マリンちゃんと倉田さん(番外編)
繁華街にある彼女のお店には、行き慣れたものだ。以前は雇われの身だった彼女だが、今では自分で店を持ち、経営者として君臨している。君臨と言いたくなるくらい、女王様っぽいんだよね。元男だから背は高いし、だけど言われなければ気付かれないくらい所作も体型も女っぽい。体型に関しては、改造を繰り返した結果だと胸を張る彼女。努力の結果だと胸を張る彼女が、俺は好きだった。自分の稼いだお金を何に使おうが、私の勝手でしょ?と凛と立つ姿こそが、彼女らしいと思えるんだ。話題も豊富で頭も良いし、何より美しい。だから君臨という言葉を使いたくなるくらい、存在感がある彼女は、店の従業員からはカリスマ扱いを受けている。
以前、ドラクロワの『民衆を率いる自由の女神』の女神と重なると言ったら、凄く喜んでくれた。片乳を出して見せてくれようとしたのは、丁重にお断りしたけれど。
「久しぶり、マリンちゃん!」
「待ってたわ!最近来ないから、私の他に女でも出来たのかと…。」
戯けた顔をして見せる彼女は、いつもと変わらず明るい笑顔で俺を迎えてくれた。そして恒例のハグだ。彼女の豊満な胸が当たるが、スキンシップは俺たちの間では普通で、もちろん変な気持ちは無い。
「まさか!俺はマリンちゃん一筋なのに!残念ながら、仕事が忙しかっただけ。」
相談相手は彼女が一番だ。
「あれ?胸大きくなってない?」
「あら、気付いた?さすが愁。それに比べて…倉ぴょんったら全然気付いてくれないのよ?酷くない?」
「ゴメンって。」
ヒョッコリと長身の男性が顔を出す。困り顔の彼の顔は日に焼けていた。
「あ、倉田さん!帰ってきてたの?じゃあ、しばらくは日本にいるの?」
「ひと月ほどは、ゆっくりするつもりだよ。」
彼は倉田総司、動物専門のカメラマンで、一年の半分を海外で過ごしている。動き回っているからだろう、程よく引き締まった身体は、無理やり付けた筋肉ではなく、自然についたものだと分かる。その長身を黒いスラックスと白シャツ黒ベストを纏い、黒タイをしているのだから、凄く絵になっていた。
売れない時代はここでバイトをしてお金が出来たら、海外へ行って写真を撮るの繰り返していたらしい。一年程前に写真展で賞を取り、現在ではそれなりに有名になっている。特に鳥の写真が人気で、バイトなんてしなくても良いはずだけど、家で作業している時以外は、ここに入り浸っているのだとか。もちろん、彼女のマリンちゃんと一緒にいたいという理由もあるのだと思う。
「今日はどうしたの?何かあったんでしょ?愁の事なんてお見通しなんだから!お姉さんに話してごらんなさい!」
カウンターの席に座ると、隣に彼女は腰掛けた。スリットから覗く、長い足が艶かしい。変な気持ちはなくても、男の性なのか目がいってしまう。そんな事も計算づくなのだから、女という生き物は恐ろしいのだ。
「さすがマリンちゃん!話が早いなぁ。実は相談したい事が…。」
言い掛けた言葉を彼女は、にっこり笑いつつ手で遮る。話が長くなると思ったのだろう。
「その前に注文しちゃってね。」
「ああ、そうだね。じゃあビールで。それと、お腹空いてるから何か食べたいんだよね。」
「適当に出して良い?」
「うん、お願い。」
彼女は俺の好き嫌いを熟知しているので、お任せにするのがいつものパターンだ。マリンちゃんが厨房にいるスタッフに声を掛けに席を外した隙に、倉田さんが俺に耳打ちをする。
「愁君、来てくれてありがとう!お陰で彼女の機嫌が良い。」
そしてにっこり笑うとカウンターの内側の彼は、ビールを出してくれた。
「いつもと変わらない気がするんだけど?」
「彼女もプロだからいつも明るいけど、こんだけ機嫌が良いのは、ハシビロコウが動く時ぐらい珍しい。」
ハシビロコウは、動かない鳥として有名だ。
「…前から思ってたんだけど、倉田さんの例えって分かりにくい。」
「そう?」
「でも多分、機嫌が良いのは俺が来たからだけじゃなくて、倉田さんが帰って来てるからだと思うな。」
「そうかな?胸の件で機嫌を損ねちゃったんだけど。揉んでも気づかないとかあり得ない!って言われた。」
彼の留守中に黙って手術する方も、する方だけど…。
「まぁ確かに。さすがに揉んだら気付くよね、普通。」
「…僕は普通じゃないって事?」
心外だと言わんばかりの表情をする倉田さん。
「…自分の事、普通だと思ってたんですか?」
そっちの方がビックリなんだけど?
