』
久しぶりのハスキーボイスに、頬が緩む。
『大丈夫ですよ』
玄関掃除の手を止めて、私は壁にもたれた。
『来週、総司が帰ってくるから、その時でも良いかなって思ったんだけど、都合のいい日とか悪い日とかあれば教えて欲しいなって思ったの』
『私はいつでも家にいますから、大丈夫ですよ』
『そっか、良かった』
電話の向こうで、複数の猫の鳴き声が聞こえた。ちょっと待ってとマリンさんは、猫に言い聞かせている。餌でもせがまれているのだろうか?
『そういえば、お家が凄い事になってるって愁に聞きましたけど…?』
『そうなの。私が寂しくない様にって総司がね…』
ペット可のマンションなのを良いことに、動物好きの旦那さんが色々なものを飼いたがるらしい。今の猫の鳴き声は、知り合いの猫の保護団体に所属する方から譲り受けたのだそう。さすがに蜘蛛と蛇は勘弁してもらったと、ため息まじりに彼女は話す。世話は結局私がするんだから!なんて愚痴っていたけれど、その声音から本当に怒ってはいないのが伝わってくる。
じゃあ、またね!とマリンさんは電話を切った。
家族の形はきっと色々あっていい。マリンさん達を見てるとそう思う。青木君の家族や、結衣の家、そして私達、みんな違う形。幸せの形はそれぞれ違う。
玄関に飾られたウサギの人形達。
これが私達の幸せの形なのかも知れない。
「よろしくね」
新しい子ウサギに、挨拶をして指で頭を撫でる。家族が増えて、カップルウサギも喜んでいる様に見えたのは、きっと気のせいではない。
いつもお読みいただきありがとうございます。
愁と莉子編はこれにて終了です。最後までありがとうございました!この話に厚みを持たせてくれた、倉田さんとマリンちゃんに感謝でです!
来週はお休みさせていただいて、次は青木家編に移ります。青木君の話はそれ程長くならない予定です。
ではまた☆あなたが楽しんでくれています様に♪