病室にて2(番外編)
ずっと立ち話だった事に気付いて、ああ、ごめんなさいと言いながら、マリンちゃんは俺達に椅子を勧めた。個室のソファーに座ったら、マリンちゃんは冷蔵庫から紙パックのジュースを取り出し、手渡してくれる。
おそらくお店の様子が気になって、それどころじゃなかったのだろう。莉子が手伝いを申し出た事で、少し安心した様だ。
そういえば倉田さん、もうそろそろ着く頃だと思うんだけど、道が混んでいるのだろうか…?俺は時計を確認してしまう。
「若い頃から煙草吸ってたから、自業自得よね。」
フッと自嘲気味に笑って、自分用のジュースを持ったまま、彼女は軽くベッドに腰掛けた。
「だからって、倉田さんに内緒は無いんじゃない?」
「だって、心配されたくなかったんだもの。」
何でもないことのように、彼女は言う。手術自体は難しいものではないとは言え、失敗する確率がゼロではないのだ。
「口からだから、首に痕も残らないし、バレないかなって。」
いやいや、そういう問題じゃない。夫に内緒ってどうなんだ?って話なのだ。
「本当は違うでしょ?何を心配してんのさ?」
やっぱり彼女の行動は、不合理だと俺は感じてしまう。
「…怖かったり、不安だったりしないと、逆に不安だからさ…。」
ポツリとマリンちゃんは呟く。
「どう言う事?」
「総司が一緒にいてくれたら、安心してしまうでしょう?」
「それの何処がいけないの?」
やっぱり、よく分からない。家族に付き添ってもらって不安を和らげる事は、普通の事だと思ってしまうんだけど。
「…私達みたいな女は、色々な物を切り捨ててここまで来たわけ。だから一番欲しいものを手に入れた今、他のものを失うんじゃないかって怖くて仕方がないの。」
チラリと聞いた覚えがある。家出同然で飛び出してきたらしく、実の家族とは絶縁状態なのだとか。
「自分が病気だって知った時、ホッとしたんだよ?なんでか分かる?」
「……分からない。」
「バランスが取れたと思ったんだ。こんな幸せが、いつまでも続く筈がないと思ってたから…。ああ、やっぱりって。でもこの程度なら、良いだろうって。病気が、彼や私の周りの人じゃなくて、私のところに来てくれた事に、感謝したぐらいだよ。」
そんな風に思っていたなんて…。飄々とした態度は、病気を受け入れた結果だからなのだろうか?それでも不安な方が、ある意味安心するって、どうなんだろう?幸せ過ぎると怖いだなんて…。
「ずっと家族が欲しかった。私のありのままを受入れてくれる家族が…。幸運な事に、それを私は手に入れた。一度手にしてしまった幸運が、手のひらからこぼれ落ちる様に…なくなってしまう事が、どれだけ怖いか分かる?」
マリンちゃんの手は震えていた。俺は立ち上がって、その手を思わず握る。
「…そんなの、もうずっと前に手に入れてるじゃないか。少なくとも母さんは娘だと思ってるし、俺は姉だと思ってるよ。」
「……。」
「マリンちゃんにもしもの事があったら、俺は誰に相談すれば良いんだよ?困るんだよ。そんなの!」
ああ、もう!ただの八つ当たりだ、こんなの!もっと、頼ってよ。俺は、マリンちゃんに、昔よりは頼れる人間になってると思って欲しいんだ。
「…愁。」
「マリンちゃんが幸運なのは、マリンちゃんが努力した結果だ。この手からそれが離れる事は無いんだよ…絶対に!」
この世に絶対なんてない。だけどそうは思っても、信じたかった。絶対に大丈夫なんだと…。
「大丈夫だよ。」
その場を柔らかい空気で包む様な、静かな声が聞こえた。
倉田さんがいつの間にか部屋に入っている。ふわりと異国の風を感じた気がした。
「総司!何でここに居るの?」
マリンちゃんは、目を丸くして驚いている。
「地球の裏側にいても、君に何かあれば駆け付けるって言っただろ?今回はせいぜい、飛行機で五時間ぐらいの距離だけど。」
俺はマリンちゃんの手を離す。ちゃんとバトンタッチしなくては…。
「愁君から聞いたんだ。何で大事な事を黙っておくの?僕達はもう家族だろ?」
倉田さんはツカツカと歩いて、マリンちゃんの前に立つ。
「…胸の時と同じ様に、知らない内に済ませておきたかったの。」
