彼とケーキ(番外編)
梅雨の晴れ間の土曜日、今日は洗濯と掃除をした後、毎年恒例となりつつあるケーキ作りをしている。結衣の誕生日には毎年作っているのだけれど、実はお菓子は自信が無い。何故なら、私が甘い物が苦手だからで…。今日は練習のために時間を割いていた。失敗したモノを食べて欲しくないからだ。
飲み会から数日後、彼には会っていない。私が水やりの時間をズラしたせいかも知れないけれど、元々それほど頻繁にやっていない。土が乾いてるなぁと、気がついた時にするくらいだから。でも、意外と意識してるのは、自分だけだったりして…。とっとと、他に行ったのかも知れない。
先輩達は、あの後カラオケに行って盛り上がったらしい。連絡先を交換したりと、その後もいい感じなんだとか。笑顔の二人の話を聞くと、何だかなぁ…。羨ましい訳ではないけれど、何だかモヤモヤするのは何でだろう?
いけない、いけない、目の前の作業に集中しなければ…。メレンゲを泡立てたら、生地とさっくり混ぜて…。オーブンにはクセがあって、本に書いてある時間通りに作っても、どうも上手くいかないことが多い。だから、確かめながら作らないといけないんだ。
熱くなって膨らむ生地を横目に、コーヒーを飲む。オーブンの様子を気にしながら、ぼんやりと飲み会の時の事を思い出していた。…悪くはなかったんだけどなぁ…。何かが足りない気がしたんだ。…必死さ、かな?私を必要としてくれる。
…だけど、最後の彼の瞳だけは、心が少し動いてしまったんだ。まぁ、もう終わった事だけど。…私は、縁を自らの手で断ち切ってしまったのだろうか…。
スポンジ生地が成功と言ってもいい出来なので、一安心だ。この時期、苺はスーパーから消えてしまっているので、彩りの良いフルーツを盛る事にした。生クリームを絞り、フルーツを乗せてゼリー液でコーテイングして…。おお、いい感じ!
ドーム型のカバーを被せて、冷蔵庫で冷やして終了!後で、美穂さんに持って行こう。
三時のおやつにでもしてもらおうと、二時半ぐらいに彼女の部屋を訪ねた。インターホンを鳴らすと、ドアが開いて…。
現れた意外な人物に、思わず息を飲んだ。さっき、考えていた相手だったから…。
「あれ?君は…。赤城さんだよね?」
「えっと、緑川さん?」
何故ここにいるの?ここの住人は全て女性で、その家族や彼氏にしたって、男の人を見かける事は滅多に無いのに…。
「眼鏡かけてるから、すぐに分からなかった。へぇ、似合うね。もしかしてスッピン?それでも綺麗だねぇ。」
気を抜いた姿を見られて、少し慌ててしまう。いやいや、別に良いじゃないか、何とも思っていないのなら…。そう自分で自分にツッコミむ。
ただ、化粧と言う仮面を被っていないだけで、落ち着かないのは何故だろう?
「あ、あの、美穂さんは?」
「母さん?すぐ戻ると思うよ。あ、中で待つ?」
美穂さんに息子さんがいるのは知っていたけれど、会うのは初めてだ。それが緑川さんだったなんて…。世の中狭いなぁなんて思ってしまった。
「いえ、ケーキ持って来ただけなんで、すぐ帰ります。」
「何か記念日だったっけ?誕生日でもないし…。」
「試作品の味見をしてもらおうかと…。」
「試作品って事は、自分で作ったの?」
「はい。」
凄い!売り物かと思った!と目を丸くして彼は驚く。何だか、飲み会の時とは違って、自然体な気がするのは、気のせいだろうか…。
「自分では食べないの?これ、小さめとはいえ、ワンホールあるけど?」
「好きじゃなくて…、甘いもの。」
「じゃあ、何で作ったの?」
「友達の誕生日に作ろうと思って…。久しぶりに作るから、味見のお願いをしてたんです。」
「ああ、なるほど。」
「あの、冷蔵庫にでも入れて置いてください。」
その場を離れようと思って、彼にケーキを差し出した。
「味見って、俺でも良いの?」
彼は首を傾げた。
「もちろん、どうぞ。…ケーキお好きなんですか?」
「大好き!甘い物もね。」
そうは言いつつ、いつまで経ってもケーキを受け取ってくれないので、その場を離れられない。
「入って!母さんも、すぐに戻るから。」
「あの、感想は後でも大丈夫ですよ?」
「今言う!すぐ食べて、言うから!ついでにお茶も入れるから、飲んで行って!」
「…分かりました。」
彼はさっさとキッチンに行ってしまったので、私は靴を脱いでお邪魔しますと中に入った。何度もお邪魔しているので、特に躊躇いもない。ケーキを受け取ってくれないのは、家に入れる作戦だろうか…。考え過ぎ…かな?まぁいっか。美穂さんの家だから、大丈夫だろう。
彼が緑茶と海老煎餅を持って来てくれた。…最強の組み合わせじゃないか…。私が甘い物が好きじゃないと言ったからだろう。本当に気が利くんだなぁ…。
緑茶に口を付けると、とても美味しかった。
「美味しい!」
「吉田さん直伝のお茶の淹れ方だから。」
「吉田さん?」
「俺の家のお手…じゃなくて、祖母の友人。」
言葉を濁したのが気になったけど、まぁいっか。
「…はぁ。そうですか。」
彼が包丁を持って来て、ケーキを切ろうとしている。私は彼の慣れない手付きにハラハラしてしまって、私がやりますと言ってしまった。お湯で温めた包丁を布巾で拭いている様子を、緑川さんはしげしげと見詰めている。…落ち着かない。
「こうすると綺麗に切れるんです。」
「へぇ。そうなんだ。」
感心する様子で頷く彼は、家事をあまりしない人なのかも知れない。常識だと思うんだけど…。
「美味しい!」
一口食べて、彼は微笑んだ。瞳が子供の様に、キラキラしている。
「本当ですか?」
「本当!料理上手なんだね。」
「…ただの趣味なので…。あ、唇の端にクリームが付いてます。」
「あ、本当だ。」
少し恥ずかしそうにペロリと唇の端を舐める姿が可愛くて、自分に中の警戒心が緩むのを感じた。
「この前言った事覚えてる?」
上目遣いに、彼は私を見詰める。物凄く身に覚えがあった。
「…はい。」
やっぱり気を抜いたらいけないかも…。
「これって、相当縁があった事にならない?」
「……そうですね。」
「縁があったら良いって言ったよね?」
「…言いましたね。」
「スマホ出して?」
にんまりと笑う彼からは、有無を言わせない雰囲気が漂っていて、誤魔化せる自信が無かった。自分で言ってしまった事なので、仕方ないとポケットからスマホを取り出す。
「…はい。」
すっかり相手のペースに巻き込まれてしまっている。やっぱり気を抜き過ぎたんだろうか…。少し可愛いと思ってしまった自分を馬鹿だと、心の中でため息をついた。