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 ★たんざく★

作者: 藤村綾
掲載日:2017/07/06

「あのね、今日夕方スーパーにいったのね、」

 なおちゃんのエンジン音がする。

 あたしは玄関にバタバタと足を急かし出迎えをしつつ、おかえり、という前に、あのね、から口火をきった。今日の朝から誰とも口を訊いていないあたし。なおちゃんだけしかこの世にいないみたいに。

 ただいま、と、ちいさく応え、うん、うん、と、言いながら部屋の中に入ってくる。

 あたしの頭を撫ぜながら。飼い主を待っている猫のように。2度程撫ぜる。おもての匂いを纏ってくるなおちゃんに毎日嫉妬しているあたしがいる。嫉妬。嫉妬。嫉妬の後は『?』マークなのだろうか。て

 手にポストから持ってきた手紙やダイレクトメールに目を落としつつ、

「スーバーに行って? なあに?」

 口だけを動かし、気をきかせて訊いてきた。なおちゃんの顔はほんのりトーストをされている。今日はおもての仕事だったのだろう。

「うん、いったのよ」

「うん、だから?」

「___」

 なおちゃんの顔を見たらすっかり話をしようとしたことを忘れてしまっていた。名札を外し、手帳とタバコをポケットからだし、スマホを机の上に置く。一連の動作だ。

 俯いたままのあたしの隣で作業着を脱ぎ、浴室に足を洗いに行った。

 

 最近なおちゃんはあたしの身体に触れてはくれない。家庭内別居はすっかり解消したにもかかわらず、あたしを抱き寄せるだけで、それ以上のことはしてはくれない。

 いけないと思いつつ、無防備に置かれているスマホに手を伸ばす。パスワードはわかっている。

【・・・・・・】

 スマホのパスワードがほどけなおちゃんの情報がたちまちあたしの手の中に入る。LINEはしてはいないので、メールの部分を触れようとしたら、シャワーの捻る音がし、あわてて、スマホを元に戻した。

「あー、さっぱりした」

 シャワーもしてきたようで、雨にでも打たれたような風貌をして出てきた。

「パンツなおちゃん履いてよ」

 泥酔状態になると、裸体で寝るので先に注意という命令をしておく。

「はい、はい」

 緑色したパンツを履いて、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。

「お刺身買ってきたから」

 あ! 

 あたしは、お刺身を買ってきたから。という自分の台詞で先刻なにを話そうか思い出したのであった。

「刺身いいねー。でも、昨日の鳥肉も焼くわ」

 あたしは、頷く。鳥肉を焼く役目はなおちゃんである。あたしが焼くと必ず焦げるのだから。

「そう、思い出したのよ」

 ダイニングテーブルにあるなおちゃんの名札に目を落としつつ、訊いて、訊いて、と、子どものようになおちゃんの顔を覗き込んだ。

「なに?だから」いつも前置きが長いなぁ、屈託なく笑い、それこそ小声で付け足す。

 あたしは、コホンと咳払いをし、スーバーであった出来事を話し出した。

「七夕が近いでしょ。でね、スーパーに短冊が置いてあって、誰でも自由に描けるのね」

 うん。なおちゃんは刺身をつまみ、缶ビールを美味しそうに胃に流してゆく。あたしは続けた。

「その短冊のお願いに書いてあったお願いがね、すごいロマンチックだったの、意味深っていうかね」

 目だけ天井を見上げる。なおちゃんは、どうでもいいような話の続きを待っている。この人はあたしを好きでいてくれる。あたしも目の前の人がおそろしく愛おしい。弊害のない恋。偽りのない淡い恋。


「《あの人をあたしにください》」

 そう書いてあったのよ。これってどういう意味合いなのかしら? 