彼の視線から逃げる様に、横を向く彼女。
「僕は、君が不安な時には側にいたいって思ってるよ?」
彼女の逃げた視線の先に、倉田さんは自分を移動させた。
「私は…あなたにそんなとこ、見せたくないもの。不安は、自分でなんとかしないといけないものでしょう?それを人に頼ったら、自分がどんどん弱い生き物になってしまう気がして…。」
視線の逃げ場をなくしたマリンちゃんは、俯く。
「どんな君でも、僕は好きだよ?人間で興味があるのは、君だけだって言っただろ?」
「それは凄く嬉しいよ?でもね…私がいなければ、あなたはもっと高く飛べるかも…って思ってしまうんだよ。」
彼女は、更に俯いてしまう。どんな表情をしているのかは、前髪で隠れて見えなかった。
「…君がそんな風に思ってしまうのは、僕の羽根が脆弱だからだ。君を乗せて飛んでも、びくともしないくらいの強さがないからだ。」
「違う!違う!そんな風に思っていた訳じゃないの!」
ハッとしてマリンちゃんは、顔を上げて倉田さんの目を見つめた。
「違わない。君を不安にさせてしまったのは、やっぱり僕のせいなんだよ。」
寂しそうに、マリンちゃんを見つめる彼は、不甲斐ない自分を責めている様に見えた。
「…それに責任も感じてるんだ。」
「責任?」
訝しそうな表情の彼女は、首を傾げる。
「僕達がまだ付き合う前だけど、休憩室で君は煙草を吸っていただろう?僕は君の煙草の灰が落ち切るまでの間しか一緒にいられないから、もう一本吸ってくれないかな…なんて願ってた。そうなったらラッキーってさ。もちろん身体に悪い事なんて知ってる上で。だから…僕にも責任はあるんだよ。」
弱々しく笑う彼は、遠い日の自分の感情を恥じている様に見えた。
「馬鹿!そんなの、あなたのせいじゃないじゃない!」
「君がどう思おうと、僕はそう思ってしまうんだ。病気になってしまったのは僕にも責任はあるんだから、側に居させてよ。」
倉田さんはマリンちゃんの手をそっと手に取ると、ぎゅっと握った。その様子が、本当に大切なものを扱うかの様に感じられて、俺の胸を打つ。
「…馬鹿。」
彼女の瞳に涙が溢れて、流れ落ちた。…泣き顔なんて初めて見た。
倉田さんは僕達の前でも気にせず、マリンちゃんを抱きしめる。頭を撫でて、背中をさすると、小さな嗚咽が聞こえてきた。
マリンちゃんが落ち着いて涙が引いた頃、倉田さんはバックパックから何かを取り出した。
「はい、お土産。」
それをマリンちゃんに得意げに見せている。
「何?」
「棒付きキャンディ。口寂しいかなって。星形なんだよ?好きだよね?」
「…ありがとう。」
受け取ろうとした彼女の手は、空を掴む。彼がキャンディを一度高く上げたからだ。
「はい、アーン。」
倉田さんはにっこり笑うと、そう言う。少し恥ずかしそうにしたものの、マリンちゃんは大人しく口を開けた。
「…尖ってるから食べにくい!」
正直な感想だな。
「ありゃ、ハートにしとけば良かったかな?」
失敗したかな?と笑いつつ、気にしないところが倉田さんだ。
「君達もどうぞ。」
「ありがとうございます。」
俺達にはアーンではなく、もちろん手渡しだ。愛の差だろう。
「あ、ホントに食べにくい!」
甘いキャンディの匂いが、病室に漂う。苦手な消毒液の様な匂いが消えて、俺は少しホッとしてしまった。それは目の前の二人の様子を見たから、という理由もあるのだろうと思う。
「…甘い。」
莉子はキャンディを舐めながら、チラリと俺を見て笑った。本当に甘い。このキャンディも、目の前の二人も。
倉田さんがくれたキャンディは、海外のものらしく、毒々しいくらいの赤い色をしている。それが、彼女の唇や舌を赤く染めていて、艶かしさを感じ、少しドキドキしてしまった。
「本当。」
二人で顔を見合わせ、笑い合う。
俺達もこんな関係になれたらな…。莉子を見つめて思ってしまう。少しずつでも良いからさ。
今週はお休みだと言ってしまったのですが、連休で時間が取れたので、投稿いたしました。話が中途半端なのが気になっておりまして…。楽しんで頂けると、嬉しいです。
ではまた☆もう少しで完結ですが、よろしくお願いいたします♪