「…え、普通だよね?」
キョトンとした表情で俺を見つめる彼は、ぴんと来てないらしい。
「マリンちゃんを口説き落としてる時点で、只者じゃないと思うよ?二人が付き合う時ってどんな感じだったの?」
「聞くだけ無駄だと思うよ?」
戻ってきたマリンちゃんは、自ら料理を俺の前に出してくれる。
「はじめは全然相手にしてもらえなくて、あなたにとって私は珍獣と同じでしょって言われたんだ。だからちゃんと人間だと思ってるよって言って…それで人間で興味があるのは君だけだって言ったんだ。」
懐かしそうに彼は、語ってくれた。
「…話してもらったとこ悪いんだけど、全然参考にならない。」
特殊過ぎない?
「聞くだけ無駄って言ったでしょ?」
だけどマリンちゃんは、少し照れているようだ。耳が少し赤い。
「私たちは色物扱いされることが多いんだけど、この人はそんなこと全然なくて、男でも女でもなく、人間っていう大きな範囲で人を見てるのね。だからね、ありのままの私を見てくれる気がしたの。」
「マリンは面白いからね。次何するんだろうって、見てて飽きないし。」
「ほら、彼ってこんな感じでしょ?私は私で良いって、誰かに言ってもらいたかったのかも知れないわね。」
自分を肯定してくれる相手を、マリンちゃんは見つけたんだな…。それは倉田さんだけじゃない、ここに居る沢山の人も、母さんも、俺も。それはとても奇跡的な事の様な気がした。
「合コンで大失敗しちゃって…。」
その時の様子を話す。彼らは頷きつつ耳を傾けてくれる。
「ラッコが、お気に入りの石を失くした時ぐらいの切なさだなぁ…。」
だから、倉田さんの例えは分かりにくいって!
「だけど、今日まさに奇跡が起こって…。」
俺は今日の出来事を二人に話した。
「いつになく熱くなってるね、愁。ふふふ。嬉しそうだよ。」
知らずに、話に熱が入ってしまった様だ。
「柄にもなく運命感じちゃった。だから、知恵を授けてください!」
「作戦なんて立てなくても、愁君良い子だし、そのままで大丈夫じゃない?」
「そのままって言われても…。」
「確かにね。努力は必要だけど、自分を曲げてまで付き合う必要は無いと思う。逆に自分な勝手なイメージを、相手に押し付けるのも良くないしね。」
ありのままの自分なんて、大したことのない人間だと自覚しているだけに、受け入れてもらえるなんて思えないんだけど…。だけどそうなら、どれほど良いだろう。目の前の彼らみたいに…。
でも今日、散々母に彼女の目の前で色々ぶちまけられてしまったので、今更取り繕う事もなぁ…。今更格好付けても、締まらないよなぁ…。
色々聞いてもらって、心が軽くなっていく。これはいつもすごい事だなぁって思うんだ。
「マリンちゃんって良い女だよね…。」
「何よ、今更。」
「マリンちゃんみたいに男心を理解してくれる女なら、こんなに悩まなくても良いのにさ…。」
「馬鹿ね。物分かりの良すぎる女なんて、面白くないじゃない。愁、愚痴ってないで楽しみなさい。好きなんでしょう?そこの部分がしっかりしていれば、凄いパワーが出るんだから!」
「うん。ありがとう、マリンちゃん。」
「愁、たまには会社の同僚連れて来てよ。あ、良い男限定で!」
パチンとウインクする彼女に苦笑いを返しながら、俺は売り上げに貢献しようと次のお酒を注文したのだった。