 なおちゃんは、キッチンに立って鳥肉を焼いている。

「うーん、短冊に書いてあったお願いだろ?どうかなぁ。彼女のいる男を好きになった女子高生が単に書いただけじゃないのかな」

 深い意味はないと思うよ、と、最後らへんはどうでもいいような口調になっていた。

「あ、そうね。そっかぁ」

 あたしは、クスクスと肩を上下させて笑ってみる。テーブルには焦げていない鳥肉が湯気を上げている。 

 美味しそうな匂い。箸とサトウのご飯も一緒にテーブルに上る。登壇者達はしかし毎日あまり変わり映えがない。と、思う。

「他のお願いにはね、」

 あたしは、いろいろな色をした短冊に書かれた顔も見たことのない人達の願いを片っ端から読んだ。


『宝くじがあたりますように』とか、『プールがいやなので、地震がきますように』とか、『おとうさんみたいにハゲたくないので毛生え薬がほしい』とか、なんとか。思わず吹き出してしまう、懇願ばかりだった。

「ね、笑っちゃうでしょ?」

 そうだね、目を細め、いつにない饒舌なあたしに目を向け、なおちゃんの口が開いた。

「ふーちゃんは?なんか書いてきたの?願い事」

 いいえ、あたしは、首を横にふる。そうして、カバンの中から、文庫本に挟んんできた橙色と青色の何も書いていない短冊を机の上に置いた。

「一緒に書こうと思って」

 なおちゃんは青色の短冊の方に手を伸ばし、なつかしいな、と、呟いた。

「書いて」

 見ないから、書いて。

 見ないわけなどはない。なおちゃんは、ワハハと、大きく笑った。

「見ないわけないじゃん」

「あ、わかったぁ?」

 すっかりサトウのご飯は冷めている。肉も残り2つだけ。あたしは鳥肉に箸を伸ばし、サトウのご飯の上に乗せる。

「書いたらスーパーの笹の葉に飾ってくるわ」

「うん、書いておくね」

 優しい受け答えに息がつまる。何を不審がっているのだろうか。

 スマホを見ないでよかったと心からそう思ったのと同時、胸内でなおちゃんに頭を垂れた。

「なんて書こうかなぁ〜」

 なんとなくウキウキした声にあたしは安堵する。

「宝くじが当たりますように、意外にして」

 短冊の願いに書いてあったナンバーワンの願いは『宝くじ』にまつわるものが圧倒的に多かったのだ。


 その中にあった、《あの人をあたしにください》

 その文字は明らかに大人の女性の文字だった。あたしは推測をする。きっと、不倫の恋に迷っているのだと。

 『あの人』は他のもの。だから、短冊に思いをぶつけたのかも知れない。他人の所有物を好きになる。どうやったって、『あの人』は、『あたし』のものにはならない気がする。気がするのではない。きっと、ならない。不倫は不毛だ。不倫をする女の気持ちはよくわからないが、好きな感情はあたしの好きと同胞なのだろう。きっと、たぶん。

 けれど、そのやるせない文字にあたしは胸が締め付けられそうになった。真っ白の短冊に赤い文字で書かれていたのだ。赤い文字で。力を込めて。涙を浮かべ、思いを吊るす。長い髪をした色白な女性。


「毎年ね、七夕は曇っていて天の川は見えないのよ。でも雲の上は晴れているから、彦星と織姫は会えるのよ、なおちゃん、訊いてる?」

 ソファーに移動をしたなおちゃんは、手に缶ビールを持ったままうたた寝をしている。ニュースステーションをつけたままで。バンツ一丁で。

「もう、」

 あたしは、なおちゃんの手から缶ビールを離し、そうっとソファーに寝かせた。


 橙色の短冊にを手にとる。

 本当はスーパーで願い事を書いてきたのだ。なおちゃんには決して言えないこと。秘密の言葉。

 橙色の短冊に筆を滑らす。

《いつまでもこの時間が続きますように》

 そう書いて、ダイニングテーブルの上に置いた。

 スーパーで書いた願いは、

《『あたし』に、『あの人』をあげてあげてください》

 白い短冊に赤い文字で書いてきた。

 あたしは、不倫に加担をしたのだろうか。あたしは……。

 なおちゃんからは寝息が聞こえる。テレビのヴォリュームを3つ下げ、電気を図書館モードにし、無垢な寝顔をジッと見つめる。

 洗い上げをしないと。


 頭の中はそう思うのになかなか目の前の人から視線が外せないでいる。

 カーテンの細い隙間からおつきさまの気配を読み取れない。あたしは途方に暮れる。

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